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以前にも少し書いたのですが、人間、お金や名誉や家族を求める理由の1つは、「自分がその場所にいても良いと許される・必要とされる場所を探し求める」ためではないかと思います。 私もちっぽけなボランティア活動をしていますが、金銭的に全て自分の持ち出しであっても、自分の能力を活かす場が提供され、そして喜んでもらえるから続けることができます。 従って、もし、自分が活かされない場であったり、喜んでも感謝もしてもらえない場になれば、その活動を区切りの良いところで辞めることでしょうね。例え実費などを提供されたとしても。 ですので、ボランティア活動というのは、「自分のため」にしているわけで、それを知らずにボランティア活動というのが無限の博愛と善意でもってやっていると甘えたり、あるいは逆に「自分が好きでやってるんだろ」という態度になれば、おそらくは世の中の多くのボランティア活動をしている人は辞めるのではないか?と思うのです。 最近では「有償ボランティア」という言葉も出てきて実費やそれにわずかに上乗せした対価を支払って活動者を集める団体や行政が増えて来ましたが、それはボランティア活動をする当人の家族などに理解をしやすくする1つの材料にはなりえても、それでもってボランティア参加者が増えるとか、あるいは責任感が醸成されるとか、そういうことは期待できないわけです。 ボランティア活動を長く続けるためには、一定の規律を共有しつつ、参加者1人1人の能力を発揮させる場に整備し、そして成果を実感させるという仕組みでなければならないでしょう。それは、お金ではないんですね。そこに自分の存在意義や価値を見出すことが重要なのですから。 職業にしても、報酬だけあれば満足するかといえばそうともいえず、「やりがい」とか「喜び」とか「その仕事の社会的意義」が感じないと、つまらなく感じるものです。 昨今、行政においても様々な団体においても、「ボランティア」を募集することは多くなっています。身近な例でいえば町内会とか老人クラブなどはボランティア活動ですね。行政に至っては、町内会に多くを依存することで成り立っている機構でもあり、いずれそれら地域コミュニティが崩壊した場合、行政はどう地域運営をしていくのか、今のうちから考えておいた方が良いでしょうね。 同時に、ここ数年は「団塊の世代」が一斉に退職して、社会の最前線で働いてきた先輩が離職しているのですが、余暇利用が上手ではなく、また地域活動をしたことが無く、会社などでは後輩などから何かと頼られる機会があってそれに充実感を見出していた人としては、その会社などというつながりの中での存在感や存在意義などがいきなり無くなるわけです。 前置きが長くなりましたが、そんなことを思ったのは、今月14日付の読売新聞のこんな記事を見たからです。 埼玉で高齢者の万引き急増、昨年摘発は過去最多1145人 6月14日19時16分配信 読売新聞 埼玉県で高齢者の万引きが急増している。同県内で警察に摘発された65歳以上は昨年、1145人と過去最多で、全体の4人に1人が高齢者だった。 この5年でほぼ倍増、犯行も悪質化している。道徳心の低下が一因とみられ、学識経験者からは、社会参加の必要性を指摘する声も上がっている。 さいたま市内のスーパーで5月下旬、買い物をしていた女(70)は、缶詰3個を素早くバッグに押し込んだ。巡回中の女性保安員(67)が、店を出たところで声をかけると、女は保安員を突き飛ばした。保安員は手に擦り傷を負い、女は周りの人に取り押さえられ、警察に引き渡された。 保安員を派遣していた日警保安埼玉事業部(さいたま市)の土方秀明部長は、「万引きがばれた高齢者が開き直るのは、最近では珍しくない」と指摘する。土方部長によると、こうした悪質なケースが顕著に増えている。「いつも買っているのだから、たまにはいいでしょ」「太陽の光の下で、色を確かめようと思っただけ」など、あきれる言い訳も目立つという。 県警によると、2004年に摘発された65歳以上の高齢者は646人で、万引き犯全体(4479人)の14・4%だった。06年に1000人を超えると、08年は過去最多の1145人を記録。全体(4850人)の23・6%にまで増え、少年(14〜19歳)の1426人に迫る勢いだ。 今年も5月末までに447人の高齢者が摘発され、昨年同期の468人をやや下回る程度で推移している。