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〔『戒壇院』(重文):『東塔』・『比叡山延暦寺』境内(滋賀県大津市坂本本町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3『東塔』(とうどう):『伝教大師最澄』が開いた『延暦寺』の発祥の地をさらりと散歩・・・^〜^v:『比叡山延暦寺』(滋賀県大津市坂本本町)〔2018.06.03〕 『台風7号』の置き土産、凄い雨と風の難破船状態のおはようございます! さて、一か月も前の日曜日(6/3)の『比叡山延曆寺』の思い出記事☆彡 『延暦寺』は、『比叡山』の山内にある1700ヘクタールの境内地に点在する 約100ほどの堂宇の総称☆彡 そして地域別に、東を『東塔』(とうどう)・西を『西塔』(さいとう)・北を『横川』(よかわ)の 三つに区分して三塔と言い、それぞれに本堂があります。 『東塔』は延暦寺発祥の地であり、 本堂にあたる根本中堂を中心とする区域です。 伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、 総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、 先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。 それでは、『根本中堂』は、平成28年度から約十年をかけ大改修中で ご紹介できませんが、 今回訪れた堂宇などを少し御紹介いたします・・・^〜^v 東塔 延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である。 根本中堂(国宝) - 最澄が建立した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたものである。1953年(昭和28年)に国宝に指定された。入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートルの大建築である。土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造になっている。内部には3基の厨子が置かれ、中央の厨子には最澄自作の伝承がある秘仏・薬師如来立像を安置する(開創1,200年記念の1988年に開扉されたことがある)。本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている。嘉吉3年(1443年)に南朝復興を目指す後南朝の日野氏などが京都の御所から三種の神器の一部を奪う禁闕の変が起こると、一味は根本中堂に立て篭もり、朝廷から追討令が出たことにより幕軍や山徒により討たれる。 文殊楼(重文) - 寛文8年(1668年)の火災後の再建。二階建ての門で、階上に文殊菩薩を安置する。根本中堂の真東に位置し、他の寺院における山門にあたる。 大講堂(重文) - 寛永11年(1634年)の建築。もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年に移築した。重要文化財だった旧大講堂は寛永19年(1642年)に完成した裳階つき建築だったが1956年に放火による火災で焼失している。本尊は大日如来。本尊の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍の像が安置されている。いずれも若い頃延暦寺で修行した高僧で、これらの肖像は関係各宗派から寄進されたものである。 大乗戒壇の設立 延暦25年(806年)、日本天台宗の開宗が正式に許可されるが、仏教者としての最澄が生涯かけて果たせなかった念願は、比叡山に大乗戒壇を設立することであった。大乗戒壇を設立するとは、すなわち、奈良の旧仏教から完全に独立して、延暦寺において独自に僧を養成することができるようにしようということである。 最澄の説く天台の思想は「一向大乗」すなわち、すべての者が菩薩であり、成仏(悟りを開く)することができるというもので、奈良の旧仏教の思想とは相容れなかった。当時の日本では僧の地位は国家資格であり、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」は日本に3箇所(奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺)しか存在しなかったため、天台宗が独自に僧の養成をすることはできなかったのである。最澄は自らの仏教理念を示した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の中で、比叡山で得度(出家)した者は12年間山を下りずに籠山修行に専念させ、修行の終わった者はその適性に応じて、比叡山で後進の指導に当たらせ、あるいは日本各地で仏教界のリーダーとして活動させたいと主張した。 だが、最澄の主張は、奈良の旧仏教(南都)から非常に激しい反発を受けた。南都からの反発に対し、最澄は『顕戒論』により反論し、各地で活動しながら大乗戒壇設立を訴え続けた。 大乗戒壇の設立は、822年、最澄の死後7日目にしてようやく許可され、このことが重要なきっかけとなって、後に、延暦寺は日本仏教の中心的地位に就くこととなる。823年、比叡山寺は「延暦寺」の勅額を授かった。延暦寺は徐々に仏教教学における権威となり、南都に対するものとして、北嶺と呼ばれることとなった。なお、最澄の死後、義信が最初の天台座主になった。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA |
神 社・仏 閣
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おはようございます。
根本中堂の石碑がやっと出てきました
以前見たとき、どういう意味か考えたの思い出します・・・☆
2018/7/6(金) 午前 7:54
♡ナイス!☆(^0^)☆♪
2018/7/6(金) 午後 8:06
n.yoshiiさん、こんばんは!
今日も凄い雨量でした@^@
被害大丈夫でしょうか???
『根本中堂』、ただいま改修中で、素屋根かかって残念でした…(涙)
『以前見たとき、どういう意味か考えたの思い出』とっても興味あります!
内証で教えて下さい^^v
いつもコメントいただきありがとうございます★感謝★
素敵な週末をお過ごしください(^^♪
2018/7/6(金) 午後 9:35
コスモス♪さんこんばんは^^v
大雨の連日ですが、被害有りませんか(心配)?
いつもナイスいただきありがとうございます★感謝★
2018/7/6(金) 午後 9:37
もう
何十年前ですが、この根本中堂の石碑見て、何の根本なのか、仏教の根本なのかを考えたんですよ
だから覚えてるんです
どんな伽藍やったか、すっかり忘れてます
お返しTBを!
2018/7/6(金) 午後 9:46
n.yoshiiさん、こんばんは^^v
『根本中堂』は、伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされ、中堂の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%A0%82
現在改修中で落ち着きませんが、是非 竣工後をお楽しみに再訪ください!
いつもTBいただきありがとうございます★感謝★
素敵な日々をお楽しみください・・・(^^♪
2018/7/6(金) 午後 9:58
こんにちは。
『台風7号』の置き土産、凄い雨と風の難破船状態、、、、
大変〜ご無事ですか?
比叡山、小学生以来です(苦笑)
2018/7/7(土) 午前 5:19
☆うさぎ☆さん、おはようございます^^v
今朝もまだ降り続いている台風7号の置き土産、もうこれ以上の被害が出ないことを願っております!
『比叡山』は、『高野山』と並ぶ 霊場、次回はゆっくり散策はいかがですか・・・?
体調に気を付けて、素敵な週末をお楽しみください^^v
コメントいただきありがとうございます★感謝★
2018/7/7(土) 午前 9:55
ここはいつ行っても人が多いですね。
2018/7/7(土) 午後 8:48
おキョウ☆さん、コメントいただきありがとうございます★感謝★
『東塔』は観光客で大混雑、寺院は本質的には宗教施設、観光のみは入山規制・・・どうですか?
先ほど、関東・千葉方面で地震があったようです!
台風・地震に大雨、まるで末法の世です...?
2018/7/7(土) 午後 8:58