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ずいぶん時間がたってしまっけど、以前(4/27)、OTTAVA con brio の
森さんが、ブログ http://blog.ottava.jp/ottava_conbrio/2012/04/(リンク先消滅)
で取り上げたJR中央線三鷹駅先の線路際にある箱、
私も興味を持ったので6月29日、実際に現地に行って調べてみた。
ブログには、浮き彫りで「昭和21年」と読めるとのこと。
その写真を見て感じたのは、終戦直後の、あらゆる物資が不足している時に
ここまでちゃんとした物を造ることが出来るだろうか?ということ。
金網越しで良く見えないけれど、いろいろな部分の造りがとてもていねいに、
しっかり造られているように見る。
いくら安全性が重要な鉄道用品でも、終戦直後の物不足で混乱していた時に
60年以上も残っていられる様な品質の物を造ることが出来るだろうか?、
ということ。 で、あらためて読んでみると(読みは右から)
京(印)東
場 工 村 三
月 十 年 二 和 昭
と読めた。
三村工場とは、後に国鉄やJRのATS,ATC,CTC、自動改札機等、
多くの鉄道関係の電気システムを作る現在の日本信号(株)の前身で、
" 三村 " とは創業者の御名前だそうだ。
この箱、昔の信号機の柱の下にあって信号関係の機械が入っていた箱だと思う。
鉄道趣味雑誌の古い写真で、信号を制御する機器を収めた箱から、
直接信号機の柱を立てたものを見た覚えがある。
天井の丸いキャップの部分は、本来なら信号の柱を立てる所で、 ここから信号機の柱が立っていたのではないだろうか。
そのため箱も頑丈で、キャップを締めているボルトもとても立派なものになってる。
で 今、何のためにここにあるか?。
枕木で作られた土台の上に置いてあるだけの様だし
その設置位置からも、現在も信号関係に使われているとはちょっと考え難い。
ここからは見えない向こう側がどうなっているか?、を知りたくなり、 線路の向こう側に回った。
中央線の複線と、三鷹区への入出区線等、計6本分の線路の
距離があるので肉眼では読めなかったが、
カメラのズームをいっぱいにして撮ってみると
「三保支」と書いてあるのが読める。 「三鷹保線支所」の略ではないだろうか?。
保線で使う道具や材料を保管しておくのに使ってるのではないかと、 私は考える。
この箱の40mほど西に、同様な箱がもう一つ。
こちらはずっと後に作られた箱の様で、薄い鉄板のプレスで作られていて、 サビで穴が開いいる。 以上、私が調べた上での推理の結果。 事実として書かれている部分以外は、すべて私の知っていることからの想像。 |
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2012年08月13日
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