日々是雑感

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 私は実家が非農家ですが学生時代に農業を勉強していましたので、今、非農家の人が普通に生活していては見られない「食べ物が食卓に届くまでの過程」なども知ることができ、そしてそれはとても有意義でありがたいことだと思っています。
 普通、食べ物は動物でも植物でも他に生きているものの命を分けていただくということです。ですから、それはありがたく、大切に食べなくてはならない…というのはこんな言葉でも理屈でもなく、本来は感覚的な・常識として身につくものですし、身につけるべきことです。

 魚などはまだ、1匹まるまる売っているので、あの魚の形=刺身や焼き魚という連想はしやすいのですが、食肉は、動物としての牛や豚と、食肉としての牛肉や豚肉とは、なぜか連想しづらいという人もいるでしょうし、肉は好きだけれどもそれが食卓に並ぶまでのことはあずかり知らぬ、という人は相当多いのではないでしょうか。

 今の世の中では、畜産業者から出荷された牛や豚などが、どのように屠殺されて解体されて、そして「肉」となるのか、知る機会はほとんどありません。一種のタブーとなっている感さえあります。
 大型動物の解体というのは、「画」としてはグロテスクであり、これまた理屈ではなく「かわいそう」「残酷」という気持ちを感じさせるものです。しかし、肉を食べている以上、かわいそう・残酷だ、という他の生命を重んじるという大切な感情はいつまでも持ちつつも、しかし、それを乗り越えて、それが人が生きるということ・食べるということだということを学習して強く・命を大切にする大人になって欲しいと、子供たちを見るたびに思います。
 むろん、だからといって、むやみにそういう場面を公開すれば良いというわけではありません。人間誰もがトイレに行くからといって、四六時中・どこででもトイレや大便の話をするのは社会常識に反するわけで、そういったことはマナーや礼節、そしてなんといっても教育の問題でしょう。

 3月2日の朝日新聞の記事に、長野県で興味深い活動をしている方の記事が出ていました。
「狩猟」から命を考えよう 県クマ対策員の後藤さん授業
2011年3月2日 

 「狩猟は良いことでしょうか、悪いことでしょうか」。県クマ対策員の後藤光章さん(37)の問いかけに、首をかしげる生徒たち。後藤さんは「祖先は狩猟で命をつないできた。狩猟の一部を担うことで、命を考えるきっかけにしてほしい」と続けた。狩猟を題材に命を考えるこんな授業に県内外で取り組んでいる。 

 長野市立長野高校でこのほどあった「ノーマライゼーション講座」には講師として招かれた。自らが猟に出て撃ったニホンジカ3頭を教材にと持参した。「狩猟は撃って解体し、胃袋に入るまで」と話す。生徒は実際にシカの皮をはぎ、解体した肉で作った料理を味わうなどした。 

 最初は瞳が開いたままの親子のシカを見つめ、おそるおそるナイフを握っていた高校生も、次第に慣れた手つきで肉をさばく。2年生の市川実季さんは「普段はパックで売っている肉を料理するだけ。でも、自分で解体してみて、命をもらって食べているのを実感した」と話した。 

 後藤さんは、信州大農学部の学生時代にクマの調査・研究をしていた。その中で、野生動物が増えすぎることなく人間と野生動物の共存関係を保っていくためにも「人間の生活に狩猟は欠かすことができないと気づいた」という。 

 各地で食害が問題になっているシカの場合、2009年度には県内で約1万8700頭が捕獲されたが、そのうち食肉として流通しているのは約1300頭にとどまるという。多くは猟師が自家消費するか、土に埋められる。 

 「動物の命を奪う行為と食べることがかつては一致していた。その重みを教えることで獲物も生きてくる」と後藤さん。猟で捕獲した動物を教材に、小学校や大学でも授業をしている。(小林直子) 
 記事にある後藤さんのお考えは、私も全く同感です。この点、私は後藤さんと全く同じ価値観です。
 近年、国内の食糧自給率への関心がようやく国民の間でも高くなり、また、最近では少しずつ農林業関係者でなくとも有害鳥獣やその駆除にも関心がもたれるようになってきました。これは国とか自治体といった行政とか政治家、被害にあっている農林業関係者だけの問題ではなく、国民全体の関心や理解が対策や解決には不可欠なものですから、その点では国民1人1人が国内のこういった現状にどう向き合うのか、嫌でも真剣に考えるべき義務を有するような時代−本来は常にそういう意識を持っているべきだと思いますが−になったと思います。

