日々是雑感

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【自然関係のお話し】

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まだ数は少ないですが、私のメインの書庫です。
仙台市の泉ケ岳の自然を中心に、自然について考えていること・見たことなどをご紹介して行きます。
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天然記念物

 以前、「世界遺産」について少し書いたときに、そういう後からの制度がそれまでそれとともにあった人との生活までも破壊するということを書きましたが、こういう本末転倒な滑稽な、いかにもお役所とかそういう実情に合わない制度という典型例の記事がありました。
 7月28日の佐賀新聞の記事です。
国の天然記念物 大イチョウ折れる 有田町泉山

 26日午前1時20分ごろ、西松浦郡有田町泉山で、国の天然記念物「有田の大イチョウ」の枝が折れて落下、国重要伝統的建造物群に選定されている住宅の瓦15枚を壊した。 
 折れた枝は3本で、いずれも長さ10センチ、直径10センチほど。枝が腐り、強風で折れたとみられる。屋根に縦60センチ、横1メートル50センチに穴やひびが空いた。 

 住宅は製陶業池田廣孝さん(89)の所有で、落ちた時には家族4人がいたがけがはなかった。池田さんによると、これまでに6回目ほど枝の落下などで屋根が壊れているが、天然記念物のため、枝を切ったりすることができないという。 

 大イチョウは樹齢千年を超えるといわれ、高さ約40メートル、枝張り約30メートルある巨木。 
 貴重なものは、大切に厳重に保存し保護すべきですが、共に生きている人間の生活や安全までも著しく脅かしても良いものではない。形あるものや生命あるもの、全ていつか壊れたり無くなったりする。まして、枝が腐っているものを放置すれば、木そのものにもダメージが広がりかねない。

 役所がこういうものを保護していくのには向いていないという典型例ではないでしょうか。
 実にバカバカしい記事ですが、けが人が無くてそれだけが何よりでした。
 以前、「毒グモであるセアカゴケグモを捕えているところが観察されたマエアカクモバチ」について書き、その後「マングース」について書いた直後に、鹿児島県内でマングースが初めて正式に確認されたというニュースが飛び込んで来ました。
 これらから言えるのは、生物を含めた自然というのは人間のような小賢しい存在が全てを理解したりまして操作なんてできるものではなく、それはハブを退治しようとろくに考えもせずにマングースを野に放ったことが、30年も経つ今日まで、様々な影響が出るからと「根絶」などに右往左往、何ら落ち度のない命を虐殺する身勝手な人間の行動が非常に愚かしいということから見てもわかるということです。
 小賢しい人間が勝手なマネをすると、多くの生物にまで迷惑をかけてしまうことを、いい加減学ぶべきでしょう。

 「マエアカクモバチ」の記事を書いたときに、引用元の記事中に大阪府の環境衛生課の職員が「生態系の影響を考えなければいけないが、面白い発見だと思う」というコメントを出されたとおり、こういうものは自然の中で折り合いを付けようとしているものに人為的に介入することで、思いがけないデメリットが発生しかねず、慎重にすべきということですね。

 ところが。
 7月21日の時事通信の記事です。
羽なしテントウムシが誕生=世界初、害虫駆除に有用−名古屋大
7月21日2時6分配信 時事通信

 名古屋大の新美輝幸助教らの研究グループは、羽のないテントウムシを世界で初めて作ることに成功した。害虫のアブラムシを食べるため、テントウムシの一部は農業で利用されている。羽なしテントウムシが用いられれば、飛んで逃げなくなるので害虫駆除の効率が上がるという。
 研究結果は21日付の英昆虫科学専門誌・電子版に掲載された。
 新美助教によると、生物はリボ核酸(RNA)を介して、遺伝子から羽や手足を形成するなどの指令を出す。同助教らはテントウムシの羽を作りだす遺伝子を特定。その指令を運んでいるRNAを分解し、働きを失わせることで、羽なしテントウムシを作り出した。
 ちなみに、こちらには、少々グロテスクですが、そのテントウムシの哀れな姿が写真で掲載されています。

 驚きましたね。本当に。
 いやあ、別にその研究の成果とか、そういう操作でそんなことができるのかとか、そういう話で驚いたのではなく、

未だに、そういう影響力が未知の生物農薬を創りだそうとする研究者がいるんだ、しかも国立大学に

ってことに驚きました。
 調べると、この研究者は「名古屋大学 生命農学研究科 生物機構・機能科学専攻」と、何だかわかったようなわからないような専攻ですが、基本が農業のようですので、類似事例や注意すべき点を知らないはずがない。

