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私は実家が非農家ですが学生時代に農業を勉強していましたので、今、非農家の人が普通に生活していては見られない「食べ物が食卓に届くまでの過程」なども知ることができ、そしてそれはとても有意義でありがたいことだと思っています。 普通、食べ物は動物でも植物でも他に生きているものの命を分けていただくということです。ですから、それはありがたく、大切に食べなくてはならない…というのはこんな言葉でも理屈でもなく、本来は感覚的な・常識として身につくものですし、身につけるべきことです。 魚などはまだ、1匹まるまる売っているので、あの魚の形=刺身や焼き魚という連想はしやすいのですが、食肉は、動物としての牛や豚と、食肉としての牛肉や豚肉とは、なぜか連想しづらいという人もいるでしょうし、肉は好きだけれどもそれが食卓に並ぶまでのことはあずかり知らぬ、という人は相当多いのではないでしょうか。 今の世の中では、畜産業者から出荷された牛や豚などが、どのように屠殺されて解体されて、そして「肉」となるのか、知る機会はほとんどありません。一種のタブーとなっている感さえあります。 大型動物の解体というのは、「画」としてはグロテスクであり、これまた理屈ではなく「かわいそう」「残酷」という気持ちを感じさせるものです。しかし、肉を食べている以上、かわいそう・残酷だ、という他の生命を重んじるという大切な感情はいつまでも持ちつつも、しかし、それを乗り越えて、それが人が生きるということ・食べるということだということを学習して強く・命を大切にする大人になって欲しいと、子供たちを見るたびに思います。 むろん、だからといって、むやみにそういう場面を公開すれば良いというわけではありません。人間誰もがトイレに行くからといって、四六時中・どこででもトイレや大便の話をするのは社会常識に反するわけで、そういったことはマナーや礼節、そしてなんといっても教育の問題でしょう。 3月2日の朝日新聞の記事に、長野県で興味深い活動をしている方の記事が出ていました。 「狩猟」から命を考えよう 県クマ対策員の後藤さん授業 2011年3月2日 「狩猟は良いことでしょうか、悪いことでしょうか」。県クマ対策員の後藤光章さん(37)の問いかけに、首をかしげる生徒たち。後藤さんは「祖先は狩猟で命をつないできた。狩猟の一部を担うことで、命を考えるきっかけにしてほしい」と続けた。狩猟を題材に命を考えるこんな授業に県内外で取り組んでいる。 長野市立長野高校でこのほどあった「ノーマライゼーション講座」には講師として招かれた。自らが猟に出て撃ったニホンジカ3頭を教材にと持参した。「狩猟は撃って解体し、胃袋に入るまで」と話す。生徒は実際にシカの皮をはぎ、解体した肉で作った料理を味わうなどした。 最初は瞳が開いたままの親子のシカを見つめ、おそるおそるナイフを握っていた高校生も、次第に慣れた手つきで肉をさばく。2年生の市川実季さんは「普段はパックで売っている肉を料理するだけ。でも、自分で解体してみて、命をもらって食べているのを実感した」と話した。 後藤さんは、信州大農学部の学生時代にクマの調査・研究をしていた。その中で、野生動物が増えすぎることなく人間と野生動物の共存関係を保っていくためにも「人間の生活に狩猟は欠かすことができないと気づいた」という。 各地で食害が問題になっているシカの場合、2009年度には県内で約1万8700頭が捕獲されたが、そのうち食肉として流通しているのは約1300頭にとどまるという。多くは猟師が自家消費するか、土に埋められる。 「動物の命を奪う行為と食べることがかつては一致していた。その重みを教えることで獲物も生きてくる」と後藤さん。猟で捕獲した動物を教材に、小学校や大学でも授業をしている。(小林直子)記事にある後藤さんのお考えは、私も全く同感です。この点、私は後藤さんと全く同じ価値観です。 近年、国内の食糧自給率への関心がようやく国民の間でも高くなり、また、最近では少しずつ農林業関係者でなくとも有害鳥獣やその駆除にも関心がもたれるようになってきました。これは国とか自治体といった行政とか政治家、被害にあっている農林業関係者だけの問題ではなく、国民全体の関心や理解が対策や解決には不可欠なものですから、その点では国民1人1人が国内のこういった現状にどう向き合うのか、嫌でも真剣に考えるべき義務を有するような時代−本来は常にそういう意識を持っているべきだと思いますが−になったと思います。 最近、ようやく一部の小学校などで、農業体験をし、自分たちの食べ物を振り返るという試みを始めるようになってきたようです。 例えば、上越市立大手町小学校では、5年生の総合学習として、食べるための豚を飼うか?飼わないか?