日々是雑感

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【施設管理・住宅設備・危機管理】

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幼いころから、「防犯」のような、危機管理のための方法を考えるのが好きという、変わった子供でした。
今、たまたま施設管理を仕事にしている期間中なのですが、それが随分役立っています。
ここでは、私の防犯や防災などについて、ご紹介します。

私がこれまで得た教訓は、「人間は、便利な(補助)道具によってかえってダメになる場合もある」ということです。人にも寄りますが…。これをすれば、便利だ、というのが、よく考えれば「余計なお世話」になるということが、あります。
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 私は、常々、人間の不完全さを実感しており、昨日書いた「マングース」の一連の話題にしても、自らまいたタネに右往左往大慌てなのを見るにつけ、馬鹿だなあ、と失望します。

 さて、私の尊敬する随筆家の1人、故 山本素石さんの「山本素石の本3 山釣り夜話」(筑摩書房)には、彼のこんな文章があります。少し長いですが、引用します。

 川の中を歩いていると、瀬尻の緩流に群遊していた小魚たちが、矢のように水中を走って逃げまくる場面をよく見かける。数十尾の群れが、いっせいにサッと逃げ散るのである。
 川底には大小さまざまの石が突き出ているし、流れはその隙間を縫って圧力と方向を変えている。逃げ散る魚群のうち、何尾かが失敗して、石のどれかにぶつかって怪我をしてもよさそうなものである。だが、そういう事故はまだ見たことがない。あれは一体どうなっているのだろうか。
 【略】ごく常識的にながめて、私は人間の事故とくらべてみたくなるのである。さしずめ人間だったら、ブロック塀か電柱にでも頭を叩きつけて重傷を負うところだが、魚たちはうまく逃げるものだ、と、いつも感に打たれる。鳥にしろ昆虫にしろ、実にうまいものである。
 人間は一番狡いくせに、一番たいせつないのちを守ることにさえなぜこうも鈍くさいのであろうか。いや、狡いからこそいけないのだ、と私は思っている。智者が智に敗れ、策士が策に溺れるように、狡さによって人間は知覚本能や予知感覚を鈍らせてしまたのえはないのか。
(「甚右衛門」より抜粋)

 はなはだ同感で、私の仕事は施設の安全管理・事故予防ですが、そのための装置を見ていると、よく考えられているのを実感します。

 例えば、異常信号が発生したときには、信号が監視室ではなく現場に行かなければ解除できないという仕組みのものがあります。これは、「誤報だろう」と監視室に座ったままで決めてかかって現場に行かないということがないように、あえてそうしている構造です。
 しかし、これをそういうものだと知らずに、「現場に行かないと解除できないのは不便だ。監視室で(あるいは、監視室と現場の両方で)解除できるようにしよう。合理的だ」などと小賢しい知恵で改造したりすると、いずれは「どうせ誤報だろう」と現場に確認に行かなくなる監視員が絶対に出て来ます。

 ですので、私は施設スタッフには、「頼れるのは、機械でも、他人でもなく、自分」ということをよく言います。
 人間、多少の不安や緊張があった方が緊急時や普段の動きが良くなるもので、機械が完璧だというようなことを話そうものなら、「自分が何もしなくとも機械が管理するから大丈夫だろう」という、自分の目で見たものよりも機械を信じるような、そういう本末転倒になることは間違いないのです。

 「便利になるのが、必ずしも良いとは限らず、却って不便になることもある」というのは私が常々肝に銘じていることです。業務の改善や効率化を図るのが好きですが、一見無駄に思えるものでも実は重要な意味を持っているということはしばしばありますので、「それが、そうである理由。それを、今までの担当者がそのままにしていた理由」というものをまず熟考することは、忘れないようにしています。

 ちょっと危ないところがあって、それは普通、誰もが「危ない」と認識しているから、自然に注意して誰もが注意しているところなのに、何かその危なさを軽減する道具を使うことで、その注意をしなくなる人が出てくるのが人間です。
 90の注意力があって、それに5の安全装置をつければ95の総合力になるところ、「5がついたから大丈夫」と注意力を80に落としてしまって総合で85なんてなったりするんですよね。これじゃあ中途半端な道具は無い方がマシという話。

 そういった意味では、おととい書いた「羽の無いテントウムシ」を作りだした研究者は、「これは便利でいいものだ」と思ったのかもしれませんが、必ずしも良いとは限らないという典型例でもありますね。