 こういう、人間本位で命をいじくるのは私は嫌いですし、反対です。

 確かに、これまでも生物農薬として天敵関係にあるものを利用をしたり、生殖細胞を破壊した雌雄を放つなどの手法は取られてきましたが、これはそれとはまた別物です。
 天敵同士の利用でも、「マングース」のように思いがけない事態になるというのに、こういう遺伝子レベルでの操作が引き起こすミクロな世界からの影響の蓄積など、何か問題があっても人間には容易に気づくことができず、先のマングースを根絶せよと主張する日本哺乳類学会の主張ではありませんが、それこそ「気付いたときにはもう手遅れ」で、「取り返しのつかないこと」なのです。

 少し思いついただけでも、例えば、こんな疑問がすぐにわき出ます。
●羽を失わされたことで身体バランスが変わり、歩行にさえも影響が出るという本末転倒にはならないのだろうか?
●単純に食糧を探して草木から草木への移動というわずかな飛行もできなくなり全て歩行だけでは、かえって効率的とは言えないのではないか?
●そもそも、いったいあの小さく常時飛ぶような昆虫ではないテントウムシは、羽があってもどれほどの生涯の移動距離なのだろうか?もともとそれほど移動する生きものでなければ無意味ではないのか?
●羽が無くなったことで、天敵、例えば野鳥やトカゲ、肉食昆虫などから逃げることができなくなり、数を減らしやすいのではないか?
●羽が無くなったことで、柔らかい身体を保護していた外側の羽も失い、日光から乾きやすいとか、ちょっとした草や他の昆虫からの接触ですぐにダメージを受けて短命にはならないのか?
●羽が無くなったことで、身体の保温は大丈夫なのだろうか?寒い冬を越せるのだろうか?
●それは、その処置をした個体の子孫にまで遺伝的に引き継がれるほどの影響があるのだろうか?もしそうであれば、他のテントウムシと交配したりはしないのだろうか?
●もし、子孫にその性質が受け継がれ、そしてそのもくろみどおり、移動距離が極端に短くなった場合は、ある特定の場所にのみ集中してこのテントウムシがあって、それが自然の中でバランスよく棲息しない偏った状態になるのではないか?そしてそうなった場合、このテントウムシを食べる天敵が、捕まえやすくなったこのテントウムシを食べるべくそこに多く飛来してしまい、それらが巻き起こす影響は無いのか?
●そのテントウムシを他の生きもの、野鳥などが食べても、問題がないのか?
…と、いくらも出て来ます。
 
 テントウムシが、他の種類と交雑するかはわかりませんが、例えばジャガイモなどナス科の農作物につく「ニジュウヤホシテントウ」などは人間にとっては農作物の害虫ですから、羽が無くなればそこに居座るというのがこの実験の目的というのならば、もし交雑して、そういう羽のないニジュウヤホシテントウが生まれたらどうするんでしょうね。ジャガイモ畑に居座られて、そのテントウムシ用とアブラムシ用の二重に薬剤を散布することになったりして。

 そういうもののほか、人間の気持ちとしてもどうかと。
 人間の感情で好き嫌いを言うのは問題かもしれませんが、この羽のないテントウムシの写真のテントウムシは、どちらかといえば醜悪な様相です。
 子供たちの結構多くはナナホシテントウムシのような鮮やかで小さいテントウムシのイメージが強く、テントウムシならなんでもカワイイ・何となく役に立つ昆虫だから殺してはだめ、と思う傾向があるものですが、このテントウムシを野原で見かけたらあまり良く思わないのでは?直接の害は人間には無いかもしれませんが、「見た目の嫌悪感」も害と言えるのではないですかね?
 そうしたら、やはり、羽が無いことで農業関係者以外の農家からの庇護は受けられないでしょうね。なんとなく、あの丸みを帯びたデザインで人間とある程度共存していたものが、それを失ったことで、対人間の生き残り戦略としてはどうなのでしょうか?

