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〔『高野山』:『大門』(だいもん)(和歌山県伊都郡高野町高野山)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1.【高野参り】:『大門』(だいもん)高さ25m以上もある鮮やかな総門に立つ巨大な仁王像に迎えら、『空海』(弘法大師)所縁の聖地に入山する・・・^〜^!:(和歌山県伊都郡高野町高野山)〔2018.08.08〕 猛暑の『伊勢参り』を始点に、土砂降りの『那智山』を経て、 『紀伊半島』の聖地めぐり つぎに向かった先は、 『空海』(弘法大師)が修禅の道場として開いた 『高野山』(こうやさん)☆彡 その入り口にそびえる鮮やかな一山の総門は、 高さ25.1mの『大門』☆彡 その左右には江戸中期に活躍した運長と康意の作で 東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像の 凄い迫力でお出迎え! そして、頭上には、色彩が施された様々の可愛い彫り物と 正面には同行二人信仰を表す聯(れん) 「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」☆彡 それでは、御一緒に『高野山』へ・・・^〜^v . 【つづく】 高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。 また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。 出典: http://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#daimon 大門の仁王像(金剛力士立像)は、その大きさからすると、奈良の東大寺南大門の仁王像に次ぐ、我が国二番目の巨像となるようです。阿形像の像高は 546.0センチメートル、吽形像は558.0センチメートルあります。向かって右の阿形像は、京都の仏師であり高野山大仏師をも名乗った康意が造立し、吽形像は同じく京都五条の仏師、運長が造立したことが胎内の背位置に留められていた銘札から判明しています。また両像の造立に関わる関連資料が別に伝わっており、それによると、元禄9年(1696)から10年にかけて、康伝、康意、康敬、運長など、当時の著名仏師による仕様見積書等がそれぞれに提出されていたことがわかりました。当時の仁王像造立過程を知る上で貴重な資料ということから、重要文化財金剛力士立像の付属品として取り扱われることになりました。 出典: http://www.reihokan.or.jp/bunkazai/kenzobutsu/daimon.html 卜居於高野樹下 (居を高野の樹下に卜し) 遊神於兜卒雲上 (神を兜卒の雲上に遊ばしむ) 不闕日日之影向 (日々の影向を闕かさず) 検知處處之遺跡 (處々の遺跡を検知す) 【田村木国 句碑】 山門を出てゝ秋日の谷深し 木国
昭和三十二年七月二十一日 金剛峰寺
田村 木国(たむら もっこく 1889年1月1日 - 1964年6月6日)は、和歌山県出身の俳人・新聞記者。本名省三。笠田町(現かつらぎ町)生。大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校) 卒、三高文科を中退。1910年より大阪朝日新聞社で記者として勤め、のち大阪毎日新聞社に移った。 中学時代より句作を始め、大正初期に行友李風らと洗堰吟社を起こす。1917年、高浜虚子に師事。河東碧梧桐にも師事した。1922年、野村泊月、皆吉爽雨らとともに「山茶花」創刊。1934年、「ホトトギス」同人。1946年、休刊していた「山茶花」を復刊し主宰。「狩くらは大月夜なり寝るとせん」など、句に「大」の字を好んで用い、大らかな写生句を詠んだ。句集に『秋郊』『大月夜』『山行』、随筆に『龍の髭』がある。戦後は毎日俳壇の選者も担当した。1964年6月6日死去、75歳だった。 「夏の高校野球」の創案者 1915年、箕面有馬電鉄会社(現阪急電鉄株式会社)は、沿線開発の一環として建設した大阪豊中のグラウンドを活用するための相談を大阪朝日新聞社に持ちかけた。このとき担当したのが同社に勤めていた木国で、当時人気の高まっていた中等学校野球の全国大会を提案した。これが上司に認められ、木国は大会開催に向けて各地に赴き参加を呼びかけるなど尽力、第1回全国中等学校優勝野球大会(現全国高等学校野球選手権大会)の実現を見、運営の中心として活躍した。この功績により、1951年の大会で日本高等学校野球連盟から「大会の生みの親」として功労賞が授与されている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%9C%A8%E5%9B%BD 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。 2013年7月、初めて24時間営業のコンビニ(ファミリーマート)が開店した。酒類やたばこも取り扱うが、生肉や刺し身は販売しない。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%B1%B1 |
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2018年08月27日
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