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4月20日付の毎日新聞に、興味深い記事がありました。 たまに思うのですが、こういう他の新聞が取り上げないような記事で興味深いものや、丁寧な取材をしていての記事というのが毎日新聞には見られることが多いだけに、偏っている記事ばかりがしばしば指摘されるのは非常に残念なところです。 <森林>高齢化で姿消す野鳥 林業停滞で荒れ放題 4月20日2時30分配信 毎日新聞 国内の森林面積は1970年代から変わらないのに、鳥類の生息域が大幅に減少していることが、森林総合研究所の山浦悠一・特別研究員(森林保全生態学)らの調査で分かった。林業の停滞で明るく若い森が減って、それを好む鳥が減ったのが原因とみられる。森林の変化が生態に影響を及ぼすことを示しており、森林対策の充実が急がれそうだ。今月の英専門誌に発表した。【江口一】 研究チームは、環境省が78年と97〜02年に実施した鳥類の分布調査を基に、この間の森林の状態と、夏季に日本で過ごす渡り鳥(夏鳥)や年間を通して国内で暮らす留鳥の計103種の生息域の変化を分析した。若い森を好む鳥類には夏鳥のカッコウや留鳥のモズ、ムクドリなどがいる。冬鳥はまだ調べていない。 その結果、樹齢8年未満の若い森林に暮らす留鳥の生息域は11%、夏鳥は27%それぞれ縮小したことが分かった。一方で、樹齢8年以上の成熟した森にすむ留鳥の生息域は9%増えた。夏鳥では17%減だが、若い森より減少率は小さかった。 この間、国内の森林面積は約2500万ヘクタールで推移しているが、木材の量である「森林蓄積」は、70年代の約20億立方メートルから00年には約40億立方メートルと倍増、成熟した森林が増えていた。若い森が少ないと、日光が地表まで届かないため、草などが生えず、昆虫も減る。昆虫を餌としている鳥にも影響を与えたとみられる。 さらに、夏鳥の越冬地である東南アジアでも90〜00年で森林全体の11%に当たる約2800万ヘクタールが開発などで失われており、夏鳥減少の一因と言われている。 山浦さんは「森林は人が手入れするかどうかで様相が異なる。その結果、成熟した森と若い森ではすむ鳥も違う。生物多様性を維持するには、国内外で樹齢や樹種などが多様な森にすることが重要だ」と話す。最近、ようやく農業が脚光を浴びてきたのですが、昭和30年代までは林業も重要な産業でした。高度成長期などに住宅建設ラッシュに対応すべく、木々が切り倒されたり、十分な検討をしないまま植林したりと、様々な弊害も起きた時期でもありますが、日本に林業に関する技術と、それが成り立つ風土であったために、高度成長期を住宅供給から支えた面もあるといえると思います。 日本は、街中に住んでいてもわずかな時間車や電車を走らせれば、すぐに木々の多い山地が見えてきます。 「日本はなんだかんだいっても、森が多いなあ」と、なんとなく安心する気になるのですが、その山林の多くは植林された人工林の場合が多いのです。 林業のイメージは、「木を切る」という場面がどうしても最も強く印象が残りますので、なんとなく、「自然破壊」のように思う人も多いかもしれません。実際に、結果的に日本の近代の林業行政(農政もですが)は大失敗と言えるほどであったのは間違いないと思いますが、林業が木を切るというのが直ちに自然破壊というわけでは、本来無いのです。 例えば、炭焼き1つとって見ても、燃やせばもうそれが失われて枯渇するだけという化石燃料とは違い、日の光や土の養分を吸収して生長する木は、再生可能な燃料でもあるわけですね。 「二酸化炭素を出す」という意見も出そうですが、それは化石燃料を燃やしても同じでしょう。 「若い森」を好む食虫性の野鳥が減ることが、森林の整備を考えなければならないほどの影響かどうか、私には判断がつきません。 ですが、無尽蔵に杉やらひのきやらを日本の山地に植え続け、放棄されて限界に達している木々の後始末と、今後50年の国土計画を考える必要はあるのではないか?とは思います。 植林された人工林は、本来適切な間伐(間引き)や、枝うちなどをこまめにするなど、人の手が加わらなければ成り立っていかないものなのですが、林業の衰退から、放棄されているわけです。
