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〔『夕空』【2018/08/28 18:40:54】〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『夕空』:夕刻の西のお空を楽しんでいたら、いきなり地震が・・・@^@!:〔2018.08.28〕 こんばんは^^v 夕刻、久しぶりに西のお空を楽しんでいたら 少し揺れました! もうこれ以上、災害はお断りしてです・・・^^v 季節の変わり目、くれぐれも体調に気を付けてお過ごしください☆彡 |
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2018年08月28日
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〔『金堂』:『壇上伽藍』(だんじょうがらん)『金剛峯寺』(こんごうぶじ)・『高野山』(和歌山県伊都郡高野町高野山)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2.【高野参り】:『壇上伽藍』(だんじょうがらん)172年ぶりに高野山開創1200年を記念して再建された『中門』から、『壇上伽藍』と呼ばれる『空海』が在世中に堂宇を営んだエリアへ・・・^〜^!:『中門』・『金堂』他:『金剛峯寺』・『高野山』(和歌山県伊都郡高野町高野山)〔2018.08.08〕 猛暑の『伊勢参り』を始点に、土砂降りの『那智山』を経て、 今回の『紀伊半島』の聖地めぐりの最終地は 『空海』(弘法大師)が修禅の道場として開いた 『高野山』(こうやさん)☆彡 その一段高い土地にある『空海』が在世中に堂宇を営んだ 曼荼羅の道場が『壇上伽藍』(だんじょうがらん)と呼ばれるエリア☆彡 現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、 それでは、『中門』から『金堂』へ、その後は右回りを基本に 『壇上伽藍』をご案内いたします・・・^〜^v . 【つづく】 壇場とは曼荼羅の道場の意。伽藍地が一段高い土地にあるため、一般には「壇上伽藍」と表記される場合が多い。高野山内の西寄り、金堂、根本大塔、西塔、御影堂などの立ち並ぶ一画で、高野山の聖地の1つである。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、現在の諸堂塔は大部分が江戸時代後期から昭和時代の再建であるが、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分である。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BA 中門 平成27年(2015年)4月2日落慶。172年ぶりの再建である。焼失以前の中門には持国天・多聞天の二天像が安置されていたが、2015年に落慶した中門には上記の二天に増長天・広目天像を加えた四天王像が安置されている。持国天・多聞天像(江戸時代末期の作)は、旧・中門の焼失時に難をのがれ、寺内に保管されていたものを、2015年落慶の新・中門に再び安置した。増長天・広目天像は仏師松本明慶により新造されたものである。持国天・多聞天像の修理も松本明慶が担当している。 金堂
昭和元年(1926年)に焼失後、昭和9年(1934年)に再建された鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目になる。現本尊は薬師如来(阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作である。1926年の焼失時、堂内には旧本尊を始め7体の仏像が安置されていたが、堂と共に焼失した。高村光雲作の本尊像は高野山開創1200年を記念し、2015年4月2日から5月21日までの間、初めて開扉された。本尊の両脇に安置されていた6体の仏像(金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像)については、焼失以前に撮影された写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、極めて貴重なものであった。内陣・外陣壁面の仏画は木村武山の筆。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BA |
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