 こういう何か1つの学問で実績を上げるような方には、その学問においては優秀な、あるいはそれまでにない何かを生み出すことには長けていても、しかしその学問は何のためにあるのか?人のためではないのか?その他との関連や影響は無いのか?人はどう思うだろうか?ということでの視点が欠けていることもあるということがありますね。

 むろん、私が数秒で思いつくようなことですから、大学のセンセー様が気づかないわけがないので、そういう諸問題をきちんとクリアした上で、そういう遺伝子レベルでの実験や、成功したと発表しているんでしょうねえ。記事で伝えていないだけで。当然ですよね。

 まあ、私は気分や主義主張だけで言うのではなく、これはおそらく、実用化には至らずに終わる趣味・お遊び・無用な学問として終わるのではないか?と思います。
 くれぐれも、実験室という狭い世界から外には出さないでいただきたいものです。

【追記 09年7月23日】
 7月22日の中日新聞の記事によれば、この形質は遺伝されないということです。
テントウムシの羽作る遺伝子発見 名古屋大研究グループ
【前略】
 その上で、遺伝子のDNAの指令を伝えるリボ核酸(RNA)を分解して働かないようにするため、同じ配列をした人工のRNAを幼虫に注入すると羽のない成虫になった。

 このテントウムシは、アブラムシを食べるなど、羽がない以外は通常と同じだった。

 グループによると、2006年にノーベル賞を受賞した「RNA干渉法」と呼ばれるこの方法は遺伝子を直接、組み換えないため、生態系に影響は与えず、交尾しても通常のテントウムシが生まれるという。

 新美助教は「世界中で化学農薬による環境汚染が問題になっている。飛べないテントウムシのような新しい生物農薬ができれば、農業に寄与する可能性がある」と話している。
 遺伝的な問題が本当にクリアになったとしても、影響はそれだけではないのでは!?と思うのは既に書いたとおりです。それに、我々がそう間違いないと思っていたことでも後で思いがけないしっぺ返しが来るということは聴き飽きましたし。
 また、化学農薬による環境汚染はアブラムシによるものだけではなく、この羽の有無によるテントウムシの、単位面積当たりのアブラムシ駆除率なども記事ではわかりませんし、何とも効果もわからない記事ですね。

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環境保全協力金

 先日、北海道のトムラウシ山での事件に触れたときの記事で、未熟なガイドが甘ったれたことを言っているのに対し、
 一部の人間の「遊び」で、そんなものを作っていられるか。どうしても必要なら、使用料や入山料を徴収すべきだろう。
と書いたのですが、まあやはりというか、そういう考えは少しでも物事を考えて話す普通の人間であれば、誰でも気づくものですね。文字通りに「木を見て森を見ない」、資格とか技量があいまいな自称「ガイド」程度ではわからないかもしれません。
 7月18日付の山梨日日新聞の記事です。
2009年07月18日(土) 
富士山入山料 「環境保全協力金」で徴収
富士吉田市長が構想示す
 
 富士吉田市の堀内茂市長は17日、富士山の環境保全を目的に入山料の導入について「環境保全協力金」として実現を目指す意向を示した。今後、富士北ろく地域の町村や観光関係団体に協力を呼び掛け、富士山の世界文化遺産登録前の実現を目指すという。
 同日、富士山8合目に「日本一高い市長室」を開設して開いた記者会見で明らかにした。16、17両日に行った富士登山の経験を踏まえ「登下山道の安全確保、下山道へのトイレ新設の必要性を感じた」と説明。「こうした取り組みを進め、自然環境を守るには多くのお金がかかる。環境保全協力金という形で登山者から資金を徴収することも必要になる」と話した。
 堀内市長は、取り組みが進んでいる世界文化遺産登録が実現する前に同協力金の徴収を始め、環境保全策の具体化を目指す。富士北ろく地域の自治体や関係団体と協議を呼び掛け、議論を深めていきたい考え。
 富士山の入山料をめぐっては、堀内市長が昨年9月に必要性を指摘。横内正明知事や富士河口湖町の渡辺凱保町長も肯定的な考えを示している。
 また堀内市長は17日、8合目で富士吉田市救護所の開設を決裁する「公務」を行い、開所式に出席。「事故の未然防止や機敏な手当てに努めてほしい」とあいさつした。救護所は8月24日まで開設。延べ約80人の医師、看護師が登山者の救護などに当たる。
 まったく同感ですね。富士とともにある自治体の首長としては当然ではありますが、当たり前の常識と、その実行力を持っていることに安心します。