ある県警幹部は、「生活苦が理由の万引き犯もいるが、ほとんどはお金を持っている。『万引きは犯罪』という規範意識や道徳心が薄れてきているのが、増加の一因ではないか」と分析する。 筑波大の土井隆義教授(逸脱行動論)は「高齢者だけの世帯が増え、孤立化が進んでいる。地域社会の行事などへ参加を促し、役割を果たしてもらうことも犯罪抑止に効果がある」と話している。万引きは微妙に、心や精神の病という場合もありますので、一概には言えませんが…。 人間、ヒマを持て余すとロクなことになりません。 会社や子育てというものだけから充実感を得ていた人にとっては、退職や子供の独立でそれらが無くなった場合に、速やかに次の充実感を得られなければ、空虚な思いを感じるところでしょう。 本来、そんなものは自分で何とかすべきなんですがね。しかし、今の結構多くの中高年齢者は、周囲との付き合いがヘタです。 それまで違う価値観や世界でもって何十年と過ごしてきた人同士が理解し合って評価しあうには、長い時間がかかってしかるべきなのですが、すぐに結果を求める。で、次から次に所属するボランティア団体を変えたり、ミーティングの場で自分の意見を押し通そうと譲らなかったり、と、団体が機能しなくなることもあって、15年くらい前まではボランティア活動でそういう所属員同士の人間関係は今ほど苦労したことは無かったのですがね。 これは実に重要な課題で、これらの時間を持て余したけれども何をして良いかわからない、という人への幸福の追求という面と、その埋没しかけている人的資源の社会的活用というのは緊急に対策を考えていくべき案件なんですが、はたして行政などは気づいているんだかどうなんだか。 まずは、そういう新参のボランティア候補者をうまく扱い、その場や役割で自分の居場所を見出すことを導けるような地域・団体リーダーを育成すべきなのですが…。ほうっておくと、もう手遅れですがね。
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【ニュースを見て感じたこと】
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ニュースを見聞きして感じたことを掲載していきます。
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ペットブームなのは結構ですが、ペットにかかる産業が巨大市場と化し、ペットそのものはもちろん、ペットフード、トリマー、おもちゃ、ブリーダーなど、関連産業まで不況知らずのようです。 「子育て」は、その一個の人格がありますので無責任なまでに自己都合を押しつけるわけにはいかないのですが、ペットには飼い主のエゴをペットの都合を考えずに押しつけることができるので便利なのでしょうね。人形では反応が無くて味気ないのでしょうから。 きちんと責任を持って、まさに言われるとおり「家族」として、人と同じようにペットの立場や性格、反応も尊重するという飼い主は尊敬すべき(当たり前)ですが、サラ金のCMで出たチワワがかわいいとなればたちまちブームになって価格が高騰し、ブームが去れば一気に捨てられるという、1人の人間のエゴに巻き込まれるペットという以上に、人間社会のエゴとそのペット種ということになっています。 劣悪な環境でたくさんの犬を繁殖させるという聞くに堪えない悪質なブリーダーの話も聞きあきるほど聞きますし、病気のペットを薬でごまかして販売するペットショップなどもいまs。 そういう悪質なブリーダー、ペットショップは、むろんその犯人が悪いに決まっていますが、何も考えずに動物に群がる無知で無責任な飼い主がそれらを助長しているという側面も忘れてはならないでしょう。 と、常々思っている中で、こんなニュースまで。 6月8日のイザから。 ペットブームが続くなか、火葬炉を搭載した車でペットの「訪問火葬」を行う移動火葬業者に関するトラブルが起きている。“施主”に法外な料金を請求し、断ると「生焼けで返すぞ」などと飼い主を脅す悪質業者がいるというのだ。移動火葬車を殺人に悪用した事件もあり、“無法状態”が問題になっている。 訪問火葬業は「ペット専門の出張葬祭業者」として、ペット愛好家の間ではよく知られている。同業8社が加盟する業界団体「日本ペット訪問火葬協会」によると「1989年に初めて火葬炉を積めるように改造した移動火葬車が登場。