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先日、毎日新聞にまるで何も考えないで書いたかのような記事が掲載されていたことを批判しましたが、これは毎日新聞全体の質が低いというのではなく、単に姿勢の問題でしょう。掲載したのは地方版(群馬)なので、その地方支局の問題と言えます。 例えば昨日、野生鳥獣を補殺した際に安易にかわいそうというのはどうか?と警鐘を鳴らす・ある意味覚悟のいるコラムを好意的に紹介しましたが、あれも同じ毎日新聞で、取り扱った地方が違う(長野)だけです。 ちなみに、これは何も私の意に沿わない・反対する言動を掲載したから批判するという安易なものではなく、ある事象を深く考えることなく一方的に読者に対して報じるその姿勢を批判しているつもりです。 TVほどではないにせよ、世の中にはまだまだ新聞などの活字となっているものが報じるものはそれが全て正しいことと思ってしまう人も少なくありません。小中学生も新聞を読むのですから。従って、ある事象について接した際、本来なら多面的な見方を紹介し、読者がその両論を比べて自分の考えを構築するという機会となるはずところが支局の仕事ぶり1つで阻害され、もしかしたらその読者が本来望まないはずであった考えをやむを得ず形成させられかねないのを懸念しています。 なるほど、「交通事故があった」「火災死亡事故があった」という単なる事実報道も少しは意義はあるでしょう。 しかし本当に読者の役に立つ記事であれば、「携帯電話をしながら運転をしていたために前方不注意で交通事故があった」「ストーブの上に洗濯物を干していてそれが落下して火災になった」というような、読者が自分は注意しようという注意喚起の役立つ書き方がある方が優れた記事と言えます。多くの事故例を紹介すれば、それを回避できうるのです。 ですが同時に、これだけの報道では、「禁止されている携帯電話なんて使っているからだ。自業自得だ」「住宅用火災警報器をつけていれば早く気づいて無事逃げだせたのに」と、様々な感想や憶測を読者は持ってしまいがちです。 ですから、さらに「携帯電話を使っていたのは、急病の母親の病院と連絡をしつつ駆けつけるところだった」「火災で亡くなった方は高齢の1人暮らし。寝たきりのために火災に気づいたものの、逃げ遅れたようだ」などというような理由の理由まであると、様々な考えの奥行きや多くの問題点へ思いを馳せ・発展させ、広く社会における事故防止につながることに貢献することだってできうるわけですし、それによって被害者や犠牲者やそのご家族・遺族が救われる・慰めとなる場合だってあります。 その点、先だっての毎日新聞群馬版の記事は、まるでそれら読者利益なんてどうでも良いと言わんばかりの誠にひどい記事でした。読者利益どころか、紹介した団体の利益を考えているようにさえ見えてしまいかねない記事です。 さて、今日も毎日新聞の記事で、地方版(岡山)の記事についてです。 やはり日本熊森協会さんが行っている「ドングリまき」について取りあげているのは前回紹介の記事と同じですが、こちらの方はきちんと異論を掲載し、読者が考えて、賛成する・反対するという判断をするためのヒントになり、親切な内容です。このような報じ方が、読者利益にかなう記事と言えるわけで、群馬の毎日新聞支社は、この岡山県の支社に記事の書き方を教わったらいかがでしょうか? 1月13日の毎日新聞岡山県版の記事です。 究・求・救・Q:餌不足によるクマ被害問題 ドングリまくより植樹 /岡山 全国的にクマの出没が相次ぐ中、「餌不足のクマのために」とドングリを山にまいたり、山中に果物を持ち込む行為が問題となっている。クマの生態に詳しい専門家は「野性動物への餌付けであり、他の場所で採集したドングリを山に持ち込むことは生態系を壊すことにつながる」と警鐘を鳴らし、「生態系にあった植樹を」と提唱する。【石戸諭】 ◇山の生態系壊さぬ対策を 善意の餌付けで人里出没も 環境省によると、クマによる死者、負傷者は昨年11月末現在で145人。