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 昨日、三重県伊勢市の「赤福」が、販売を開始したそうです。
 営業開始時間前からたくさんの人が並び、1人で10万円以上も買って帰る人もいたというほか、エールを贈るたくさんの人がいたとか。

 ・・・ちょっと、どうかしていませんかね?皆さん。

 過ちを水に流すというのは非常にいいことです。
 しかし、あの「食品偽装」が問題になった時期、誰がかのお店にエールを送ったのか。皆、一様に叩くだけ叩いていたではないですか。
 最初から、「いや、赤福がやった行為程度は、私は十分理解できる」というのであれば、声高らかにそう言えば良い。しかし、そんなことは誰か言いましたか?
 皆、テレビに踊らされて、半狂乱のように極悪人のようにつるし上げたではないですか。
 それを、月日が少しばかり流れて営業を再開したとたんに、この熱烈歓迎ぶりですか。それは「許す」のではなく、単に「忘れた」のか(恐るべき記憶力の無さだ)、それとも元々怒るべきではないのを必要以上に騒いだだけに過ぎない。
 お祭り騒ぎで当初は自分のことでもないのに叩き、そして今度は買い漁る。
 あるいは、以前から支援して怒る必要も無いと思っていても、それを主張しない。
 人間として低級としか思えません。

 いや、当初から賞味期限の偽装などで怒っていないし、声が取り上げられなかっただけで擁護もしていた、という人もいるかもしれません。
 しかしその場合も、この赤福という会社がしでかしたことをよく考えて欲しいですね。
 長年続いた「製造年月日」の偽装。
 売れ残り商品・消費期限切れ素材の再利用。しかも当初はこれを隠していた。
 それらを区別するために、従業員の中では目印をつくるなど、明らかに組織ぐるみの犯行。

 「そんなこと言っても、もったいないし、賞味期限や消費期限を数日過ぎたくらいじゃ、傷みは無いよ。だいたい、法律でしっかり規定しないのも悪い」という声もあるかもしれません。
 確かにそうです。しかし私が言いたいのは、「お前らは何食わせても同じ馬鹿だから、捨てる物でも十分、これでも喰らえよ」と長年馬鹿にしていた会社だぞ、ということです。そこまで馬鹿にされて、なおもここまでエールを贈るというのであれば、それはもう、「寛大」なのではなくもはや「単なる馬鹿」としか言いようが無いですね。

 営業再開の挨拶でも、「長らくご不自由をおかけしました」と来たものだ。それは、店舗改装のために付近の道路を通行止めせざるを得なかったような場合にいうセリフであって、法を犯した犯罪者の言う事ではないですよ。

 「お前に何も関係無いだろう?嫌なら食べなければいいじゃないか」という声もあろう。しかし、そうでもないですね。
 このように、反社会的な「やったもの勝ち」を許容するというのは、逆に普段から真面目に取り組んでいる人間の努力を踏みにじり、やる気をそぐ結果になるのです。
 「異常なことをやっても、バレなきゃいい」
 「バレたとしても、すぐに何事も無かったように、馬鹿な客は買う」
 そんな、こずるいことが世にはびこるのは許せないし、懸命に頑張るものへの侮辱は許せない。
 エールを贈り大量に買い込んでいった「馬鹿」は、この卑怯卑劣な犯罪企業を擁護し、間接的にそれを助長し、そして懸命なものを侮辱しているわけです。

 「アリとキリギリス」というイソップ童話がありますが、夏の間遊んでいたキリギリスを応援されちゃ、世の中おしまい、ということなのですよ。
 少し前までは、アリの勤勉を賞賛し、キリギリスの怠慢を批判していた時代が確かにありました。しかしそれが近年はなぜか、怠け者・卑怯者のキリギリスを批判する者が冷たいと糾弾され、勤勉で努力家のアリが振り向かれなくなり、ともすれば怠け者のキリギリスまでアリが助けるべきだ、とか言い出す馬鹿まで出て来る。
 私は、その異常な風潮を恐れるし、憎みます。だからこそ、あの赤福の店の前、あるいは「白い恋人」を購入していって喜んでいるような能天気な連中が、許せないし嫌悪感を持つのですよ。

