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先日ご紹介した群像舎さんのドキュメンタリービデオ「又鬼 狩猟民の系譜」とほぼ時期を同じくして発表されたのが、東宝が発表しTOHO VIDEOとして発売したこの「ドキュメント 又鬼(最後の狩人)」です。 最近、私の友人が入手して、プレゼントしてくれました。 こちらも群像舎さんのものと同様、秋田県の阿仁町(当時)のマタギの狩猟民俗を映像で紹介するものです。 パッケージにあるのは、明治〜大正ごろに主流だったマタギの狩猟時の衣装で、作品冒頭でもこれで雪山を駆けるマタギを映します。 …むろん、この映像を撮影した昭和50年代には既に高齢なマタギもこのような姿で山に入ることはまずありませんでしたから、このパッケージと冒頭のこの映像を見ただけで既に「演出のために、そのような格好をすることを依頼したのではないか?」という、「ドキュメント」と銘打っているわりに一抹の不信感を感じます。 内容構成は、群像舎さんのものとほぼ同じです。この時期に発生した阿仁町の「マタギによる殺人事件」について触れているところまで一緒ですが、少し詳しく踏み込んでいる点はこちらの方に分があります。 映像としての見やすさ・カメラワークは、さすがに大手の東宝が絡んでいるだけあって、格段にこちらの方が上です。 また、決定的に違うのは、当時こういうドキュメンタリー番組では欠かせないナレーターであった久米明さんのナレーションが多く入っていることや、作家の戸川幸夫さんや志茂田景樹さん、漫画家の矢口高雄さんなど、当時マタギに関して作品を発表していた著名人が、短いもののコメントを寄せているところです。 こういう、大がかりな制作は、やはり資金力とか組織力がなせるわざでしょう。 しかし、群像舎さんのものに比べると、久米明さんのナレーションは制作者が視聴者に対して行う解説であると同時に、予備知識などがなければそのナレーションの言葉1つがその全てであると思わせかねない懸念も当然あるわけです。 著名人のコメントは豪華ですが、3人も揃える必要があるとは思えず、その時間分を現地の民俗紹介に充てた方が良いようにも思えます。 また、一番印象的だったのは、この作品の始めの方で、これから山に向かおうというマタギの一団にインタビュアーが何人かのマタギに声をかけるのですが、皆さん顔を伏せがちに、聞かれたことを最小限に応えているところです。 恥ずかしいとかそういうのではなく、本当は取材されたくないのだが断れずにやむを得ず、という、かなりよそよそしい、制作者との壁・溝というのでしょうか、感じられました。 この制作された「昭和50年代」よりもう少し後になると、動物の解剖や射殺というシーンは「残酷なもの」という声が大きくなり、テレビ番組や映画の演出も随分そういうものを自主規制し始めます。 同時に、文化であろうとスポーツであろうとなんであろうと、そういう狩猟、というよりは「動物を殺す」ということは、どんな場合であっても「野蛮なもの」という見方をする人(つまり、おかしな人)たちも多くなってきてしまいます。 そんなわけで、ごく近年は猟友会などはもちろん、秋田のマタギたちもあまり狩猟をするという文化や実際の姿を積極的に宣伝することはなく、それどころか取材なども嫌がるようになっています。 しかし、このころはまだそれほどそういう情勢ではなく、実際に群像舎さんのものでは饒舌に語るマタギも多かったことから、何かしらの理由があったのでしょう。 これが制作された昭和50年代という時期は、世界中の民俗・風習をお茶の間に届けるドキュメンタリー番組が最盛期でした。 しかし、後から聞いたところでは、「本当はその時期にはしない民俗のお祭りとか風習を依頼して無理にさせていた」とか、「演出で既にそういうことはしていない古い儀式や習慣を今もしているかのようにさせていた」といことが随分ありました。 このビデオでも、既にこの時代では身につけていないマタギの古式の装いをパッケージや冒頭に全面に出しているというのを見たとき、そのことを思い出しました。 「マタギたちがこうもよそよそしいのは、取材のために無理に頼まれていたり、ずうずうしい態度で撮影に来られているからではあるまいな?」と。 真相はわかりませんが、少なくともそう感じさせるような、取材対象者と取材者がそれほど良好な関係とは言えない様子です。むろん、それは「険悪」というまでのものではないのですが、こんなよそよそしい関係で本当の意味での「ドキュメンタリー」なんて記録できるのか?という点でも心配なわけです。 動物や自然現象を題材としたドキュメンタリーではそれらを人為的にコントロールすることは難しく、またコミュニケーションが成り立たない現象としての記録なのでねつ造さえしなければ純粋なドキュメンタリーは成り立ちます。しかし、マタギのように「人」を題材とするものの場合は、その行動を「依頼」する余地が出てくるばかりではなく、単なる「現象」では済まない、気持ちや心情などをも収めなければならないもの。 これは重要で、このビデオしか見ない人であればこのよそよそしさを「何だか閉鎖的な社会だなあ」というような印象を持ってしまい、その印象でもってマタギという文化を見るのと、明るく山に対して謙虚な姿勢を貫く文化を今に残す人々という印象で持ってみるものとでは、受け止め方がまるで違うわけですから、まずは取材対象者と取材者の良好な関係・相互理解や信頼関係は重要なんですよね。 こちらのビデオで決定的に違うもう1つのことは、ケボカイ=仕留めた獲物の解体前の儀式のシーンなのですが群像舎さんのものではある程度ツキノワグマの解体を見せているのですが、東宝の方では皮を剥いだ次のシーンでは、もう肉片になっています。 「残酷」と思う人がいるのかもしれませんが、毎日の食卓にあがる肉や魚はそう処理されているし、処理してくれる方がいるので食べられるわけで、確かにだからといってそれを映像として見せることは別ということであっても、「ドキュメント」といいながら、その神聖なケボカイの儀式と、マタギが1頭のツキノワグマにいかに敬意をもって余すことなく活用するかを描く力、命とは何かを考える機会を自ら削ったドキュメントに仕上がってしまっています。 ケボカイの後は「マタギ勘定」として、狩りに参加したマタギも参加できなかった仲間も、平等にその肉や利益を分配するものですが、単に映っていないだけかもしれませんが、群像舎さんには撮影隊にも分け前が出ていたのに、東宝の方ではそれが無かったというのも印象的です。 こちらはこちらでいいのですが、群像舎さんのものに比べて踏み込み度が浅いような印象は否めません。
方や学術映像、方や娯楽映像。そんな感じでしょうか。 万人向けかもしれませんが、今や入手は難しいと思います。 |

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