日々是雑感

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【自然の不思議話の本 紹介】

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動物観察をするために、動物をよく知る猟師の狩猟経験談を読んでいるうちに、「山の禁忌」や「山のしきたり」、そして「山の言い伝え」「山の伝説」といった、山の不思議な話も読む機会がありました。

盲目的に信じることはしませんが、しかし山に入っていると、どこか学ぶべきことや、理屈では無い説得力を感じたりするお話しも多くありました。

そんなお話しを紹介している本を、ご紹介します。
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 2004年に発行されたときはそれほど話題にならなかったのですが、昨年、フジテレビ系列の「奇跡体験!アンビリバボー」で無責任に取り上げられたためか、一躍話題になったのが、この本です。

 元が1,050円にも関わらず、amazon.co.jpではなんと、

29,800円

で取引される高額図書になっています。

 自費出版に近い?形で出されて、その出版社である「碧天舎」が既に無いため、元々発行部数が少なく今から入手するのが困難なためでしょう。

 内容は、「著者の祖父が太平洋戦争中に捕らえられた謎のヘビを観察し、記録におさめたものを、著者が再構成して出版したもの」というスタンスです。

 一時話題になり、TV番組にも取り上げられたのは、この著者は「ノンフィクション」とも「フィクション」とも明確にしておらず、内容を本物の記録というスタンスにしているので、素直に読めば「事実=ノンフィクション」と思ってしまいそうになるから。
 そして、ご丁寧にもその謎のヘビ・ツチノコとそれが死んで以降に作った骨格標本という写真まで掲載しているというところからでしょう。

 そういう、立場をあいまいにして、内容をいかにも本当のように書く書籍で有名なのは、五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズですが、まあ内容が本当としていようとも、おかしな内容は信じる必要はそもそもないわけです。

 この書籍も、私はいずれ書くことになりますがツチノコに興味があり、それで安価だったから購入しただけで、信じているわけではありません。
 むしろ、生物学的にも、生物学に携わる人としての観察力や記録の取り方も、再構成をしたという設定(事実?)を差し引いても、あまりにもおかしな点が多いのです。私のような生物学を直接専攻したわけでもない素人でも、そのずさんさがわかります。

 従って、これは言うまでもなく著者の創作であるとわかります。

 しかし、私は著者を支持します。
 別にそういうスタンスのテレビ番組や映画は多いわけで、何しろこれを紹介したテレビ番組などだって検証もせずにオカルトを垂れ流しにしているのですから。
 何よりも、著者が一番この本を通じて言いたかったことが、巻末の後書きでわかります。

 著者は後書きの中で、こういう不思議な生き物の話にロマンを多くの人が感じるのは、それらの生物は豊かな自然とともにあるもので、そう考える余地が無くなったならばあまりにもさびしい、ということを訴えています。
 おそらく著者は、この創作を通じて、読者が今の日本を思い出したとき、「まだいるかもしれない」と感じることができる残された自然をこれからも大切にして行って欲しいという願いを込めているのではないかと思うのです。
 逆に、「今はこれだけ開発されたのだから、いるはずがない。昔はどうかわからないけれど」と思う気持ちを読者が持ったのであれば、「昔はそう考える余地があった日本の自然を、また戻した方が面白い」という気持ちになってほしかったのではないか?と思うのです。
 そういう思いは、私は全面的に賛成です。

 天狗やカッパがいるとどこかで信じて、タヌキやキツネに化かされた話しは、都会の中にはありません。
 都会の中の不可思議な話を聞けば、昔の「妖怪」と違い、「都市伝説」とされ、人間心理に嫌悪感をもよおすような恐怖話しばかりで、ユーモアも平和さもありません。

 ツチノコはいないかな。
 私はまだ、どこかにいるかもしれないな、と思っています。そういう余地の残る日本が、好きです。

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 今日、ご紹介する本は、「ニホンオオカミは生きている」(二見書房:西田智 著)です。

 私は別にニホンオオカミファンではないのですが、一部には熱狂的…もはや狂信的と言えるまでのファンもいるようです。
 この著者は非常に精力的に日本全国に残る資料を見てまわり、他の研究者と連絡を取り合い、フィールドに繰り出すという活動をしていることが見て取れ、その辺りの情熱と行動力は高い評価に値します。

 内容は、かつてオオカミらしき遠吠えを聞いた著者が精力的にニホンオオカミの標本を見て歩き研究し、やがて九州の山中においてニホンオオカミらしきイヌ科の動物の撮影をして学会において発表するという経過を記載した内容です。
 結論は出ていません。