というところから子供たちで話し合い、結論を出し、やがて食べることを承知の上でみんなで育てる活動をしました。 育て始めて数ヶ月後、大きく育ったところで出荷。学校で一緒に生活してきた豚が、このトラックに乗っていけば殺されて肉にされるということは最初から分かっていたはずのことであったのに、当然、子供たちの中には泣き崩れたりする子もいます。そしてその後で、その自分たちが育てた豚の肉を食べるか?食べないか?これも子どもたち自身で決めます。 このときの子供たちの議論は、非常に真剣で、誰もが必死に考えた意見だとわかるものばかりです。「かわいそうだけど、食べられるために肉となったのに、食べない、というのはかえってかわいそうだ」「ありがたいと食べることが、一番の感謝の気持ちを表すことになると思う」などなど。それは見ている大人たちの方でも、そんな子供たちの様子や意見から学ぶことがたくさんあります。 そうして子どもたちは、「いただきます」の意味を理屈ではなく感覚で学ぶんですね。 決して保護者や教師が強制や示唆することなく、子供たちが自ら考え、決断し、それを通じて感じるという、すばらしい教育だと思います。 有害鳥獣として駆除された動物を食べることに対して、私にはさっぱり何をおっしゃっているのか意味が理解できないことを主張する人や団体もありますが、この子供たちに比べ、何と子どもっぽい考えかと言わざるを得ません。そういうことを言う人は、食べ物や命について、この大手町小学校の皆さんほど考えたり感じたことが無いのかもしれません。
教育というのは実に大切なものだと、あらためて思います。 |
【有害鳥獣駆除・ハンター】
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私は動物や命というものを大切に思っていますが、同時に、人間の気持ちや生活というのも大切に思っています。
人間と動物というのは時に対立・摩擦が生じるものです。
ここでは、安易に動物を保護しハンターや行政を批判したりはしません。
農作物と動物が、どうすればうまく折り合っていけるかということを、考えることができればと思います。
農作物と動物が、どうすればうまく折り合っていけるかということを、考えることができればと思います。
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以前から紹介していますが、一部の団体らの根拠が全く薄弱な主張にも関わらず安易にそれに乗ってしまったのかなんなのか、豊後大野市も検討をするとしている「有害鳥獣駆除を目的としたオオカミ導入」の与太話ですが、当然と言えば当然の話なのですが、本格的議論以前にさっそく頓挫しそうです。 おおみえ切って公表する前に、実現の可能性の検討・細かい部分までの詰めですとか、農林業関係者への聞き取りですとか、市民の代表たる議員への根回しというか事前説明とか、行政としてはまずそういった「内部」で地道に詰めるべきところ、「外部」に公表してから内部に向けて動き始めるというのは、かなり拙く情けないと言わざるを得ない行政運営です。市民置き去りの、対外的なアピール・自分の宣伝だけが目的ではないか?とさえ感じる、首長さんの独善的にも見える姿勢というか資質は、前回書いたように私はやはり疑問に感じざるを得ません。 まずは3月8日の大分合同新聞です。 オオカミ導入案に異論続出 豊後大野市議会 [2011年03月08日 10:25] 鳥獣被害対策として豊後大野市の橋本祐輔市長がオオカミによる駆除に注目していることに対し、7日の市議会代表質問で、2会派の代表が反対の立場から質問した。 橋本市長は、ハンターやわなによる狩猟、防護柵などの対策だけではシカ、イノシシなどの被害を防げないとして、国外からオオカミを輸入する方法を選択肢の一つに挙げている。 小野泰秀氏(清風ク)は「米国の国立公園で導入例はあるが、四国の半分という広大な土地。オオカミの行動範囲は広い。国も否定的な見解を示しており、再導入の可能性が残されていると思うのか」と質問。小野栄利氏(緑政会)は「議会で議論するなら予算化はいつなのか。オオカミ議論は鳥獣被害の実態を示した効果はあると思うが、市民の立場を考えると反対せざるを得ない」と述べた。 橋本市長は「一自治体でできることとは考えておらず、社会的なコンセンサスが必要」「全国にオオカミ再導入に関心がある自治体があり、協議する組織ができれば議会に相談したい。大規模な予算化は考えていない」と理解を求めた。この市長さんについては以前から「なんだかパフォーマンス好きそうな人だなあ」と、かなり不安と不満があったのですが、議会がある程度論拠をあげて慎重意見を提示しブレーキをかけてくれたようで、安心しました。