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この、ちょっと古ぼけて汚いぬいぐるみ。 私は今でこそ、こうも強い口調でおかしいことをおかしい、と言うような男ですが、幼稚園くらいのときには、それはそれはナヨナヨと頼りの無いおとなしい男の子でした。 このぬいぐるみは、私が幼稚園かその前くらいだったか、それさえ定かではないのですが、夕食の買い物に行った母が、近所のスーパー「佐光フードセンター」で何かのオマケかなんかでもらってきたような覚えがあります。確か、そのときはTVの再放送で「ウルトラマン」を見ていて、怪獣はテレスドンだったような気が。 それはさておき、当時の私はこれがなぜかお気に入りになって、大事にだっこした覚えがあります。 片側の耳は取れ、左目も一度剥がれたので縫った痕がまつげのようになっています。 お腹に熊の顔のアップリケがあるのは、確か母親が縫い付けたような記憶があります。理由は不明で、「かわいいから」とかなんとか言われたように思いますが、子供心に漠然と納得行かなかったので、たぶん、私が大のお気に入りのぬいぐるみを間違って汚すかなんかして、それを隠すためではないかと思うのですが、真相は不明です。アップリケを剥がしてみればわかりますが、そうするつもりもありません。 先日、押入れを掃除していたら、30年くらいぶりでしょうか、再発見。 懐かしい思い出がいろいろと思い出されました。 そんなとき、タイムリーなことに、地元紙「河北新報」の夕刊に、仙台市青葉区八幡にある「みさとソーイング」さんが紹介されました。 壊れたぬいぐるみ、汚れたぬいぐるみをリフレッシュしてくれるお店のようです。 意外にも、私のような成人男性からの依頼が多いとか。 ううむ、私は、放ったらかししていたとはいえ、汚れたり壊れたりしているのも思い出と言えばもう思い出なので、治したり汚れを落としては、何だか違うもの=「思い出の品・一緒に時間を過ごしてきたもの」から、「実用品」になってしまうような気が。 芸能人の着た衣装を手に入れたファンが、クリーニングしないようなものに近いような気がします。なんだか、クリーニングをすることで、思い出も流れ落ちてしまいそうな怖さが。 ですが、それはそれ、例えば今、お子さんが大事に使っているものが、壊れたり汚れたりして、お子さんが悲しみにくれているならば、治したり、汚れを取ってあげたくなりますね。 もっとも、私はその悲しいことや、汚れがあれば汚れが思い出になったりもしているので、治したり洗ったりするのはいいのか、悪いのか、私には何ともちょっとわかりません。 個々人での考え方・感じ方なのだと言われればそれまでで、それが正解なのでしょうけれど、皆さまはいかがお考えでしょうか? ところで…今さらですが、この写真のぬいぐるみ。
もともと、何をモチーフにしたぬいぐるみ?私は確か、「クマちゃん」と呼んでいたような覚えがありますが…。 |
【思い出のもの】
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この書庫では、私の「思い出」に残る場所や品物、人物などを、懐かしく思い出したいと思います。
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私の父はUFOが好きでしたが、私は小学校低学年くらいのときから既に「ネッシー」やら「ヒマラヤの雪男」が大好きでした。今思えば、当時から自然科学系が好きだったんですね(笑)。 1981年7月発行なので、私が8歳のころ。650円と書かれていますが、8歳当時の私は月300円くらいのおこずかいだったかと思うので、かなり高価です。 確か、母らとデパートに買い物に出かけた際に書店で見つけ、ねだって、「そんなの、本当にいるの?」などと言われつつもどうにか買ってもらって大喜びしたというような記憶があります。 そのあと、早く帰って読みたくて、ウズウズ。しかし、高価な本を買ってもらった恩義があるので買い物を楽しんでいる母に「早く帰ろう」といういつものワガママは言えずにしていたような記憶も。 |