 最近、ようやく一部の小学校などで、農業体験をし、自分たちの食べ物を振り返るという試みを始めるようになってきたようです。

 例えば、上越市立大手町小学校では、5年生の総合学習として、食べるための豚を飼うか?飼わないか?というところから子供たちで話し合い、結論を出し、やがて食べることを承知の上でみんなで育てる活動をしました。
 育て始めて数ヶ月後、大きく育ったところで出荷。学校で一緒に生活してきた豚が、このトラックに乗っていけば殺されて肉にされるということは最初から分かっていたはずのことであったのに、当然、子供たちの中には泣き崩れたりする子もいます。そしてその後で、その自分たちが育てた豚の肉を食べるか?食べないか?これも子どもたち自身で決めます。
 このときの子供たちの議論は、非常に真剣で、誰もが必死に考えた意見だとわかるものばかりです。「かわいそうだけど、食べられるために肉となったのに、食べない、というのはかえってかわいそうだ」「ありがたいと食べることが、一番の感謝の気持ちを表すことになると思う」などなど。それは見ている大人たちの方でも、そんな子供たちの様子や意見から学ぶことがたくさんあります。
 そうして子どもたちは、「いただきます」の意味を理屈ではなく感覚で学ぶんですね。
 決して保護者や教師が強制や示唆することなく、子供たちが自ら考え、決断し、それを通じて感じるという、すばらしい教育だと思います。

 有害鳥獣として駆除された動物を食べることに対して、私にはさっぱり何をおっしゃっているのか意味が理解できないことを主張する人や団体もありますが、この子供たちに比べ、何と子どもっぽい考えかと言わざるを得ません。そういうことを言う人は、食べ物や命について、この大手町小学校の皆さんほど考えたり感じたことが無いのかもしれません。
 教育というのは実に大切なものだと、あらためて思います。

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こんなもんです。

 ちょっとご紹介するのが遅れてしまいましたが、先月、こんな記事がありました。
 2月4日のロイターの記事です。
飼い犬を処分の運命から救った男性、自らかまれて死亡
2010年 02月 4日 07:06 JST

[リュブリャナ 3日 ロイター]
 スロベニアで、人を襲ったとして処分されそうになった飼い犬3匹を救った男性が、その犬にかまれて死亡するという出来事があった。警察が3日発表した。

 警察のスポークスマンは「リュブリャナで昨日、3匹の犬が52歳の飼い主をかみ殺した」と述べた。

 犬はブルマスティフで、4年前に飼い主の家の外を通り掛かった人を襲って重傷を負わせた。その後数年間、審問が行われている間は当局で保護されていたが、1匹が世話係を襲ったため、当局は3匹の処分を決定。しかし、飼い主が上訴し、昨年6月に3匹を取り戻していた。
 私は犬種もさっぱりわかりませんが、日本番犬学会さんが監修された「ペットのイエローページ ワールドドッグ図鑑」のブル・マスティフの項を拝見しますと、番犬向きにと作られた犬で、頑固で家庭向きではない旨、紹介されています。

 この犬が、4年前に通りかかった人を襲ったという状況がわかりませんし、かの国の考え方もわからないので何とも言えませんが、重傷を負わせた犬が無事戻されるというのはかなり意外です。その間、世話係も襲っていたというのに。
 どんなしつけや管理をしていたかわからないのですが、ご本人なりに犬たちを大切にして全力で殺処分から救ったのかもしれませんが、結果として、それがアダというか、自らの死を招き寄せることになりました。

 人間に慣れたり、人間を見下す・危険視しなくなった知的・大型動物は、人を襲うことも珍しくありません。熊が人を襲ったときには、古来、必ず仕留めなければならないと言われています。それは、人間は体力的には熊よりもはるかに弱いという事実を熊が学習し、次からも人を躊躇なく襲いかねない危険な性質を身に付けたことを恐れることから言われています。
 その点では、捨てられた元飼い犬とか、甘やかされた飼い犬なども、人間というものがどういうものかを知っているために、人を咬むという事故を引き起こす場合があります。