阿久根市や名古屋市などの首長と議会の対立で議会の存在意義について注目が集まることが増えましたが、こういうことが二元代表制の醍醐味で、民主主義において起こり得る一時の狂乱などへの安全弁になります。 ハンターやわなによる狩猟などでは被害が防げない、というのはわからないでもありませんが、そちらの延長上での打開策はろくに模索せず、それで新たに持ち出した打開策が絵空事に過ぎないオオカミ導入というのですから、もう飛躍し過ぎていて常人ではついていけなくなります。 「大規模な予算化」は、確かに「ただ、他の自治体と協議をするだけ」ならば旅費やら事務費、湯茶費といったわずかな予算の計上で可能かもしれません。しかし、その協議・検討した結果はほぼ確実に「断念」となることが今の段階で言えます。そういう結論が見えている、議論・検討せずとも良いものをわざわざ検討するそんな予算は全くの無駄でしかありません。わかっている結論を確認するための議論に費用などをかける必要はありません。しかも、同じような事情で困っている者同士の自治体と意見交換をして、何か導入に向けての課題解決につながるというのでしょうか?多くの分野の専門家に、長期にわたる調査研究などを依頼していくというのならばまだわからないでもないですが。 「社会的なコンセンサス」とも言っていますが、まず到底そんなものは得られるはずはありません。市長さんは「全国の自治体が関心がある」とはおっしゃいますが、それはこの豊後大野市周辺の自治体ではなく、日本各地に散らばるわずかな自治体に過ぎないわけです。仮にオオカミ導入をして目的を達成しようとするのであれば一定面積の地域全てが一体となって行わなければ効果が上がらないのはもちろん、到底管理もできないでしょう。その点では、いくら日本各地に同じ考えを持つ自治体があろうとも、周辺自治体のいくつかでも「否」と反対すれば、成立しえない話です。 しかし申し訳ないですが、前回紹介したように、口蹄疫が発生したときに自分の自治体だけで独自に対応しようとした姿勢のこの市の行政や市長さんでは、周辺自治体からその独自の政策というか突拍子もない話に対して積極的な理解や支持、協力などは到底見込めないと思います。 3月8日の毎日新聞にも、同じく議会で追及される市長の様子が報じられています。 豊後大野市:「鳥獣害にオオカミ」全国協設立 賛同少数、先送り /大分 イノシシやシカなどの鳥獣害対策として外国からオオカミを導入する構想を描いている豊後大野市の橋本祐輔市長は7日、導入に向けて全国的に設立を計画している市町村連絡協議会に「賛同し参加する」と答えたのは2自治体にとどまっていることを明らかにした。橋本市長は「残念ながらすぐには設立できない状況。引き続き呼びかけたい」と話した。 開会中の定例市議会で、小野泰秀市議(清風クラブ)の代表質問に答えた。市は現状を話し合い、課題を共有するため協議会設立を計画。参加に前向きな全国11自治体に1月、案内文書を送付。8自治体が保留し、1自治体が「参加しない」と答えた。 また、小野市議は「導入にほとんどの人が懸念し、反対している。市民や議会も認めたわけではない」と指摘。橋本市長は「選択肢の一つ。情報発信など国に働きかけたい」と述べた。【佐野優】笑わせてくれます。 リーダーシップをとったつもりなのか、見切り発車的に11自治体に案内を出したものの、8自治体が保留、1自治体が明確に断って来て、賛同は2自治体に留まったわけです。 記事にはそれらの自治体が保留や辞退とした理由までには触れられていませんが、普通に考えれば、「選択肢としては否定しないものの、まだ住人や国民のコンセンサスが得られているとは言えない状況であり、かつ、国も否定的見解である以上、今すぐに具体的な検討するような協議会結成という段階では到底無く時期尚早であるから」というところではないかと思いますね。 議会にも地域住民にも説明などは後回し、案内文書を出す前に先方の首長などと電話ででも会談して内諾などを得るような根回しもせずに案内をただ送り付けただけのような結果で、行き当たりばったりで何も考えないで行動しているように見えます。 一定程度の参加が見込めるか否かは実際に案内とか意向を確認する文書を出す前に電話などで打診をしておくべきことで、いきなり意向確認を出してダメでした、ではその郵便代すらもったいない。そしてそれで頓挫しました、では、せっかく参加しようかと回答してきたわずかながらの2自治体にどう申し開きをするのでしょうか? 「情報発信など国に働きかけたい」とありますが、その国はとっくに否定しているわけで、いったい、どんな情報をもって、どう国に働きかけようというのか、場当たり的なその場しのぎの苦し紛れの答弁にしか見えません。 これらの経過はいずれ豊後大野市議会のホームページで、今回の議事録が掲載されるのを注目したいと思います。 なお、豊後大野市のホームページ「ようこそ市長室へ」では、このオオカミ導入への検討について、1月下旬に市長さんの見解というか言い分が出ておりましたが、特段、論評に値しない内容でしたので、ブログでは特に取り上げませんでした。ただ、議論の公平性のために紹介いたしますので、興味のある方はリンク先をご覧ください。 一連の記事や答弁などを拝見して少なくとも言えることは、この市長さんや市役所の職員さんたちでは、オオカミ導入などという前代未聞(机上の空論?絵空事?)のプロジェクトは、到底任せるわけにはいかない、ということです。