 見てください。
 教育現場、医療現場、農業・林業・漁業が恐るべき勢いで衰退しています。
 これは全て、ひたむきに働くアリを省みず、むしろ馬鹿にし、足を引っ張ることに必死になるような愚かな風潮があった結果に他なりません。
 今や日本国中、歌ってばかりの役立たずのキリギリスばかりになってきました。
 それは、目先の欲得や報道などだけに振り回され、半狂乱になるような知能の低く卑しい連中に、心ある勤勉な人たちの心は壊された、その結果なのです。テレビに映し出された店に並んだような連中に、壊された結果なのです。
 次は、ここ数年でまた新たな「魔女」として官僚や公務員が叩かれていますが、これも遠からず、思いがけない弊害が生じることは、間違いありません。
 教育、医療、食が一気に衰退し、公務員も落ちぶれる。ここ数年で、これまでのことが輝かしい夢であったと懐かしく思う時代が、始まるのが私には見えます。

テロリスト集団

 私は野山(登山道)を歩くのが大好きで、森林浴をしたり、草花を探したり、動物や野鳥を愛します。
 一方で、山野草を盗掘したり、山菜取りで草花を踏みつけたり、キャンプで食材を捨てていくような連中には嫌悪感を感じます。山野草の盗掘などを目撃した際は、犯人と言い争いをしたり通報したりすることもあります。
 つまり、いたって「普通」に自然に関心があります。

 さて、突然ですが、自衛隊法を見てみます。
 これによりますと、自衛隊が活動できる「テロリスト」の定義は【「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為」(自衛隊法81条の2第1項)】とされています。

 最近、アメリカに本部を置く「シー・シェパード」なるテロリスト集団が、日本の調査捕鯨船に繰り返し破壊行動と不法侵入をしたことが報道されました。
 これは、ハッキリ言えます。
 あれは「抗議活動」でもなんでもなく、まして「環境保護運動」などという崇高なものではなく、単なる破壊と暴力で混乱させ、自分の政治的主張を通そうとするだけの、まさに全世界で嫌悪されている「テロ活動」以外の何物でもありません。あの団体は環境保護団体でも何でもない、「テロ集団」です。
 これは有名な「グリーン・ピース」も同じだと断言できます。

 もし、これが、自衛隊の給油活動の補給艦にでも同じ事をした場合は、たちまち国際問題になり、すぐに「テロ」のレッテルが貼られるはずなのですが、おかしな話です。

 私は別に、クジラを食べたいとは思いません。野性動物特有の臭みや硬さはおいしいものとも感じません。
 しかし、愚かな主張=「(食べるのは)かわいそう」とも思いません。自分が生きるために他の生物を最小限殺して食べるというのは、人間を含めた動物の宿命です。
 「かわいそう」というべきなのは、あるいは抗議活動すべき対象というのは、スポーツハンティングやスポーツフィッシィングなどで、食べもせずにただ殺戮をすることなのです。

 クジラはシャチに襲われることがあるくらいで、海洋においては食物連鎖の頂点に立っています。
 そしてこの巨大な身体を維持するためには、魚あるいはプランクトンを大量に摂取しなければならないわけです。しかし、この地球にあふれる人間が今後も生き残るためには、それら海洋資源の有効利用は人間にとって欠かせないものであります。
 通常の自然界においては、それぞれの生息環境において食物連鎖の頂点に立つ生物は、個体数が少ないとか繁殖力が低いとか、そんな要因があって、連鎖階層下位の生物の個体数を脅かすことはありません。例外は人間と、このクジラくらいです。
 従ってクジラが増えるという事は「人間の分け前が減る」ということに他なりません。そして植物性プランクトンの減少は、光合成をしてくれる植物を伐採するようなもので二酸化炭素の増加にも影響を与えます。これらには危機感を抱いています。
 私は自称環境保護団体である彼らに問いたい。「人間が飢えて死んでも、クジラを守れと言うのだな?」「地球温暖化防止に、反対なのだな?」と。