 この事件を起こした犬たちも、そもそもがどういう性質や環境で育てられたのか知りませんが、最初に1人に重傷を負わせたところで、もう人を怖くも無いと思うようになった(なっていた)のかもしれません。そして、世話係にも襲いかかり、最後に飼い主にも襲いかかったのでしょう。
 いくら飼い主が盲目的に溺愛しようとも、動物は動物です。普通、その思いが通じるという場合もあるのですが、一方で、通じていると思い込んでいる滑稽な飼い主などがいますが、この亡くなった飼い主も後者であったのでしょう。

 人を襲った熊さえも殺処分に反対、という方に対して、しばしばインターネット上の掲示板などでは「保護を叫ぶ人間を、熊と同じオリの中に入れてやれ」などという暴論や「行政や猟友会に苦情を言うヤツが熊を引き取って飼えばいい」といった声が見受けられますが、おそらくそれらを実行した場合、これと同じような喜劇…おっと、入力ミス…悲劇的結果になる可能性がかなり高いでしょうね。

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当然でしょ…。

 以前から紹介していますが、一部の団体らの根拠が全く薄弱な主張にも関わらず安易にそれに乗ってしまったのかなんなのか、豊後大野市も検討をするとしている「有害鳥獣駆除を目的としたオオカミ導入」の与太話ですが、当然と言えば当然の話なのですが、本格的議論以前にさっそく頓挫しそうです。

 おおみえ切って公表する前に、実現の可能性の検討・細かい部分までの詰めですとか、農林業関係者への聞き取りですとか、市民の代表たる議員への根回しというか事前説明とか、行政としてはまずそういった「内部」で地道に詰めるべきところ、「外部」に公表してから内部に向けて動き始めるというのは、かなり拙く情けないと言わざるを得ない行政運営です。市民置き去りの、対外的なアピール・自分の宣伝だけが目的ではないか?とさえ感じる、首長さんの独善的にも見える姿勢というか資質は、前回書いたように私はやはり疑問に感じざるを得ません。

 まずは3月8日の大分合同新聞です。
オオカミ導入案に異論続出 豊後大野市議会
[2011年03月08日 10:25]

 鳥獣被害対策として豊後大野市の橋本祐輔市長がオオカミによる駆除に注目していることに対し、7日の市議会代表質問で、2会派の代表が反対の立場から質問した。

 橋本市長は、ハンターやわなによる狩猟、防護柵などの対策だけではシカ、イノシシなどの被害を防げないとして、国外からオオカミを輸入する方法を選択肢の一つに挙げている。

 小野泰秀氏(清風ク)は「米国の国立公園で導入例はあるが、四国の半分という広大な土地。オオカミの行動範囲は広い。国も否定的な見解を示しており、再導入の可能性が残されていると思うのか」と質問。小野栄利氏(緑政会)は「議会で議論するなら予算化はいつなのか。オオカミ議論は鳥獣被害の実態を示した効果はあると思うが、市民の立場を考えると反対せざるを得ない」と述べた。

 橋本市長は「一自治体でできることとは考えておらず、社会的なコンセンサスが必要」「全国にオオカミ再導入に関心がある自治体があり、協議する組織ができれば議会に相談したい。大規模な予算化は考えていない」と理解を求めた。
 この市長さんについては以前から「なんだかパフォーマンス好きそうな人だなあ」と、かなり不安と不満があったのですが、議会がある程度論拠をあげて慎重意見を提示しブレーキをかけてくれたようで、安心しました。阿久根市や名古屋市などの首長と議会の対立で議会の存在意義について注目が集まることが増えましたが、こういうことが二元代表制の醍醐味で、民主主義において起こり得る一時の狂乱などへの安全弁になります。

 ハンターやわなによる狩猟などでは被害が防げない、というのはわからないでもありませんが、そちらの延長上での打開策はろくに模索せず、それで新たに持ち出した打開策が絵空事に過ぎないオオカミ導入というのですから、もう飛躍し過ぎていて常人ではついていけなくなります。