簡単な事務や議会対策において見ても、あまりにも稚拙に感じることばかりで、総合的に考えて、オオカミを放つという行為の是非以前のレベルでしょう。 |
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昨日、京都大学をはじめとした大学受験の問題を、試験時間中に「Yahoo!知恵袋」に投稿した人物がいるという話題を書きました。 それがカンニングでも単なる愉快犯でも関係無く、人騒がせで卑劣極まりないことですが、過熱気味の報道を見聞きするにつけ、「そこまでの重大事件かいな?」と疑問にも思ったり。 私としては犯人の人物像はどうでもよく、再発防止に手口は知られて欲しいものの、そんなことよりも、京都大学という国内最難関校の1つの入試問題を、知恵袋に掲載されてからそれほど間を置かずに回答したという方の知性の方に興味がありますね。いったい普段、どんなことをされているすごい方なのだろう?と。 さて、これらの一連の記事を見ていて思うのは、「カンニングは悪いこと」「カンニングは卑怯」などというのは言うまでも無い・してはならないことなのは周知のことですが、では実際、入社試験や入学試験、あるいは通常の高校・大学の試験において、カンニングをした場合は、法的な罪にはどのようなものに問われるのだろう?と思いました。 自分の実力を偽って、入社や入学という特別な資格を試験主催者からだまし取ろうという「詐欺罪」?などと思ったりもします。しかし、今日の各紙面を見ますと、渦中の京都大学や捜査機関などは「業務妨害」の疑いで立件できないか?告訴できないか?と動いているということです。 そんな中、見かけた3月1日付けの毎日新聞の記事です。 <入試ネット投稿>京都府警、IP解析へ 人物特定「数日で可能」 毎日新聞 3月1日(火)9時13分配信 【中略】 甲南大法科大学院の園田寿教授(情報犯罪)によると、業務妨害罪は危険犯とされ、業務が妨害される恐れが生じるだけでも犯罪が成立するという。今回は試験問題が投稿されたことで▽京大が本来行う必要のない調査に追いやられた▽京大の入試が公正に実施されていないのではと疑わせた−−などとして、偽計業務妨害の疑いがあるという。【村松洋、林哲平、五十嵐和大】私は世間一般の常識程度の法律知識しかありませんので、「危険犯」とはなんじゃいな?と思いましたが、読み進めるとどうやら、実際に被害が生じなくとも=業務が妨害されなくても、「被害が生じる恐れが生じた」だけで犯罪として成立してしまう罪のことなんですね。実際に最高裁判例があるそうです。知りませんでした。 この辺は、ウィキペディアの「危険犯」の項目を見ました。ウィキペディアを元にするのもどうかと思うのですが、ついでにウィキペディアの「信用毀損罪・業務妨害罪」の「業務妨害罪」の項目を見ましたら、こんなことが書かれているのを見つけました。 信用毀損罪・業務妨害罪
なるほど。【中略】 業務妨害罪 概要 【中略】 なお、本罪について判例は危険犯であるとしている(最判昭和28年1月30日刑集7巻1号128頁)が、侵害犯であるとする説も有力である。 卒業式での『君が代』斉唱に反対し不起立を呼び掛けた高校教諭が威力業務妨害罪で有罪判決を受ける[1]、など、同罪が市民運動を弾圧する手段として用いられる恐れがあるのではないかなどと市民団体などは指摘する。 【後略】 文章中の、君が代斉唱への反対運動という思想についての論評はここではしません。 注目したのは、それが例え思想信条の自由に基づいて行動したのであっても、この教師の行動は卒業式実施という学校側の業務を妨害したと認定をされ、有罪とされた事実です。 ふと思うのは、以前も書いたのですが、有害鳥獣駆除に関わった狩猟団体や行政、個人などに対して、それが電話帳などで公けにされていようがいまいがそれらの電話番号や住所、責任者氏名などをブログやホームページによって不特定多数に対し公開し、さらに「このような対応をした人たちに皆さんの多くの声を届けてください」「こいつらが眠れないくらいの苦情を殺到させてやれ」などと煽るのは、それが実際に業務妨害に至ったか否かは関係無く、業務妨害が予見されたという場合だけでも十分に事件化になりうるのだなあ、と思ったしだいです。