ペットブームに伴って、ここ数年、急速に認知され始めた」という。 ある業者のホームページを見ると、火葬料は小型犬が2万円前後、大型犬が5万円前後だが、いざ火葬する段階で法外な料金を請求する悪質業者が最近増えている。 「払わないと生焼けで返すぞ、と脅したり、実際に火葬せず、別の動物の骨を遺骨と偽って返すヤクザまがいの悪徳業者がいる。彼らは一度悪評が立っても、看板だけすげ替えてあくどい商売を繰り返している」。関東地方で6年間、訪問火葬業を営む業者(63)は、その実態を明かす。 この業者によると、ペットを失った悲しみで正常な判断ができなくなった飼い主の心理につけこむのが、悪徳業者らの常套手段だという。 【過去には殺人事件で死体処理に】 国民生活センターにも相談が相次いでいる。担当者は「移動火葬車がらみの相談は2年ほど前から目立ち始めた。広告の内容が虚偽だったり、脅迫まがいの手法で法外な料金を請求されたという相談が多い」と話す。 業務上のトラブルではないが、2006年に名古屋市で起きた暴力団組員のリンチ殺人事件では、死体処理に移動火葬車が使われていたことが明らかになり、業界は騒然となった。 前出の業者は「450万−800万円ほどの火葬車を購入すれば誰でも商売を始められる。しかも、火葬車はネットオークションなどに出品されていて、簡単に手に入れられる。資格や明確な法規制がないため、無法行為が野放しになっている」と指摘する。 実際、火葬業に関する国レベルの法規制は皆無に等しく、一部の自治体で条例が設けられている程度。東京都でも、火葬場の設置に関する条例を5区市で設けているが、移動火葬業者に関しては唯一、江戸川区が要項を設けているのみだ。 「強力な火器として使用でき、テロや犯罪行為に悪用される危険もある」と危惧するのは動物霊園を運営する長楽寺住職の久喜清外氏(63)。久喜氏は、“無法状態”の現状を憂慮し、全国64の動物霊園とともに法規制を求める「陳情書」を全国の自治体や官公庁に送付した。 日本ペット訪問火葬協会の藤本政光理事長も「悪質業者はまだ根絶には至っていない。法整備を国に促すとともに、正しい業者選定の方法を利用者に啓蒙していく」と語っている。私自身はペットを飼っていませんが、こういう悪質なペット葬儀業者の話は私も以前、聞いたことがあります。 死がいを引き取らないという相手は上客で、外からはわからないように袋に詰めて家庭ごみに出して処分して葬儀代をそのまま丸儲けにしたり、ショックを受けている飼い主に「天国に行けるように盛大に送ってあげましょう、それが気持ちを表す手段です」などと不必要・法外な料金の葬儀を進めたり(これは人間の葬儀でもあると聞いていますが)、やりたい放題の業者もあるということです。 しかし、私が不思議なのは、だいたいどこの地方でもペット斎場というものがあるというのに、なぜこんな怪しげな業界に依頼するのでしょう??もし、私だったらペット斎場に持ち込んで、そこで火葬なりに見守るなどしますけれど。特に死がいを引き取らないで全て業者任せに処分するというのは面倒事を他人に押し付けているだけに過ぎないのでは?ゴミに出すのが気が引けるから、お金で後腐れなくというだけではないのでしょうかね? 「日本ペット訪問火葬協会」なんて業界団体があるとは知りませんでしたが、たった8社程度で作る寄り合い組合的な団体だって、法的規制や法人格を持っているわけでなければ別に何の意味もないでしょう。この団体はどんな団体か知りませんが、私が悪質業者だったらホームページを立ち上げて、それらしい団体名を1人で作って理事長を名乗ることから始めますね。 日本の法律ではペットは「物」扱いで、大切にしている品物と同じ扱いで、動物には人格というか権利というか尊厳というか、そういうものは特に無いんですね。せいぜい、天然記念物とか文化財という制度に収まるケースがあるかどうかという程度。
なんでもかんでも法規制というのも情けない話ですが、飼い主を含めた「ペット業界」に自浄作用が働かないのであれば、やはり何らかの立法化が必要なんじゃないですかねえ。少子高齢化社会と地域コミュニティの断絶でますますペットブームが進む中、今後こういうペットにかかわる様々な権利問題・トラブルが増えてくると思いますが。 私としては、ペットを飼うのは講習会を受けて人格や能力が認められた人以外は飼ってはならないという免許制にすれば良いと思うのですが。 |