林業の衰退は、海外からの運送費をかけてでも安い木材が大量に手に入るからなわけですが、その他にも、間伐材を利用していた割りばしを「エコ」と言って魔女狩りのように追放したりしたこともあるでしょうね。 日本の気候の中、手入れされて育った木でもって、その木材を使って極められてきた職人技で作れば、例えば箪笥なんかも100年は持つものです。プラスティックは腐ったり分解されたりしませんのでその意味では半永久的な材料ですが、もろく、壊れやすいわけですし、そう考えれば林業を正しく機能させることが、実はエコなのではないか?と私なんかは思うのですが。 |
【自然関係のお話し】
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まだ数は少ないですが、私のメインの書庫です。
仙台市の泉ケ岳の自然を中心に、自然について考えていること・見たことなどをご紹介して行きます。
仙台市の泉ケ岳の自然を中心に、自然について考えていること・見たことなどをご紹介して行きます。
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さて、以前も少し書きました「モリアオガエル」ですが、私は正直、その名前は社会人になっても久しく聞いたこともありませんでした。 自然体験施設で働いていたころ、初夏に小さな池のほとりに立つ木の枝に、巨大なカマキリの卵のようなものがいくつもぶら下がっているのを見て、かなり驚いたということを、今でも覚えています。 同僚に「あぁ、それはカエルの卵だよ」と、これまた以前に書いたように、当たり前のことでつまらなそうに説明されたのですが、そのころの私は田んぼと違い、水の少ない山の中にカエルがいるということさえ理解していませんでしたので、二重に驚いたものです。 私がそれまで知っていたカエルは、田んぼでゲコゲコ鳴いているもので、用水路や田んぼにビニールチューブのようななんだか透明なひとカタマリになっている卵だけでした。 しかし、ご覧のように、モリアオガエルの卵は、まるでカマキリの卵のようですよね? カマキリの卵の場合は、オスとメスが交尾をしてから産みつけられるものですが、私が観察したり、図鑑で読んだ限りでは、この卵はメスの背中にオスが乗って、産卵を促して、そして後ろ脚で泡立てるというものでした。 また、この卵塊に何匹ものオスがぶら下がっていることもしばしばあります。 当然、それらのときに初めて卵に精子を送り出し、うまく受精をさせるわけでしょうけれども、私も間違って触ったことがあるのですが、なんというか、産卵したばかりの卵塊は非常にベトベト・ネバネバ。うまく枝にこびりつくくらいのものですから、ご想像ください。そして少し時間が経つとしっかりとしてくるこの卵塊が、顕微鏡画像で見るような動物の精子のようなべん毛活動でよくも卵にたどりつくものだと思ったものでした。 ところが最近、このモリアオガエルの精子が特殊な構造をしていて、べん毛活動をすると効率よくこの卵塊を進むという、驚くべき観察結果が紹介されました。 モリアオガエル:精子、卵の中で「コルク抜き」状に前進 京大准教授らが確認 /京都 4月10日15時1分配信 毎日新聞 モリアオガエルが木の枝に産み付ける泡状の卵の中で、精子がコルク抜きのように回転しながら進むことを、京都大の久保田洋准教授(発生生物学)らのグループが突き止めた。細長い尾部が巻いたり解けたりを繰り返すことで、らせん形の頭部を回転させると判明。