 「大規模な予算化」は、確かに「ただ、他の自治体と協議をするだけ」ならば旅費やら事務費、湯茶費といったわずかな予算の計上で可能かもしれません。しかし、その協議・検討した結果はほぼ確実に「断念」となることが今の段階で言えます。そういう結論が見えている、議論・検討せずとも良いものをわざわざ検討するそんな予算は全くの無駄でしかありません。わかっている結論を確認するための議論に費用などをかける必要はありません。しかも、同じような事情で困っている者同士の自治体と意見交換をして、何か導入に向けての課題解決につながるというのでしょうか?多くの分野の専門家に、長期にわたる調査研究などを依頼していくというのならばまだわからないでもないですが。

 「社会的なコンセンサス」とも言っていますが、まず到底そんなものは得られるはずはありません。市長さんは「全国の自治体が関心がある」とはおっしゃいますが、それはこの豊後大野市周辺の自治体ではなく、日本各地に散らばるわずかな自治体に過ぎないわけです。仮にオオカミ導入をして目的を達成しようとするのであれば一定面積の地域全てが一体となって行わなければ効果が上がらないのはもちろん、到底管理もできないでしょう。その点では、いくら日本各地に同じ考えを持つ自治体があろうとも、周辺自治体のいくつかでも「否」と反対すれば、成立しえない話です。
 しかし申し訳ないですが、前回紹介したように、口蹄疫が発生したときに自分の自治体だけで独自に対応しようとした姿勢のこの市の行政や市長さんでは、周辺自治体からその独自の政策というか突拍子もない話に対して積極的な理解や支持、協力などは到底見込めないと思います。

 3月8日の毎日新聞にも、同じく議会で追及される市長の様子が報じられています。
豊後大野市:「鳥獣害にオオカミ」全国協設立 賛同少数、先送り /大分

 イノシシやシカなどの鳥獣害対策として外国からオオカミを導入する構想を描いている豊後大野市の橋本祐輔市長は7日、導入に向けて全国的に設立を計画している市町村連絡協議会に「賛同し参加する」と答えたのは2自治体にとどまっていることを明らかにした。橋本市長は「残念ながらすぐには設立できない状況。引き続き呼びかけたい」と話した。

 開会中の定例市議会で、小野泰秀市議(清風クラブ)の代表質問に答えた。市は現状を話し合い、課題を共有するため協議会設立を計画。参加に前向きな全国11自治体に1月、案内文書を送付。8自治体が保留し、1自治体が「参加しない」と答えた。

 また、小野市議は「導入にほとんどの人が懸念し、反対している。市民や議会も認めたわけではない」と指摘。橋本市長は「選択肢の一つ。情報発信など国に働きかけたい」と述べた。【佐野優】
 笑わせてくれます。

 リーダーシップをとったつもりなのか、見切り発車的に11自治体に案内を出したものの、8自治体が保留、1自治体が明確に断って来て、賛同は2自治体に留まったわけです。
 記事にはそれらの自治体が保留や辞退とした理由までには触れられていませんが、普通に考えれば、「選択肢としては否定しないものの、まだ住人や国民のコンセンサスが得られているとは言えない状況であり、かつ、国も否定的見解である以上、今すぐに具体的な検討するような協議会結成という段階では到底無く時期尚早であるから」というところではないかと思いますね。

 議会にも地域住民にも説明などは後回し、案内文書を出す前に先方の首長などと電話ででも会談して内諾などを得るような根回しもせずに案内をただ送り付けただけのような結果で、行き当たりばったりで何も考えないで行動しているように見えます。
 一定程度の参加が見込めるか否かは実際に案内とか意向を確認する文書を出す前に電話などで打診をしておくべきことで、いきなり意向確認を出してダメでした、ではその郵便代すらもったいない。そしてそれで頓挫しました、では、せっかく参加しようかと回答してきたわずかながらの2自治体にどう申し開きをするのでしょうか?

