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春の花・ニリンソウをご存じの方でも、ミドリニリンソウまでご存じの方は、意外に少ないかもしれませんね。 ニリンソウというのは文字通り、1本の茎から普通2輪の花を咲かせることからその名がついているわけです。 こんな感じですね。 この、白い花びらに見える部分は、実は「がく」なんです。花はこの中央にある小さな部分。 日が沈みかけていたり寒い日は、この白い「がく」が閉じているのを見かけます。 さて、ミドリニリンソウ。別に、ニリンソウの別種の仲間などではなく、突然変異でこの白い部分が緑色になったものです。 例えば、この写真も、完全な緑ではありませんが、緑がかっています。 「がく」は変異しやすい部分のようで、ニリンソウのこの白い「がく」は5枚であることが多いのですが、6枚や7枚というのもめずらしくありません。 ミドリニリンソウは、完全にこの普通白い「がく」が、緑に変化…というか、先祖がえりというのでしょうか、なったものです。 私も泉ヶ岳に通い始めたころ、ニリンソウはもちろん真っ先に知った花なのですが、後でこのミドリニリンソウがあるということを知って、探しまわって見つけました。 泉ヶ岳には、小川沿いにニリンソウは多く咲くのですが、私が探し回った限りではごく一部の群生地の、そのさらに一角の一群にだけで見かけます。変異に何か条件があるのか、また、その変異は遺伝的に引き継がれる性質なのか、詳しく観察などしていないのでわからないですが・・・。 このミドリニリンソウ。見るのが難しいのは、数が少ないからだけではありません。 まず、「そんな変異がある」ということを知らないと、あえて探すということをしないものです。「ある」と知った上で探すのと、「あるかどうか、わからない」「存在を知らない」というスタンスで見て回った場合とでは、見つかる可能性は全く別ものになります。 そして、たとえたまたま見つけても、「これはなんだろう?」ということに興味を持って調べない限りは、「なにかの花だろう」ということで終わってしまい、すぐに忘れてしまうということがあります。 私は野山を歩くときには、いつもこのことを肝に銘じています。 同じ山道を同じように歩いても、見えるもの・知るものに、その歩いた人の視点の持ち方いかんでは、全く違う世界になると思います。 シャーロック・ホームズの冒険「ボヘミアの醜聞」の冒頭の一節を思い出します。
「君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大ちがいなんだぜ。たとえば君は、玄関からこの部屋まであがってくる途中の階段は、ずいぶん見ているだろう?」 「ずいぶん見ている」 「どのくらい?」 「何百回となくさ」 「じゃ、きくが、段は何段あるね?」 「何段?知らないねえ」 「そうだろうさ。心で見ないからだ。眼で見るだけなら、ずいぶん見ているんだがねえ。僕は十七段あると、ちゃんと知っている。」 シャーロックホームズの冒険 「ボヘミアの醜聞」(新潮文庫 コナン・ドイル 延原謙訳)よりかくありたいと思います。 |
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