 しかし、それでも不安なんですよねえ。
 私がこれまでウンザリするほど会ってきた「山の中高年」には、何をしてもダメ、という半ば諦めがありまして、まっとうな方法じゃあ通用するかどうかと。
 考えるに、「こっちは金を払っているんだから」というような輩が出るだけのような気がするんですよ。実際、山小屋でも昔、そういう勘違い登山客がいて管理人さんに「ここはホテルじゃない。勘違いするんじゃない!」と注意されているのを見たことがあります。別に山に限らずとも、家電量販店だのスーパーマーケットなどでもそういう主旨で騒いでいるジジイをたまに見かけていますしね。
 そういえば、家電量販店には山と違い多くの年齢層がありますが、若い世代ではそういうトラブルを起こしているのを私は見かけたことがありません。

 私は客が店を選べるなら、店も客をある程度選んで良いと思っています。
 「お客様は、当店にふさわしくありませんので、お引き取りください」と、もっと言えば良い。それを「お客様は神様です」などというたわけたことを言うような時代に消費を満喫した世代だと、「金を払う客は偉い。」という勘違いをしているんではないかと思うんですよね。
 ふざけるな。
 欲しい商品を安く提供して、親切にいろいろと教えてくれてるお店や店員さんに少しは感謝するべきだ。
 金は非常に大事ですが、人間の気持ちや善意も同じくらい大切。金さえ出せば何でも許されるとでも思っているならば、金は持っていても人間として大事なものを持っていないしょうもない人間です。

 ビートたけしさんの「みんな自分がわからない」(新潮文庫)ではこう書かれています。少し長いですが、引用させていただきます。
■文句を付けるのが民主主義
 今の子供は、ほんとに偉そうにしてるよ。親から金をもらうのが当然のことのように思っている。親もまた、ねだられれば、子供にすぐ小遣いをやる。だから我慢ということを知らない。
 その上、みんなで意見を言いましょうなんてとんでもないよ。昔は「嫌なら止めろ」だったんだ。「まずきゃ食うな」とかさ。今は、理由を言わなきゃいけない。文句を付けろっていうんだ。文句を付けて、それを自分の都合のいいように変えてもらうことが民主主義だと教えている。どこでそんな教育が始まっちゃったんだろう。
 だから、あらうることで下品なやつばっかり増えたんだ。品の良さっていうのは、とりあえず腹に収めちゃうっていうことだろう。まずいなと思っても、ちゃんと食って、それでもほんとにまずいなら食わないってことだけだった。それが、いろんな難癖を付けるようになった。
 「そんな思いまでして何々できるか」っていう言葉もなくなった。買ったのが気に入らなくても、文句を言って返して、新しいものをもらうなんてことは絶対しなかった。「そんな思いまでして新しいものをもらいたくねえ、また違う所へ買いに行くよ」って、昔の人は言った。今の奴は、裕福になったわりにそういうことに対してはセコイんだよ。
 なまじ中流っていうほど下品なものはないね。金があると、下品なことをやりたがる。そのへんのあんちゃんが行っちゃいけないような高級レストランにでも平気で行く。それで何でも下品にしてしまう。金さえ出せば手が届くように見えるものには我慢できずにすぐ手を出してしまうんだ。 
 これもまた、同感ですね。

 先週話題になった「登山ツアー」ですが、事故が起きたツアーの場合はわかりませんが、おそらくは少なくないツアーで、「こっちは客だぞ」的な発言が飛び交っているのではないでしょうか。
 本来、山というのは遠い異世界であり、まず山の登山口に着くまでもが1つの旅で、その中に飛び込んでいくのは相当な覚悟が必要であり、強靭な精神力や体力、品格、知識・見識・人間性…を持った人だけがその資格があり、登頂することができたわけです。だから、先日も書いたように、昔は「登山をする人に悪い人はいない」などと言われていたのです。
 そういったものが皆無な人間にとっては、山というものは行ってはいけない世界・行く資格が無い場所であったわけで、近代になり、登山口までもが電車で数時間という手軽さになってしまい、そういう程度の人間でも装備や手助けで何とか山頂に着けることも多くなってしまいました。しかし、山頂に着いたところで、そこに着くまでの過程がまるで違うものであり、精神力や体力…などがそういう人たちと同じというわけでは決してないのです。むしろ、そこに着くまでの過程で一層品格を落としている人間の方が多いのでは?
 と、そういう世界に「連れて行ってもらう」のに、こっちは客だぞも何もあったものではない。まあ、最近では物事を教えてもらう教師にまで暴言を吐く親・子供がいる異常な時代なのですから、無理もない。

