あの木村政彦との死闘です。
グレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシー氏が29日(木)、ブラジルのリオデジャネイロで亡くなりました。
95歳でした。
エリオ氏は、日本人柔道家・前田光世(コンデ・コマ)がグレイシー一族に教えた柔術の技術を基に、
現在のグレイシー柔術を築き上げた創始者。
“400戦無敗”で知られる三男のヒクソン・グレイシー、六男のホイス・グレイシーの父親としても有名で、
ブラジリアン柔術十段で柔術の象徴的存在として敬われていました。
1904年、柔道使節の一員として渡米した前田光世は異種格闘技戦を行い、ボクサーやプロレスラー、拳法家などと
柔道普及のために戦いまくった。その後メキシコやヨーロッパなど世界各地で異種格闘技戦を行い、
ブラジルに辿り着いた。この間柔道着着用の試合では1000勝以上し、無敗であった。
当時、ガスタオン・グレイシーが移民としてやって来た。ガスタオンの子供カーロス・グレイシーは体が弱かったため、
ガスタオンは前田に「柔術で鍛えてくれ」と依頼した。
カーロスは末っ子のエリオと共に稽古に励んだ。エリオは直接前田に柔術の指導を受けたわけではないが、
前田の柔術を改良し、誰にでも使いこなせる術としてグレイシー柔術を完成させた。
エリオ・グレイシーもまた、前田と同じようにグレイシー柔術を広めるため後に異種格闘技戦を行う。
1951年9月6日にリオデジャネイロ市で加藤幸夫とブラジリアン柔術ルールで対戦し、10分3ラウンド引き分け。
9月23日に再戦し8分目で加藤を絞め落としエリオの一本勝ち。
10月23日にブラジルリオデジャネイロ市のマラカナン・スタジアム (観衆はブラジル大統領を含む3万人)で
木村政彦と対戦。棺桶まで用意された中での試合であった。
木村が2R開始3分で得意の大外刈からキムラロック(本来の名称は柔道の腕がらみ。)で腕を取り、
エリオは意識が無くなっていた(一説に骨折したと言われている)ため兄のカーロスがストップし
木村が勝利。木村の一本勝ちとなった。後日木村はエリオの闘魂について、日本人の鑑であると賞賛している。
43歳の時、自らの弟子だったヴァウデマー・サンターナと戦い、3時間以上の激闘の末敗れ、現役を引退した。
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