日々是雑感

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 山本素石さんという方を、ご存じでしょうか?

 随筆家で、渓流釣りをたしなみ、活き活きとした日本の山河での情景を紹介された方です。
 同時に、「ノータリンクラブ」というクラブを立ち上げ、その初代会長になられました。このクラブの活動の初期の主なものに「ツチノコ探し」があったのです。と、いうより、ツチノコ探しのためのクラブ発足だったのですね。

 よく聞く話しのようですが、昭和40年代以降のいわゆる「ツチノコブーム」以前の昭和30年代にそれをなさったのですから、ブームの引き金であった方です。
 同氏が偶然通りかかった山中で突然正体不明のヘビが飛んできた(襲いかかってきた)ことから、長年山野に通い慣れたはずなのに見慣れぬそのヘビの正体を見極めようとしたのです。

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 この「完本 逃げろツチノコ」(筑摩書房)は、同氏とノータリンクラブのお仲間が10年あまりにわたってツチノコ探しに当たって集めた記録や体験記です。

 私は蠅弔蠖夕劼ら出ている「幻のツチノコ」で初めて同氏を知ったのですが、後でそれが抜粋に過ぎず、別にこの「完本 逃げろツチノコ」という本があるということを知りました。
 しかしそのころにはすでに絶版となっており、入手が困難。古書でもかなりの高額で、amazonでは11,000円で出品されています。

 最近、Yahoo!のオークションで、この本と、その他の同氏の書籍をまとめた3冊と、4冊まとめて8,000円ほどで入手できました。

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 私が最も不思議だったのは、なぜ、ツチノコ探しに御尽力されてその正体を見極めんがために捕まえようとされた同氏が、その書籍に「逃げろ」とつけたのか。
 書籍名を知ったとき、その理由が最も知りたかったのです。

 上記の「幻のツチノコ」でも、「ツチノコ始末記(原題 フィナーレ)」で、詳細で信頼に値すると判断した情報についての真偽疑惑が浮上したものの、その情報を元にしての捜索を止めることにしたとあるのが、どうもつながりがわかりません。
 抜粋は、ダメですねえ。今回、完本を拝読させていただいて、ここ10年来不思議だった疑問が氷解しました。

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 氏は、純粋に山野とそこに生きる人々との関わりにあるツチノコの存在を突き止めたいと思い、その究明をしたいがために情報を求め、探索していた。しかも、ツチノコだけを探せばいいというのではなく、ツチノコは仲間や仲間とともに活動してまわるという「風流な大人の遊び」のキッカケにし楽しんでいたものだったのに、それに勝手に触発された人々の狂乱ぶりに嫌気が刺したのでしょう。
 大金の賞金がかけられたり、誤りならまだしもウソの情報が多数舞い込んだり、自分たちの純粋さを踏み台にただお祭り騒ぎをしたいという人との付き合いをしたくなかったのではないでしょうか。
 ちょうど、桜の花見をして風流に眺めていると、そばで大声でカラオケを始められたようなぶち壊され方…。

 それを「あとがき」の中で、同氏はこう書かれています。
 (前略)いるか、いないか、分かりもせぬが、かつて出遭ったことのあるあのツチノコの仲間が、まだこの国土のどこかにいきづいていることを信じて、私どもはそれを追い続けてきたのだが、こう騒がしくなったらもういやだ。ツチノコをダシにするピエロにはなりたくない。ツチノコよ、捕まるな、逃げろ逃げろ、と言いたくなる。ボタンの押し方をまちがえていたのか、呼鈴のつもりで押し続けたのは、どうやらサイレンのボタンだったようである。
 (前略)その投書の中に、「ツチノコはどうか捕まえないでください。せっかくの夢が消えてしまいますから―」「どこまでも幻の動物として、永久に秘められたものであってほしいと思います」というのがたった二通だがある。多数のおもねく方向に背いて、私はこの少数意見に加担する。
 そういう以上、私はもうツチノコを追いかけまい。しかし、ツチノコが棲みそうな山へは、動けなくなるまで行きつづけることだろう。そして、もしどこかでツチノコにめぐり逢えたとしたら、
 「お前、やっぱり生きとったのか。よかったな。誰かが捕まえに来よらんうちに、はよう逃げろよ」
とささやきかけることだろう。(後略)
 その後、同じ時期にネス湖にネッシーを探索に潜水艦を沈めるという日本人の計画がイギリス国民から批判されているのに触れ、「あそび」や「夢」を忘れた「嫌なもの」がツチノコ騒ぎに加わったことを寂しく感じられていることが書かれています。

 氏には到底及ばない程度しか山野経験が無い私でさえも、氏のお気持ちは重々わかります。

 うまく口では言えないのですが、幼児が手やおもちゃスコップで砂場の砂山を高くしよう高くしようと無邪気に遊んでいるところに、いい大人が「とにかく山を高くすりゃいいんだろ?」とお金をかけて重機を持ってきて巨大な砂山を作っても、それは意味がない。それは幼児はしらけて、悲しくなるだろう。それどころか、貴重な幼児の遊び場である砂場は、高い山を作るからと掘り返されて使えなくなり、子供たちが作っていた砂山も重機で跡形もなく押しつぶされてしまう。
 そんな感じの、風流の無さ、しらけ感、無残さを感じます。