久保田准教授は「粘性の高い泡の中で抵抗を受けにくくするよう進化したのだろう」と分析している。 モリアオガエルは主に本州の森に住み、メスが5〜7月に池などにかかる木の枝に白い泡の塊を作る。この泡は粘性が高いため、一般的に知られているべん毛をS字状にくねらせるタイプの精子では前進できないという。 モリアオガエルの精子は頭部がらせん形で、細長い尾部を持つことは知られていたが、運動の方法は不明だった。グループは泡の中で運動する様子を顕微鏡で詳細に観察したところ、尾部がリボンのように巻いたり解けたりすることでらせん形の頭部を回転させ、ゆっくりと前進させている様子をとらえた。 水中では尾部の運動が空回りしてしまうことも判明。モリアオガエルの精子の運動は粘性が高い環境で前進するよう働くことが確かめられた。【朝日弘行】精子の頭部がコルク抜きのような、要するにネジのようならせん状になっているというのも知らなかったです。 わざわざそういう複雑・特殊な精子の形にしなくとも、そもそも卵塊じゃ無ければいいじゃん、と思いそうですが、この卵塊にすることで、卵が孵化するまで、乾燥から守るというメリットがあります。 それなら、乾燥しない水中に産めばいいじゃん、と思いそうですが、自分では動けない卵の時期から水中にあれば、水生昆虫などの襲われれば一蓮托生になってしまう危険性があるわけですね。 なので、オタマジャクシになるまで、この卵塊というベビーベッドで保護しようという発想のようです。 もっとも、私が見ていた中には、林道に一時的にできた水たまりの上に張り出した木の枝に産卵していたりするのもたまに見かけ、「ありゃ、こんなんじゃ、天気の良い日が続けば水たまりは無くなっちゃうよ。」と思う、そそっかしい母カエルも。そういうデメリットもあるのですね。 なお、ここに掲載した写真は、何年か前の初夏に撮影したものです。
近年は、適当な池に張り出した木々というのが少なくなって、池のほとりの石などに産みつけられているのも多くなりました。 |
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今日も例によって、昼休みに職場近くの公園を散策すると、シジュウカラが。桜の花?を食べていました。 シジュウカラは、スズメとかカラスとか、そういう一般的(シジュウカラも一般的かもしれませんが)な野鳥以外・大人になって初めて名前を知って覚え始めた野鳥らの中で、最初に覚えた野鳥です。 私に野鳥のことを教えてくれた方が、シジュウカラの名前の説明で、「見分け方は、ワイシャツに黒いネクタイを締めているような模様の鳥が、シジュウカラ」と説明されて、それですんなりと名前が入ったということを覚えています。 それよりもはるか前の学生時代、山岳部の顧問が山にある植物の名前や特徴を次々に説明してくださったので、「よくもあんなにたくさんの植物をご存じだなあ」と驚いたことがあって、植物図鑑を必死に暗記しようとして挫折した、という馬鹿な経験があります。 そのような経験があったので、何かを知る時。そしてそれを説明するとき。 どうすれば、自分が身について、どう説明すれば理解してもらいやすいか?ということを考えるようになりました。 シジュウカラを見ると、いつもこれらのことを思い出します。 野鳥にしても、植物にしても、それぞれの種がそれぞれすばらしい特徴があり、それを実際に見て、それから調べると、その感激や興奮とともに、自然に名前や特徴が実感を伴って身につきます。 そして、自分がその野鳥や植物の、どういうところに感激したか?ということを分かった上で、それを伝えれば、たいていは面白がってくれます。自己満足にならないようにする自覚も必要ですけれど。 職場の同僚らと話していて、何かの折に野鳥や植物の話になったときに、私が何気にそれの話をすると、「よくそんなこと、知っているねぇ」などと言われることがあります。