 もちろん、クジラが絶滅の危機に瀕しているならば、手厚く保護すべきかもしれません(絶滅の危機に瀕しているのは何もクジラだけではないですが)し、あらゆる生命体相互の共存共栄を図り生命を労わる気持ちを持つことこそ人間が人間たる証であるとも思いますが、実際は各種信頼できる調査からすれば、「増えている(むしろ、増えすぎている)」という結論に至っております。
 一方でテロリスト集団らからは、「絶滅の危機に瀕している客観的証拠」が出されたことは皆無です。
 従って、私はクジラを食べるために捕獲するということは、人間側のメリットが非常に大きいものだと思います。もし、日本でもクジラを誰もが食べない世の中(世代)になれば、ただ殺戮しなければならなくなる構図になります。だから、世界はクジラを食べる文化を残している(食べる習慣のある人=クジラの天敵)を大切にすべきだとさえ思います。

 しかし、とかく「環境問題」(に名を借りた主張)は金になり、また「政治的優位に立てる道具」でもあるために、このような活動が盛んになっています。
 環境保護の名を借りて資金(募金)を集め、それで自国の不利益にはならないテーマで他国を陥れるのには便利です。だからこそ、今回もオーストラリア政府が「シー・シェパード」との仲立ちになるなどしたわけで、オーストラリア政府がまっとうな国家であれば、自国民の活動家の行動を「公海上におけるテロ活動」と厳しく非難し断罪すべきなのですが、かの国もかの国のマスコミもこぞって日本を非難する姿勢ばかりということです。つまり、「テロ支援国家」と言えます。同様に、アメリカも自国に本部を置くこのテロ集団を、早く摘発すべきです。他国のテロリスト集団に構っている場合でしょうか。
 そうしないというのは、かつての大航海時代に国家が海賊にその行為を了承して他国の船を襲わせ、航路の覇権を手にしようとしていたという手法に非常に似ています。そういえば、この隠れ蓑にした汚い手法をしていたのも、イギリスなどの欧米特有の戦法ですね。
 少なくとも、他国の文化や歴史を踏みにじってなんとも思わない白人・キリスト教優位主義に凝り固まった思想の国々には警戒をしなければなりません。
 もし、日本人が、オーストラリアに行って「牛やヒツジは賢くかわいい生物だから、殺すな」と、牧場主らに薬品をかけても、彼らの理屈では尊重され、高く賞賛されるはず・・・なのですが、そんなはずはないのです。そんな二枚舌・姑息な連中なのですよ、しょせん。

 ここでもし日本が自国の利益を主張しこれを守れなければ、単に文化や食糧の損失というだけではなく政治や国家間闘争の中で大きな損をしてしまいます。次はどんな無茶な因縁をつけてくるのか。
 残念ながら日本人の多くが勘違いしているのですが、外交というのは甘い「話し合い」などでは決してなく、国家間の利益争奪を武力に寄らないというだけの手法の話であって、その根底に自国の利益追求のためだけにあるのです。つまり、自国の利益を最優先に考えるのは当然なのです。従って、日本はこのテロ活動に対しても「反捕鯨国」に対しても徹底して抗議すべきですが、実は混乱すればするほど、それが長引けば長引くほど喜ぶのは、このテロ集団なのですね。その時間、金を稼げますから。

 こと捕鯨問題における活動家らの動機(正体)は、「宗教問題」「人種差別」「金儲け」「政治的問題」だけです。それらを「善意の環境保護活動」という隠れ蓑を手に入れ、世間や組織末端の「自然を愛する(けれども非常に愚かな)人々」を食い物にしてテロ活動をしている。これだけなのです。これはイスラム圏の過激派などと全く同じで、純粋な信仰心を利用して無学な信者に犠牲を強いるという構図そのままです。
 (なお、グリーンピースは、「クジラ虐殺」の映像をネタに、年間200億円くらいを募金で集めるそうです。こうなるとスタッフも膨大になり、「止められない止まらない」でしょうね。)
 これがいわゆる「反捕鯨国」の国益にも適うために、国家ぐるみで捕鯨国=日本を責めているわけですね。別に「どっちでも良い」と思っている国にとっては、魔女狩りのように「環境保護」が声高らか(半狂乱・狂信的)に叫ばれていると、捕鯨国に理解ある態度を示しづらいものです。
 担当である水産庁には、歪曲した情報戦に負けないよう、徹底とした証拠保全や情報対策をして欲しいと思います。