 それこそ、「嫌なら来るな」「バカ野郎、2泊3日で必ず帰らなくちゃならねえだと?山では何があるか分からねえんだ。登る資格は無い」などとガイドも毅然と言うべきであり、それが言えない時点でそういうガイドのレベルや山に対する姿勢など、たかが知れている。
 そういう「にわかガイド」は、山を登る知識や技術は多少あったとしても、その「過程」や「目的」などを知らないか、単なる金のために魂を売っているのか、いずれにしても山というものを貶めている存在でしかない。
 金儲けで中途半端な初心者を連れて行き、そこで何とか登頂は成功させるもんだから、身体能力や姿勢として本来その山に行く資格の無い連中に、「山なんてそんなものだ」というような増長・勘違いするようなことを体験させ、よそでも同じようなことを始めさせる、私は「教育」とは正反対の位置にある邪魔なだけの存在と思います。
 そんないてもいなくてもいい情けないガイドばかりだから、「客」の方も一層なめてかかるのでしょうね。悪循環。

 そういう、形ばかりの山登りを重ねてきて勘違いをしている登山者なんてものは、山なんて大したものではないとか、自分の能力でその山を征服したのだなどと勘違いをするようになることも。
 だから、ちょっと軽いアクシデント・負荷がかかるだけで、もうバタバタと事故を発生させてしまうことになる。
 本来、行ってはいけない連中が無理に行くのだから、当然である。
 いくら数だけはこなし、「経験」を積んだつもりになっていても、それは行った場所の数とそれに費やした金銭と時間というだけで、人間そのものの能力を上げた「経験」を積んだわけではないので、無意味でしかない。
 そういう現状を憂うこともなく、初心者を無理やり山にあげるのを商売にしている連中なんぞ、たかが知れている。

 そういった自分では登れないのにできると勘違いしているような連中の多くが物見遊山で行く最たるものが「富士山」ブランドなわけです。
 昔なら、決して山になんか行ってはならない人々。本来、何かをするにはマナーとかルールとか自己研さんとか、そういうものを経なければならないのに、いつの間にか「運動会は、手をつないでゴールにしましょう。でないと、遅い人がかわいそう」的発想で、行く資格の無い人間にお前は行く資格が無いと言うことが、トンデモない人で無しのように見られてしまう世の中になってしまった。私から言わせればそんなもん、足の速い子や一生懸命努力して速くなった子への差別以外の何ものでもないし、遅い子を遅いままにするダメな指導だ。

 だから、先の遭難でも、行くべきでない人間に、ハッキリそう言えばいいのに、そう言わなかった責任を無視して、「(そういう人でも大丈夫なように)山小屋整備を」というバカな話になる。
 そういう質の連中なんか、山小屋を作れば今度は「もっと快適に」「エアコンは無いのか」「ビールは」などと言い出すのではないか。少なくとも、決して少なくない数が、タダだと対象をなめ、わずかな金でも払えばお殿様のように増長し、高い金を払わせようものなら王様のようなふるまいをするんじゃないでしょうかね?

 日本は、国立公園は基本的に全面立ち入り禁止にすればいいんじゃないかな。そこで長らく狩猟などしてた人は除いて。
 それで、厳しい研修を重ねて、人間性や技量のテストをして、それで初めてその地域に立ち入ることができる免許を交付すると。他の地域ではその研修は必ずしも使えるものとは限らないので、他の地域の国立公園に入りたいならば自動車免許のように一部を免除するもののまた研修と試験。
 そうすることで、入山する数を減らし、またその質を高めることもでき、古に廃れた言葉「登山する人に、悪い人はいない」が復活するかも。

 人気漫画家の荒木飛呂彦さんは「ジョジョの奇妙な冒険」の中で、「自動車は便利なものだが、誰もかれもが乗るから、道が渋滞になる」と書いていましたがね。それを思い出します。

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 屋久島への入山制限の予定時期と同じくして、オーストラリアのエアーズロックの方では入山禁止とする方向性が示されました。どちらも入山者が年間10万人前後というのも同じくらいです。
 7月17日の読売新聞です。
世界遺産のエアーズロック入山禁止へ…豪当局
7月17日21時11分配信 読売新聞 