 「情報発信など国に働きかけたい」とありますが、その国はとっくに否定しているわけで、いったい、どんな情報をもって、どう国に働きかけようというのか、場当たり的なその場しのぎの苦し紛れの答弁にしか見えません。
 これらの経過はいずれ豊後大野市議会のホームページで、今回の議事録が掲載されるのを注目したいと思います。

 なお、豊後大野市のホームページ「ようこそ市長室へ」では、このオオカミ導入への検討について、1月下旬に市長さんの見解というか言い分が出ておりましたが、特段、論評に値しない内容でしたので、ブログでは特に取り上げませんでした。ただ、議論の公平性のために紹介いたしますので、興味のある方はリンク先をご覧ください。

 一連の記事や答弁などを拝見して少なくとも言えることは、この市長さんや市役所の職員さんたちでは、オオカミ導入などという前代未聞(机上の空論?絵空事?)のプロジェクトは、到底任せるわけにはいかない、ということです。
 簡単な事務や議会対策において見ても、あまりにも稚拙に感じることばかりで、総合的に考えて、オオカミを放つという行為の是非以前のレベルでしょう。

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 いやはや、ガソリンが高いです。
 こう変動が激しいと、そもそも適正価格がいくらなのかもわかりません。
 石油類がここに来て高くなっているのは、中東情勢の不安に投機マネーが流れ込んで、記録的な円高だからまだこの程度で済んでいるものの、下がる要素はまるで無い…というようなことをウンチャラカンチャラ言われています。

 以前は、こう高いと感じたのは2008年の初夏で、ハイオク1リッター173円というレシートがありましたが、一時期は105円なんて時期もあったんですけれどね。

 今日、ガソリンスタンドの前を通りかかったら、店頭表示価格でレギュラーが150円ほど、ハイオクで160円を超えているスタンドもありました。

 こうなってくると世間からはタイトルにも書いたような、

ガソリン暫定税率廃止はどうなったっ!!

という声が聴こえてくるようになります。

 なるほど、そういえば、民主党では政権を取る前に「ガソリン値下げ隊」などという滑稽な格好をしたパフォーマンス集団がいたようですが、政権を取って、ゴタゴタになって、ウヤムヤになっていますがどうなったのでしょう?

 1月19日のレスポンスの記事に、こんな記事がありました。
暫定税率、ガソリン価格が3か月連続160円超で課税停止
2010年1月19日(火) 14時35分

 政府税制調査会は18日、年明け初の全体会合を開き、ガソリン価格が高騰し、3か月連続して1リットル当たり160円を超えた場合、従来の暫定税率相当分(1リットル当たり約25円)の課税を停止することを決めた。逆に3か月連続して130円を下回った場合には元の税率を復活させる。

 ガソリン高騰時の課税停止措置は、2009年末に民主党が政府に提出した重点要望で、暫定税率の実質維持とともに盛り込まれていたもの。

 軽油についてもガソリンの課税停止措置と連動して軽油引取税暫定税率相当分の課税を停止する。

 発動基準である160円は、ガソリンが高騰した2008年度上半期の平均価格(167.1円)を参考にし、税率を復活させる基準である130円は、直近6か月(2009年6 - 11月)の平均価格(126.3円)から決めた。

 指標となるガソリン価格は、総務省小売物価統計調査による県庁所在市及び人口15万人以上の小売価格の平均を採用する。

 なお、発動・解除の際、ガソリンスタンドでの混乱を回避するため、在庫分の税の控除(還付)・課税を行う。
 なんで「160円」なのか、根拠がいい加減だなあ。そんな程度のことで、コロコロと税を停止したり復活させるというのは税の、まして「暫定」の目的の主旨からしてどうなのか。

 一番の危惧は、じゃあ暫定税率分が25.1円なのだから、160円が3ヶ月続けば134.9円になるわけですが、ガソリンスタンドとしては様々な要素でリッター140円とかになれば、いっそ1円や2円安くなるよりも、逆に石油元売りがなんだかんだ言って思い切り一気に160円越えにしてくれた方がありがたいでしょうね。中途半端に155だの159円だのとなっているよりは、「頑張らずに160円を越さんか!」とみんなが言いたくなるような滑稽な風景になりそう。

 でも、160円をわずかに越えて161円だのと2ヶ月も続けば、政府もあせって、あの手この手で石油元売りに3ヶ月目には何とか159円にしておくように要請したりして。

 いやあ、ありうるかもしれませんね。
 高速道路の無料化…というか定額制を試行したとたんに、運送会社が荷主から料金を下げるように圧力をかけられたり、農家所得保証なんて滑稽なものが始まったと思えば米の値段が買いたたかれて下落する、というテンヤワンヤの騒ぎになっているところからして。
 このブログではあまり政治的・宗教的な話はしたくないのですが(宗教めいた思想や団体の話はしてますけどね。笑)、どうにも目に余りますね。