 このように「いる・いない」の議論は、UFOや幽霊の話にも通じます。
 「いる(いない)証拠を出せ」という議論や、「目撃(写真)がこんなにもあるのだから、何かはいるのかもしれない(まるっきりデタラメではないだろう)」という感想です。
 私は、「いる」または「いない」という主張をするからには客観的な証拠、少なくても説得力ある根拠(論拠)をあげることが最低限の姿勢だと思います。
 頭ごなしに「幽霊はいるに決まっている」と妄信するのは時として危険な思想や行動につながりがちで注意すべき態度と考える人は多いと思いますが、「そんなものいるわけがない」と決めつけるのも、その姿勢においては根本的に同じです。
 もちろん、感想や考えを述べるのにいちいち物的証拠が必要というわけでもないので、後は個々人の判断基準を元に、投げかけられた命題とその説明への判断をすれば良いのでしょう。

 私の場合、このニホンオオカミについては「いない」と言い切る証拠はありませんが、しかしこの本を読んだ後も「いる」と思う感想には至りませんでした。いろいろと説明は書かれていますが、それが実在すると思わせる説得力ある論拠だとは思いません。
 もっとも、これは私がニホンオオカミにあまり関心が無く、そのために基礎知識も乏しいために、著者の説明に着いていけず理解できないでいるだけなのかもしれません。しかしその場合は読者にも読むための最低限の資格は必要でしょうが、著者にもある程度万人が納得できるような主張展開をすべきだとも思います。

 私が読後「いる」という実感を持てない一番大きな原因は、むしろ著者の責任というよりも同定の基準となる標本からして曖昧であり、実は「ニホンオオカミ」という生物を、今、ハッキリと認定できる「答え」が無いことでしょうか。従って、著者の撮影した動物を捕らえたとしても、それをニホンオオカミと認定するのはなお困難、ということです。

 私の拙い考えでは、生態的な感想になってしまうのですが、「いる」とまでの確信は得られません。
 それは、動物は必ず痕跡を残すものです。姿そのものは観察できなくとも、足跡、食痕、フンなどのフィールドサインから、その地域に生息する哺乳類のおおよその把握はできるものだと思っています。種族を残す以上は一定地域に一定数は必要なわけで、そうすればなおのこと発見しやすいものです。それが、著書には少し紹介されていますが、それほど多くないということが少々不思議です。
 フィールドサインのみならず、オオカミは「遠吠え」をすることが知られており、実際に著者もそれによりニホンオオカミに関心を持つようになったということですが、日本中の山に年間相当な人数の登山者が、あるいは山小屋にも管理人さんがいますが、それを聞いたという話は伝わってきません。
 また、「まだ自然が残っている」とは言うものの、肉食のオオカミが人間に全く目撃されることなく、つまり家畜などを襲うことは皆無で、隠れて生き続けてきたというのもにわかには信じられません。オオカミよりも食べるものの多い雑食性のツキノワグマでも、大きいからとはいえ、しばしば山中の食糧事情によって人里に出てきてしまい人間と遭遇してしまいます。
 むろん、オオカミに遭遇する機会はあったとしても、多くの人が「野犬だな」と思いこんでしまうかもしれませんが。
 そして、絶滅したとされる理由は、「病気」「狩猟による」「開発による環境の激変」と様々な要素をあげられていますが、特に病気である場合は、その地域の個体群に深刻なダメージを与えるでしょう。それがなぜか日本中から姿を減らすことができたくらいの大流行だったと思われるのですが、一部地域に限ってこれを避けて生きていけるものなのでしょうか?
 「絶滅した」と環境省が判断している以上、それらの一定根拠を考慮してもなお、その可能性が低い、つまり調査をした上での根拠ある判断結果だと思いますので、少なくともこの本からはそれを覆すだけの材料は見つけられませんでした。

 もちろん、ごく少数がひっそりと奥深い山中に生き残っている可能性は無いとは言い切れません。
 私は可能性が否定できない以上は、頭から否定はしません。
 お茶を濁すようですが、一番肝心なことは、「決めつけないこと」ですね。
 これまで何度か書きましたとおり、「いるはずがない」という決め付け。あるいは、何も考えずにただ山を歩いただけでは何度訪れようとも足元にある変化でさえ発見することができなくなることや、新たな発見を知らせる人を根拠無く否定することの愚かさは、私は知っています。
 その意味では、「ニホンオオカミはいるはずがない」という先入観や、それを見たとしてもそうと判断できる知識がないことから「見えているのにそうとわからない」だけかもしれません。
 幽霊やUFOと違い、ある程度本格的に、大規模な調査を行えば、一定の成果を上げることができる分野だと思います。

 むしろ、私がうれしいのは、まだこの日本が、「オオカミがいるかもしれない」と考える余地がある自然が残っているということです。
 全国あらゆる所がコンクリートで固められては、そんな話は絶対に出てきません。オオカミの存在はともかく、その可能性をも残す余地がある、ということがうれしいですね。
 そして、その多く残る自然を後世に残すために、私はその自然の中にオオカミがいてほしいと思います。オオカミが豊かな自然の中に生き残っていることが確認できれば、その自然はほぼ永続的に保護されていくと思いますので。