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少し古い記事ですが、6月3日付の産経新聞の記事です。 不況で公務員人気 本当にいいんですか? 6月3日0時36分配信 産経新聞 「『本当にいいんですか?』と若者に問いたいですね」。警視庁の中堅幹部のつぶやきです。 不景気になると、公務員人気が高まるといわれます。警視庁では毎年度、警察官の採用試験を3回に分けて実施していますが、今年度の第1回試験はすでに、前年同期比で2000人ほど多い約1万3000人が応募。100年に一度の経済危機といわれる中で、公務員人気の高まりの一端を裏付ける数字です。 ここ数年の警視庁の合格倍率は8倍前後で推移。公務員人気の高まりで今後は、倍率アップも予想され、採用する側にとっては質の高い人材獲得にもつながります。 それでも…。中堅幹部のつぶやきは続きます。 「刑事は月に1、2日の休みでホシ(犯人)を追い、交番のお巡りさんは一睡もせずにパトロールします。警察官はときに、自分の命を賭してでも国民の生命を守らなければなりません。公務員としての安定を求めるのではなく、一生の仕事として警察官という職種を志望してほしいのです」 内定取り消しや倒産、リストラ…。こうした現実を目の当たりにすると、公務員の安定性は確かに魅力的ですが、安易な公務員志向だけでは精強な第一線警察を担えるはずもありません。中堅幹部のつぶやきには、ときに命を賭さなければならない仕事の重さと警察官としての矜持(きょうじ)があふれていると感じました。(創)私の知り合いにも警察関係者がいますし、施設維持・防犯という仕事ですから警察と打ち合わせをしたり、協力を求めることは多いので、少しはわかります。
一般的なイメージで、安定とか、「民間に比べれば」などという程度の認識では、到底勤まらない仕事です。 ひと昔前までの警察官や警察組織は、不審人物には「おい、お前」的な態度で、それで結構多くの人間が警察官の前では緊張したものですし、その威圧感が街の安全を担っていた部分もありました。 しかし、昨今ではそんな態度をしたらすぐに監察官室だの、議員だのと、わけのわからない権利意識ばかりが先行して、それにマスコミなんぞも迎合してしまうせいで、不審者にも優しいこと優しいこと…。 警察官の仕事は、犯罪や事故防止というものがよく知られた業務ですが、実際に空き巣だの強盗だのの捜査よりも、ちょっとした街のトラブルを調整する役割が非常に多いです。 「隣の犬がうるさい」という苦情があれば、その家に出かけて行って注意するなんてことまでなさっています。酔っ払いが騒いでいれば、「てめえ、税金で食ってやがるくせに%&$#?+*」などという暴言に根気よく付き合って無事に帰宅させます。 まるでドブさらいのような、どこの役所もしないけれども誰かがしなければならない仕事を、それほど住民から感謝も尊敬もされず、「やって当たり前」「警察官なんだから(くせに)」と言われて、それこそ驚くほどの薄給でも使命感で勤めています。超過勤務手当なんかも、限度があってほとんどボランティアです。そして、非番の日でも緊急出動は当たり前にかかります。 そういう毎日の激務を、受験者はもちろん、皆さん、認識されていますかね??本当に、地域のおまわりさんは頑張っていらっしゃいます。私は、最前線の警察官の皆さんには威圧感というよりも、尊敬しています。 ところが、どうも近年、交番の前で立番するお巡りさんを見ていますと、ヒョロっとした、「ペーパー試験は得意なんですけれど、体力には自信が無くて」みたいな新人警官が目立ってきたように思います。酔っぱらって怒声をあげるような相手には泣き出しそうな感じさえ。 これは、受験生が多くなってきて、試験問題を難関にしなければならなくなり、それで結果的にそういうのは得意という受験生ばかりが合格するからでは?と思ってしまいます。 それでも良いのですが、警察官になりたいという動機が、「安定しているから」「楽そうだから」といったような安易、あるいは間違った気持ちで、それで合格されては、ハッキリ言えば、住民にとっても迷惑です。 「地域の安全安心をこの手で守りたいのだ」というような、そういう志しのある人にこそ、まずなってもらいたいですね。むろん、一定程度の学力や常識や判断力などは必要ですが。 と、同時に、やはりそれほどの激務の職種には、それなりの待遇は必要です。