そうか、15年ほど経って、ようやく、少しは身について来たのですかねえ…先生。そう思いました。 |
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昨日の日曜日、かなり久しぶりに、私の観察フィールドである泉ヶ岳へ行ってきました。 と言っても、午後になってからなので、実質3時間ほどだけ。しかも、野生動物撮影用の自動撮影カメラをセットしに行ったので、他の物はほとんど観察できずじまい。 今年の泉ヶ岳。どうも例年よりも様子が違っていて、「早い」んですね。 たいていの年は、今頃ですとフキノトウの収穫がまだできるのですが、もうほとんどが伸びて花は咲き始めていたり。 カタクリは例年、GW前後に楽しめますが、もう終わり始めです。 ショウジョウバカマも見られませんでした。 そうかと思えば、ニリンソウが少なかったり。 ごくわずかな時間だけしか滞在しなかったのですが、私はこの山に出かけて「何も得るものが無かった」ということはこれまで無かったのですが、どうも半年以上ぶりで、そのご無沙汰を山の神様が怒っていらっしゃるのか、なんかこう、怒られているような、拒絶されているような雰囲気を感じました。 別に超常現象とかそういうのを頭から信じるような私ではないのですが、雰囲気です。 歩く先々で、ノイバラのトゲに体中を刺してしまうなど、これまで無かったんですけれどね。 今度、山の神様が喜ぶという「オコゼ」という魚の日干しでも贈りましょうか。 まあ、山の神様というよりも、しばし現場を離れて慣れたところが薄れたので、そういう違和感を感じるのでしょう。 去年は忙しくてあまり泉ヶ岳には行けなかったので、実質は2年ぶりみたいなものですから。こういうときに、「自分はこの山を知っているのだ」などという過去の経験と感覚で強引なことすると、事故を起こします。 今日は帰ろう、と、既に陽の沈みかけた5時半ごろに、地面でガサゴソしていたのはこのカケス。 誰もいない登山道の脇で、枯れ葉がガサゴソされていたのはちょっと驚きましたが、帰る最後に出会いがあったのはカケスでもうれしかったです。(「でも」ってのはカケスに失礼かな?) カケスの鳴き声は「ギャーギャー」という、きしむようなしわがれた声ですから、初めて、しかもこういう独り登山道にいるときに聞くと、かなり驚くかもしれませんね。 今シーズンは、少し余裕があるかもしれないので、泉ヶ岳、また少し通いたいと思います。
しかけた自動撮影カメラが成果をあげてくれれば良いですが、今日当たりから天候が荒れそうなので、ちょっと心配でもあります。 |
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広葉樹を植林することが正しいこと・ブームのようになっている感がありますが、必ずしもそうはいきません。 遺伝子撹乱などという難しい話をするまでもなく、ひと口に同じ樹種、あるいは動物や植物であっても、温暖な地域で長年育ったものが突然気候風土が違う場所に持ってこられても、それに耐えうるようなくらいの適応なんてあるはずがないわけです。 その土地の気候風土に適応するように想像をできないくらいの時間をかけて適者生存で生き残ったそれぞれの地域の植物を、極端な話、尾根1つ越えただけの向こうに持って行ったところで、それはうまく育つ保証はないのです。 人間にしたって、沖縄生まれの方がいきなり北海道に行っては、体調を悪くすることもあるでしょう。簡単に想像がつきそうなものです。 にも関わらず、ドングリを全国から集めてまくということをする個人や団体があったり、どこで育ったかわからない苗木を数だけ集めて「何千本植えました」などという企業などがあったりして、私は「何も考えていないポーズ」であり、「植えられた木々にとっては迷惑なだけ」です。 と、常々思っていたところ、面白い記事が4月2日の読売新聞に掲載されました。
