自然も歴史も大好き『マッターホルン』男の旅日記【待った・放るん】

僕の合言葉は、『いつも 、げ・ん・きぃ〜♪』・『みんな、げんきぃ〜☆彡』・・・^〜^v

【チャリンコで四季さんぽ】

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〔『記念碑「漢委奴國王金印発光之処」』:『金印公園』:(福岡県福岡市東区志賀島)にて〕


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2-1.『志賀島』(しかのしま):『海の中島』を渡り、『金印』の発見と『元寇』(げんこう)の舞台となった古代から大陸への交易の玄関の島をチャリンコ訪問・・・^〜^v:(福岡空港〜海の中道〜志賀島)〔2016.08.31〕


おはようございます^^v


先日(8/30-9/1)のチャリンコ担いでの旅:二泊三日佐賀・福岡


第二日目は、高速バスで佐賀駅前から福岡空港に戻り、


長年の懸案の場所『志賀島』(しかのしま)へ☆彡、


九州本土とを繋ぐ陸繋砂州『海の中道』を渡り、


歴史的な金印『漢委奴国王印』(かんのわのなのこくおういん)が


発見され、また鎌倉時代には二度の、


『モンゴル帝国』(大元ウルス)およびその属国である『高麗王国』によって


対日本本土侵攻『元寇』(げんこう)の舞台ともなった


周囲約10kmの小島がお目当ての『志賀島』


古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、


歴史的に重要な位置を占めていた島は、


多くの歴史的な見どころはありませんが、


この日も向かい風の中を楽しくチャリンコ散策・・・^〜^v

.                   【つづく】



【高速バス:佐賀駅前〜福岡空港】
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【チャリンコの旅:福岡空港〜海の中道〜志賀島】
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【香椎かもめ大橋】(かしいかもめおおはし、愛称:シーガルブリッジ)
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香椎かもめ大橋(かしいかもめおおはし、愛称:シーガルブリッジ)は、博多港に架かる全長789m・片側3車線の橋梁である。
福岡市東区の箱崎ふ頭4丁目と香椎浜3丁目(香椎パークポート)とを結ぶ。臨港道路香椎パークポート1号線の一部である。
福岡市内の橋梁で最も長い。
福岡一家4人殺害事件の現場は、当橋梁の真下であった。



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【海の中道】
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海の中道(うみのなかみち)は、福岡県福岡市東区にある、志賀島と九州本土とを繋ぐ陸繋砂州である。
全長約8 km、最大幅約2.5 kmの巨大な砂州で、この砂州の北は玄界灘、南は博多湾となっている。
奈良時代に編纂された『筑前国風土記』逸文では、志賀島の記事に関連して海の中道が打昇の浜(うちあげのはま)の名で見える。
また吹上の浜(ふきあげのはま)とも呼ばれていた。
玄界灘側の海岸は現在でも冬季に様々な漂着物が打ち上げられることで知られる。
神功皇后伝説では、遠征前に盛大な神楽が行われ、海底から現れた異形の磯良(いそら)神から玉を借り受けたのは、この地の吹上の崎というところだとされる。
古くから周辺の漁労民によって製塩が行われていたことがうかがわれ、シオヤ鼻(塩屋鼻)に近い「海の中道遺跡」からは漁具や貝塚とともに8–10世紀に用いられた製塩用土器が出土している。



【志賀島】
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志賀島(しかのしま)は、福岡県福岡市東区に所属する島である。
博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続きである。
古代日本(九州)の大陸・半島への海上交易の出発点として、歴史的に重要な位置を占めていた。
また島内にある志賀海神社は綿津見三神を祀り、全国の綿津見神社の総本宮であり、4月と11月の例祭において「君が代」の神楽が奉納される全国的にも珍しい神社である。

・万葉集において、柿本人麻呂の「大君の遠の朝廷とあり通ふ 島門を見れば神代し思ほゆ」と詠まれる。“島門”とは博多湾への入口に位置する志賀島と能古島を門に見立てた謂い。万葉集で志賀島を歌ったものは、全部で16首になる。

