|
〔『阿弥陀如来坐像』:『本堂』・『勝林院』(京都市左京区大原勝林院町187)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2.『勝林院』(しょうりんいん):京都・大原さんぽ、『法然上人』の「大原問答」ゆかりの天台声明の道場をたずねて・・・^^v:『魚山大原寺勝林院』(ぎょざんだいげんじしょうりんいん)〔2019.06.02〕 先日の日曜日(6/2)は、京都・大原へ出かけましたが、 有名過ぎる『三千院』には訪れず前を通りぬけ、 『魚山大原寺勝林院』(ぎょざんだいげんじしょうりんいん)と号する 『勝林院』とお隣の『実光院』訪問☆彡 古くから『来迎院』(左京区大原来迎院町)とともに 天台声明の道場であった古刹は、 文治2年(1186年)、『法然上人』が『顕真』(けんしん)の招請により、 浄土宗義について一昼夜にわたって行われた 「大原問答」行われた所縁の寺院☆彡 それでは、写真撮影のお許し頂いた 『阿弥陀如来坐像』とともに、 至福のひとときを御味わいください・・・^〜^v . 【つづく】 勝林院(しょうりんいん)は、京都府京都市左京区大原三千院の北にある天台宗の寺院。魚山大原寺勝林院(ぎょざんだいげんじしょうりんいん)と号する。魚山大原寺は往生極楽院、勝林院、来迎院とその子院の汎称で[3]、声明の中心地であった中国の長安の外にある山東省に所在する声明の聖地「魚山」の名称に由来する。本尊は阿弥陀如来坐像。法然上人二十五霊跡第21番札所。別称として「問答寺」、「証拠堂」とも呼ばれる。古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であった。 この寺は、承和2年(835年)、円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後寺は荒廃してしまう。 長和2年(1013年)、寂源によって復興され、勝林院が建立された。その際、寂源はここを声明研鑽の地としたので声明も復興された。聖応太師良忍が天仁2年(1109年)に来迎院を再興すると、勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て「魚山大原寺」と総称されるようになった。以来、大原で伝承されてきた声明は「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれ、浄土宗や浄土真宗などの声明の原型でもある。 文治2年(1186年)には法然と顕真などによる宗論、いわゆる「大原問答」がこの寺で行われた。 江戸時代初期、将軍徳川家光の時代に春日局の願によりお江の方、崇源院の菩提のために本堂が再建された。享保21年(1736年)正月の火災により本堂は焼失するが、安永7年(1778年)に再建される。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)があったが、現在は宝泉院・実光院の2院が残る。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E6%9E%97%E9%99%A2 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
3-3.『アメリカン&カントリーライフ』:『ミシシッピ川』渡ってお隣『ミズーリ州』のカントリーな町さんぽして、カントリーな夕飯と観劇のアメリカンライフな午後の後半・・^〜^v:〔2019.05.10〕
|
〔『パルマイラ』(Palmyra,MO)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3-3.『アメリカン&カントリーライフ』:『ミシシッピ川』渡ってお隣『ミズーリ州』のカントリーな町さんぽして、カントリーな夕飯と観劇のアメリカンライフな午後の後半・・・^〜^v:『パルマイラ』(Palmyra,MO)・『クインシー』(Quincy,IL):〔2019.05.10〕 令和はじめての海外旅行は、先月5/8から始まった『米国・友人宅での居候生活』・・・☆彡 第三日目(5/10)は、少し苦手な『オートミール』で始まった一日、 ゆったり、満開のアメリカ原産『花水木』(dogwood)が咲くお屋敷街散歩のあとは、 予定が三つ、まず『ミシシッピ川』の向こう『ミズーリ州』(MO)のカントリーな町 『パルマイラ』(Palmyra,MO)さんぽ☆彡 このエリアは、アメリカ独立戦争で「沼の狐」と呼ばれた 近代ゲリラ戦の父『フランシス・マリオン』にちなんで 『マリオン郡』(Marion County)、 そして、『パルマイラ』はその郡庁所在地☆彡 それでは、郡庁舎を基点に少し町並み散歩して、 ふたたび、『イリノイ州』の『クインシー』に戻って、 友人の教会のお友達とカントリーなお店で、 カントリーな夕飯をいただいて、 近くの市民会館で観劇とつづく、 てんこ盛りのアメリカン&カントリーライフな午後後半となりました・・・^〜^v 『我が家の楽園』(You Can't Take It With You)は、1938年のアメリカ映画。コロンビア映画製作。第11回(1938年)アカデミー賞の作品賞、監督賞(フランク・キャプラ)を受賞した。 軍需工場の経営者カービーが敷地を拡張するために住民を立ち退かせようとするが、ヴァンダーホフ老人が頑張り続けているので、副社長をしている実直な息子トニーの秘書アリスがヴァンダーホフ老人の娘だったこともあり、トニーを説得に行かせる。ただ、トニーはアリスに夢中なので仕事などそっちのけ。 ところが同家を訪れたトニーはびっくり仰天。もともと老人は自由に生きるのが人間の本来の価値だと悟り会社をやめたという人物、我が家でまともなのはアリスただ一人。姉のエシーはお菓子の工場に勤めながらレスラーあがりの変なロシア人にバレエを習っているし、彼女の夫は印刷とお菓子の販売が本業なのだがシロフォンの演奏に熱を上げている。それに加えて玩具や花火をつくっている連中は同居してるわ、アリスの母は劇作家気取りでタイプライターを叩いているわ…。 トニーはすっかりこの一家のペースにのせられてしまい、愛するアリスと一緒に一家の一員になりかけてしまう。息子の愛する女性の暮らし向きが気になったカービーは、ヴァンダーホフ家を訪ねて、あまりのことにビックリ仰天。この時、エシーの夫が印刷したお菓子の包み紙に、不穏な文句が記されていた、というので刑事がやってくる。そこへ地下で花火が爆発、消防車まで出動してしまう。この大騒ぎで裁判沙汰になるが、友人たちが金を集めて罰金を払い、一家を救う。 ヴァンダーホフ老人の「いくら金を儲けても、あの世までには持って行けない」という説明に納得したカービーは土地買収を中止する。トニーとアリスも結ばれ、両家の一族は仲良く手をつないで踊り回る。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E3%81%8C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%A5%BD%E5%9C%92 |
全1ページ
[1]