(上)ブナ林 植樹で弱る ブナやコナラといった広葉樹の植林活動ブームが続いている。ふるさとの山の再生や二酸化炭素の吸収源対策などにつながるからだが、現状のままだと、善意の行いが自然環境を汚す結果をもたらす恐れがあることが、最近の研究でわかってきた。その実態と対策を、2回に分けてリポートする。 ◇ 「葉の開く時期がばらばら。植えてから10年近くたつのに、この程度しか育たないブナもあるなんて……」 東北大学の陶山佳久准教授は2006年、宮城県栗原市にあるブナの人工林を調査してあぜんとした。植林年などが書かれた森林簿で、259本すべてが1988年に植えられたことがわかっていた。それなのに、樹高も幹の直径も、あまりにばらばらだったのだ。 陶山さんは05年、遺伝子解析によって、宮城県内のブナの天然林が日本海側タイプと太平洋側タイプの2系統に大きく分けられることを突き止めていた。それをもとに、この人工林のブナを調べたところ、樹高は日本海側タイプが平均4・49メートル、太平洋側タイプは同3・43メートル。地上30センチでの幹の直径もそれぞれ6・3センチ、4・5センチと、歴然とした差が生じていた。 栗原市は内陸型気候。冬は深雪に覆われ、もともと生えていたブナは日本海側タイプだ。陶山さんは「積雪などの気象環境に対する適応度の違いが関係しているのではないか」と見る。 ◇ 長野県では、これとは違う異変が起きている。県中南部で植樹されたブナは、植えて5年ほどたつと、樹高が高くなるどころか低くなってしまう。この現象を見つけた県林業総合センターの小山泰弘研究員は、「冬芽は出るが、春になると中身がなくなり、触るとぼろぼろになる」という。 長野県の天然ブナを遺伝子解析すると、〈1〉日本海側タイプ(県北)〈2〉北関東タイプ(浅間山周辺)〈3〉富士山・伊豆タイプ(諏訪・松本)〈4〉愛知タイプ(木曽)――に大別できる。しかし、植えられる苗木の大半は日本海側タイプ。小山さんは「雪が少なく気温が下がりやすい県中南部では、凍害に似た現象が起きている可能性がある」という。 地域環境に適応した遺伝情報を持つ集団と、外部から持ち込まれた集団が交配すると、遺伝情報が混ざって環境適応能力が落ちる「外交弱勢」という現象が起きる。この問題についての環境省研究班で代表を務める森林総合研究所の津村義彦・樹木遺伝研究室長は、「そういう樹木が枯れずに残って交配が繰り返された場合、周囲の樹木が成長を妨げられる恐れがある。樹木は寿命が長いため、影響に気づきにくい」と話す。 ◇ 岐阜県内のオオヤマザクラとエドヒガンの種子を調べ、双方にソメイヨシノの遺伝情報が混ざっていることを確認したのは岐阜大学の向井譲教授。エドヒガンの場合、その割合は解析した木の1割に及んだ。 向井さんは「たとえばヤマザクラとソメイヨシノは別種だが、まれに遺伝子が混じる。サクラには自家不和合性があるが、ソメイヨシノの遺伝子が混じったヤマザクラは、ふつうのヤマザクラとの間で子孫を増やし、ソメイヨシノの遺伝情報をヤマザクラの中に広げていってしまう可能性がある」と指摘する。国をあげて進む広葉樹の緑化事業で、外交弱勢が起きている可能性があるのだ。 針葉樹は林業種苗法によって、生産地から離れた場所で苗を植えないよう、スギは全国を7区域、ヒノキは3区域という具合に配布区域を設けている。だが、広葉樹の苗は法的制限がないため、韓国や中国なども含め、国内どこからでも入手可能だ。津村さんは「交雑が進めば、回復するとしても数万年、数十万年もかかる」と警告する。(小川祐二朗)続いて、4月9日の読売新聞には続報があります。 (下)苗の流通 実態つかめず 「木材価格の低迷でスギやヒノキなどの植林が激減しているが、広葉樹の苗木生産だけは今も減らない。