09年度の64人を大きく上回り、捕獲も3854頭に達した。県内でも昨年12月末現在で196件の出没情報が寄せられ、統計を取り始めた00年度以降で最高を記録。原因として考えられるのがクマの餌となるドングリ類の不足だ。ドングリがなるブナは豊作と凶作を繰り返し、昨年は06年以来の凶作年だった。このため人里にクマ出没が相次いだ。 一部の自然保護団体は「餌不足のクマを救おう」と全国から集めたドングリをまく活動を始めた。群馬県では3・5トンのドングリを山中にまく計画がある。環境省鳥獣保護業務室は「市街地や他の生態系で採れるドングリを別の山にまくのは生態系保護の観点からみて大きな問題がある」と注意を促す。 野生クマの保護に取り組むNPO「日本ツキノワグマ研究所」(本部・広島県廿日市市)の米田(まいた)一彦理事長は「動植物の研究者はドングリまきに反対している。善意のつもりの餌付け行為が、結果的に人間とクマの距離を近づけて、双方に被害が出る」と警告。クマが、人間のまく餌の味を覚えて人里に現れることの危険性を指摘し「中国地方で(クマの好物である)柿が山中にまかれたという情報もある」と語る。そして、米田理事長は「ドングリができやすい環境を作る植樹が望ましい」と提案する。 県内では、久米南町在住の80代女性から「クマの餌代に使ってください」と13万円の寄付を受けた美作市が先月、市有林にコナラなど生態系にあわせた広葉樹200本を植えた。米田理事長は「『クマを守ろう』という善意はありがたい。自然にもクマにもプラスになるやり方で気持ちを生かすべきだ」と話した。先だって群馬の記事を批判した際に、「NPO法人日本ツキノワグマ研究所の米田理事長も反対されているのに」と書いたのですが、今回はさすがに理事長のお住まい・広島県の隣県の岡山県の記者さんだけに、きちんと取り上げられています。 しかし公平に見れば、実施している団体を名指ししておらず「一部の自然保護団体」としています。これは普通に考えれば日本熊森協会さんのことを指していると思われますが、そのドングリをまいている団体側の意見も載せなければ、読者は反対意見にしか接することができません。実施している団体側の意見も掲載することで初めて比較することができるわけですから、この記事も良くない記事…と言うべきでしょうか? 普通であれば、私もそう指摘するのがフェアな態度と言うものでしょう。 しかし、以前から何度も紹介していますように、日本熊森協会さんはマスメディアから取材を受けるのに次のように条件を出していらっしゃいます。再々掲しましょう。 マスメディアのみなさんからの当協会取材受付条件
どんな条件でも出すのは自由です。マスメディアの取材を受けるは義務でもなんでもありません。しかし、協会さんはこんな条件を公言していることで、自ら、このような批判的な記事に反論をし、主張を多くの人に発信する機会を手放しているわけです。1、人間による森林破壊の最大の被害者である哀れなクマを、絶対に悪く報道しない。 (空腹に耐え切れず、しかたなく人前に出てきたクマたちを追い掛け回して面白おかしく報道するなど、問題外。臆病なクマをパニックに落としいれ、人身事故を多発させています) 2、現象だけでなく、なぜこんなことが起きているのか、正しい原因を報道する。 3、これからどうしていけばいいのか、解決法を報道する。 例えば、この岡山の記者さんが実施している団体の当事者意見を聴こう・両論併記をしよう考えられたとしても、「絶対に悪く報道しない」といったことから始まるこれらの報道への挑戦とさえ言えそうな条件・注文を、良識ある記者さんや報道機関が受け入れるはずが無いため、最初から取材対象にしない…ということにもなりかねないからです。 また、以前テレビ朝日の報道を批判した際にも書いたのですが、日本熊森協会さんを取り上げている報道があった場合には、協会さんがそういう条件をマスメディアに課していると知っている私のような者にとっては、その報道内容は全てこの協会さん側の条件を受け入れ・迎合した上での取材と報道=一方的に協会さん側だけの意見や主張だけを流している報道とは言えない広報・宣伝に過ぎないと誤解されかねません。 