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これは「映画」というよりもドキュメンタリーなのですが…。 私が動物の自動撮影をするようになって、動物を撮影することと鉄砲で撃つということは、その過程において共通点や、狩猟が参考になり学ぶべきことが多いことから、狩猟技術に興味を持ったということは以前書きましたが、そこからさらに発展して、狩猟民族といえる「マタギ」についてさらに興味を持つようになりました。 もともと宮城県在住ですから、山形県や秋田県にも旅行に行くことが昔からあり、子供のころより既に「阿仁町」のマタギ資料館や森吉山といったマタギの地には行ったことがありました。何もわからないころでも、そこの豊かな自然には驚いたもので、もしかしたらそれらから受けた印象というか、その地の山の神が時代を経て、私が自然に強い興味を持ち・狩猟にも興味を持つような采配をされたのかも!?とさえ思います。 マタギについて興味を持つのはむろん、私ばかりではなく、やはり山に対する畏怖とか、限られた世界・土地で長く受け継がれてきた独自の文化や伝統というのは、狩猟というものだけではなく、民俗学や人類文化学、言語学など、多くの視点でも興味を持たれるようです。 ですので、ひとくちに「マタギ」で書籍を探しても、当初の私のように狩猟技術だけを知りたいと思っても、その本にはマタギの特殊な山言葉の解説を中心に書かれているだけのものであったり、ということがあります。 逆にいえば、多くの人を引き付け、また、様々に分類された学問がそれぞれに研究できるほど、「マタギ」というものは今も昔も異世界・深い歴史と独自の文化がある(あった)ということでしょう。 まず、総合的な印象ですが、古い機材での取材のためか発言者の音声が聞き取りにくいというのが難点です。特に、私のように東北地方に住んでいる者でも秋田地方の方言は聞きづらいときがあるくらいですから、全く違う地方の人が聴けば、理解が難しいかもしれません。その点、字幕で音声部分を補うというようなことはほとんどありませんので、これは「見る側に、見るための資格」が求められるということになります。 当然と言えば当然ですが、ツキノワグマの解体の様子も若干出て来ます。これも、「残酷」とか「グロテスク」などというような甘っちょろい感性を持っている人たちならば耐えられないかもしれません(そもそも、そういう人はこういうものを学ぶ資格が無い)ので、やはり合わせて、見る者の方に見る資格が必要ということです。 つまり、誰でも楽しめる娯楽作品などではないし、同じく誰でも楽しめるドキュメンタリー映画ではなく、ある程度基礎知識とか文化への理解というものを持っていないと楽しむ…というよりは学ぶことはできない、学問・学術映画的なものだと思います。 ただ、私が見た限りでは、この撮影者、企画者が、この作品を通じて何を見た者に訴えたいのか?という主題はつかめませんでした。 TV番組などでのドキュメンタリーの多くが、不特定多数を視聴者の対象とする関係でしょうが「作り手が、その事象に対して何を見る者に伝えたいのか?」が分かりやすいことがほとんどなのですが、この点に関しまして、私はこの作品からはわかりませんor感じませんでした。 「作り手の思い(込み)」が過度入り込むことで、それは見る者にとって問題点をわかりやすくつかむことができ、かつ、作品全体が統一した取材構成で進むという利点があります。しかし反面、物事の本質=事実を作り手側の思い込みや主義主張だけによって歪められ、その他の視点からの検証が入り込む余地がなくなってしまうという場合もあるということを考えれば、これはこれで1つの手法かもしれません。何かの事象とそこからのメッセージは、そのありのままの素材の中で、見た1人1人が自分で知りたいことを見つけ出しつかみ取ってください、という狙いかもしれません。 ですが、どちらかと言えば、単に私のような対象への情熱はあれども、映像や編集をして作品を作るという能力は無い素人が時間だけはかけてマタギについてまわり、それでただ映像を取ってつなげれば同じようなものになるのではないか?などと見えてしまったりもする。 作者の意図や主義主張が感じられないのは良いと思う反面、「制作者側の責任」は、どこにあるのかあいまいにもなってしまう。 ところで、いまどき「ビデオテープ」というのも惜しい。多くの人に見てもらうには、まだビデオは多く残ってはいるだろうが…。しかし果たして、5,800円でビデオテープ。これで年間、何本が販売されているのだろうか?制作後久しい今では、年10本も出るだろうか? 内容の詳しい解説は群像舎さんのHPに出ていますので省略します。
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