警察官は、その労働に対する対価は低すぎます。 しかし、それで高待遇になると、やはり志望動機が「安定・高待遇だから」になってしまう危険性があります。 一方で、低い待遇では、景気が回復した場合などは、不人気職業になってしまう危険性があります。 これは何も警察官だけの話ではなく、公務員全般に言えることです。 私の勤め先のような、他の都道府県の人には県名から言わなければ・下手すれば同じ県内の人からも、「どこにあるかもわからない」というような小さな自治体でさえも、新規採用試験がある年は高倍率になります。 しかし、そんな難関試験をくぐりぬけて実際に入ってきた連中を見ると、安定志向だけで別に使命感とかそういうのは少なく、受験のときに始めてこの街の存在を知った、なんていう他出身の人さえいます。たいてい、そういう人は「良い仕事」はしませんし、できません。公務員予備校で必死に受験テクニックを磨いただけの人は、公務員の仕事には向いていない場合が多いですね。 特に、愚かなマスコミや国民から過剰なバッシングを受ける「官僚」は、非常に優秀な集団であり、そういう人材は代替がきかないのです。有名大学の優秀な学生も、「能力や労働に対する評価が正当にされない」という理由で、どんどん官僚になろうという人が減っています。当然ですね。官僚になろうという能力があれば、民間ではどこでも採用され、そして給料も1年目から数倍という違いが現実的にあるのですから、それを蹴ってまで、文句や批判ばかりされる官僚になろうとするものですかね。 官僚批判をする人たちは、「では、それで誰もが官僚になりたがらなくなったとき、誰がその、絶対にしなければならない職務をするの?」という回答を持ってからすべきとさえ私は思いますがね。 私としては、全ての職業に対してそうですが、やはり感謝と尊敬がまず必要だと思うんですね。 一定の待遇以上の「やりがい」というものが無ければ、やはり続かないものだと思います。 ある警察官と雑談していたとき、私が「ホント、激務の毎日を頑張ってらっしゃいますよね」と言ったとき、「いやー、そうおっしゃってくださる方も多いですし、朝、交番の前に立ってて、通学のお子さんからあいさつされたら、この子らを全力で守ろうと思いますもんね」とおっしゃっていたのが印象的です。 様々なボランティア活動をなされている方も、無償でもその「やりがい」や「意義」「使命感「充実感」でなさっています。 激務でも、それほど高待遇でなくとも、その役目に意義や価値観や使命感を持てば、続くものです。 しかし、逆に言えば、意義や価値観や使命感を持たずにやれといっても、なかなか続かないものです。 その仕事のどんなことに、それらを見出すか?は、それぞれの人の人生観や価値観で変わって来るものですが、少なくとも言えるのは、やはり、それに関わる相手からの反応は大きいでしょう。 通学途中の子どもから「おはようございます」というあいさつをされて奮い立つような人。そういう姿を見て、自分も、そういう関係を築いて街の安全を守りたいと思う人。そんな人にこそ、警察官になっていただきたいですね。そして、そういう門戸を広げるには、やはり、そんなふうに「おはようございます」とあいさつができる人がいなければ、ダメなんです。 良いお巡りさんに街を守ってもらいたければ、地域でそれを創り上げて迎える必要があります。そして、それは何もお巡りさんだけではなく、全ての職業に対しても言えますね。 職業人とは、本人だけではなく客や関わる人全てで作り・育て上げていき、お互いが成長して利益を供与できるものだと思います。
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私はここ数年で、極端なマスコミ嫌いになりました。 直接何か報道被害を受けたということはありませんが、性格上、抵抗ができない相手を過剰に袋叩きのようなことをする姿勢が卑怯で、卑しいという嫌悪感がまずあります。 そのほか、適当な表面を撫でた程度の取材だけで、記者の一方的な思い込みで伝え、それを見た多くの人がそれに乗せられてしまい、誤った方向に導かれてしまうという恐れもあります。 しかも、それらの責任を彼ら・彼女らが負うことは、まずありません。 そういう、汚い商売が目に余るのです。 私がそう感じ始めたのは、まだ若いころで、あのオウム真理教が引き起こした「松本サリン事件」で、被害者をまるっきり加害者扱いで報道したことでした。