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過日、毎日新聞社岡山支局の記者・石戸さんが、安易な「どんぐりまき」について疑問を呈する記事を書かれていることを紹介しました。それに対しまして、石戸さんご本人からメールをいただき記事を紹介したことへのお礼や記事にした思いなどをお知らせいただいたことを後日談として書きました。 こういう「いい話」に対して水をさすようなことは、その渦中の当事者だけではなく、それに安易に賛同して自分に酔いたがっているような人から激しい反発を招きかねません。むろん、それがどんなくだらないことであっても自分たちの仲間うちで済んでいる話しであれば、水をさすことは野暮というものですが、少なからず社会や自然環境に影響…それも悪い影響を与える懸念があることについて疑義を呈することは必要・重要なことです。 ですが、「必要なこと」と「それを実行すること」はまた別問題で、特に昨今の報道機関は「文句を言われたくない病」に陥っているかのような病的・末期的な報道姿勢が大勢を占めているにも関わらず、この石戸記者はもちろん、それを掲載することを支持した岡山支局さんの報道に対する是々非々な姿勢に、実に久しぶりに報道機関に対して清々しく・強い尊敬の念を持ったものでした。 しかし、前回の記事は、多くの賛同を得られると同時に、「いい話に水をさされた酔っ払い」からの激しい苦情や嫌がらせもあったのではないかと心配しておったのですが…今日、再度このことについて石戸記者の記事が掲載されました。実に堂々としており、本当にすばらしいご姿勢と、感服しました。 以下、3月2日の毎日新聞岡山版の記事からの全文引用です。 きび談語:「餌不足のクマ」のために… /岡山 「餌不足のクマ」のためにドングリを山にまく行為が専門家から問題視されている、という記事を書いた。ある自然保護団体から「一方的な記事。自分たちの主張も書いて」と要望もあったが、多くの読者からは「やっと新聞が書いてくれた」と好意的な反応をいただいた▲「やっと」には理由がある。ドングリをまくことの問題を考えずに「善意」を礼賛する報道が多いのだ。困った現象だがまだ変えられると思う。読者の反応から、そう確信した。【石戸諭】 毎日新聞 2011年3月2日 地方版ううむ、本当に、実に勇気ある立派な・堂々とした主張です。 なぜなら、紙面において「報道」という石戸さんや岡山支局さんが身を置かれている世界に対しても批判的な意見を述べられているのです。これは、ご自身らには直接なんのメリットもないどころか、「ある自然保護団体」はもちろん、他の報道機関からも不快感を持たれかねません。 しかし、おおらくは石戸さんや岡山支局さんは、単に目先の自己利益や不利益ではなく、読者に対して誠実であろうとする態度を取って公平中立な報道をすることが、新聞をはじめとする報道機関が信頼を勝ち取る=生き残っていける道と思われている使命感からだと思います。これは、並みの覚悟や使命感ではできるものではありませんし、それをサポートされる岡山支局の上司やご同僚の方にも敬意を表したいと思います。 さて、「ある自然保護団体」がどこで、石戸さんがどのようなご対応をなされるのかわかりませんが、例えば以前も書きましたようにこの「どんぐりまき」を行っている団体の1つ、「日本熊森協会」さんの場合は「取材を受けるための条件」を付けており、それは自由なのですが、一方でそんな条件をつけられてしまうと、公平に報道しようとする石戸さんのような記者さんや報道機関は取材したくともできないわけで、やむを得ないわけです。 だいたい記事中の「ある自然保護団体」が「一方的な報道」だと苦々しく思う資格があるのでしょうか? そう思うのは私のような立場の人間の方であって、これまでは一方的に・なんら検証すること無くこの「どんぐりバラマキ」を、まるでとても良いこと・何も問題が無いことであるかのような報道ばかりが氾濫していた現状のことを「一方的な報道」というのです。それに対して今回、石戸さんと毎日新聞岡山支局さんの英断で、全体のバランスが回復の方向に向かい始めたというわけです。今回の石戸さんのコメントは、そういう読者の声を伝えているわけです。 もし、「ある自然保護団体」が「全ての一方的な報道」は疑問に感じるのならば、これまでにあふれていた自分らの主張だけを取り上げていた報道にも同じく一方的であると疑問を呈していなければなりません。そうしておいてはじめて公平な態度と言えます。ところが、自分たちの主張だけが一方的に報じられていたときには何ら疑問を主張したことは無いであろうに、それに対して少し冷静で疑義を唱える記事が掲載されたらそれは一方的だと意見を言ってよこすというのは、全く説得力も無い子供じみた態度でしかなく、お話しになりません。 だから私はどこかの主張などを一方的に報じるような記事は、「報道」ではなく「広報」「宣伝」という、と言っているのですよ。 このような是々非々な記事を拝読できる岡山県の住民の方が、心底うらやましいです。
願わくば岡山県の読者さんは、このような使命感をもち、読者利益を確保しようと奮闘される記者さんや支局さんを、全面的に支持していただきたいものです。おれが、結局は自分たち読者のの利益にもなるのですから。 |

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ご無沙汰しております。
本当にすばらしい記事だと感心しました。
それに引き換え某団体はただのわがままとしか感じませんね。岡山県はB級グルメとしてジビエ食を宣伝していますが、これも某団体さんが発狂しそうですね。
2011/3/3(木) 午前 11:42 [ 少納言 ]
そうですよね。私のような者がブログに書くのとは比較にならない影響力や覚悟・リスクが伴いますので、その信念は無条件で頭が下がります。
ジビエが産業として成り立つようになれば、有害鳥獣駆除がうまく周り、その動物の種全体としても、地域の植生も、農作物被害や交通事故も減少が期待できるんですけれどね。保護保護とそれだけしか目が行かないパッパラパーな人たちは、そんなことさえ思いつかないのでしょうね。
2011/3/3(木) 午後 9:56 [ 泉ヶ岳 ]
まぁかの団体なぞは自分達で『保護』とわざわざ名乗る、ただの『愛護』だと思っていますし。
昔はここまで偏った団体じゃなかったんだけどなぁ…。
2011/3/4(金) 午前 8:37 [ 少納言 ]
どんなものでも、是々非々で語り、外部の意見も取り入れるべきものは取り入れる、という姿勢が無くなれば、一部の人の価値観を全ての人に押し付けるカルトと変わらないようになってしまいますよね。
民主的な運営ばかりが正しいとは思わないのですが、小グループ活動の組織体制や認識で急速に巨大化、まして、感情的になりやすいものがテーマですと、ブレーキが壊れたダンプカーのごとく、コントロールが効かなく停まることができなくなってしまうのではないでしょうか?どこかにぶつかったり、壊れたりするまで。
2011/3/6(日) 午後 9:12 [ 泉ヶ岳 ]