・1274年(文永11年)、文永の役にて撤退する際に座礁した蒙古兵が志賀島で捕虜となり、うち220人ほどが首切塚(蒙古塚)で斬首されたとされる。

・1281年(弘安4年)、弘安の役では 志賀島の戦いの舞台となる。博多湾に現れた元軍は、石築地(元寇防塁)からの上陸を避け、陸繋島である志賀島を占領し軍の停泊地とした。これに対して、日本軍は海上と海の中道の陸路から元軍に総攻撃を行った。この志賀島の戦いで日本軍は大勝し、元軍は志賀島を放棄して壱岐島へと後退した。島内に残る火炎塚のある場所では高野山の僧侶によって敵軍退散の祈祷がおこなわれた。

・1784年(天明4年)、甚兵衛という志賀島の農民が田んぼを耕している最中に金印(漢委奴国王印)を偶然発見。



元寇(げんこう)は、日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本本土侵攻の呼称である。
1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。
特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった。



漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。
読みは印文「漢委奴國王」の解釈に依るため、他の説もある。
1931年(昭和6年)12月14日に国宝保存法に基づく(旧)国宝、1954年(昭和29年)3月20日に文化財保護法に基づく国宝に指定されている。





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閉じる コメント(20)

お早う〜ございます♪
お天気良くてそして海の綺麗な事〜海なし県に住まいしていないので憧れ〜の海です。
志賀島までは海の中道があって走行には快適だったでしょうね〜(^-^)
『漢委奴国王印』(かんのわのなのこくおういん)
何故ここで発見されたのか・・
旅日記はまだまだ続きますね〜楽しみの☆彡

2016/9/6(火) 午前 8:22 ヨピリン

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おはようございます
快晴の青い海に、どこまでも広がる砂浜
貸し切りで、贅沢な風景
これはナイス・・・☆

2016/9/6(火) 午前 8:26 n.yoshii

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おはようございます(^^♪

志賀島は、3年近く住んでいたにもかかわらず、行ったことないんですよ、、、。いつでも行けると思ってたらついに行かずに終わりました、、。
今でも居たら人生全く違ったものになってましたね(笑)
ナイス☆

2016/9/6(火) 午後 4:42 alpen55

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旅に出て天気がいいのは何よりのごちそうですね。

歴史が苦手な私でも「漢委奴国王印」は知ってますね(笑)
それがここだったんですね!
知らなかった〜〜(爆笑)

2016/9/6(火) 午後 9:15 のんこ

志賀島のも行かれたんですね、
私は前回の福岡旅行で行きそびれました(^^)♪
なかなかいい所ですね(*^_^*)♪

♡ナイス!☆(^0^)☆♪

2016/9/6(火) 午後 9:16 コスモス♪

トラバありがとう、お返しのトラバです、宜しくね~♪

2016/9/6(火) 午後 9:40 コスモス♪

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TBありがとうございます
お返しを!

2016/9/6(火) 午後 10:27 n.yoshii

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こんにちは〜

チャリンコとの旅〜素敵な場所をお選びになりましたねぇ〜。
自転車で走り〜泳ぎ〜も出来そうな?
美味しそうなモナ王で元気復活ですね。
ナイス!★

2016/9/7(水) 午前 4:54 ☆ うさぎ ☆

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チャリちゃん日和ですね〜

夫の希望でここ数年、何度か計画するも天気に恵まれずいまだ実現していません。
tonは向かいの能古島に行きたいと思いつつ…ン?‼いつのまにやら40年経っています

2016/9/7(水) 午前 9:22 ton

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ヨピリンさん、こんばんは^^v

いえいえ、往路は前日同様 向かい風と砂洲の砂が飛んできて なかなかの道中でした(笑)

『海の中道』で陸続きになった『志賀島』、その自然の営みと古代からの大陸との豊富な歴史が魅力的で、僕の懸案事項の一つでした^^v

今回、どちらも達成できましたので、次回はゆっくり眺めの良いらしい『国民休暇村』でゆっくり楽しみたいと考えております☆彡

いつもありがとうございます★感謝★

素敵な日々をお楽しみください!

