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〔『山手資料館』:(神奈川県横浜市中区山手町247)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1-4『昼下がりの歴史さんぽ』:『元町公園』から『港の見える丘公園』へ、男二人で横浜山手さんぽ・・・^〜^v:(神奈川県横浜市中区)〔2018.11.16〕 【一か月前の(11/16-11/19)の東京・神奈川・山梨の徘徊旅日記】 初日(11/16)のお昼は、学生時代の級友と『中華街』で再会の昼飲み会、 食後は10年ぶりの再会で話は尽きずで、男二人の横浜山手さんぽ(笑)・・・☆彡 コースは、『中華街』出発して、『元町公園』・『外人墓地』から『海の見える丘公園』を周って 『元町・中華街駅』へ^^v 特に、観光することもなく、歴史ある横浜山手の町並みを楽しむぶらぶら散歩、 それでは、『元町公園』から『海の見える丘公園』までを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 元町公園は、神奈川県横浜市中区元町にある都市公園である。元町商店街から山手にかけての谷戸と呼ばれる地形に位置し、西洋館やプール、弓道場などが配置されている。 1868年ごろ、フランス人実業家のアルフレッド・ジェラールは、居留地77番と呼ばれたこの地を取得。湧水を活用した、船舶向けの給水事業や、「ジェラール瓦」と呼ばれた西洋瓦の工場を開設した。ジェラールが1878年に帰国したのちも後継者により操業が続けられたが、1907年に工場は売りに出された。1920年に大正活映の映画撮影所、1922年に日本人による「ジェラール給水会社」が設立された。1923年の関東大震災では設備が損壊したが、水源は被災者たちを潤した。1927年、横浜市はこの土地の永代借地権を買い取り、1930年に公園とした。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%94%BA%E5%85%AC%E5%9C%92_(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82) 貝殻坂は、神奈川県横浜市中区の元町から山手町に通じる坂である。 谷戸坂、見尻坂、額坂、代官坂、高田坂、汐汲坂、西の坂などとともに、元町から山手の丘に登る坂の一つである。 元町1丁目、みなとみらい線元町・中華街駅近くにある商業ビル「元町プラザ」の裏手に入ると、横浜外国人墓地の裏口で道が左右二手に分かれる。左に入ると横浜地方気象台に至る見尻坂、右側が貝殻坂となる。外国人墓地の西側に沿って左右に蛇行しながら南に向かって登ると、右側に元町公園のブラフ積みの石垣が現れる。頂上付近では石段になり、左に折れて山手資料館付近で山手本通りに突き当る。長さは130mほどである。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E6%AE%BB%E5%9D%82 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 横浜外国人墓地(単に外人墓地とも)は神奈川県横浜市中区山手にある外国人墓地。また、それを管理する財団法人。なお、横浜市には他に3か所外国人墓地が存在する。 19世紀から20世紀半ばにかけての40ヶ国余、4400人余りの外国人が葬られている。1854年(嘉永7年)に、2度目の来航により横浜港に寄港していたアメリカ海軍の水兵ロバート・ウィリアムズ(24歳)がフリゲート「ミシシッピ」のマスト上から誤って転落死し、艦隊を指揮していたマシュー・ペリーはその埋葬地の用意を幕府に要求したため、海の見えるところに墓地を設置して欲しいというペリーの意向を受け横浜村の増徳院の境内の一部にウィリアムズの墓が設置されたことに由来する。その後も外国人死者がその付近に葬られ、1861年(文久元年)に外国人専用の墓地が定められた。 基本的に内部は非公開であるが、3月から12月までの土曜日、日曜日と祝日は公開されている。また埋葬されている人々の業績を紹介する資料館を併設している。キリスト教形式の墓石が多いため意外に思われることが多いが、元々は、現在の元町にあった真言宗準別格本山増徳院の境内墓地であった。平成の初期まで、当地では増徳院による供養も行われていた。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E5%A2%93%E5%9C%B0 |
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2018年12月12日
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