 国内の、野山を愛して休日のたびに手弁当で里山に広葉樹の苗木を植え、下草刈りにいそしんでいる人々。山を豊かにすれば、水が豊かになり、川が豊かになり、ひいては海も豊かになる。何より、心が豊かになる。そう信念をもって、誰に頼るわけでもアピールするわけでもなく汗を流すたくさんの尊敬すべき人々を知っている私には、「環境保護」を食い物にするかのテロ集団は、唾棄すべきクズみたいな連中です。

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ダム

 岐阜の山中で、林道から車が転落し、男性が1人亡くなるという事故をインターネットニュースで見ました。

林道から転落、兄死亡…弟が10キロ歩いて助け求める
 27日午前3時10分ごろ、岐阜県揖斐川町の国道で、同県本巣市上保、会社員小西芳郎さん(54)が、「車ががけ下に転落した」と、車で通り掛かった人に助けを求めた。
 通報で駆けつけた県警揖斐署員らが、小西さんの説明を基に捜索した結果、直線で北へ約4キロ離れた同町徳山の林道で、約50メートル下のがけに転落している軽乗用車を発見。近くに倒れていた小西さんの兄で、同市長屋、運転手坂口直実さん(56)を救助したが、頭の骨を折っていて間もなく死亡した。小西さんもあばら骨を折るなど重傷。
【略】
(読売新聞) - 8月27日13時8分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060827-00000203-yom-soci

 これを最初読んだときは、かわいそうとは思いましたがよくある事故だとすぐに忘れていたのですが、どうもこのご兄弟は、出身である岐阜県の旧「徳山村」がもうすぐダムの底に沈むというので、もう1度最後に生まれ育ったふるさとを見に行こうとして、事故に遭ってしまったということをTVニュースで知りました。
 徳山村と聞いて思い出したのは、「ツチノコ」です。自然が好きな私は、昔から言われている山の伝説や生物にも興味があって、この旧「徳山村」は、日本で唯一、公式文書に「(村に)ツチノコがいる」と記載した地方自治体でした(徳山村史)。
 私はその徳山村がダムに沈むとは知りませんでした。そこで感じたのは、かつては「ツチノコがいる」とさえ言われるくらい大自然が残り、またそのような伝説の余地やロマンを醸成していた地域が、跡形もなくダムの底に沈む、ということです。
 そこに住んでいた住民の方が感じるであろう郷愁に共感すると同時に、日本からまた1つ、豊かな自然が消えようとしているのだな、と寂しく感じたのでした。
 きっと、このご兄弟にとっては、「生まれ育った場所」であると同時に、おそらくはもう他には見られない豊かな自然の残る風景だったのでしょう。ビルの多い場所からでしたら、他にもビルの多い街はあります。しかし、このご兄弟にとっては自分たちの住んでいた場所以上に豊かで愛着のある自然、そしてそれが自分のふるさとであるからこそ、もう2度見れなくなるからこそ、子供の日のあのころを思い出して、と、ご兄弟でふるさとに帰ったのかもしれません。
 亡くなられたお兄様のことも非常に残念ですが、お兄様を思って一刻も早く助けをと山道を必死に歩かれた弟さんの山中でのお気持ちを想像すると、涙無しではいられません。
 ダムについては、中止の訴訟も提訴されており、まもなく判決が出るようです。
 水は貴重であり、ロマンや何かでは片づけられない現実もありますが、心の中ではどこかで反対派勝訴を期待している自分もいます。

6日に控訴審判決 徳山ダム訴訟
 岐阜県揖斐川町の徳山ダム建設に反対する市民団体メンバーらが国土交通相らに対し、ダムの事業認定などの取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が名古屋高裁で6日に言い渡される。構想から半世紀。ダム湖の貯水予定は秋に迫り、廃村となった旧徳山村の人々は今、複雑な思いでふるさとを見つめている。
【略】
(共同通信) - 7月1日16時48分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060701-00000106-kyodo-soci

