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〔『中町だんじり』:(大阪府岸和田市)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 4[完].続『岸和田だんじり祭』:パレード前の地車めぐり・・・^〜^v:『平成30年度岸和田だんじり祭 岸和田地区』(大阪府岸和田市)〔2018.09.15〕 9月も半ば過ぎ、今月もあと一週間になりました! さて、先㈰(9/15)は、歴史散歩好きな元同僚と 大阪府南部『岸和田市』と『泉大津市』を 町中さんぽ☆彡 ちょうどこの日は、 『岸和田だんじり祭 岸和田地区』の『宵宮』 『岸和田城』から『紀州街道』沿いの名所・旧跡を周っていると 午後13時から始まる『パレード』に向けて準備中の 元気いっぱいの市民の皆さんとともに 点検・整備中の『地車』に出逢いました^^v それでは、9/15の宵宮のヒルメシ時、 午後からのパレード前の地車めぐり、 続きもご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【完】 【平成30年度岸和田だんじり祭 岸和田地区】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/uploaded/life/108745_158600_misc.pdf 中町のだんじりは、大屋根の両角に、見事な房が掛かっていますが岸和田では初めて飾られたものであり、また後ろ旗は金糸・銀糸の刺繍によって、龍が珠を抱いて天に昇る姿を表していて、大変豪華なものとなっています。彫物では、大屋根の垂木と木鼻の唐獅子が口の中に珠をくわえている彫刻は見事です。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/nakamachi.html 大手町町名は、岸和田城大手門の浜手に位置することによる。大手町のだんじりは新調時には「姿千両」と称えられた姿見の良い大型だんじりで、太平洋戦争勃発の緊迫した時期に製作された。特に正面土呂幕「秀吉本陣 佐久間の乱入」はその技巧的な仕上がりは見事で一見に値する。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/ootecho.html 中北町昭和32年の曳き出し、夜明け前の薄曇暗がりの中に、黒のシンプルな法被と白のバッチに身を包み、誇らしげに新調だんじりを曳く中北町の若衆が現れた。当時、バッチの色は「黒」と相場が決まっていたので、その端正で精悍な姿に観衆は大変驚いたと言う。その威勢のよさと進取の気性に富む「中北らしさ」は今日でも受け継がれている。 平成18年だんじりを新調、正面土呂幕には先代と同じ「石川五右衛門 香炉盗」を彫刻し、先代のだんじりを継承しながら勾欄に希少な「黒柿」を使用するなど細部にこだわりを持たせた。また番号持ちに将来町を支えていく子どもたちがより健よかに、より逞しく育ってくれるよう願いを込めて金太郎を復活させた。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/nakakitacho.html 大北町宵宮午前6時、浜七町の先陣を切ってカンカン場へと向かう大北町のだんじりの勇姿は岸和田だんじり祭の幕開けを飾る。だんじりは先代の良さを引き継ぎ、切妻型だんじりの代表格ともいえる姿見の良さを誇る。後連子には昔の大北町の行事が再現されている。また、台木には歌会始めの勅題が刻まれている。纏は秀吉公の千成瓢箪をかたどったもので、岡部公より拝領したと伝えられている。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/ookitacho.html |
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2018年09月24日
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〔『岸和田祭』:(大阪府岸和田市本町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『岸和田だんじり祭』:パレード前の地車めぐり・・・^〜^v:『平成30年度岸和田だんじり祭 岸和田地区』(大阪府岸和田市)〔2018.09.15〕 9月も半ば過ぎ、今月もあと一週間になりました! さて、先自(9/15)は、歴史散歩好きな元同僚と 大阪府南部『岸和田市』と『泉大津市』を 町中さんぽ☆彡 ちょうどこの日は、 『岸和田だんじり祭 岸和田地区』の『宵宮』 『岸和田城』から『紀州街道』沿いの名所・旧跡を周っていると 午後13時から始まる『パレード』に向けて準備中の 元気いっぱいの市民の皆さんとともに 点検・整備中の『地車』に出逢いました^^v それでは、9/15の宵宮のヒルメシ時、 パレード前の地車めぐりを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【平成30年度岸和田だんじり祭 岸和田地区】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/uploaded/life/108745_158600_misc.pdf 本町古い町並みが残る紀州街道沿いに位置する本町。