内容によっては「脅迫」、それが原因で心因的な不調に至ったと因果関係が証明できれば「傷害」など、さらに重い罪にもなりえるわけですね。 なお、業務妨害の罪は3年以下の懲役か50万円以下の罰金だそうで。暴行や脅迫によって公務の執行を妨害した場合や職務の強要をした場合も、同じ罪になります。 むろん、行政やそれに密接に関わり行政事務に協力をする猟友会などに対し、自分の意見を節度を持って伝えたりすることや、時として対応に疑問を感じて苦情という形になっても、それは社会通念上は問題無いはずで、むしろそれを行政側らが一方的に何でもかんでも「業務妨害で告訴するぞ。黙れ」と封じ込めるとか、それに司法が迎合して弾圧するといったことが常態化する世の中は、かなり恐ろしいかもしれません。 しかし、昨今、これもどこの誰とか、どの団体かを想定してのことではなくあくまでも一般論に過ぎませんが、偏狂的な個人や常軌を逸している自然保護・動物愛護団体を名乗る組織の中にはその言動の中には目に余るものも散見されるということですから、行政らもケースバイケースで対応していくべき時期ではないか?とも思うわけです。 なぜなら、それは単にそのターゲットとなった個人や組織だけの問題に留まらず、過度な・不当なそのような圧力…というのか妨害は、本来の自然保護や動物愛護には全く反する言動でしかないからです。まっとうな運動をし、自然保護や動物愛護といった目的を成し遂げるためには、そういう常軌を逸した気分感情で行動するような輩ごときの言動には、是々非々で毅然とした対応を取るのが、誰にとっても良い結果になるのではないかと思うのです。 これを悪用(?)して、行政らがちょっとした抗議なんかにまで封じ込めるようなことも起こりえないことでしょう。そうすることは結局、誰の眼から見てもおかしいことと行政らへの大きな不信につながり、公務の執行に対して賛同や理解が得られなくなり、自分で自分の首を絞めることになりかねないからです。従って、毅然とした対応は、結果としてはいいバランスに落ち着くと思います。 今回はカンニングの話題から、思いがけずに「業務妨害」の適用について知ることができました。
実際は社会への影響とか、個々の事案によって慎重に適用されるとは思いますが、お調子にのって幼い気分感情でいい気になっている連中には、よい警告にもなるのではないかと思うと、ケガの功名といったところでしょうか。 思い当たる人や団体は、慌てて記述を削除や訂正に励むことでしょうな。 |
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世間では「モンスターペアレンツ」として、ここ数年の間に浸透してきた「教師・学校側への常軌を逸した苦情や要求をする親」ですが、全国的に多かれ少なかれ問題を抱えているようで、顧問弁護士のような法律の専門家をアドバイザーに入れるというような対処を始めたり、検討しているというような話を聞きます。 ところが昨日、全国でおそらく初めてではないか?という、教師個人が両親を相手取り、損害賠償請求の民事訴訟を提訴したという記事が報じられました。 1月18日の毎日新聞の記事です。 <慰謝料>教諭が保護者提訴 「苦情で不眠症に」 埼玉 毎日新聞 1月18日(火)11時34分配信 担任する女子児童の親からの度重なる苦情で不眠症に陥ったとして、埼玉県行田市立小学校の女性教諭が女児の両親に対し、慰謝料500万円を求めて、さいたま地裁熊谷支部に提訴していたことが分かった。両親は「いわれのない訴え」と反論している。 訴状などによると、教諭は10年4月から女児の学級を担任し、6月に女児同士のもめごとがあったため仲裁をした。その際、女児の母親から「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と電話で抗議され、7月中旬までに連絡帳にも「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」などと8度書かれたという。親は文部科学省や市教委にも苦情を申し立て、女児の背中に触っただけで警察に暴行容疑で届けたこともあった。 その結果、教諭は不眠症となり「教員生活の継続に重大な支障を生じさせられた」と主張している。 教諭は9月に提訴し、小学校は10月、市教委に「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」との校長名の文書を提出した。 女児の母親は「学校は何の対策も取ってくれず、モンスターペアレンツに仕立てられてしまった」と反論している。また「裁判はいわれのない訴えで、和解する気はない」と話している。【藤沢美由紀、清水隆明】今後裁判により事実関係が明らかになっていくでしょうから、どちらの過失がどれくらいあるのか、続報を待ちたいところです。 