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内容はもうほとんど覚えていないのですが、強烈に覚えているのは、番組の最後に「おもちゃへいこう!」と言って、出演した子供たちが一斉にわらわらと、番組セットの大木「おもちゃの木」のウロの中に積み上げられているおもちゃに、早い者勝ちで好きなおもちゃをよりどりみどりで取りに行くシーン。 私の子供のころは、たぶんどこの家庭でもそうだったと思うのですが、今の子供たちのようにおもちゃをしょっちゅう買ってもらえるようなことは無く、毎日同じおもちゃで遊んでいましたので、その様子が、おもちゃそのものも欲しかったですし、なんだか「福袋」のような「お菓子の家」のような、そんな豪勢な様子にうらやましくもあり、またワクワクしたものです。 自分が参加しておもちゃをもらっているような感じがして、なんだかそう書くと貧乏くさい子供と思われそうですが、とにかく一番好きなシーンでした。 しかし、当時引っ込み思案だった私は、幼いながらも「自分があそこにいても、周りに遠慮してこれが欲しいと言えず、残りものを待つんだろうな。」などと思ってもいました。だから出演しても、つまらないだろうな、って(笑)。 私がいつか、子供ができたとしたら、おもちゃそのものよりも、おもちゃとのいろいろな思い出を作ってあげるようにしたいものです。 YouTubeで、ちらっとこの番組の様子が見られます(いいのかなあ?)。20〜30秒ほどのところでおねえさんの背景にドンと写っているのが、私が幼少時、おねえさんよりもよほどあこがれた「おもちゃの木」です。
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皆様は、「新幹線ゲーム」というものをご存じでしょうか? 昭和50年代半ばごろまでは、どの町にもかろうじて残っていた「駄菓子やさん」の店先などに置いてあったゲーム機です。 ゲーム機と言っても現在のような電子機器ではなく、10円を機械上部から投入して、それをパチンコハンドルのようなものではじいて、ゲーム機下側まで上手に落としていく極めてアナログ的なもの。 写真は持っていないのですが、「駄菓子やゲーム博物館」で詳しく紹介されています。 今、30代半ばの私が小学校低学年のころは、せいぜい1日に10〜20円ももらえるかどうかで、日曜日に100円という大金をもらったり、ふらりと遊びに来た祖父が「巾着」から兄と私に100円をくれるというサプライズが無い限りは、その10円1枚でも非常な大金でした。 なので、遠足前日に「おやつを500円以内まで買って良い」と言われて母に500円〜1000円ほど渡されたときは、現金輸送車の警備員さんのような心境で大事に持ってスーパーまで買いに行ったものです。 小学校から帰って、催促してようやくもらえた(勝ち取った?)10円〜20円の使い道は、以前も書いたとおり近所にあった「佐光フードセンター」の店頭のピカデリーサーカスや怪獣消しゴムが買えるガチャガチャですが、たまに遠出して駄菓子やに行ったときに夢中になったのが、この新幹線ゲームでした。 うまく最後の「当たり」に10円を落とすと、プラスチックの透明な板に「あたり」とか「50円買い物券」と書かれていたと思うのですが、そんなものがガチャン!と出てきて、その駄菓子やさんでその50円分、買い物ができるというものでした。 それが、フラッシュで遊ばせてくれるホームページを見つけました。 まぶろのFLASHまんが道 すこぶるもう結構?!です。作者の方の書かれたまんが「flash gamblerの春」も、私も非常に共感できる(笑)内容で、作者の方が、人情の機微を知る情緒豊かな方であることがわかります。 「新幹線ゲーム」に限らず、当時の駄菓子やさんでは、子供好きなおじさん・おばさんが、私たちを見守るように、世間話や学校での出来事を聞いてくれたりしました。 まあ、小学校中学年〜になるとナマイキな子供も多くなるので、それですっかり嫌になって無愛想な店主や、子供でも金儲け対象と見ているような店主もいたことは事実ですけれど。 地域では、どこの子供でも親同士で見守ったり、子供会では行事が盛んだったり、と、地域の結びつきが今よりも濃密だったと思います。 地域での子供が巻き込まれる犯罪を聞くと、悲しいのはもちろん、自分の子供のころがいかに楽しく恵まれたものだったのか、と思います。