 ブログを再開したころにも書いたものに、「ホンダが、縦列駐車が苦手な人のサポート機能を自動車に持たせボタン1つで操作できる」という新聞記事を批判したことがありました。
 それは、そんな程度の車幅感覚・力量で、幼いお子さんも歩く街中を運転すべきではないという主旨です。
 それに正反対な技術は、今年初めにご紹介した記事のとおり、ハイブリッド車などで音が非常に静かな車に、あえて音を出す装置をつけるというものですね。

 しかし、こういう「安全装置」の話を聴くと、ウンザリします。
 7月24日の「レスポンス」の記事です。
カーナビと連動してカーブでの運転をサポート…日産 フーガ 新型に採用
7月24日16時10分配信 レスポンス
【前略】

 今回開発した技術は、カーナビからの情報をもとにカーブ進入時にドライバーのアクセル操作とブレーキ操作をサポートする「カーナビゲーション協調機能付インテリジェントペダル」と、カーブ走行中の車両挙動に応じてアクセルおよびブレーキ制御を行う「アクティブスタビリティアシスト」で、それぞれドライバーの快適な運転を支援する。

 カーナビゲーション協調機能付インテリジェントペダル(ディスタンスコントロールアシスト)は、2007年12月に現行のフーガに採用された車間距離維持支援システム「インテリジェントペダル(ディスタンスコントロールアシスト)」とカーナビを組み合わせることで、地図データより取得した前方のカーブ情報に応じてアクセルペダルに反力を発生させ、戻す操作を支援するというもの。ドライバーがアクセルを離すと、滑らかに減速制御を行う。カーナビとアクセルペダル、パワートレイン、ブレーキを統合制御したカーブ走行時の運転支援システムは、世界で初めて。
 
 また、アクティブスタビリティアシストは、ブレーキやステアリング、エンジンを統合制御することで車両の横滑りを防止する安全装置「ビークル・ダイナミクス・コントロール(VDC)」のシステムを応用し、車両の動きを滑らかに制御することで、ドライバーが安心して運転を楽しめることを目指した。具体的には、コーナリングスタビリティーアシスト機能、左右制動力配分機能、ブレーキ効き感向上機能を持ち、ドライバーの意思どおりの「効きが良い」と感じられるブレーキフィールを提供するとしている。
 急激な心臓発作などの特殊な場合を除けば、カーブの手前で減速する操作もできないような人間に、公道を運転させちゃいけないよ、と思うのは私だけでしょうか?
 こういうのを、私は「いらない努力」「無駄な研究」と思いますし、私の祖母や母は「便利の不便」と言います。

 もう1つ、日産は妙な装置を考えたようです。
 同じく7月24日のフジサンケイビジネスアイ
「衝突しない車」米で量販 日産、11年までにインフィニティ搭載
7月24日8時16分配信 フジサンケイ ビジネスアイ

 日産自動車が、車の前後左右など全方位からの衝突を回避できる安全技術を高級車ブランド「インフィニティ」に搭載し、米国市場で2011年までに発売することが23日、分かった。全方位での衝突回避技術は、高速走行が多い米国で、ニーズが高いと判断した。こうした安全機能を持つ量販車は世界初という。「ぶつからないクルマ」としてまず、米国市場での販売動向をみて、その後日本への投入も検討する。

 インフィニティに搭載する安全技術は、センサーが車両や障害物を検知すると車内にいるドライバーに表示と音で知らせる。同時に、自動的に各輪にかかるブレーキの強さを制御することで、減速しながら障害物との方向を変え、衝突を回避する仕組み。センサーは前部と後部、左右に設置されており、ほぼ全方位からの衝突を避けることが可能という。

 前部センサーは、先行車両に近づいたときに車間距離を保つ役割を担う。衝突リスクが高まると、アクセルペダルが上がり、速度低下をもたらし、ブレーキが自動的にかかる。後部センサーは駐車時、車両を後退させる際に機能する。センサーが障害物を検知するとブレーキがかかり、停車する。

 左右のセンサーは、車線を変更したり、高速運転中に追い越す際に機能する。車線変更しようとした時にセンサーが車両を検知すると、ブレーキがかかり警告する。ただし、左右のセンサーについては、年内に日本で発売予定の高級セダン「フーガ」に導入する計画だ。