しかし私の感覚としては一般的に、連絡帳に8度もそのような感情的な文言を書き、別報道によれば学校が呼びかけた話合いには一切応じず文科省や教育委員会に直接苦情を申し立てたり、「触った」ことを警察に被害届を出すというのは、事実であれば十分に「モンスターペアレンツ」と呼んで良い行為ではないかと思います。 学校ばかりではなく、医師や看護師に対しても同じように理不尽なことを強要する「モンスターペイシェント」なんてものもありますし、民間企業の「お客様相談室」のような部門でも一部の会社ではもはや東京などで社員を募集してもなり手が無く、就職が少ない地方都市や海外で募集しているとも聴きます。先だっては、110番や119番に信じられないような通報が全国で多数、寄せられているという実態も報じられていました。 私は「お客様は神様」なんてこれっぽっちも思っていなく、客も従業員もどちらが上とか下ではなく、対等な関係だと思っています。何かをしてもらえば対価を払うのは当然ですし、対価を受け取ればそれなりの対応をするのは当然です。教師や医師だけではなく民間企業の社員も公務員も、その人個人の奴隷でも召使いでも無く、一人の人間です。客は嫌なら他の店に行くなりすればいいわけですから、私としては従業員などの側も客を選んでもいいんじゃないの?とさえ時に思います。 むろん、純粋に客に親切にしたくて、あるいは感じの良い店や応対も販売戦略として、あるいは単にマナーとして、客に丁寧親切にしてくれる店があってもそれは良いし、「自分の仕事の価値をわかる人間だけ頭を下げて頼みに来い」というマンガに出てくる職人の店なんかがあっても良いでしょう。結果、繁盛するか転職を余議なくされるかはその店や店員側の選択です。 さて、私がこういう記事を見て真っ先に思ったのは、猟友会や有害鳥獣駆除にかかる行政らに理不尽なクレームを入れるような個人・団体についてです。 以前からこのブログでは繰り返し触れていますが、あれも十分に「モンスター」と言えるでしょう。英語やウィットに弱いので、うまい命名はできませんが。 少し前にも書きましたが、特に行政としてはその職務執行に十分な根拠や説明責任を伴い、市民などからの意見には真摯に耳を傾けそれに応えるのが公僕としては当然の義務ですが、一方で公僕というのはその人や団体だけのためにあるのではなく、公けのために働くべき存在であります。個人の小さな声にも耳を傾けるのは重要でも、それだけに多くの労力や時間をかけることは、それ以外の大多数への背信という見方もできるわけで、時間を区切って、取るに足らないものまで真剣に相手をするというのは、この行財政改革の中、いい加減にすべきです。 ですので、行政も猟友会も、そのような個人・団体には、遠慮なく、慰謝料や損害賠償を求める民事訴訟や、嫌がらせで不眠症などになったと言う場合は暴行や傷害での刑事告訴を行ってもらいたいものだと思います。 その意味では、今回の訴訟はモデルケースになるでしょう。 さらに言えば、一部の団体や個人のブログなどでは、有害鳥獣駆除を行ったり、熊について気に入らない放送をした報道機関などに「抗議」を呼びかけているものもたまに目にしますが、これは私は以前から、威力業務妨害や脅迫・強要とか、その教唆に当たるのではないかと思っています。
法律によらずとも、少なくとも多くの会員を擁するような団体やグループなどが、その意見を集約して1つの意見として申し入れるのではなく、会員や賛同者などに個別に苦情や意見を伝えるように呼びかける ― 私は「煽動する」と言うべきと思いますが ― ような行為は、まっとうな態度とは到底言えません。1人が10回も電話をかけて長時間苦情を言えば法的な罪に問えそうですが、10人が1回ずつの電話でそれぞれ長時間苦情を言うのは違法ではありませんが、法のすき間を縫うようなある意味もっと卑劣な態度・活動です。 もしもそんな個人や団体があった場合は、よくよくその主張や活動は疑ってかかるべきではないかと私は思います。 |
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以前にも疑問を呈したのですが、大分県豊後大野市が農作物被害への獣害対策として、オオカミ導入を検討しているという件ですが、別報道が最近ありましたので、少し見てみたいと思います。 1月15日の毎日新聞です。今度の毎日新聞の記事は、いかがなものでしょうか? オオカミ:害獣除去の切り札に 大分・豊後大野市が構想 大分県豊後大野市はイノシシやシカなどによる農林被害を防ぐため、日本では絶滅したオオカミを輸入、山に放って駆除する構想を立てている。生態系への影響を懸念したり、法に抵触する可能性を指摘する声があるが、橋本祐輔市長は「他に有効な手だては見つからない。