 オーストラリア観光の目玉として人気の巨大な岩山エアーズロックの登山が早ければ2011年10月にも、全面的に禁止される見通しとなった。

 豪国立公園当局の計画案で明らかになった。

 この地をウルルと呼び聖地と見なす先住民アボリジニが、入山に強く反対してきたのが最大の理由。最近では、登山客によるゴミ投棄や、滑落事故の増加も問題となっていた。

 公園当局は、観光業への影響を懸念してきたが、観光客を対象とした最近の調査で、98%が「登山が禁止されても訪れたい」と回答したため、禁止案策定に踏み切った。政府の最終決定を経て実施される。ただ、国内では反対意見も根強い。エアーズロックはユネスコの世界遺産で、高さ348メートルの一枚岩。年間35万人の観光客が訪れ、このうち10万人以上が入山している。公園当局はこれまで、「入山自粛」を求めるアボリジニの希望を掲示する一方、登山するか否かの判断は観光客に委ねていた。(シドニー 岡崎哲)
 オーストラリアにおける自然保護の姿勢や自然教育活動がどんなものかわかりません(まあ、シーシェパードのようなテロリスト組織に甘いようではたかが知れているでしょう)が、観光客にやんわりと「自粛」を呼び掛ける程度ではもう限界に来たというのは間違いないのでしょう。
 しかし、日本の、自然からの恩恵を享受する人の営み・権利・文化と、それへの悪影響を考えて「折り合い」をつけようと模索するのと比べると、自粛の呼び掛けから一気に全面禁止という結論は極端な印象も否めません。それだけ早急に禁止としなければ取り返しのつかない現状なのかもしれません。

 「エアーズロック」に行ったことはありませんが、写真などで見ると、「巨大な一枚岩」というだけといえばそれだけの、自然の営みやそこからの恵みなどもないもので、入山者の年間10万人がよほどひどいことをしなければ直接失うものは無さそうです。ですので、これは自然への直接的な大きな影響の有無というよりも、先の北海道・東大演習林閉鎖のように、わずかなことでも厳しく対処するというものもあり、また、記事にあるとおり先住民族・アボリジニの文化・信仰への配慮ということが大きいと思われます。

 欧米人がオーストラリア大陸に侵略したときにはアボリジニを多数虐殺・虐げた悪行を考えれば、その文化信仰に配慮する姿勢が出てきたのは驚く・歓迎すべき進歩でしょうかね。
 本来ならば、その土地を侵略して奪い取った反省を踏まえれば、今すぐ出ていくか、アボリジニに対して莫大な賃料でも払うべきだと思うのですがね。それほど古い歴史でもない、2百年ほど前の「最近」の話ですし。

 それはともかく、それもこれも記事中にあるとおり「入山禁止されて入山できなくとも、ほぼ全ての観光客は来る」という見込みが取れたからであるというのも間違いのない事実でしょう。
 もし、これが「入山禁止されたら来ない」とほとんどが回答していたら、アボリジニが強く願おうと、ゴミ問題・滑落事故があろうと、はたしてオーストラリア政府は「入山禁止」にまで一気に踏み切ったのでしょうかね?
 私は怪しいと思いますね。それらが本当に大事だというのならば、アンケートを取る必要性が無い。
 なんだか記事では、そういったものに配慮したっぽい印象を受けかねませんが、結局は観光産業への影響の有無が大きな決定要素になっているわけです。

 当然、そういうのも考慮しなければならないのは屋久島の記事を書いたときにも申しましたし、世界遺産などという後付けの勲章で迷惑を被る地元民の不利益も考慮しなければならないということも書きました。いったん始まってしまった制度や、それに乗っかった人の経済活動は、すぐに止められないわけですから。
 ですから、こういう「世界遺産」指定とか、自然・文化を観光に使うというのは慎重でなければならないということです。
 今、「おらが町にも世界遺産を。地域活性・観光化だべ」と安易に騒いでいるような全ての自治体や商工会関係者は、そういった視点にも十分配慮しなければなりません。

 そもそも、私は「世界遺産」というブランドが好きではありませんしね。
 勝手にブランドを作って、それでもって様々な利権が絡んだりします。メリットも大きいのは認めますが、根本の態度とか、そこから新たに引き起こされる諸問題が解決されていません。
 あまりそんな空虚なものに踊らされて、静かに守ってきたものを失わせるようなことだけは避けてもらいたいものです。
 そんなもんに踊らされることなく、日本は独自に自分の文化や自然を学び、それを大切に継承していく姿勢を身につけて行けばよろしい。そうしていけば、世界遺産なんかに登録されずとも、その姿勢そのものを愛する心ある世界の人々は、黙っていても訪れてくれますし、ブランド認定以上に文化や自然、それを普通に関わって営みを続けている国民を尊敬することでしょう。

