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〔『BERG, 1909』(MOUNTAIN) 『WASSILY KANDINSKY』(ワシリー・カンディンスキー):『GMS 54』・ 『レンバッハハウス美術館』 (Städtische Galerie im Lenbachhaus):(Luisenstraße 33, 80333 München, Germany)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 08.『レンバッハハウス美術館』:【カンディンスキー】『BERG, 1909』(MOUNTAIN) 【山】:『Städtische Galerie im Lenbachhaus』:(Luisenstraße 33, 80333 München, Germany)〔2016.11.06〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅(2016.10.30-11.06)の 最終日に訪れたミュンヘン『レンバッハハウス美術館』☆彡 世界一の200点を越す『カンディンスキー』の作品を含む 『青騎士』派の絵画を所蔵する念願の美術館は、 フラッシュを使わなければ個人撮影可能^^v 大切な旅の思い出として、 たくさんの『カンディンスキー』と仲間たちの作品を 撮りましたので、 不定期でご紹介できればと考えております^^v これら200点を越す『カンディンスキー』たちの作品群は、 『カンディンスキー』(Wassily Kandinsky)の恋人で婚約者でもあった 『ガブリエレ・ミュンター』(Gabriele Münter)が、 1957年に寄贈したものです☆彡 ガブリエレ・ミュンター(Gabriele Münter, 1877年2月19日ベルリン – 1962年5月19日ムルナウ(de))はおもにドイツで活躍した表現主義の女流芸術家で、ミュンヘン新芸術家協会及び青騎士のメンバー。 絵画に加えて版画による創作活動もした。 また、ヴァシリー・カンディンスキーのパートナーとしても知られる。 彼女はカンディンスキーの作品のかなりの部分を第二次世界大戦中から戦後にかけて災難から守り、後には青騎士の芸術家仲間の作品と自分自身の作品とを広く一般に公開した。 |
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2016年12月16日
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〔『六地蔵』:『比叡山』山中(大津市坂本本町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 六地蔵 日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。 これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。 六地蔵の個々の名称については一定していない。 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、 それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。 像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されていない。 日本では、六地蔵像は墓地の入口などにしばしば祀られている。 『無動寺道』(むどうじみち):『大比叡』(848.3m)から、『紀貫之』の墓を経由『日吉大社』に寄り道して、京阪電車『坂本駅』へ・・・^〜^v:『大比叡』〜『紀貫之』墓〜『日吉大社』〜『坂本駅』(京都市左京区・大津市)〔2016.11.26〕 とある先日(11/26)、級友との週末は すっかり紅葉も見ごろ過ぎた『比叡山』へ☆彡 『比叡山』・『大比叡』(848.3m)からの下山ルートは、 日本最長の2025mの『坂本ケーブル』の『ケーブル延暦寺駅』の傍から なぜか『比叡山』の山中にある『紀貫之』(きのつらゆき)の墓を経由して、 『ケーブル坂本駅』近くに下る『無動寺道』(むどうじみち)☆彡 すっかり見ごろ過ぎた『日吉大社』に寄り道して、 門前の2軒の蕎麦屋『日吉そば』と『鶴喜そば』を垣間見て 京阪電車『坂本駅』に無事到着^^v 停車中の電車は、なんとド派手な『響け!ユーフォニアム』のラッピングカ電車 我が家には、TV無いので、いきなりの登場でビックリ@^@! 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 円珍(えんちん、弘仁5年3月15日(814年4月8日)- 寛平3年10月29日(891年12月4日))は、平安時代の天台宗の僧。 天台寺門宗の宗祖。 諡号(しごう)は、智証大師(智證大師、ちしょうだいし)。 入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。 紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人・貴族。 下野守・紀本道の孫。紀望行の子。 『古今和歌集』の選者の一人で、三十六歌仙の一人。 延喜5年(905年)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。 また、仮名による序文である仮名序を執筆している(真名序を執筆したのは紀淑望)。 「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まるこの仮名序は、後代の文学に大きな影響を与えた。 また『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。 理知的分析的歌風を特徴とし、家集『貫之集』を自撰した。 日本文学史上において、少なくとも歌人として最大の敬意を払われてきた人物である。 種々の点でその実例が挙げられるが、勅撰歌人として『古今和歌集』(101首)以下の勅撰和歌集に435首の和歌作品が入集しているのは歌人の中で最高数であり、三代集時代の絶対的権威者であったといえる。 散文作品としては『土佐日記』がある。日本の日記文学で完本として伝存するものとしては最古のものであり、その後の仮名日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を与えた。 サネカズラ(実葛、学名: Kadsura japonica)はマツブサ科サネカズラ属の常緑つる性木本。 ビナンカズラ(美男葛)ともいうが、これは昔、つるから粘液をとって整髪料に使ったためである。 葉は長さ数cmでつやがあり、互生する。 ふつう雌雄異株で、8月頃開く花は径1cmほど、10枚前後の白い花被に包まれ、中央におしべ、めしべがそれぞれ多数らせん状に集まる。 雌花の花床は結実とともにふくらみ、キイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつくる。 花は葉の陰に咲くが、果実の柄は伸びて7cmになることもあり、より目につくようになる。 単果は径1cmほどで、全体では5cmほどになる。 果実は個々に落ちて、あとにはやはり真っ赤なふくらんだ花床が残り、冬までよく目立つ。 古歌にもしばしば「さねかづら」「さなかづら」として詠まれ、「さ寝」の掛詞として使われる。 名にし負はば 逢坂山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな (藤原定方、百人一首25/後撰和歌集) 日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。 式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。 通称として山王権現とも呼ばれる。 猿を神の使いとする。 西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。 社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。 |
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