全国のモデルになれば」と訴える。【佐野優】 豊後大野市はシイタケ産地として知られ、約1万6400戸のうち農家が約3500戸を占める。稲や野菜を食い荒らすなどして、08年度に約3220万円、09年度に約2380万円の農業被害があり、ネットやわななどによる対策を進め、イノシシとシカを合わせ08年度に約2460頭、09年度に約2570頭を駆除した。 市農林整備課は「被害は申告されたもので実際はもっと膨らむだろう」と語る。市内には約400人の猟師がいるが、高齢化が進んでいる。橋本市長は市議時代の07年、オオカミに関する本を読んで興味を持ち、駆除に用いる構想を温めてきた。市は11年度当初予算に導入に向けた調査費を計上するという。 シカやイノシシの実態を調べたうえで、市民の理解を得て周辺自治体や国との調整がつけば、中国かロシアからハイイロオオカミを輸入する考えだ。研究センター(仮称)も設けて市民にオオカミに慣れてもらい、山に放つ計画という。 だが、環境省野生生物課は「オオカミは生態系のトップで影響は大きい。一度放すと元には戻らないので慎重な判断が必要だ」と話す。また、同省の動物愛護管理室も「危険な動物の管理を定めた『動物愛護管理法』に抵触する可能性もある」と指摘する。 一方、東京農工大名誉教授で日本オオカミ協会の丸山直樹会長は「オオカミによる害獣駆除の有効性は既に実証されている」と反論する。協会によると、95〜96年、カナダからオオカミを導入した米国のイエローストン国立公園ではシカによる被害が減り、森林が再生したという。 危険というイメージについても、丸山会長は「通常、オオカミは人を襲わない」と語る。家畜を襲う可能性については、橋本市長は「放牧しない限り大丈夫」と話す。同様の被害に悩む三重県などの計4町が豊後大野市の構想に賛同、5町が前向きという。オオカミに関する情報を提供する研究センターを全国に置く構想を持つ協会は、近く豊後大野市を含む10市町で設置に向けた協議会を作り、啓発に乗り出す考えだ。両論併記しています。 しかし、最初に説があって、それに異論があって、そしてそれに説を唱える人の再反論で締めくくられている構成ですと、その再反論で「懸念は払しょくされた」ような印象になってしまうと、異論を取り上げないよりも誤解を生みやすいというか、悪質となりかねない場合もあります。 市長さんは「他に有効な手だては見つからない」などとおっしゃっていますが、毎年2,500頭もの駆除をしてもなお被害が収まらないのに、オオカミがそれ以上の成果を上げてくれると思う根拠は何でしょうか?また、北海道や静岡のようにハンターを非常勤職員として雇用して専門に駆除をするというようなことは、検討されたのでしょうか? 財政的に厳しいかもしれませんが、農業被害額の大きさ、まして担当課のコメントのように潜在的なものを加えるとさらに膨れるというのであればなおさら、雇用対策と合わせて検討する値が十分にあると思うのですが、なぜ、突然そんな浮世離れした奇説に飛びつこうと飛躍したのか、報道を見てもさっぱりわかりません。 豊後大野市のホームページを見ても見つけられませんし、豊後大野市鳥獣被害防止計画にも、市長さんの施策方針にも一切ありません。 具体的な構想は無いかと探していて思い出したのは、宮崎県で口蹄疫が広まってしまった際、この豊後大野市は、感染地域からの住民に市有施設の利用を認めないという方針を打ち出していたというニュースです。話題になったのは覚えていましたが、この豊後大野市のことまでは意識していませんでした。 2010年7月27日の時事通信の記事です。 口蹄疫発生地住民の利用制限解除=大分県豊後大野市の公共施設
地方自治体の首長として、その地域の安心や産業を守ろうと、考えられる最善の対応をするのは当然であり、その点では批判されようと地元利益を最優先という態度は一定の評価をしても良いという見方も成り立つでしょう。宮崎県の口蹄(こうてい)疫問題で同県内の家畜の移動・搬出制限区域がすべて解除されたのを受け、大分県豊後大野市は2010年7月27日、対策会議を開き、口蹄疫が発生した宮崎県内各市町の団体に対する体育館や公民館などの施設利用制限の解除を決めた。 豊後大野市の方針をめぐっては、宮崎県の東国原英夫知事が「過剰な反応は慎んでほしい」と反発。郡司彰農林水産副大臣も「ある意味での風評被害のようなもの」と懸念を示していた。橋本祐輔市長は会議後、取材に「多くの批判を受けたが(地元の)畜産農家を守るために現実的な対応をせざるを得なかった」と釈明した。 同市によると、発生地域からの施設利用の問い合わせに対し、実際に自粛を要請したのは、6月半ばにあった野球大会に関する1件だけという。 