自然も歴史も大好き『マッターホルン』男の旅日記【待った・放るん】

僕の合言葉は、『いつも 、げ・ん・きぃ〜♪』・『みんな、げんきぃ〜☆彡』・・・^〜^v

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〔『大宰府政庁跡』(都府楼跡):( 福岡県太宰府市観世音寺4丁目6−1)にて〕


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3-1.『大宰府政庁跡』(だざいふせいちょうあと)・『戒壇院』(かいだんいん):7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関と来日に成功した『鑑真』が我が国初めての初の授戒を行った地をチャリンコで訪れる・・・^〜^v:(天神〜大宰府〜福岡空港)〔2016.09.01〕


台風13号は温帯低気圧となり東海道沖を北上中、


不安定な天候が続いておりますが


これ以上の大きな被害が発生しないことを願って


おはようございます^^v


さて、先日(8/30-9/1)のチャリンコ担いでの旅:二泊三日佐賀・福岡


第3日目は夕刻のフライトで帰宅の日、


天神のビジネスホテルから向かった先は


7世紀後半に、


九州の筑前国に設置された地方行政機関


古都『大宰府』☆彡


大陸との窓口という交通の要衝であり、


『菅原道真』はじめ


失脚した貴族の左遷先となることも多かった


朝廷の出先機関『大宰府』!


そして、その近くにあるのが


天平勝宝5年(753年)12月20日


来日に成功した『鑑真』が、


その6日後にここを訪れ、


我が国初の授戒を行った『戒壇院』


どちらも、我が国の貴重な史蹟であり、


古の我が国を振り返るマイルストーン・・・^〜^v


それでは、ご一緒に


秋の気配も感じる『大宰府政庁跡』(都府楼跡)を


お楽しみください・・・^〜^v

.                   【つづく】



【チャリンコの旅:天神〜大宰府〜福岡空港】
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【大宰府エリア図】
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【大宰府政庁跡】(都府楼跡)
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【ナガバオモダカ】(長葉面高)







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【白睡蓮】





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【コウホネ】(河骨)





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大宰府(だざいふ)は、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関。
和名は「おほ みこともち の つかさ」とされる。
多くの史書では太宰府とも記され、現在でも地元は「太宰府」を使っている。
外交と防衛を主任務とすると共に、西海道9国(筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅)と三島(壱岐、対馬、多禰(現在の大隅諸島。824年に大隅に編入))については、掾(じょう)以下の人事や四度使の監査などの行政・司法を所管した。
与えられた権限の大きさから、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれる。
軍事面としては、その管轄下に防人を統括する防人司、主船司を置き、西辺国境の防備を担っていた。
外交面では、北九州が古来中国の王朝や朝鮮半島などとの交流の玄関的機能を果たしていたという背景もあり、海外使節を接待するための迎賓館である鴻臚館(こうろかん)が那津(現在の博多湾)の沿岸に置かれた。





【戒壇院】
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【センニンソウ】(仙人草)





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【リコリス】





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【フヨウ】(芙蓉)





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本尊盧舎那仏坐像は 平安時代末期の作で、国の重要文化財に指定されている。
両脇侍像は江戸期の作。
本堂内の戒壇には天竺(インド)、唐(中国)、大和(奈良)三国の土が納められているとされる。



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しょうじじだい こういんおしむべし むじょうじんそく ときひとをまたず




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梵鐘は、博多の鋳物師の手による元禄14年(1701年)の作品である。
江戸時代に博多の萬町で酒醸造業で財をなした楠屋白木玄流の臨終の遺言により寄進された。
梵鐘の塔の前に白木玄流氏寄贈と記載されている木札が立てられている。
玄流は黒田騒動の栗山利章(栗山大膳)の甥である白木孫右衛門の子である。
大膳が主君を幕府に訴えた罪で津軽に配流されたために、孫右衛門も糟屋郡で牢人となり病死した。
一歳で孤児となった玄流は宗像で慈愛に満ちた百姓の夫婦に引き取られ成長した。
志を立て福岡に戻り、薬院の楠屋の援助を得て、酒醸造業にて成功した。
育ててくれた養父、養母に感謝して、臨終の際に念願であった戒壇院の梵鐘を寄進を遺言した。



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戒壇院(かいだんいん)は、福岡県太宰府市にある臨済宗の寺院。
奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも称される。
古くは観世音寺の一部であった。
西戒壇(さいかいだん)として、中央戒壇(奈良の東大寺)東戒壇(栃木の下野薬師寺)田尾とともに「天下三戒壇」'''の1つである。
奈良時代の半ばの天平勝宝5年(753年)12月20日に仏舎利を携え薩摩坊津で来日に成功した唐僧鑑真が、同じ年の12月26日に太宰府を訪れこの戒壇院の地で初の授戒を行った。
開山は鑑真であり、戒壇院は現在も奈良時代以来同じ場所にあるとされている。
宗派を超えて僧が集い学ぶという開山の精神から地元では八宗兼学寺とも呼ばれた。





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