|
〔『シカゴ美術館』(The Art Institute of Chicago)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 シカゴ美術館の『アンリ・マティス』(Henri Matisse):『シカゴ美術館』(The Art Institute of Chicago)〔2014.10.01〕 昨年10月に、『シカゴ美術館』(The Art Institute of Chicago)を 訪れた際の絵画を時々ご紹介できればと思います。 この美術館は、フラッシュを使わなければ個人的な撮影は 大丈夫です☆彡 昨日に続いて、今日も大好きな『アンリ・マティス』(Henri Matisse)を 僕が訪れたとき、出会った8点の作品をご紹介いたします。 . 【つづく】 〔訪問時期:2014.10.01〕 【アンリ・マティス】(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、 フランスの画家。 フォーヴィスム(野獣派)のリーダ−的存在であり、 野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。 自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。 1869年、フランスのル・カトー=カンブレジに生まれる。 はじめ法律家を志すが、1890年、盲腸炎の療養中に絵画に興味を持ち、画家に転向する決意をする。 ボザールへの入校は許可されなかったが、 熱意を評価した教官ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を請ける事ができた。 この時、ボザールに入校してモローの指導を受けていたジョルジュ・ルオーとは生涯の友情を結ぶ。 マティスの初期の作風は写実的なものを志していたが、 次第にフィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、 自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。 『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、『ダンスI』(1909年)など、 大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、 モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に野獣派と呼ばれるようになる。 しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、 それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。 (そのころのマティスの言葉:『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』) 本人は、フォーヴィスムと呼ばれ見なされることをひどく嫌った。 線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。 マティスにとってハサミは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。 『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2015年03月29日
全1ページ
[1]
|
〔機上から『グランド・ティトン』(Grand teton:4,197 m)とその仲間たち:『UA268便』・『ジャクソンホール空港』(JAC)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 10-11[完].『帰国・帰宅の旅』:ジャクソンホール(JAC)〜デンバー(DEN)〜東京/成田(NRT)〜大阪/伊丹(ITM):UA268-UA139-NH2179〔2015.03.08-09〕 今シーズンの唯一のスキーは、 北米で最も海抜の高いスキー場、 ワイオミング州『ジャクソン・ホール・スキー場』(Jackson Hole Mountain Resort)。 5日間のわがままスキー三昧と 『グランド・ティトン国立公園』(Grand Teton National Park)で、 天候に恵まれた白銀の雪遊びを堪能して、 とうとう帰国・帰宅の日に。 帰路は、『ジャクソンホール』(JAC)〜『デンバー』(DEN):UA268便 『デンバー』(DEN)〜『東京/成田』(NRT):UA139便 『東京/成田』(NRT)〜『大阪/伊丹』(ITM):NH2179便 約22時間の長い旅です。 それでは、旅の最後の思い出、 機上からの眺めなどを、 ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【完】 北米・スキーと雪遊びの旅、 ご愛読ありがとうございました☆感謝☆彡 . 待った・放るん 〔訪問時期:2015.02/27-03.09〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
全1ページ
[1]