素人の私が見ても、まだ何もわかっていない段階でなぜここまでヒステリックに報道するのか?と疑問に思い、そして案の定、全くの無関係だったことがわかったときに、マスコミは目に見えるような謝罪をしていなかったように思います。 昨今では、何か事件が発生したときは、その容疑者の家族にまでマイクやカメラを突き付けたり、被害者の遺族に「今のお気持ちは?」などと馬鹿なことを質問したりと目に余り、そういうものが見るに堪えず、私はテレビを見ることはほとんど無くなりました。 しかし、嫌なものを目をつぶったところで、それが消えて無くなるわけではないのは当然のこと。 これらマスコミは、いまだに好き勝手なことを垂れ流しているのを、憎々しく思っていました。 そんな中、こんな記事。 少し前の5月2日の産経新聞の記事です。 相次ぐ賠償高額化 著名人の名誉棄損訴訟 5月2日0時28分配信 産経新聞 芸能人やスポーツ選手などの著名人が雑誌メディアを訴えた名誉棄損訴訟で、メディア側に高額賠償を命じる判決が相次いでいる。最近では、週刊現代の八百長報道で名誉を傷つけられたとして、横綱朝青龍ら力士30人と日本相撲協会が損害賠償を求めていた訴訟で、東京地裁は3月、出版元の講談社などに計4290万円の支払いを命じた。法曹関係者は「これからも高額化の傾向は続くだろう」と予想するが、メディア側などから懸念の声も上がっている。(徐暎喜) この判決で週刊現代側に命じられた賠償額は、名誉棄損訴訟1件当たりの額としては、過去最高とみられている。週刊現代側の代理人を務めた喜田村洋一弁護士は「賠償額は高額化傾向にあるが、今回はいくらなんでも高すぎる」と話す。 高額化の流れに、日本雑誌協会は4月20日、「雑誌ジャーナリズム全体を揺るがしかねない事態を招いている」と抗議する声明を発表した。名誉棄損訴訟に詳しい梓澤和幸弁護士は、高額化の背景に「脇の甘い取材に対する批判意識の高まりがある」と分析する。 名誉棄損訴訟での賠償額は100万円前後で推移していた。だが、平成13年を境に、高額賠償を命じる判決が目立つようになった。 関係者が指摘するのは2件の訴訟だ。13年2月、女優の大原麗子さんが女性週刊誌を訴え、東京地裁が500万円の支払いを命じた訴訟と、元巨人の清原和博氏が週刊誌を相手取り、東京地裁が1000万円の支払いを命じた訴訟がその先駆けとなっているという。 高額化のきっかけは、自民党の「報道と人権等のあり方に関する検討会」が11年にまとめた報告書。報道による人権侵害に対する賠償額が欧米などと比べて少ないとして、引き上げを求めたのだ。 13年には、元東京高裁判事が、名誉棄損の賠償額が長年、交通死亡事故の慰謝料額の約25%に相当する額で推移してきたことに触れ、「現在の交通死亡事故の慰謝料は2600万円であるから、その25%に相当する額は650万円ということになるが、やや高い。全労働者の平均年収(約496万円)に相当する500万円程度を平均基準額とするのが相当」という内容の論文を法律雑誌に寄稿。同年、最高裁の研修機関「司法研修所」も「500万円程度を平均基準額とすることもひとつの考え方」として、賠償額定型化に向け、メディア側と被害者側の事情をポイント制で算出する新基準を作成した。 “500万円ルール”とも呼ばれるこうした動きを受け、13年以降、500万円超の判決が相次ぐようになった。名誉棄損訴訟に詳しい弁護士や研究者は「今後も高額化が続くだろう」と口をそろえる。だが、一部で懸念の声もある。 青山学院大法学部の大石泰彦教授(メディア法)は「高額賠償は、メディアに取り上げられても反論できない社会的弱者の泣き寝入りを防ぐためのものだった。著名人はまず反論し、説明責任を果たすべきで、高額賠償を認めるのは解せない」と指摘している。これは当然の話で、無責任な報道により、人格を否定された人は、直接的な金銭に換算できる被害ではなくとも、ある意味、社会人として抹殺されるような被害を被りかねないわけで、そういう大きなリスクを報道対象に負わせる以上は、報道する側も当然、それ相応の覚悟や慎重さでもって報道するのは当たり前過ぎることで、今さらの感があります。 それが著名人だろうと一般人であろうと、関係無いですね。きちんと調べて報道すれば回避できる話で、しかしそれで結果的に誤報だった場合でも、悪評をふりまかれた方だけが傷が残るなんて不公平が許されるはずがない。 先だっては、日本テレビ系列の「真相報道バンキシャ」とかいう自称報道番組で、全然真相でもない「裏金問題」などを全国放送をして、そうと一方的に報道された地方自治体は多大な被害を受けたということがあり、地方自治体はテレビ局をなぜか訴えませんでしたが、日本テレビの社長が辞任する事態になりました。 取材方法の低レベルには唖然としましたが、しかしテレビ局TOPの責任の取り方は一定の評価はできます。 無責任で一方的な報道には、やはり報道された側はどんどんと損害賠償請求をするなどし、今や一大権力といえるマスコミを国民がコントロールしなければ、結果的に自らの不利益になります。