つまり、仮に日本熊森協会さんが全面的に正しい主張(行動)をしていることだとしても、たった数行のこんな条件を付していることで、その主張(行動)に対し批判的な報道をされる際には再反論の意見を掲載されない(掲載される機会を失いかねない)となりかねず、一方、その主張(行動)が報道された際には、その条件をのみ込んだ程度の記者や報道機関の報道だろうとバイアスのかかったものと偏見を持たれてしまいかねないというわけです。 しかし、そうなったとしても、それもこれも言ってみれば協会さんの自業自得としか言いようがありません。 さて、岡山県の記事に付け加えるとすれば、「植樹するときも、その植樹予定場所直近の木のドングリから育てた苗木を用いるということ」ということまで踏み込んで欲しかったですね。 もう1つは、この寄付を受けたという町は、木々の不作では無かった年は出没が少なかったという事実から、すなわち、行政の林業政策のマズさがその年の熊の出没を招いた=射殺に至っているというのはあまりに短絡的な発想でしょう。その地域の木々のドングリを用いて多少植樹したところで、一斉不作となればやはり植樹した木々も不作になる可能性もあります。それを予測して、あるいは単に何も考えずに他の土地のドングリをまけば、今度はそれは遺伝子撹乱と指摘されるべき問題になりえます。植樹と言ってもそんな単純なものではなく、私から見れば、申し訳ないのですが、女性の寄付+行政の対応と、全国からドングリを送っている人々は、それこそドングリの背比べとしか感じません。 また、ドングリを置くことの弊害を生態系保護の観点から問題があると書かれていますが、一般の人には想像しづらいですね。例えば、「様々な土地で育ち性質を身に付けてきた遺伝子がまかれることで、そのまかれた土地の気候風土で生きていくのに適った性質を長年かけて獲得してきた木々の子孫に、別の土地の性質を持ったものが混じり、その土地の森林の生命力を弱らせかねない」とか、「豊作と不作を繰り返すのは、ネズミやリスなどを一度数を減らさせ、次の豊作とすることでドングリを食べつくされないようにして生き残り勢力を拡大させようとする木々の戦略。ネズミらが死なないことで、翌年以降のドングリも発芽する機会が奪われ、森が広がらないかもしれない」と言った面も紹介されるとより良かったのですが。 まあ自ら弁明を放棄した対立意見が掲載されていないのは仕方が無いわけですから、今回の岡山県の記事はその枠の中で頑張った記事と言えるでしょう。
支局の資質や姿勢でこうも紙面は変わるものなのですね。群馬の読者はかわいそうです。ネット読者としては、前回の群馬の記事の偏向ぶりを、岡山の記事でようやくバランス調整完了した、というところでしょうか。 |
【日本熊森協会さんへの疑問】
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私には熊森のこの条件スゴイと称賛したい。
だってそのまま守ると取り敢えず熊森への全否定になっちゃうよ。
そこまで判ってるならやり方変えなきゃってことなんだけどなぁ。
だから、社会にもある問題もそこと同じような根があるんだってことに踏み込む報道だといいだろうけど、メディアは報道媒体ではなく広告媒体が本質、報道内容なんて信じちゃ駄目なのは判り切ってる。
熊森がマスメディアを意のままに使いたきゃ、広告費を膨大に使っていいお客さまになればいい訳だし、動物保護原理主義者であって環境保護に関与しようなんて考えてないことを公言して、今のような嘘をつかないようにした商売にしていけばいい訳だろう。「私たちは危険であっても条約違反でも外来生物を買う人の気持ち分かります。熊だって私たち熊森会員の大切なペットなんだ。」っていう広告を全国紙全段広告で打ってみればいいのにって、マスメディア側も広告代理店も売り込めばいい。
そういうことなんじゃないでしょうか?