 日産は、歩行者事故防止に向け、IT(情報技術)を駆使した安全技術の開発にも力を入れている。GPS(衛星利用測位システム)機能付き携帯電話を活用した歩行者注意喚起システムを、NTTドコモと共同で開発中だ。見通しの悪い交差点で、GPS携帯を持った歩行者が接近すると、自動車に向けて音声と画面で注意を促す。

【後略】
 そりゃあ、物理的に見れば、事故は減る要素はある。
 しかし、まず基本は、

車間距離を一定に保つのも
後退させるときの後方確認も
左右に車線変更する際のレーンの確認も
歩行者の安全確保も

 み〜んな、ドライバーが当然にすべき注意であることを忘れてはならない。
 「そんなの、言うまでもないほど当たり前だろ」と思われた読者の方も多いと思います。あくまでも、そんなふうに、これを1つのお守り代わりに使うというのであれば良いのですが、「これがあるから大丈夫」などと思う人間は間違いなく出るし、そもそもそういういらぬ装備を頼って買うような人間は、これがあっても無くても運転すべき能力を有しない人であろうと思うのですよね。

 先日のトムラウシ山などの大量遭難死事件なども、もし、自分ひとりで登山に行っていたら、自分しか頼るものがいないのでそもそも行かないか、よくよく準備をしてああもバカバカしい要素の積み重ねdあれほどの悲惨な事件にはならなかったと思う。
 思うに、参加者が役にも立たないガイドなんぞを過信して、自分らのすべき行動なども無意識下に手放したことが大きいのではないか。

 そう考えると、そういう装置は繰り返すが「お守り」で使える人であれば便利かもしれないが、そうでない能力の人間には、逆に危険な装置とさえ言える。
 私の車はエスティマで、様々な装備がついているのですが、見通しの悪いT字路などで便利なはずのカメラとか、後方確認用のカメラはほとんど使いません。しかし、同じような車に乗っている人をスーパーの駐車場などで見かけると、もうモニター画面しか見ずに車庫入れしようとしている人さえめずらしくも無く。危ないって。

 狩猟の話でも、昔の火縄銃や村田銃など、1発しか弾が入れられないときの猟銃のときは名人と言われた人が、複数の弾を入れることができるライフルを持つようになったとたん、外すようになったとも聞きます。

 果たして日産は、そういう観点で考えたことはあるのだろうか?
 エコカーで出遅れ気味だからといって、しょうもない機能で活路を見出すのは止めておいた方が良いのではないかと思いますね。

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 施設管理をしていく上で考えなければならないのは、「事故の防止」だけではなく、「事故が発生したときの対応」もセットで考えるべきです。
 例えば、放火防止でいえば「ひと気の無い場所に、燃えやすいものを置かないようにしよう」などだけではなく、「火災になったらわかりやすいように火災報知機をつけておき、消火器も置こう」という想定と訓練が必要なわけです。

 「自宅の中の危険」として何回か書いていますが、事故防止のためにいくつかの予防策は書きましたが、事故が起きたときの対応というのも書かなければ、やはり不足。

 住宅での事故が発生した場合に想定できるのは、独りでいたとき、あるいは独り暮らしの方での急病や事故があります。例えば、階段から落ちた、という場合ですね。動けなくなって、そのまま気づかれずに衰弱する…ということは、実際に起きているようです。

 電気ポットなどで有名な「象印マホービン(株)」さんが「みまもりホットライン I−POT」というサービスを展開されていて、TVのCMを見たことがありました。電気ポットを使用すると遠隔地に住む家族にその使用状況がお知らせされるというものです。ですので病気などでポットが使えない状況だと、「あれ?今日は使っていない。おかしい。安否確認をしようか」と、気づくチャンスになるというもの。

 これは象印さんらしい着眼点と活かし方ですばらしいのですが、実際の事故発生を考えてみると、急病やケガで動けなくなったという場合、遠隔地の家族が関心を持ってその通知を確認していたとしても、異常に気づくまではタイムラグは結構あるだろうな、ということが同時に気づきます。
 実際、象印さんのHPをよく拝見すると、「緊急を通報するのではなく、日常を見守ることが目的です」と書いてありました。そうでしょうね。

 そこで、そんな家庭内での事故発生になってしまった時に必要になるものはどんなものがあるだろうか?と考えたときには、いくつか思いつくのは、「外部への異常発生自動連絡」と「装置のある部屋以外からでも遠隔操作できること」が必須ということは考えました。リモコン付き電話機って無いかな。