だんじりは豪奢な彫物と、上丹生(醒ヶ井)彫の芸術的な彫物で埋め尽くされている。特に大連子の「大江山」は見事な作品である。纏は岡部公より拝領したと伝えられる唐人笠兜(かさかぶと)。岡部家は朝鮮通信使の接待役を数度務めており、城下で最も栄えていた本町は、藩主の役目に何らかの貢献があり、その恩賞として頂いたものと推測される。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/honmachi.html 中之濱町「水滸伝」と異名をとった先代の名だんじりは昭和20年7月の空襲により焼失。旧市21町では、戦後初の新調だんじりであり、欄干は高級材料である黒檀を用いた「黒欄干」です。また土呂幕はすべて3層張りで奥行きが深く、精巧細密な彫物が自慢です。纏の軍配団扇は江戸時代、城内で行われた相撲大会で町内の力士が優勝し授与された軍配を模したものである。また、正面欄干の番号持ちも横綱の土俵入りとなっています。通称の「なかんば」とは、かつての地名が「中ノ場」であったことによる。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/nakanohamacho.html 南町岸和田城下五町の一つである南町。だんじりは、平成7年に植山良雄により製作された。正面土呂幕には町内天性寺(日本一大きな地蔵堂と言われている)に安置される蛸地蔵尊の縁起にちなみ、蛸に乗った法師が錫杖を手に持ち、敵勢をなぎ倒す「岸和田大乱戦」が独創的に彫刻されている。天井部分の格天井には、見事に十二支が彫られております。纏は、蛸地蔵伝説の蛸の姿を頭に三方正面となっています。 やりまわしの際、綱元が地面に体を倒しながらだんじりを操作するさまは、現在では南町特有である。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/minamimachi.html 中町中町のだんじりは、大屋根の両角に、見事な房が掛かっていますが岸和田では初めて飾られたものであり、また後ろ旗は金糸・銀糸の刺繍によって、龍が珠を抱いて天に昇る姿を表していて、大変豪華なものとなっています。彫物では、大屋根の垂木と木鼻の唐獅子が口の中に珠をくわえている彫刻は見事です。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/nakamachi.html 大工町大工町の象徴である長刀と番匠笠(ばっちょがさ)は、その昔岡部公が大しけに遭遇した際、大工町の漁師がいち早く救助に向かい、無事に岸和田の港まで御座船を守りきった功績により拝領したと伝えられ、その長刀が纏となっています。今も後旗にはその両方が飾られています。町名は、船の建造を請け負う船大工が多数居住していたためで、当初は「船大工町」と称していたが、後に大工町と呼ばれるようになりました。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/daikumachi.html 中之濱町「水滸伝」と異名をとった先代の名だんじりは昭和20年7月の空襲により焼失。旧市21町では、戦後初の新調だんじりであり、欄干は高級材料である黒檀を用いた「黒欄干」です。また土呂幕はすべて3層張りで奥行きが深く、精巧細密な彫物が自慢です。纏の軍配団扇は江戸時代、城内で行われた相撲大会で町内の力士が優勝し授与された軍配を模したものである。また、正面欄干の番号持ちも横綱の土俵入りとなっています。通称の「なかんば」とは、かつての地名が「中ノ場」であったことによる。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/nakanohamacho.html 紙屋町先代だんじりから受け継いだ唐草模様の懸魚(げぎょ)の他、大屋根正面の鬼板に獅子咬(ししがみ)、摺出鼻(すりだしばな)に鯱などを配している。番号持ちは漁師町にふさわしい「順風満帆の宝船」。法被の背中の矢羽根の紋は、天保時代、町内に住む喜助と名のる漁師の親孝行に感心した殿様が、褒美に与えた弓矢一式から取ったと言われています。また、先代の天保12年作の先代だんじりは、岸和田だんじり会館に寄贈されており、来館者の目を楽しませております。 出典: https://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/kamiyacho.html |
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