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もう30年近く前は、「ファミコン」もまだ普及していなく、「ゲーム」というのは100円を入れてプレイする「インベーダーゲーム」があったくらいでした。
私の子供のころの夏休みというのは、母親の実家の山形県酒田市に遊びに行くのが定番で、その一環として、鶴岡市の由良温泉にあった「国民宿舎 由良荘」にも2泊3日くらい泊まり、日本海で海水浴をしたものでした。
由良荘は毎年ゴールデンウィークころまでに往復はがきで夏の繁忙期の宿泊予約の抽選をするのですが、我が家では毎年、家族4人それぞれの名義で応募して、なぜか毎年のように当選していました。
後に兄の高校受験の年に受験対策として応募しなかったときには、由良荘の職員さんから「今年はお申し込みはなさらないのですか?代わりにエントリーしますか?」と、大変ご親切なお電話をいただいたくらいでした。
古き良き時代でしたし、私たちは由良荘を心から楽しんでいたので、推測ですが、そっと当選させてくれていたのではないかな?と思っています。
温泉は別に楽しみという年齢ではなかったのですが、やはり家族みんなで旅行に行くというビックイベントにとても興奮し、毎年とても楽しみでした。
だいたいのスケジュールは、お盆ごろ、父親の車で出かけ、途中、出羽三山、湯殿山や羽黒山に立ち寄り、お参りをします。そのほか、大日坊で即身仏を拝観したり、田麦俣でかやぶきの古民家を見たりして、由良に向かいました。
そこで2泊3日、海水浴をしたり、先にも書いた「ギャラクシアン」ゲームをしたり、広いお風呂で泳いだり(いけません)、家族でトランプをしたり、という滞在をした後、母の実家である酒田市に1〜2泊をしました。
酒田市では、叔父の住む母の実家に泊まり、いとこたちと合流して、近くの駄菓子屋で買い物やゲームをしたり、いとこの集めたたくさんのまんが本を読んだりしました。
庄内地方の人々は、今はずいぶん減りましたが、やさしい京風の庄内弁でお話なさります。語尾に「〜のぉ」というやさしい響きはとても上品で、血が直接つながっていないのに叔母は大変私をかわいがってくれたこともあり、私は庄内の人々が大好きです。
したがって私にはこの山形県の日本海側に非常に愛着を持っており、実際に今も住んでいる仙台市よりも愛着があります。
さて、その由良荘に泊っての楽しみの1つが、ロビーにあったゲーム機「ギャラクシアン」【写真】をすることでした。
ちょっとしたバカンス(?)に出て気持がゆったりして財布のヒモも少しだけゆったりしたためか、母もこのときくらいはとお小遣いをいつもよりは気前よく出してくれ、200円という当時の私や兄にとっては大金のお金をもらい、このロビーで楽しんだものでした。
私はへたくそだったので何面か進むと手ごわくなってきたコンピューター相手に負けてしまったのですが、それでも夢中になった楽しい思い出があります。
やがて兄が高校受験を迎える年になったのでその年で由良荘通いはおしまいになり、そのまま家族揃って由良荘に出かけることは無くなり、そうこうしているうちに由良荘自体が閉鎖されて、今は懐かしい思い出が残っています。
由良荘が閉鎖されたころ、その廃墟と家族揃ってみた日本海に沈む夕日が見たくてバイクで走りに行ったことがありました。
20年以上経っていますが、夕日の美しさは変わらないままでした。【写真】
つい最近、この「由良荘」だった建物が大阪資本の業者が買い、リゾートとしてオープンさせました。「ホテル サンリゾート庄内」(http://www.sunresort.net/shonai/)です。【写真】
昨年の11月下旬に兄を含めて家族4人でもう20年以上ぶりに行ったのですが、内装はやや変わったものの、止まった時が動き始めたようなうれしさと懐かしさを感じました。食事も、ずいぶん立派になりました。まあ、宿泊料も当時7千円くらいだったのが1万円を超えていますけれど。
むろん、ロビーには「ギャラクシアン」は無かったので、そうだと思ってファミコンのギャラクシアンのソフトを探して買い求め、客室にあったテレビに接続し、20年以上ぶりに兄とプレイしました。
あれからいろいろなゲームをしたので、左右にしか動かせない自分のキャラクターはひどく貧弱で、ゲームそのものも同じパターンの繰り返しで実に単純ですが、兄も私も、父も母も、20年若返ったかのように、純粋に遊び、騒ぎ遊びました。
楽しかったなあ。
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