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今の農水大臣・石破氏は、以前は防衛庁長官であったこともあって軍事に造詣が深いという一般的感想がありますが、同時に農水大臣になってからは農業政策にもいろいろと改革の意欲を見せています。 国を守るというのは何も武力だけではなく、食料や水、医療など、そういうものも武力と同じくらい重要なものであり、昔から軍事力に兵たんというのは不可欠なものです。 そんな中、思い切り気になる記事が。 5月12日のイザです。 ◇危機感強める林野庁、調査開始 中国の企業が西日本を中心に全国各地の水源地を大規模に買収しようとする動きが、昨年から活発化していることが12日、林業関係者への取材で分かった。逼迫(ひっぱく)する本国の水需要を満たすために、日本の水源地を物色しているとみられる。 買収話が持ち掛けられた地元自治体などが慎重姿勢を示しているため、これまでに売買交渉が成立したり、実際に契約締結に至ったりしたケースはないというが、外国資本の森林買収による影響が未知数なことから、林野庁は都道府県に対して一斉調査を始めるなど危機感を強めている。 奈良県境に近い山あいにある三重県大台町。昨年1月ごろ中国の企業関係者が町を訪れた。水源地となっている宮川ダム湖北を視察した上で、「いい木があるので立木と土地を買いたい」と湖北一帯の私有地約1000ヘクタールの買収を町に仲介してほしいと持ち掛けた。また約3年前には、別の中国人の男性から町に電話があり、同じ地域の水源地の買収話があったという。 町は「本来の水源林として残してもらいたい。開発はしないでほしい」と相手側に伝えると、それ以降交渉はなくなり連絡は取れなくなったという。 水源地の立木は、原生林を伐採した後に植林した二次林で、「よい木材」とは考えられず、土地も急斜面で伐採後の木材の運び出しに多額の費用がかかるため、同町産業室の担当者は「木ではなく地下に貯まっている水が目的ではないか」と分析する。 また、長野県天龍村には昨年6月、東京の男性が訪れ「知り合いの中国人が日本の緑資源を買いたがっている。今の山の値段はいくらか」と持ちかけてきた。同村森林組合の担当者が実際に山のふもとまで案内し、森林の現状を説明した。 担当者によると、この男性は「今の市場価格の10倍の金を出す」と強気の姿勢を見せた。しかし、これまで村には外国資本が買収交渉を持ちかけた例がなかったため、担当者は「隣接の所有者がOKするかわからない」と難色を示すと、その後、話が持ちかけられることはなくなったという。 このほかにも、岡山県真庭市の森林組合にも昨年秋、中国から水源林を伐採した製材の買収話が持ちかけられ、その後も交渉が継続している。 林野庁によると、昨年6月、「中国を中心とした外国資本が森林を買収してるのではないか」との情報が寄せられ始め、実態把握のため全国の都道府県に聞き取り調査を行ったという。 これまでの調査では実際に売買契約が成立したケースはないが、同庁の森林整備部計画課の担当者は「現在の法制度では、万一、森林が売買されたとしても所有権の移転をすぐに把握する手段はない。森林の管理についても国が口を挟むことも難しい」と説明している。 国際日本文化研究センターの安田喜憲教授(環境考古学)の話「ルール整備が不十分な中でこうした森林売買が進行すれば、国として自国の森林資源や水資源を管理することが困難になり、国土保全に大きな影響を受けることが予想される」 ◇ 日本国内の水源地に中国資本が触手を伸ばしている実態が明らかになった。この背景には、中国での深刻な水不足がある。その一方で日本国内の水源地は現在、約30年前の価格まで暴落していることも中国にとって買い時と映ったとみられる。