シュレッダー事故

 シュレッダーで幼児が指を切断するという痛ましい事故が2件、報告されたそうです。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060823-00000017-mai-soci
 これだけ出荷されていて、現在報告されているのが2件。これは少ないまれな事故ということなのか、報告がされていないだけなのか・・・。

 両社のコメントには、1社は「被害者に対して、会社としてできる限りの対応をしたい」。もう1社が「被害者から、二度と起きないようにと言われている」とあるが、気になりますね。
 シュレッダーというのがそのような機械だということは、当然子を持つ親が使っているならば、知っておくべきで、全部親の責任。会社として「より事故が起きにくい機械」を作るのはもちろん結構なのですが、それだけじゃないでしょう、と。
 子供が巻き込まれる事故があると、設置・製造者の責任か、親か、という議論になりますが、私はやはり、まず親だと思いますね。管理できないなら、シュレッダーを置いちゃいけませんよ。
 そのうち、台所の刃物でケガをしたら刃物業者に改善策を求めるようになったりして。

 「野口英世」の伝記にある幼少時にエピソードも、今ならば囲炉裏に安全対策をしなかった囲炉裏業者(住宅業者)にも責任、となりそうだなあ。大人物が育たない土壌かも、この「他人のせい(他人にも責任がある)」という発想は。

 メーカーに責任があろうと親の落ち度だろうと、弱い子供が犠牲になってしまうのです。
 うっかりという事では済まされません。

随意契約

 経済産業省で、随意契約を金額ベースで現在の77%から9%程度まで減らすこと にしたという報道がありました。
ttp://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060606AT3S0600K06062006.html

 報道関係者は、まるで随意契約や天下りが全て悪いようなことを書きがちです。しかし、それは誤りです。

 某社のエレベーターが官公庁関係に納品されていたり、メンテナンス会社が毎年の ように変わったのは、競争入札だからです。これは間違いないことでしょう。
ttp://www.chunichi.co.jp/00/ach/20060610/lcl_____ach_____000.shtml
ttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-09/2006060915_01_0.html
(赤旗は、普通時ならばこの公社の契約手法を評価というか、当然としていたでしょうに。。。)

 特に保守に至っては、毎年のように変えているとその引継ぎがうまく行かなくて当然です。まして、庁舎管理では、設備保守や日常管理をするのは1人か2人程度なのに、契約すべき保守は1ヶ所辺り何十件もあったりする上、だいたいが年間保守委託だから、毎年の年度末の議会終了後から年度末までのおよそ半月でそれら全ての契約を締結しなくてはいけないのです。
 それらの受託者を毎年競争をするだけでも事務の人員や時間が足りません。さらにそれらの業者が競争により変わって、おまけに担当職員まで異動で変わったら、もう過去の保守履歴なんかは残されたり、遡って記録が残るわけがない。物理的にできるわけがない。

「そのために指名競争入札があって、指名競争の指名とはきちんとできる業者だけ参加させる競争。できない業者を指名しなければ良いだろう」という意見も出るかもしれませんが、そううまくはいきません。
 この某社は指名競争なりで落札・納入してきたのでしょうし、保守履歴が引き継がれなかったという弊害が出たのです。
 私から見ればこの事故のあった公社は、毎年業者が変わるなど、「契約の透明性 ・公平性」というお題目どおりならば、むしろ賞賛されてもいい対応です。しかし、本来なぜ保守をするのか?毎年変えて、本当に問題は無いのか?という視点を 欠いたがために、契約手法という途中経過ばかりに目が行って、本来の目的の 安全性や信頼性が二の次にされた。これは起こるべくして起こった事故。

 ついでに言えば、年間を通じて、例えば清掃業務や警備業務委託なんてのは受託者側、正確に言えばそこで働く労働者も悲惨で、だいたいは単年度契約のパートさん。年度末ギリギリまで、翌年自分らの会社がこの現場の契約を落札できるのだろうか?自分らはここで働けるのだろうか?という、不安のまま過ごすのであります。

 人員は減らせ、業務は確実にしろ、しかし随意契約はまかりならん、では、どこかに弊害が出るのは当然です。

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