 と、インターネットを検索しまくったところ、あぁ、ちゃんとあるんですね。すばらしい。
 ゆうゆうすまいるという非常通報用電話機です。

 詳しい機能は上記リンク先をご覧いただきたい(少し検索した限りでは、このリンク先のお店が最も安価で良心的そうです)のですが、小さなリモコンがあって、ワンタッチで登録先への通報や会話ができ、オプションでガス漏れ警報器なども設置して外部への連絡も可能ということです。
 身体障害者や高齢者の方向けに作られたようで、「簡単な操作」で通報可能というのが最も良い点です。
 昨今は家庭向けのホームセキュリティを取り扱う警備会社さんもあり、きめ細かなサービスやコミュニケーションというメリットはありますが、ランニングコストはかからない分、こちらは金銭的負担が小さいというメリットはあるかもしれません。

 むろん、突然の重病発作などの場合はこれを押す余裕も無いわけで、万全ではありません。
 心肺停止・意識不明なんてなった場合は、5分以内には蘇生術を施さなければ、確実に亡くなります。しかし、それは例え家族がそばにいてすぐに救急車を要請できたとしても到着までは5分以上はかかるわけで、連絡手段が完備されていたとしても、そういうことには対応できないということです。
 これ1台で全ての危機を回避できるものではありませんが、いくつもある危機のうちいくつかは被害を軽減できる安全弁にはなるかもしれません。
 ご近所づきあいをするとか、遠隔の家族とも連絡を取り合うとか、自らも応急処置を身につけたり周囲に関心を持つなど、なんでもそうですが、いくつかの予防手段と併用して、全体の安全確保をより高めるための1つの手段として用いるべきでしょう。

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宮城県沖地震

 今日・6月12日は、昭和53年(1978年)に宮城県沖地震が起きた日で、宮城県では防災の日になっています。実際、宮城県内の自治体や町内会、学校の多くでは今日、一斉に避難訓練を実施しましたし、私の職場でも今日防災訓練をしました。

 宮城県沖地震はいまから31年前の、当時の仙台市周辺に住んでいた人ならば誰しも忘れえぬ大事件でしたので、「宮城県沖地震を知っている(体験している)か否か。体験しているなら何歳のときか!?」が、私くらいの世代以上の人は、年齢差をしるバロメータにしていたりします。

 例 ― 仙台出身という新入社員Bを迎えた職場

Aさん「Bさんは、おいくつなんですか?」
Bさん「32歳です。」
Cさん「じゃあ、宮城県沖地震って覚えてます!?」
Bさん「あ、話には聞いていますけれど、1歳だったんで覚えていないです…」
Cさん「えー!?うそー!俺、もう就職してたぞ。ショックだわー」
Aさん「ワタシは小学1年生」
Cさん「はいはい、サバ呼ばなくていいから」

・・・ってな具合。

 それはともかく、私も幼かったのですが強烈なインパクトは残っており、古かった家屋でも大した被害は無かったものの、たくさんの記憶の断片があります。
 タンスの上から花瓶が落ちてきて頭に当たったこと。
 一緒に自宅にいた兄がテーブルの下に入るよう、私をテーブルに押しこんだこと。
 何かで近所に出かけていた母が急いで帰ってきて私たちの無事を確認しつつ空いたヤカンや洗い桶に水を出してためたこと。
 やがて水道から茶色い泥水が出たこと。
 そして母がすぐに近所のスーパーマーケットに行って、缶詰やパンをたくさん買って帰ってきたこと。
 電車も電話も止まり、父が歩いて会社から帰ってきたこと…。

 家屋やブロック塀の倒壊により多くの方が亡くなり、ブロック塀の下から亡くなった方が発見されたというニュースも連日聞きましたので、幼かった私はブロック塀のそばを通るのが怖くなった覚えがあります。
 実際、この地震での建物被害が甚大だったことから、建築基準法が大きく改正され、耐震構造に関する基準がこの改正で強化されました。ですので、このときの改正以前の建物か否かが、ある程度地震に強いか否かの目安にさえなるほどです。

 ウィキペディアの「宮城県沖地震」の項目でわかるとおり、過去200年あまりの中で、宮城県沖地震は繰り返し起きており、前の宮城県沖地震から短くて26年間、長くとも42年間の間隔で発生しています。
 これらの事実や最新の地震研究の成果から、政府の地震調査研究推進本部は現在、2009年(平成21年)1月1日から10年以内に宮城県沖地震が発生する確率は、70%程度、20年以内には90%程度以上、30年以内には99%と、

そんなもん、地震の研究をしていない人でも表を見れば誰でもわかるわっ!