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 疲れたなあ、温泉でも行きたいなあ、と思っていて何気に見かけて、実は見逃せないことが書かれていたこんな記事。
 3月6日の山陽新聞の記事です。
奥津温泉で軽快「足踏み洗濯」 岡山・鏡野町に春の足音
 
 鏡野町の奥津温泉街で6日、厳寒期に中断していた観光客向けの「足踏み洗濯」の実演が2カ月半ぶりに再開された。この日は冬ごもりの虫がはい出るころとされる二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」。姉さんかぶりにかすりの着物姿の女性たちが、軽やかなステップで春の到来を告げた。

【中略】

 奥津地域に伝わる足踏み洗濯は、クマやオオカミから身を守るために立ったまま洗ったのが由来とされる。実演は12月中旬まで日曜、祝日の午前8時半から15分間行われる。
 「洗濯」と「熊」の組み合わせで真っ先に思い出すのは、以前紹介した戸川幸夫さん原作で矢口高雄さんが漫画化した「野性伝説 羆風」の冒頭で、川で洗濯をしていた女性が羆に襲われてしまうシーンです。
 ツキノワグマはもちろん、ヒグマが洗濯あるいは川遊び中の人を襲ったという話は、私の狭い知識の範囲ではこの話の元となった悲劇「苫前・三毛別事件」で、討ち取られたヒグマの解体のときに討ち取った山本兵吉さんが語ったという話にしか知りません。
 これも以前に紹介した「慟哭の谷 戦慄のドキュメント 苫前三毛別の人食い熊」(木村盛武 共同文化社)の95ページに、こう書かれています。
【前略】
 さらに熊を撃ち捕った"山本兵吉"は、
「この熊は、天塩国の山で飯場の炊婦を川ぶちで食い殺して逃げ延びた奴に違いない。それで数日前から三人組のアイヌに追われ、苫前に逃げてきたんだ」
と言った。【後略】
 この事件そのものが稀有な特殊事例なので、「洗濯時における加害の危険」は直ちには言えませんが。

 ですが、考えてみますに、以前から書いていますように「山菜取り」や「キノコ採り」は、熊も食べるそれら食糧の場所に赴き、一か所に一定時間留まり、また熊除け鈴などの音も立てないことから一般的なハイキングなどよりは遭遇しやすいわけです。そういった点で考えると、川での洗濯も、川を遡上するサケなどを狙ってくるヒグマと遭遇しやすいと言えるかもしれません。まして、川は空気が流れますので人の体臭も分散されやすいですし、流れる音が人が立てる音をかき消すでしょう。それだけに双方にとって思いがけない急接近ということも、あながちありえないわけではないかもしれません。

 しかし、ヒグマでしたらサケを狙って川に来るでしょうけれども、ツキノワグマはそれよりはサケなどを主食にしているわけでもないので、そうですねえ、産卵後の魚の死がいとか、水を飲みに来たとか、カエルやサンショウウオといった水生生物を食べに来た熊との接近を危惧してのこと…なのかもしれません。
 人が洗濯をするという場所は流れが緩やかで岸辺と水面が近い場所でしょうから、熊も水を飲みやすく何かを食べたり得るには都合の良い立地でしょうから、長い川べりでも遭遇しやすいと言えば遭遇しやすいでしょうね。

 「川での洗濯」という作業を考えると、水を前に、陸地に背を向けて洗濯ものに集中する姿勢になりますから、背後への注意は無く、襲う側からすればこんなに襲いやすい体制・シチュエーションは無いでしょう。
 熊と遭遇した際には熊の目から視線を外さずにゆっくり後ずさり…というのは鉄則で、慌てて背後を向けて逃げだしたとたんに後ろから襲われるという話はよく聴きますが、これは要するに視線でもって相手に「自分はお前に気づいているぞ・直ちに反撃ができるのだぞ」というメッセージを送れるからでしょう。動物に対峙したときの「視線」がいかに大切かがわかります。