世界遺産


 これに類似する新聞報道で、同じく世界遺産の「熊野古道」での話題を1つ。
 7月10日の毎日新聞の記事です。
<熊野古道>世界遺産反対の地権者、抗議文を消去
7月10日2時16分配信 毎日新聞

 04年に世界遺産に登録された熊野古道で、沿道の八鬼山(やきやま)地区(三重県尾鷲市)の立ち木や岩に書かれていた登録反対の抗議文を消す作業が9日、始まった。市が消去要請していたが、塗料で文字を書いた尾鷲市の地権者が森林組合長になったのを機に消去することにした。7月中にはすべてを消すという。

 この地権者は同市朝日町の「森林組合おわせ」組合長、土井恭平さん(61)。世界遺産に登録されれば所有林を伐採するのに届け出が必要になり「地元林業に不利益を与える」と主張。登録の話が持ち上がった01年から、古道沿い数百メートルにわたって所有する立ち木や岩約300カ所に赤や黄色の塗料で「ワルのユネスコ」「たかりの文化庁」などの抗議文を書いてきた。

 ところが6月25日、組合長に就任したため「個人的な問題として抗議文を書いてきたが立場が変わった。古道沿いの山林地権者全員のことを考え、行政とも協力しなければならない」と、消去を決断したという。

 作業は同組合の作業員が担当。立ち木の文字は、かまで皮ごとはがし、岩の文字は研磨機や特殊な化学薬品を使って消している。

 尾鷲市の田中稔昭教育長は「大変ありがたい。抗議を受けている問題については今後とも話し合いを続けていきたい」と話している。【七見憲一】
 世界遺産と聴くと、一般的にはなんだか「すごいいいもの」「名誉なもの」という印象があります。ところが登録された地域にお住まいの方が誰もが喜び、その恩恵を受けているかと言えば別問題ということを、忘れてはなりませんね。

 白神山地でも知床半島でも同じような話を聞きます。
 今まで自由に猟や漁をしていたのに、世界遺産に登録されたがために立ち入りに制限が課せられたり、そこが何たるか?なぜ世界遺産と呼ばれるほど貴重な存在なのかもよく知らずに押し寄せる、馬鹿な観光客にその場所と人とが台無しにされたり。
 だから世界遺産登録の動きは地元では賛否両論が出てくるようになってきたのです。
 世界遺産に登録を目指そうという地元自治体や地元住民の結構多くの動機が、「話題づくりになり、観光などで活性化する」という、商売っ気ということがあり、それでもって既存の権利が脅かされるのはたまらない、という対立になることがあるわけです。

 白神山地にしても、確かに登録されたことで様々な規制ができ、結果として保護されるということはあります。しかし、先に紹介したとおり、それで物見遊山に来る観光客が来たことで逆にその世界遺産を痛めることになる場合や、それまで何百年〜もの間、そんな規制が無くとも入山によってその土地が傷まないよう共存してきた地元の方々まで排除するようなやり方はどうかと思います。

 同じような話は文化財登録でも聞き、普通に引き継いできた家屋や樹木が「重要文化財」や「保存樹木」として国や自治体が登録してしまうと、それの修理改修や剪定などが所有者が勝手にできなくなってしまうのです。
 ろくに助成金も出さずに、自由の制限だけ加える。そういう文化的価値の高いものはもはや個人所有のものではないという考えもありますが、もうちょっとそういう制限を加えるなら、所有者らにも理解を得られやすいような対策も同時並行に進めなければ、こういうのは対立を深めるばかりです。

 今回の記事は、それなりの立場になったことで訴えを消すということになったようですが、それは他の件で「よく聴く」ように、単にこれまでそういう名誉職を求めていたのに得られなかった鬱憤から嫌がらせでしていたからかもしれません。わかりませんが。
 しかし、少なくとも、この所有者とじっくりと話し合ったり、協力を得るための保証などをしていたかどうか、行政側の対応というのもどうだったのか。今後、こういう問題にかかる上では、こういう「人間の経済活動・利益」や、「人間の感情」は欠かせない要素です。
 自然は大切です。しかし「世界遺産」は人間が決めるもの。そうならば、人間の営みや文化も考えた登録制度であるべきでしょう。

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