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交通事故死者数が年間1万人を切ったという反面、自殺者が年間3万人を超えているという。
私も施設管理を仕事にしていることもあって、これまで2回ほど自殺者に関わったことがあります。
1回は、しばらくの間駐車されていた自動車が気になって同僚が確認したところ…。
もう1回は、どうも最近カラスやトビが多いな、と思っていたら、ニュースで職場の敷地すぐ近くの山林で2人が…というもの。
こういう話をすると、結構そんな現場に出会ったことが多い人がいることに驚きますが、年間3万人も亡くなっているのでは、計算上、自殺に何らかの関わりを持ってしまう人も相当な確率になるでしょうし、もしや明日はわが身…かもしれません。
私も人間ですから、悩みも苦しみも昔も今もありますし、将来もあることでしょう。どちらかと言えば性格は暗い方ですので、何か一度にいくつかの大きなショックや絶望があっても自らの死は絶対に選ばないとは思えません。
しかし、自殺は果たして、言うほど「楽」になるものなのでしょうか。
最近流行と言っていいほどの「硫化水素」。あれが身体にどんな作用を与えて死に至らせるのかわかりませんが、脳や呼吸器官に影響するものであれば、窒息や猛烈な頭痛に襲われるのは間違いないと思いますが、何分にもほとんどの体験者が語ることができないので、実際の苦しみはわかりません。
たとえどんな苦痛であっても、それが何年も続くわけではないのであれば、もう何年も闘病に苦しんでいるとか、生活に苦しんでいるとか、そんな方には問題にもならないほどの「安楽」なのかもしれません。そこに至る過程には大いに同情するものでもあります。
しかし、私の経験した2件の自殺では、炎天下に数日置かれた車内では大変なことになっていたわけで、お礼方々事情を聴きに来られた奥様やお子さんは非常に辛い様子でこちらまで心が痛むくらいでした。もう1件もやはり夏季で、野鳥や動物が多い山野だったので、推して知るべしでしょう。
そんな変わり果てた姿に対面しなければならないご遺族の辛さは、本人さえも味わったことのないであろう悲しみと苦痛になるのです。また、「家族がそこまで苦しんでいるのを助けられなかった」という自責の念も持ち続けるかもしれないのです。
私は、そちらにも同じくらい同情してしまいます。同時に、私が多少のことがあっても死を選ばない理由にもなっているかもしれません。
もう1つあります。
私の知り合いには消防隊員も多くいますし、警察官もいます。日夜人々の安全や安心を維持するために、命がけの訓練や勤務をしています。
お世話になったお医者様もたくさんいらっしゃいます。とてつもない重責の中で勤務を続け、日夜人々の健康や命を救おうと命がけになっていらっしゃいます。看護師さんや検査技師さん…も同じです。
知り合いの中には、まだ小さいお子さんを残して病に倒れ亡くなった方もいます。最後まで死にたくないと、お子さんのことを心残りで亡くなっていったのです。
死にたくなくてもいろいろな事情で突如死ななければならなかった人や、そんな人々を命がけで助けようとする人により強い同情や感謝をするものです。
さて、突如話しは変わって、「パンドラの箱」の話です。
パンドラが箱を開けたところ、様々な禍が飛び出して人間に降りかかったというあの話ですが、慌ててふたを閉めたために、最後に「希望」が箱に残ったということですが、子供のころからおかしいと思いました。箱を閉めずに希望が飛び出したならば、希望も人間界に降りそそいたでしょうが、箱に残ったならば、それはそこに閉じ込められたわけです。
何の本で読んだか忘れてしまいましたが、ある宗教学者だったか聖書研究家は、「パンドラの箱に残ったのは、実は『予知』だった」という説を解説しているのを読んだことがあります。慌てて箱を閉じたために、人間には先を見通す目である予知能力が降りかからなかった。だからこそ、「明日にも待つ不幸を知ることも無く今日を希望を持って生きることができるのだ」という解釈です。論理的な解釈です。
年間3万人もの人が希望を失っている世の中は非常に異常だと思います。おそらくは人類の歴史で最大の異常な事態でしょう。
しかし、明日のことを考えるよりも、今日を一生懸命やってみたい。
私は今日もそう考えて、希望を胸に生きています。
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