ブナの天然林で知られる白神山地などが伐採計画で注目されるようになった1990年代から、人工林を元の山に戻そうという機運が高まったからです」 こう話すのは、遠くから持ち込まれて植樹されたブナが十分に育っていない異変を長野県中南部で見つけた、県林業総合センターの小山泰弘研究員。長野県では、市町村などが、「自然再生」を目指した造林事業や治山事業で広葉樹の苗を1年当たり約100ヘクタールに植林している。本数に換算すると、毎年20万〜30万本になる計算だという。 樹木を遠隔地から持ち込んで植えると、生育環境が適さないだけでなく、その地域にもともとあった樹木と交配して遺伝情報が混ざり、在来樹木の成長が妨げられる恐れがあることが、最近の遺伝子研究でわかってきた。「外交弱勢」という現象だが、広葉樹による緑化活動は、これらの点への配慮が十分とはいえない。 広葉樹の苗の生産は、国内全体でも堅調だ。全容を把握している組織はないが、日本緑化センターによると、緑化に使う広葉樹の苗の供給可能量は、2008年度で前年度比2・3%増の6213万本だった。だが、その移動に関しては何の規制もなく、どこでとれた種子を元にしたのかわからないまま、大量の苗が各地に出回っている。 たとえば長野県は、北海道に次ぐ広葉樹の苗木生産県。生産量は100万本近いが、そのうち70万〜80万本は他県に出荷されている。小山さんは、「どこにどう流れているか実態がつかめない。良かれと思って進めてきた緑化事業が、最悪の事態を招くかもしれない」と警告する。 ◇ 苗木生産の業界団体である日本植木協会は、植物をその育った地域に供給する体制の確立に向け、いち早く研究を進めてきた。もともと生息していない地域への動植物の移動を規制する外来生物法の施行(05年)を受けたものだ。 たとえば、食品を対象に普及が進む「トレーサビリティー・システム」と同様の仕組みを、樹木でも作るアイデアがある。地元で育つ広葉樹から種子を採取して育てた苗は「郷土種」とも呼ばれる。それを、その地域内だけで流通させればよいのだが、この流通システムを全国に広げるには、植えようとしている苗が郷土種かどうかを追跡する必要がある。 その技術的な可能性とは別に、日本植木協会の國忠征美・地域性植物適用委員会副委員長は、現状がはらむ問題点を挙げる。「緑化事業を発注する国や自治体は単年度主義のため、何年か先にどれくらい苗が必要になるかを予測しにくい。それに、植える場所を育った地域に限定すると、単価は通常の1・5〜2倍になる。これらの点がクリアされないと、郷土種の普及は難しい」 ◇ 国レベルでは、国土交通省、農林水産省、環境省が自ら所管する緑化事業で、地域の植物を極力使うとする運用指針ができたばかり。地方自治体でも、神奈川県や佐賀県などが郷土種の生産を始めているが、この問題の認知度は低く、広がりに欠ける。 こうしたなかで関係者が注目するのは、静岡県の富士山静岡空港。航空法に抵触する立ち木問題で開港が遅れているが、空港建設のため造成した斜面など計32ヘクタールに、空港周辺の森で採取した種子から育てた苗を計32万本植栽したのだ。 樹種はシイ、ヤマザクラ、アラカシなど計72種。現在の盛り土斜面工事は、牧草などの種子を機械で吹き付ける手法が主流だが、空港の建設計画策定の際、富士常葉大学の山田辰美教授(生態学)が郷土種による「空港の森」を提言し、実現した。 「郷土種による緑化といえどもミティゲーションには違いないが、そこの植物の遺伝子を保存・再生できるし、環境教育にも役立っている」と山田さん。将来に禍根を残すまいとする緑化活動は、始まったばかりだ。(小川祐二朗)もし、植樹を行うのであれば、当然、その地域で残る木々から採取して、その現場で苗木を育てて植樹していくような、膨大な手間ヒマをかける必要があるのですが、市民参加の植樹大会なんかでは、そういう面倒なものは敬遠されるため、誤った形で植樹が「きれいな・いい話」として全国で進められているわけです。 |