という予想結果を公表しています。

 子供のころに体験した地震は、揺れがただ怖いだけといえばそれだけの地震でしたが、成長し、両親が高齢になり、姪っ子や甥っ子がいるようになった今では、それらに被害が出ないかどうか、また震災後に不自由が少しでも出ないかどうか、そういったことが怖くなります。
 日ごろから、地震や火災が起きたときのことを家族で話し合い、イメージトレーニングをして、今、地震が起きたらどう行動するかをお互い確認しあうのが重要であると、今さら思いました。
 久々に今日、仙台市営地下鉄に乗ったのですが、アレ?以前はこんな貼り紙は無かったような?というものが、エスカレーター登り口に貼ってありました。

イメージ 1

 拡大すると、こちら。

イメージ 2

 エスカレーターを登らないよう、注意を呼び掛けています。
 それにしても、せめてラミネート加工をするとか、耐水性フィルムに印刷するとか、もうちょっときれいにできなかったものですかね。

 仙台に限らず、また地下鉄に限らず、エスカレーターの左右どちらかだけに乗って、どちらかを歩いて登る人のために空けておくというのが、いつのまにか全国的なルールというか、マナーのような、そんなものになってしまいました。

 私はこれは実は以前からおかしいと思っておりました。

 一番の問題は、動くエスカレーターで乗っている人間が動くこと。
 これは設備的にも、静止して乗っていることを前提に重量計算などをしているであろうエスカレーターで、階段のように昇降するときの振動などを耐えられるのか?という心配が1つ。また、左右どちらかだけに偏って乗るというのが、階段ステップの重量バランスが不均衡になってしまわないか?という素朴な疑問。
 昨年8月に、東京ビッグサイトで、多人数が乗ったために発生したと思われる事故があったのですが、そういうことも起こりうるのです。

 もう1つは、そういう左右のレーン分けのようなことを前提としている設計ではないであろう以上、幅も標準的な体型の人が2人〜並べて乗っていることができる幅だと思うのです。昇降するときは多少なりとも動くわけで、ただ乗っている人に接触することもあるでしょう。そうなると、転落などの事故も起こりうるわけですね。
 混雑するエスカレーターで、急停止や乗っている人の意識不明、急いで昇降しようとして、などが原因での、将棋倒し(適当では無い表現かもしれませんが、一般用語ともいえるので)になるということはたまに聞きます。

 細かいことを言えば、左右どちらかを開けるというローカルルールが広まると、その片側の手が不自由な人が、ベルトにつかまりにくいという弊害もあるでしょう。

 だいたい、輸送効率が悪い。
 エスカレーターを歩いて登るくらい急いでいるならば、他にある階段を駆け上がればいいだけの話。特に仙台市の地下鉄の場合は、エスカレーターと階段は併設されているわけだからなおのこと。
 エスカレーターを歩いて登ったところで、その長さにもよるだろうが、せいぜい1分以内の時間短縮。それほど急いでいるのならば、最初から1分早く行動していればいいだけの話。

 見知らぬ人と隣同士になるのは気恥ずかしいから、という理由もあるのかもしれませんが、やはり左右に並んで、静かに乗る。急いでいるなら、階段でも注意して早歩きで登れば良い。
 これが当然だと思うのですがね。

 と、ブログを書くために社団法人エレベーター協会のHPを見ると、やはりエスカレーターを歩いて昇降するのは避けるべきことと記載されています。

 エスカレーターで、左右どちらかを空けておかないと、「マナー違反」のように思われるような風潮がまだまだありますが、実は、エスカレーターで歩く人がマナー違反という意識を持つべきですね。

注意力

 「やっぱ、公務員はそんなもんか。」と思われるような話ですが、いや、職種ではなく、個人の資質だとは思いますけれどね。まあ、公務員体質っぽいですが。

 私は施設管理を担当していますが、設備維持や危機管理などのほか、昨年の秋からは電力や水道料の軽減も新たに担当することになりました。環境負荷低減と予算節約での当然なことですね。

 そこで、まず過去数年の、光熱水費それぞれの毎月の使用量・使用料と、施設利用者数などを突き合わせて、何がどういうときに増加する傾向があるのか?その増加する要因を緩和させて増加を抑えられないか?と考えるのは、まあ当たり前のことです。

