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私が野鳥に関心を持つようになった理由は、「野鳥にも愛情表現に見える行動を感じた」ことでした。 その最初が、以前「ホオジロの愛情」として書いた出来事を目の当たりにしたからで、その次に「キジバトの愛情」として書いたように、キジバトの行動にもそれを感じたからです。 ですから、ホオジロやキジバトを見ると、また他の鳥と違った親しみというか、私にそれまで関心も持たなかった・知って良かった小さくとも人と変わらない・ある面では人以上にすばらしい生き物たちの世界に目を向けさせてくれるように、新たな世界を教えてくれた先生のような、そんな感じを持ちます。 数日前、いつもの公園を散歩していると、仲間同士でしょうか、夫婦でしょうか、キジバトが2羽、地面に降りて、落ちている木の実なんかをついばんでいました。 食べているときや交尾をしているとき、眠っているときは、動物や野鳥の無防備なとき。そういうときに急に驚かすのは、卑怯ですし、生きるのに邪魔をすることになるので、望遠レンズで撮影しました。ちょっと手ぶれ&ピントが甘い。 「ねえ?なんかいいの、あった?」とでも声をかけているような、様子(笑)。 「おっ!これはおいしそう!!」とでも言いたげ? 「なんですか、キミは。」…すみません。 まあ、野鳥という人間とは別の生き物に人間の感情や価値観を押し付けるつもりは全くありませんが、しぐさや行動、生き物としてのたくましさなどを知るほど、何かそういう感傷を超えて、全ての生命に対してまでも、畏敬というか尊敬というか、そういう気持ちを持ちます。 全ての生命に対して尊敬の念を持つというのは、本来理屈ではないのですが、やはり少しでも理解すれば、また違った点からそういう気持ちになります。 生命というものに尊敬の念を持てば、我が身に振り返ったとき、食べ物を食べるとき、それはその大切な生命を分けてもらって、自分が代わりに生かされているということに気づきます。 キジバトを食べるわけではありませんが、この今日の食卓に並んだ肉や魚、同じように感情やすばらしい表情や能力があったのに、生きたかったのに…ありがとう。いただきます。 そんな気持ちになりますね。 自分の命は自分のものではなく、そういう自分のために世話を焼いてくれた人たちや、犠牲になってくれた動植物の上にあると思うと、何か社会や他の生命にプラスになることをすべき義務があるのではないか?と思います。 そういうことを、感じさせてくれた野鳥の1種が、このキジバトでした。 きれいな羽の色合いです。
別に人の目を楽しませてくれるつもりで、野鳥たちはカラフルな色合いを身につけるのではないのでしょうが…。 なぜ、この羽はこの羽の色であって、他の色ではないのか?この色合いに至ったのか?ということを考えただけで、あっという間に昼休みが終わります(笑)。 |
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こんばんは
枯葉の中では見分けにくい色だと思っていましたけど、よく見えますねえ。案外キレイなんですね。15年前、団地の庭で、ネコに噛まれた山鳩の子を拾って手当てして、二週間置いていました。
元気になって、ヴェランダへ出してやると、嬉しそうに飛んで行きました。抱いてる写真がありました。探して編集して出してみます。
2009/3/6(金) 午前 0:27 [ ai33sun ]
ai33sunさん、おはようございます。
自然界でケガをした、特に野鳥のようなデリケートな生き物は、手当が難しかったのでは?よく無事に飛べるようにまで、献身的な手当をなされましたね。スゴイ!
2週間も一緒にいたら、情が移って、お別れのときはちょっとさびしかったのではないでしょうか。でも、きっと今頃は、その2世・3世が、元気で鳴いているかもしれないと思うと、うれしいですね。
お写真、見つかりましたら拝見させてくださいね♪
2009/3/6(金) 午前 10:12 [ 泉ヶ岳 ]