口蹄(こうてい)疫問題で大分県豊後大野市は17日までに、同市の体育館などを対象に、口蹄疫が発生している宮崎県内の市町のスポーツ団体などの利用を制限することを決めた。個人利用は制限しないという。 宮崎県の北に隣接する豊後大野市は「畜産は市にとって重要な産業。口蹄疫感染の原因をつくりたくない」と説明するが、過剰反応との批判も出そうだ。 市によると、利用制限の対象は体育館や公民館など全84カ所。口蹄疫が発生している宮崎県内の市町の団体が施設利用を申請した際、市長や副市長らでつくる口蹄疫対策本部で協議。申請があった地域の感染状況に応じて、利用自粛を求める場合もあるという。利用制限は16日の対策本部で決定した。 豊後大野市は県内でも畜産業が盛んな地域で、畜産農家が約340あり、牛約5300頭や豚約7200頭を飼育する。 現地対策本部の篠原孝農林水産副大臣は「風評被害の典型的な例。消毒とかの協力をするのが大事であって、そこまではいきすぎだ」と話した。 しかし、記事末のとおり、消毒の協力をするというような自治体を超えた地域としての一致した連携や協力を無視して自分の自治体だけが良ければ良いといわんばかりの空気の読め無さは大いに疑問です。広域で発生し、一致団結して対処する足並みを乱す行為と取られるのもやむを得ないでしょう。 このような市長さんの姿勢からして、1つは「自分たちの市だけが良ければ良いとか、自分の町のことなんだからよそからとやかく言われたくないと言わんばかりの、田舎町の閉鎖性・独善性という姿勢」と同時に、「発生当初、口蹄疫という目に見えない・よくわからないものへの恐れに過剰に反応して、地道な努力の積み重ねをすることなくイチ・ゼロの対応をした」ようにも見えます。 ところが、宮崎県や隣県における官民挙げての徹底した地道で大変な労力をかけた消毒体制や殺処分などを行ったことで、事態は急速に落ち着いていったのはご承知のとおりです。 つまり、自治体の垣根を越えて一致協力して地道な努力を行うことで対処できたことであるのに、いち早くそれから「イチ抜けた!」とばかりにそれから逃げだしたというような印象も、理解できる反面、私はどうしても持ってしまいます。 自粛の要請が1件だけだったからという件数の問題ではこの場合、ありません。 同時に、これはこの「オオカミ導入」についても同じように感じてしまいます。 地道にハンターの雇用や育成をし、頭数調査やその適正頭数の割り出しをし、自治体の境なんて関係なく移動する動物の対応は周辺自治体との深い連携や調整が必要であるのに、そんなことを考慮せずにまた「イチ抜けた!」とばかりに近隣にも影響することを自分らだけで勝手に行うというのは、「地域主権」では到底あらず、単に「自分勝手」「わがまま」と言えるような気がします。 仮に導入して1件だけ人身被害があった場合でも、それはこの場合、ある意味100件の発生と変わりありません。在来のハチや熊の人身被害とは違います。 豊後大野市が口蹄疫による被害が広まらなかった要因の検証はしようがありませんが、少なくとも地域の中における自治体の姿勢や科学性において、異端というか迷惑というか非科学的というか、近所に住んでいれば関わりたくないような自分勝手な住民という感じがしてしまいます。 私は畜産にも詳しくは無いのですが、独立行政法人 近畿中国四国農業研究センターのパンフレットによれば、放牧の効果について、畜産農家の負担軽減や良質な肉や牛乳の生成にも効果があり、イノシシ被害などの軽減にもつながりうるということが紹介されています。 口蹄疫の際にはそこまで地元の畜産が盛んで大切だと語っていたのに、しかし、冒頭引用の毎日新聞の記事を再掲すると、市長さんは 家畜を襲う可能性については、橋本市長は「放牧しない限り大丈夫」と話す。
と、その放牧を止めれば良いとおっしゃっているわけです。これは本末転倒ではないですか?ちょっと例が違うかもしれませんが、例えば、田舎町で市営バスを廃止しよう。その代り、自家用車の購入の補助金を出そう。そこに「お年寄りの交通事故の増加が心配されませんか?」と聴いたところ、責任者である市長さんから事故防止策ではなく「(お年寄りが)家から出ない限り大丈夫」とでも応えられたような感じの違和感があります。 丸山直樹氏が記事でおっしゃっているのは「いいトコどり」で、導入後実際に発生した欠点や問題点には一切触れていないのは、以前指摘したとおりです。
「通常、オオカミは人を襲わない」とおっしゃっていますが、これはすなわち、通常ではないケースで人が襲われたケースがあるということを暗に認めていることですし、同時に、そういうこともありうると自覚しているのに、その通常ではないケースで襲われた場合のことまでは触れていないという、2つの点で、この方の姿勢が垣間見えるコメントに見えます。 その程度のツメの話に飛びつこうというのですから、軽率な印象は否めませんね。 |