世界各地では、水資源の獲得に向けて激しい争奪戦が繰り広げられており、識者は「国内の水源地を守るためには現在の法制度は未整備」と訴えている。 東京財団の調査によると、中国では飲用水の需要が急速に伸びており、ペットボトルに換算すると、この10年間で約4倍になっている。また、急速に工業化が進む北部では工業用の水不足が慢性化。穀倉地帯や内陸部の小麦地帯でも、干魃(かんばつ)被害の影響で農業用の水不足が深刻化しているという。 国連の予測では、人口爆発と経済発展により、水不足の深刻な国で暮らす人は現在でも5億人に達し、2025年には約30億人に増加するとしている。水不足の危機は一方でビジネスチャンスを生み、「水メジャー」といわれる大企業が、世界で水源地を確保しようとする動きが目立っている。 これに対し、日本国内では水源地を守る役割を果たしてきた林業が衰退の一途をたどり、外国資本が入り込むすきを与えているとの指摘がある。日本不動産研究所によると、安価な輸入木材に押されて、林地価格も立木価格も昭和55年以来、ほぼ一貫して下落。平成20年3月末現在、10アール当たりの林地(用材)価格の全国平均(北海道・沖縄を除く)は5万5118円で、昭和49年時の6万460円を下回る価格となった。 また、森林が国土の約7割を占めるにもかかわらず、法制度の不備もある。国土交通省水資源政策課によると、「現在の法制度では地下水の規制は都市部で地盤沈下を防ぐことが目的となっている」といい、山間部については、地下水をくみ上げる量に制限がないのが現状だという。 さらに、地権者の権利移転がチェックされる農地と違い、森林法では民有林の売買に関する規制はなく、所有者は自分の山林を自由に売買することが可能。国土利用計画法でも、1ヘクタール以上の土地(都市計画区域外)の売買であれば都道府県知事への届け出が義務づけられているが、1ヘクタール未満の土地の場合はそもそも届け出義務がなく、外国資本による水源地買収を把握する制度すらない。これは大変な問題です。 水資源というのは、世界中で今後ますます重要になってくる天然資源であり、国土の汚染や荒廃が進む中国が土足であがってきて盗んでいくようなことを断じて許してはなりません。 一刻も早く法整備を進めて、他国資本には水資源を与えないという規制をすべきです。 私の地元・宮城県仙台市には、ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所がありますが、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏がこの地を流れる新川川(にっかがわ)の清流にほれ込んで工場を建てることにしたという話はニッカという会社名と新川川がたまたま同じ語感だったという話は有名で、会社の事業継続のためもあるでしょうが水源地の環境保全には力を入れています。 日本は古来から、そういう天然資源を大切にする考えが根付いていますが、他国はそんなことはありません。 私は実家は農家ではありませんでしたが学生時代、農業を専攻しており本気で農業をしようと考えていました。当時は日本の農業は集団化・大規模化へという考えが理想とされ、アメリカ農業がお手本であるとされました。そのために、卒業後はアメリカへの留学を志していました。 しかし、留学試験のためにアメリカ農業を勉強すればするほど、現地の様子を見聞きすればするほど、何のことはない、アメリカ農業なんてのは大雑把な、原始的な焼き畑農業と同じレベルでしかなく、土壌を作ることもせず、水をひたすら汲み上げてはばらまいてなんとか維持しているだけの、将来性・継続性のない天然資源の浪費と引き換えて過剰な農産物を生産するだけの、手本になんて全くならないと痛感したものでした。なので、アメリカへの留学選抜試験は合格しましたが、結局は恩師のアドバイスもあってそちらを蹴ったほどです。学ぶものは何もないと思ったからです。 もっとも、昨今の日本の稲作も、用水路をコンクリートで固めて高低差をつけて、まったくのアメリカ式の効率性だけを優先する、くだらない農業になってきましたが。 ヨーロッパ諸国の飲み物や料理にやたら「ワイン(煮込み)」が多いのも、飲料や料理用に適した水が古来少ないからと聞きます。 そういう国際情勢にあっては、日本の水が豊富な環境というのは今後、何にも増した重要な天然資源であり、貴重なものになっていくのです。
至急、対策が必要です。 |