2011/1/13(木) 午後 10:21
一応まともな新聞社には編集デスクがいて、編集委員がいるわけです。だから新人記者や勘違い記者がトンデモ原稿を上げてきてもデスクが書きなおさせるし、編集委員が目を通すはずなんですよね。だって最終的にはその記事を発行した新聞社の“責任”になる訳ですから。だからいくら地方紙の駆け出し記者の記事だからといって許される訳ではないはずです。その新聞社のレベルが低いとレッテルが貼られてしまうことになるんですから・・・。
今、出版業界が厳しくなってる折、こんな記事(前出)を出すことが自らの首を絞め、新聞社の役割をなくしていく事に気がつかないのですかね。新聞社の人間の口から「ネットは便所の落書き」なんて言えなくなっちゃいますよ。
2011/1/14(金) 午前 1:10 [ s.stone ]
SHINYAさん、私たちは、新聞にしてもTVにしてもネットにしても、書いているのを即・鵜呑みにする愚かしさや危険性を学習して、様々な情報を得ようという姿勢が身についてきていますが、子供やお年寄りを中心に、いわゆる情報弱者がいて、また、ある分野ではそういう姿勢はあるのに感覚的に飛びつきたくなる話題は盲信してしまうという人間の弱さというものがどうしても排除できない以上は、営利企業と言えどもこうなると規制が必要ではないかと思いますね。
虚報やミスリードを垂れ流しし、責められると「営利企業」「報道の自由」というのはあまりにご都合ですしね。
まあ、そういう反社会的なことをしている会社などは、消費者がNOという意思表示をすべきなんでしょうね。政治家などと同じで。
2011/1/15(土) 午前 11:18 [ 泉ヶ岳 ]
さんぽさん、毎日新聞といえば、外国に向けて日本人がトンデモない「英文サイト問題」をしでかすような社内体制ですから、
http://www.mainichi.co.jp/20080720/0720_01.html
まともに機能していない部分も点在しているのかもしれませんね。
子供のころは、今思えば相当怪しげなUFOやUMAの話を紹介した本も、「本に出ているから(TVでやっているから)」と盲信したものですが。
そういう、アホらしい虚偽でいっぱいの役立たず情報満載だから、TVや新聞・本(=活字離れ)が進んでいるんじゃないかな?と思いますね。良識ある人はそういうものを手にしませんから、営利企業のスポンサー企業も離れ、そして赤字、という構図で。
ネットが優れていることばかりとも思いませんが、ネットが出て来て、マスメディアの虚偽がわかりやすくなったという功績はあると思いますね。
2011/1/15(土) 午前 11:24 [ 泉ヶ岳 ]
太文字で示されたところですが、それ以上、追及の余地を許さない部位だと、信じている訳ではないけど、確信しました。それと、メディアや報道と、自然の間に分け入って、語られて居られる姿勢に、いまさらながら気づきました。泉ヶ岳さんは、言いにくいと思いますが、日本熊森協会やメディアの自然への在りかたが、そういう確証から出発して、よくなればいいと、思いますね☆ 泉ヶ岳さんが、語られたことを「折り返し地点」として、得られるものは、たくさんあり、勉強になるところがあります。
深く潜って上げてみると「植物と動物」が、自然の大まかな在りかたなんですね。植物が動物の調和を測っているところには、動物も植物の調和を測っているのだと、非常に重要な興味を頂けるものと感じました。
この冬に思うことがあって、あの夏に登った山頂にあった木が、雪に埋もれて、それでも、少しづつ、育つことが出来たなら、わたしは、どうなんだろうか、と。わたしは、もっぱら、植物側の人間ですが、こう言えば、歳だと言うかな? (笑)
わたしは、概念を信じるほど、度胸はありませんが。
2011/1/18(火) 午後 6:58 [ とーまつ ]
追記です。
まさか、植物が動物との調和を取り、同時的に、その逆が通るなど思いもしませんね。自然淘汰、弱肉強食が、植物に該当するなど、感じられていないものなど、死物ですね。ダーヴィンとメンデルを合わせたら、自己矛盾だと言うくらい、いつまで続くのですかね、この矛盾をさせる如き調和とは。
2011/1/18(火) 午後 7:35 [ とーまつ ]
とーまつさんのような数々の山を踏破し、しかもそこでいつも新鮮なものを得られて来られるような方ですと、生半可な自然保護や議論は、理屈よりも先に感覚的に見ていられない気持ちになられるのではないでしょうか?
私も迷信などを盲信するような人間ではないのですが、夜、山奥で一人キャンプをしていたりすると、霊とか妖怪とかそういうものではない、目に見えないものへの畏怖心が感じ、自分なんかはこの山の中では、アリや野鳥やミミズなどよりも弱い存在で、見逃してもらっているのだというような気持ちになります。
昔の方は、誰もがそういうことを感じ、謙虚に過ごし、山や森と一体となって、戒めなどを作り、自然とうまく過ごす知恵を身につけていたんだろうなあ、って思います。
2011/1/18(火) 午後 10:11 [ 泉ヶ岳 ]