2016/9/7(水) 午後 10:01 待った・放るん

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n.yoshiiさん、こんばんは^^v

この日は、夏休みも終わった9/1、ゆっくり福岡郊外のリゾートをチャリンコ三昧楽しませていただきました☆彡

いつもありがとうございます★感謝★

これからの季節も楽しみですね!

2016/9/7(水) 午後 10:03 待った・放るん

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alpen55さん、こんばんは^〜^v

諸行無常とは、そのとおり、きっと今が一番の至福の人生だと思います☆彡

自らの足で『海の中道』を通って『志賀島』へ、僕の懸案事項の一ついでした^^v

いつもありがとうございます★感謝★

素敵な日々をお楽しみください(^^♪

2016/9/7(水) 午後 10:06 待った・放るん

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のんちゃん、こんばんは!

教科書で金印を知ってその場所にずっと行きたかった僕です^^v

歴史と自然豊かな『海の中道』経由『志賀島』は、お勧めの旅です☆彡

いつもありがとうございます★感謝★

2016/9/7(水) 午後 10:09 待った・放るん

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コスモス♪さん、こんばんは^^v

『志賀島』、バスも天神から出ているようですが、連絡船も鉄道でも『海の中道』歩いても行けるそうなので、次回はぜひお出かけください☆彡

いつもありがとうございます★感謝★

2016/9/7(水) 午後 10:11 待った・放るん

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コスモス♪さん、TBありがとうございます★感謝★

こちらこそ、いつもお世話になっております。

☆彡

2016/9/7(水) 午後 10:12 待った・放るん

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n.yoshiiさん、TBいつもありがとうございます★感謝★

お世話になります^^v

2016/9/7(水) 午後 10:12 待った・放るん

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☆うさぎ☆さん、こんばんは^^v

チャンコのお供は、『モナ王』と『ガリガリ君』(笑)

今回は、『海の中道』で歴史豊かな『志賀島』往復、往路が海からの向かい風と砂でてこずりました^^v

この日の夜は、大先輩と一献、至福の一日になりました★感謝★

素敵な日々をお楽しみください!

2016/9/7(水) 午後 10:15 待った・放るん

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tonさん、こんばんは^^v

『能古島』は、今回の道中でいつも気になった島☆彡

僕も行ってみたい懸案事項が一つ増えました(笑)

島内の宿泊施設が見当たらないのが心細いですが、ここはてくてく歩いて回りたい島内散策です^^v

いつもありがとうございます★感謝★

2016/9/7(水) 午後 10:46 待った・放るん

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志賀島の戦い
1281年6月6日、博多湾沿岸からの上陸を断念した東路軍は陸繋島である志賀島に上陸し、これを占領。志賀島周辺を軍船の停泊地とした。

東路軍の管軍上百戸・張成の墓碑によると、この日の夜半、日本軍の一部の武士たちが東路軍の軍船に夜襲を行い、張成らは軍船から応戦した。
6月8日午前10時頃、日本軍は軍勢を二手に分け、海路と海の中道伝いの陸路の両面から志賀島の東路軍に対して総攻撃を敢行した。

海の中道を通って陸路から東路軍に攻めいった日本軍に対して、張成らは弩兵を率いて軍船から降りて応戦。志賀島の東路軍は日本軍に300人ほどの損害を与えたが、日本軍の攻勢に抗しきれず潰走する。
東路軍の司令官で東征都元帥の洪茶丘は馬を捨てて敗走していたが、日本軍の追撃を受け危うく討ち死にする寸前まで追い込まれた。しかし、管軍万戸の王某の軍勢が洪茶丘を追撃していた日本軍の側面に攻撃を仕掛け、日本兵を50人ほど討ち取ったため追撃していた日本軍は退き、洪茶丘は僅かに逃れることができたという

2018/3/31(土) 午後 1:41 [ 平和防災愛国 ]

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平和防災愛国さん、こんにちは☆彡

書き込みありがとうございます!

出典は、下記でしょうか↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#志賀島の戦い

2018/3/31(土) 午後 4:35 待った・放るん

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