 私も学生時代は山岳部に入って山歩きをしたり、自然体験施設に勤めたりしているうちに、山野の中で、理屈ではなく、感覚として、山という自然環境そのものに畏敬すべき気持ちが湧き出てきて、その中で野山をもっと知りたい、見ぬものを見たいという気持ちも出たりしてきたことがあります。
 もちろん、私はツチノコを見たことはありません。なので、「絶対いるはずだっ!」などと思ってません。
 しかし、経験豊富な山本素石氏が目撃していること。その後「ブーム」になって、まるで幽霊やカッパ、空飛ぶ円盤と同じように、「共通の内容を証言する目撃者」が多数出てきたこと。この2つについて、「山本氏が目撃されたものは、何か?」ということと、「その後、目撃者が多くなったのは、なぜか?(これは山本氏が暗にその分析?感想?を本文中で書かれていますし、私もそう思います)」ということを、知りたいとは思いました。

 それと同時に、ツチノコという生物の、伝え聞く習性が「はなし」として、非常に面白いです。
 トカゲとヘビの特徴を併せ持ちつつも全く他の生物とは違う動き。もしも、何かこの未知なる生物がいるならば、その正体を明かしたいという純粋な知識欲ですね。

 見たことも無いものを盲目的に信じるほど、私は純粋ではありません。
 しかし、野山に多少なりとも入ったことがある人ならば、そこに何か、大きな存在を理屈ではなく感じたりして、「天狗」「河童」「山の神」…など、昔ながらの言い伝えを「信じる」「信じなくとも、否定もしきれない」という山の神秘さを体感しているのではないでしょうか?
 なので、奇妙ですが、私は「空飛ぶ円盤(エイリアンクラフト)」や「口裂け女」「人面犬」…などはこれっぽっちも信じないのですが、「天狗」などは、盲目的に信じないまでも、それに準ずる異世界の雰囲気は感じて、「いても、おかしくないかもなあ」と思うこともあるのです。

 生物として、あるいは民俗学・心理学的な面からでも、もし私が何らかの「ツチノコの正体」を追跡して発見し発表すれば、これまで長きにわたって見つけることができなかった・信じられなかったその存在を見つけたという私の見識や経験が、間違っていない・優れたものだと判断でき安心できるということもあります。

 また、仮に本当にいるとした場合、「猛毒を持つ」という話しもありますから、もしそんなのが山野にいるならば、やはり血清を作って、犠牲者を出さないようにするのが人としてのあるべき姿とも思いますし、一方で、絶滅寸前であれば、保護とは言わないまでも、これ以上その生息地を荒らすことを止めさせるべきとも思うのです。

 だから、「発見(真相究明)」したい。
 賞金など、どうでも良い。

 しかし、私なんかとは比べものにならないほどの経験豊富で感性豊かな同氏が、探索を続けた結果上記のように「見つけない方が良い」という結論に至ったことを考えると、そうした方が良いのだろうか?と悩んだりもします。
 まるで、推理小説の結末を全国放送してしまうような、後世の人にロマンを残さないようなマナー違反のような感じもします。
 それよりも、か弱い・静かに暮らしてきたツチノコが、無機質の、人間の思惑でいいように踏みにじられるようになれば、一個の種の運命を悪い方向に決定づけるような罪を背負いそうでもある。
 そういうことにならないよう、もしかしたら同氏は、自分のことを語っているだけではなく、自分の著作を手にした「後継者」たちに、その心構えとしての教え・注意(警告)をされたのではないか?とさえ感じます。

 私は自分の知ったことや身につけた能力・技術、持っている道具は、自分だけではなく社会や誰かの役に立ってこそ初めて存在意義があると信じているのですが、しかし山野を歩いてめずらしい花を見つけても、他人に吹聴したりしません。
 独り占めしたいわけではなく、その「草花のためにならない」と思うからです。誰かにその草花の存在を知らせたことでのメリットよりも、その話が広まって盗掘されるとか、多くの人がやってきてその自生地が踏み固められたりするデメリットが大きいと思うからです。

 仮に私がツチノコを発見したぞと得意げにTVなんぞに出た日には、日本中の心ある人から「言わなきゃいいものを…馬鹿なヤツだ。残念だ。」と顰蹙を買うのは間違いなさそうです。

 もし、生物としてのツチノコが本当にいて、発見されてしまった場合。
 野山は踏み荒らされて、か細いツチノコは絶滅に拍車がかかり、何も得るものも無い…。

 そう考えると、私もたぶん、捕獲しても、発表せずに観察して、すぐに「逃げろ、ツチノコ」と言って放すかもしれないな。
 そして、その生息地一帯を貯金をはたいて買い占めて、開発などされないように保存するでしょうね。

 案外、賢明な山野の先人たちは、すでに何人もの方がツチノコを見つけて・捕獲して・撮影しても、そう判断して、黙りつづけているのかもしれない。
 死がいや写真がいつも寸前のところで氏の「手に入らなかった」のは、実は本当のことではないのかもしれない。所有者が賢明にも氏にまでウソをついて見せるのを避けたのか、本当はそれらを見せられたのに氏がそうと書かなかったのかもしれない。

 人が、ツチノコを賢く・暖かく迎える下地がで上がるまでは、「幻の動物」のままの方がお互いのためなのかもしれない。
 野山に入った・これからも入っていく人が、何かそこに、いるかもしれないと感じる神秘さを残しておく方が、「いる」にしても「いない」にしても、楽しいわけなのですから。

 それまで、逃げろ、ツチノコ。

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私が一番尊敬しているのが「山本素石」さんです! 削除

2012/12/2(日) 午後 3:23 [ 麻那古 主税 ] 返信する

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