 さて、この本とは別に、現在「オオカミを山中に放そう」という考えもあるようです。
 その考えを展開する著者の本は読んでいませんが、要するに「シカやイノシシなどによる農作物被害は、オオカミのようなそれらの天敵があれば、頭数をコントロールすることになり、被害は減る」「食糧が十分にあり、病気などでなければ、オオカミは人を襲うことはしない」というようなもののようです。
 こちらは「ニホンオオカミは生きている」の中では「ニホンオオカミの存在が脅かされる」という理由で否定的な考えとしてとらえられていましたが、私も否定については同感です。
 まず、オオカミが人を襲わないという根拠が弱いです。民話の中でも、実際にオオカミに殺された人の話は多くあります。また、では、また狂犬病が流行した場合はどうするのでしょうか?食糧が減った場合はどうするのでしょうか?シカやイノシシを捕らえて倒すよりも、人間や人間の持ち物を奪う方がはるかに簡単です。病気の予防は定期的な予防接種が必要になりますが、山中に放してその後生まれたオオカミ全てに毎年予防接種をするのでしょうか?
 だいたい、オオカミを放して、それが期待どおりにシカだけを襲うという保証があるのでしょうか?その他の鳥獣、牧場に放牧している家畜、果ては庭に飼っていたペットまで襲うこともあるわけです。
 もう1つは、絶滅した動物を惜しいと思う気持ちはわかりますが、絶滅に至る理由があるわけで、しかも、絶滅して(されたといわれて)100年以上も経過した後に山中に放したところで、その生息地(日本)自体がその生命体が生きていくのに適しているとは思えません。これは「トキ」を日本に復活させようという話でも同じです。水田や湿地が減った日本では、もうトキが自力繁殖して発展して生きていける環境ではないのです。
 また、人間の都合で生命体の存在をどうこうコントロールするというのは、非常に思いあがっている考えのように思います。農業の害虫対策で天敵を活用するというレベルとは違います。人間に生態系をコントロールできる能力はありません。沖縄で、ハブを退治しようとマングースを持ち込んで、マングースがヤンバルクイナなどを襲って食べているという失敗を繰り返そうとしているのでしょうか?先人の失敗を学ばない、結論ありきの「専門馬鹿」の主張には、呆れてしまうばかりです。

 そんなわけで、少なくとも私はオオカミを日本に放つという考えには賛同しかねます。今のところ。これは後日、この主張を展開している人の著書を読んでみたいとは思っています。

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 昨日、「カメムシが多い年は、大雪になる」という言い伝えを身をもって体験した記事を投稿しました(http://blogs.yahoo.co.jp/mt_izumi_1172/40408964.html)が、今日ご紹介する本は、それに似たような言い伝えを実証しようとした人の書いた本です。

 「カマキリは大雪を知っていた 大地からの”天気信号”を聴く」(酒井與喜夫・著 農文協)

 カマキリは、タマゴ(卵のう)を木の枝などに産みつけることは、子供のころカマキリを追いかけた経験や昆虫図鑑を夢中で読んだ方は誰もが知っています。
 そして、全国の言い伝えの中には、「カマキリが高い場所に産卵すると、その年は大雪になる」というものがあります。

 著者は、その言い伝えと経験から、それが本当であるということを証明するべく、長い年月をかけて記録や観察をし、仮説を組み立てて行きます。

 その大胆な仮説と、長い年月の観察とその方法の工夫には目を見張るものがあります。
 しかし、仮に、カマキリが著者の主張どおりその年の降雪量を予知できる能力があったとしても、「なぜ、その最大積雪量(高さ)に合わせてギリギリの高さに産卵しなければならないのか?」という、導入部分があまりにお粗末です。

 著者の主張の前半部では、

1)雪に埋まってしまうと、カマキリの卵(卵のう)はほとんど孵化しない(死んでしまう)
2)しかし、あまりに高すぎる場所に産卵すると、野鳥に食べられてしまう
3)従って、そのシーズンの最大積雪量の面辺りの高さに産卵するので、産卵の高さでもって積雪量が推し量ることができる