私たち全員で、地域の子供たちを守っていかないとなりません。 |
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先日郊外の大型スーパーに立ち寄った際に、そこのテナントで入っていた飲食店のディスプレイで見かけたのが、このお子様ランチ(のロウ細工)。 これを見て、「あぁ、そう言えば、昔はこれが世界一のごちそうのように思ってたっけなあ」と懐かしく思いました。 私の子供のころは土曜日も、学校や幼稚園もお昼頃まで授業がありましたし、会社なんかもお昼頃まで勤務しているところが多かったのです。 それで私ら兄弟が学校やら幼稚園から帰って、父が仕事を終えるのに合わせて母と電車で仙台駅前に出て待ち合わせて、今はフォーラスとなっている「旧ジャスコ仙台店」の最上階のレストランで食事をして帰るということをたま〜にしていたのですが、それはそれは、我が家の大きなイベントだったものでした。 幼稚園児の私は電車に乗るということ自体、ほとんどありませんでしたし、我が家の最寄り駅からたった1駅の距離とは言え仙台駅前という一大繁華街に出ていくということもほとんどありませんでした。 今でこそ大人も子供も仙台駅前に出かけることなんかは近所のコンビニに行くのと大差ないような感じですが、当時は…少なくとも我が家の当時は、「街に出るんだから」と、最高のおめかしをさせられて、「きちんとしてないと、連れてか無いよ」などと母に脅かされつつ、一方で「お利口にしていたら、お子様ランチをごちそうしてあげるから」とご褒美をぶら下げられて、
という緊張感をもって電車に乗りおとなしくしていたものでした。 そしてようやく食べたのがこんな「お子様ランチ」でした。 中身はともかく、この写真の自動車の形をした容器は当時と同じようなデザインで、一気にそんな思い出がよみがえりました。 チキンライスがついていて、旗が立っていて、プリンがついていて、おもちゃまで。 プリンもおもちゃも貴重だった私には、それが一気に出てくるというのは盆と正月が一気に来たようなもので、子供心に興奮のごちそうでした。 両親の作ってくれるご飯とは別の意味で、世界一すばらしい料理だと思って食べて、帰ってからも数日は興奮が冷めず、「お子様ランチ」の話題を家族にしていたものでした。 たしか、
と誓ったような気がしますが、まあ大人がお子様ランチを食べるかどうかは別として(笑)、いつの間にかお子様ランチがどうでもよくなってしまった自分が、少し悲しいです。 もっとも、お子様ランチ自体もすばらしかったのですが、でも実は、家族みんなでおいしくごちそうを食べて楽しんでいるということが、私はもっと大好きな瞬間の連続で、その象徴がこのお子様ランチにこもっているから思い出としても残っているような気がします。「おとうさん」に、今日学校であったことを兄と競い合うように報告し合ったような気がします。 お子様ランチのことは忘れても、家族みんなでおいしいものを食べられることの喜びや、おいしいものを家族で食べたいと思うような気持ちは忘れたくはないですね。 私の姪っ子・甥っ子は、私の両親がとても可愛がることもあって、お金や物には不自由していません。 彼女らは子供なりに心から喜んで感謝していますが、受け取るもののレベルが小さいうちから高すぎて、将来、こんな素朴な喜びや思い出が無いとさびしいな、と思い、叔父である私は1つのものを大切に・思い出に残るようにしてあげたいと思います。 しかし…写真のお子様ランチは、冷凍食品を適当に並べて体裁を整えただけなものじゃわいなどと思ったりする私は、なんとつまらない大人なのだろう(笑)。 大人から見ればどんなにくだらないものでも、子供から見ればすばらしい輝きをはなっている場合もあります。
かつて自分が感じたであろう気持ちを忘れて子供に「そんなの、つまらないよ」と、大人の意見を押し付け過ぎるのはそれこそつまらないですね。 また、お子様ランチだけではなく全ての子供向け商品に携わる大人は、形ばかり取り繕ったもので子供は十分だろう、などという気持ちでもって適当に作って、子供の一生の思い出となる夢を壊さないようにして欲しいですね。 |