 従って、あまり聞かないことですが、もしかしたら川での洗濯中に何らかの動物による加害事故というのは、意外に昔はあったことなのかもしれません。
 もっとも、この地方以外では「立ったままでの洗濯」は聴きませんから、この地方ではそうするに至る事故があったのか、他の地域ではその防御策が今に残るまでに至らなかったのでしょうか。

 熊の記述も気になるのですが、やはり「オオカミ」の記載も見逃せません。
 ツキノワグマも普通、積極的に人を襲うような動物ではありませんが、確か「生態系の回復のために、オオカミを海外から輸入して日本の国土に放そう」という奇説を主張している人たちの中には、世界の実情や過去の日本の歴史を見てもオオカミは人を襲わないという主張をしていますが、この風習の由来について、何かご意見は無いのかうかがいたいものです。
 少なくとも伝えられる由来には、山里の住民がオオカミが襲って来ないか恐怖を感じていたことがうかがえるものです。説を唱える人は、「いや、それは誤った認識が広まったせいだ」と強弁するかもしれない。しかし、そういった認識は、元となる事件や事故が無い限りは発生しないものですし、説を唱える人はしばしば「農耕民族であった日本人は、牧畜を始める以前は、オオカミをイノシシやシカを退治してくれる神獣とあがめていた」とか、「人は襲わないと知っていた」などなどと主張していますが、この風習1つからみても、その説得力が疑わしくなります。
 もちろん、由来が長年正しく伝わっていたという証拠はありませんけどね。立ったまま何かをするのが全て熊や狼対策というわけではありませんから。

 よく、江戸期などにおけるオオカミによる人身被害の記録が少ないことからニホンオオカミの安全性を主張する人がいますが、古文書など文字による記録が無いことがすなわち事実が無いことではありませんし、古くから伝わる民話・口伝、伝説、風習、祭り、神社や石碑や地名の由来などを訪ね歩くと、様々なものが見えてくることがあります。
 語り継ぐ言い伝えや文字による記録では失われてしまう悲劇を、後世に残そうとする場合には残りやすい地名や祭りといった風習にして遠い子孫に注意喚起をしようとしたことなどはたくさんあります。例えば、しばしば氾濫する川を「鉄砲沢」「氾濫原」とか、処刑場跡を「念仏」とか。沼地を埋め立てたところは地名で「○○沼」という名前であったりするので、沼地の埋め立ての造成地はイメージが良くないと開発業者は「○○ヶ丘」といったように区画整理事業で地名を丸ごと変えてしまう場合がありますね。ところが地震になると液状化現象によって沈んだりして。…地名を変えるということは、古の先祖の思いをぶち壊すことでもあったりします。

 さて、例えば、栃木県今市市猪倉にある猪倉小学校のHPには、猪倉の地名の由来の1つとして、こう書いています。
豊臣秀吉説(とよとみひでよし せつ)
 豊臣秀吉がこの土地を見て回るときのことです。この土地には猪や狼(おおかみ)がたくさんいて、村人の生活のじゃまをしていました。そこで秀吉が福田氏、加藤氏,神山氏に命令して猪や狼を退治させたいう話が残されています。それほどたくさん猪がいたのでこの村の名前になったと言われています。
 地名の由来は2つの説がありハッキリしませんし、この説明ではなぜ例えば「猪狼倉」という名前にならなかったのか(狼が残らなかったのか)わかりませんが、狼が邪魔にされて狩られたという歴史を紹介しているのに注目です。

 元に戻って、この記事の、「立ったままの洗濯」という風習も、そういった古の先祖が後世の私たちに「オオカミに注意せよ」と伝えたく始めた風習なのかもしれません。
 一例ですが、そういう風習があっても「オオカミは安全・安心」と言い切れるものなのかどうか、オオカミは安全だという主張をする方は、どのようなご見解になられるのでしょうか。

 ・・・すんません、疲れているのかなんなのか、昨日あたりから考え事がまとまりません。風邪をこじらせ高熱が出たときによくなる混乱・思考の乱れなのですが、熱も無く…。
 とりとめもなくいつも以上にわかりにくい文章で、何を書いているのかわからなくなっています。

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