 今までそれを担当してきた同僚が、そういう月ごと・種類ごとの統計があるというので見せてもらったら、水道料で一目でおかしいことが気づきました。
 ある年のある月から、施設に入っている食堂が使っている分の水道料金だけが使用量・使用料半分になっているのです。テナントなので、小メーターを読み取って、こちらから料金を算定して請求しているのですが。

 同僚に、「これ、この月から突然半分になっているけれど、なぜ?」と聞いたら、「…さぁ?でも、増えたわけではないから、いいんじゃないですか?」と、なんでそんなこと聞くのかという表情。
 そりゃ、おかしいでしょ。こちらからの計算ミスで安く請求してしまっているかもしれないし、そうでなくとも、節約するヒントがあるかもしれない。なんで半分になっている理由を調べないわけ!?
 「実際に使っている量そのものが減っているし、計算式も間違っていないし、おかしくない。もしある月のメーターを読み間違えたとしても、翌月気づくはず。」といいます。

 いや、だから、「使った量がなぜ減ったのか?」ということを疑問に思わないのか?というその認識を不足を聞いているんだけれどね。
 何しろ、それまで月20万円くらいの水道料金が、ある月を境にずっと10万円を切り続けているのですから。
 この同僚の場合、「水道使用料が減ったのは、水道使用量が減ったからだ。だから、おかしくない」と、現象に対する原因という1ステップまでは考え方まではできても、じゃあなぜ、その水道使用量が減ったのか?という「原因の原因」までは、どうも考えが及ばないようです。

 何かを疑問に思う人間と、その何が疑問なのか理解できない人と話をしていても仕方がないので、実際にその水道を使っている食堂の経営者に話しを聞きに行きました。
 そうしたら、「いつだったからか、そば・うどんをメニューから外したので、そうなったのではないかなあ」ということ。そば・うどんをメニューに入れていると、大量に水を使うらしいのですね。洗ったりするので。それがいつから止めたのかを調べてもらったら、ちょうど水道使用量・使用料が減った月とピッタリ一致。

 なるほど、そういう原因だったのか。納得です。

 同僚にそれを話すと、「へぇ、そうだったんですか。」という反応だけ。
 まあ、確かに、施設全体の水道使用量を軽減させるヒントにはなりえない理由だけれど、そういう「なぜだろう?」という疑問を感じず、それでその疑問を解消すべく調べようという感覚が無い同僚に、驚きます。

 以前にも、別の同僚に「これをこう処理計算しているのは、なぜ?」という業務手法を質問したところ、「前担当者のときからそうやっていたので、そうしています」と答えられたときがありました。その回答では、その仕事をそういう処理をした理由になっていないということにさえ気づかれませんでした。
 そりゃ、長年の代々の担当者がそれで良いと判断してその手法は研ぎ澄まされ続けてきた手法でやっていることかもしれないが、自分のやっていることをなぜそうするのだろう?と考えもせずにただ機械的に処理して仕事していて楽しいのかな?考え方が養われるのかな?と思いましたね。

 ただ、役所では私のようなことをいちいち疑問に思ってそれに基づき行動するのは、「別にどうでもいい(かもしれない)ことにいちいち時間と労力を割いて、効率よく仕事をしていない」という低いどころかマイナス評価をされがちです。
 それは、私がそういう地味な手法を積み重ねた結果、光熱水費の節減担当になった翌月から電気代・水道料金・ガス料金のいずれもが毎月平均1割以上・料金にすれば月数十万円ほど節約できたという実績を残した事実があっても、同じです。
 おそらくは誰もが「料金が減ったのは、使った量が減ったから」という解釈で終わり、では、なぜ使った量が減ったのか?までは、誰も考えない体質なのですから。
 また、「下げるようにするのは当たり前。下げても自慢にならない。むしろ、今まで何していたのだ?」と、下げたことを逆に責められるという事態になることさえあるのです。それならば、労力をかけて、しかもマイナス評価されて不愉快になりかねないことなどしないようにしよう、と考える無気力な人間が出てきても、仕方がないとはいいませんが、そうなる土壌があるのは問題ですね。

 でもまあ、私は職場での評価なんかよりも、実際にそういう業務目的を自分の能力だけで、それまで何十年も何人もの担当者が気付かなかった・できなかったことを達成できたということを自分は知っていますし、それで税金を無駄に使わずに済んだという誇りがあるので、それで満足です。強がりではなく。

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