というものでした。

 カマキリの卵が野鳥に食べられるのはわかりますが、しかしそれでも著者のいうような「雪面ギリギリの高さ」に産みつける理由にはなりません。著者はあまり高すぎるところに産みつけると野鳥に発見されやすいからだ、と主張しますが、野鳥は冬に雪面を歩いて落ちた木の実などを探し歩きますし、枝から枝を飛び移って木の実を食べたりもしますから、雪面ギリギリもそれよりも高いところでも、鳥から発見される率は変わりが無いと考えます。
 「雪に埋まると死んでしまう」というのは、著者が実際に観察して得た結果ではなさそうです。
 後半部分では、あれほど精力的に卵のうの高さと降雪量について観察し記録する著者が、その最も基本的な導入部である「本当にカマキリのタマゴは雪の中では死んでしまうのだろうか?」ということについては、全く観察をしていないようです。
 秋に集めておいた卵を雪に埋めて実験をしてみての孵化率をみるとか、そんな方面のアプローチはありません。

 冬眠や越冬をする昆虫ですが、雪の下に埋まる土や枯れ枝の隙間などで冬眠し、じっと春を待ちます。クモやハチやアリ、カメムシ・・・みな、そうです。ガなどのタマゴも同じです。
 なぜ、カマキリのタマゴだけ、雪にめっぽう弱いと言えるのでしょう?

 また、進化の手段から考えても、あるいは目的(孵化)達成への確実性を考えても、タマゴをうまく越冬させたいならばそんな降雪量のギリギリを知るという超能力を得るよりも、多少の風雨や雪に耐えうる構造の卵のうを産む能力を身に着ける方が簡単ですし確実です。
 小さな昆虫のか弱い能力では、大自然の脅威に対抗し得ない・・・と思いそうですが、そうとも限りません。
 たとえばスズメバチの巣は台風が来ても壊れませんし、豪雨に見立ててどんなに水をかけても内部までそれが届きません。むろん、木々を加工した巣とタマゴでは材料が違いますが、タマゴそのものを強化しなくとも、産卵場所を強化すればいいだけの話です。あるいはもっと単純に、倒木や枯れ木や地中に産みつければ済む話です。

 この、「カマキリが大雪を知る・予測する必要性」が説明できないと、後半でいくら大雪と産卵場所の高さの因果関係を説明されても、それは説得力がごっそりと裂かれてしまいます。

 そもそも私は、雪の里山を相当歩いた経験がありますが、著者の言うような低過ぎず高過ぎない雪面近くでカマキリのタマゴを見つけたことは皆無です。
 また、秋には草原で草丈の低い草に産み付けられた卵のうをよく見かけましたが、そこは冬には2mくらいの雪に覆われてしまいます。
 したがって、

 「もし、私の見たその卵のうが雪により全滅したと考えるならば、カマキリには豪雪を知る能力は無い」
 「もし、私の見たその卵のうが雪に覆われても生き残っているのならば、著者の雪に埋まると孵化しないというような主張は誤り。さらに、高く産む(気象を知る)必要性が不明であることから、果たして本当に豪雪を知っているのかも疑問になる」

という論理になります。
 つまり、私の「低い位置に生みつけられた卵のうも良く見た」という経験に基づく限りでは、論理的には少なくとも著者の主張の中ではいずれかのうち1つは(もしくは両方とも)間違っていると言えます。

 仮に、「いや、2m程度では雪の重みも少ないし、卵のうが何とか耐えられるのだ。新潟などのように5〜6mもの極端な豪雪のところ・豪雪になる冬になるときでは、雪の重みも相当なものなので、カマキリも死活問題なのだ」という反論があるかもしれません。
 しかし、その場合は、「カマキリが予測した最大積雪量よりも『2m程度下に』産卵する」ことの方が、著者の言う「野鳥からの食害」に遭うことも無く、雪の重みにも耐えられ、カマキリにとって都合がいいはずです。しかし、著者の観察からは、カマキリがそのような産卵はした=毎年の積雪量は産卵場所の高さ+2mである、とは書いていません。

 著者はカマキリは杉の木に好んで産卵するとしていますが、その理由の分析を、冬でもトゲトゲの多い葉は、野鳥が嫌がるから卵が食べられにくいからだろう、という主旨のことを書かれていますが、それもそんなことはありません。杉の木は針葉樹だけに、野鳥が冬に外敵から隠れるのに都合が良いですし、寒さ避けにもなります。バードウォッチングをしている人ならば誰でも、杉の木に鳥がとまってしまい見づらくなるという経験を持っていると思います。

 確かに面白い仮説ですし、昆虫や動物は人間には計り知れない能力を持っていることも認めます。また、著者の不思議と思われることを既存の常識にとらわれずに検証をしようと努力する姿勢は大いに評価されるべきものだと思います。
 しかし、どうも「まず結論ありき」の感で「そのはずだ」と思いこんでいる著者の強引な展開という印象は否めません。これは既存常識にとらわれずに新たな研究や観察をしようとする場合には大事な情熱でもありますが、一転陥りやすい本末転倒な形です。
 後半になると、もはや「トンデモ科学」のような展開ですし・・・。

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