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〔『本殿』(重要文化財・桃山時代):『太宰府天満宮』:(福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3-2.『観世音寺』(かんぜおんじ)・『太宰府天満宮』(だざいふてんまんぐう):かつて存在した門・回廊などは失われているが九州を代表する古刹と『菅原道真』を祭神として祀る天満宮を訪れる・・・^〜^v:(天神〜大宰府〜福岡空港)〔2016.09.01〕 おはようございます^^v さて、先日(8/30-9/1)のチャリンコ担いでの旅:二泊三日佐賀・福岡 第3日目は夕刻のフライトで帰宅の日、 あさイチで訪れたはかつては、 大陸の玄関として主として 外交と防衛などの大きな権力を持った 古都『大宰府』(だざいふ)☆彡 『大宰府政庁跡』・『戒壇院』に続いて、 かつて存在した門、回廊などは失われ、 現在残る建物はすべて近世の再建ではあるが、 造営開始は7世紀後半にさかのぼる 九州を代表する古刹『観世音寺』(かんぜおんじ)☆彡 そして、九州はもとより日本全国から毎年700万人以上の参詣者がある 『菅原道真』を祭神として祀る天満宮の一つ 『太宰府天満宮』(だざいふてんまんぐう)☆彡 そして、楽しみにしていた近くのお気に入り 『光明禅寺』(こうみょうぜんじ)☆彡 残念ながらお休み?だったので、 前庭を垣間見し、周辺を散策した後、 チャリンコの旅は、 ゴールの『福岡空港』へと・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 観世音寺(かんぜおんじ)は、福岡県太宰府市観世音寺五丁目にある天台宗の寺院。 山号は清水山。 本尊は聖観音(しょうかんのん)。 開基は天智天皇である。 九州西国三十三箇所第三十三番札所。 九州を代表する古寺で、造営開始は7世紀後半にさかのぼる。 奈良の東大寺・栃木の下野薬師寺とともに「天下三戒壇」の1つに数えられる。 平安時代以降は徐々に衰退したが、仏像をはじめとする文化財を豊富に有する。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社。 旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 神紋は梅紋である。 菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。 初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年700万人以上の参詣者がある。 現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。 右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。 薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。 一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990年)頃からは社号としての「天満宮」も併用された。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 光明禅寺(こうみょうぜんじ)は、福岡県太宰府市にある臨済宗東福寺派に属する禅宗寺院である。 山号は神護山(じんごさん)。 1273年(文永10年)、円爾(聖一国師)の門下にあった鉄牛円心によって建立され開山となった。 江戸時代には太宰府天満宮の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺として、1616年(元和2年)に再興されて、1856年(安政3年)7月再営された天満宮の結縁寺である。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 藍染川[ その昔、太宰府天満宮の神官・中務頼澄が京に上った折、京女の梅壺という女性と恋に落ち、梅千代という子どもをもうけた。 しかし、神官はしばらくして太宰府へ帰ってしまう。 残された梅壺は恋しさと、子供のためを思って、遠く太宰府まで下るも、頼澄へ送った文を、頼澄の留守中に妻に読まれ、妻が書いた偽りの文で追い返されてしまった。 悲嘆にくれた梅壺は、世をはかなんで、藍染川に身を投げて死んでしまう。 梅千代が、母の亡骸に取りすがって泣き悲しんでいるところに、偶然、頼澄が通りかかる。梅壺の遺書により事情を知り、梅壺が生き返るよう一心に天神に祈る。 すると、そこに天神が現れ、梅壺を生き返らせたという。 その後、梅壺は尼になり、太宰府の外れに庵をかまえ、仏に仕える一生をおくり、梅壺の子・梅千代は、光明禅寺を開山し、鉄牛円心になったという。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
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2016年09月09日
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