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〔『Sunset!』【2019/01/06 16:52:13】〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『Sunset!』:あいにくの曇り空で『部分日食』は見れませんでしたが、見事な『日没』は見れました・・・^^v:〔2019.01.06〕 今日(1/6)は、日本各地で 『平成最後の部分日食』楽したようですが、 我が家からは、 あいにくの曇り空で見れませんでした(涙) でも、夕刻には晴れ間も出始めて、 見事な『日没』と素敵な『夕景』を 見れました・・・^^v 明日(1/7)は、本格的に仕事始めと思いますので くれぐれもご自愛されてご活躍願います☆彡 |
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〔『浜街道』:(大阪府泉大津市神明町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1.『毛布のまち「泉大津」』:可愛い羊ちゃんに迎えられ、綿花と羊毛加工で栄えた町を歴史さんぽ・・・^〜^v:『浜街道』(大阪府泉大津市)〔2018.09.15〕 お正月気分もそろそろお終いの今年はじめて週末、 最近出歩くことも少なくネタ切れになってしまいました(笑) そこで、昨年の(9/15)の記事の続きを少しお楽しみください^^v 歴史散歩好きな元同僚の企画案内で 大阪府南部『岸和田市』と『泉大津市』を町中さんぽ☆彡 記事は、前半『岸和田だんじり祭』の『宵宮』で中締め状態、 今回は続きの『泉大津市』に舞台を移し、 歴史的スポットをご紹介いたします^^v 南海電車『泉大津駅』駅前広場からスタート、 駅前近くの『大津神社』から、 今も江戸時代の家並みが残る『浜街道』へと☆彡 それでは、昨年(9/15)にタイムスリップ・・・^〜^v . 【つづく】 大津神社(若宮町) もともと若宮八幡と呼ばれていましたが、明治41年に近辺の4社を合祀し大津神社と改称しました。 境内には、江戸時代前期の石造物が多く、特に寛永元年(1624年)の石灯ろう2基や寛永20年銘の石鳥居などが目をひきます。 出典: http://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/sogoseisaku/hishokoho/tantougyoumu/shinainomeishokyuuseki/ootujinnjya.html 浜街道 真田紐や毛布が栄えた寺内町 面影を今も残している歴史の息づく街道 紀州街道の海側に平行して走る「浜街道」には、各時代の町屋建築が多数残され泉大津市の貴重な文化資産になっています。工場を象徴するのこぎり屋根や虫籠窓(むしこまど)、鍾馗(しょうき)様が鎮座する屋根飾りなど貴重な建築様式があちらこちに見られ、歴伝統的建造物群と毛布発祥の地として住工が混在する一種独特な歴史的景観をかもし出す街なみとなっています。 出典: http://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/sogoseisaku/hishokoho/tantougyoumu/shinainomeishokyuuseki/hamakaidou.html 【和泉眞鍋城跡碑】 南溟寺(神明町) 南溟寺は、戦国時代の豪族斉藤氏や真鍋氏が居城とした大津城(真鍋城)の跡と伝えられ、正保2年(1645年)から幕末まで伯太藩主渡辺氏の菩提寺でした。 その本堂外陣の左手には、17世紀後半から18世紀初期のものと思われる紙本金地著色の華麗な襖絵4面があり、市内で唯一の本格的な障壁画として貴重なものです。 出典: http://www.city.izumiotsu.lg.jp/kakuka/sogoseisaku/hishokoho/tantougyoumu/shinainomeishokyuuseki/nannmeiji.html 泉大津市(いずみおおつし)は大阪府泉北地域に位置する市。 市名は和泉国の国府の外港(国津)であったことに由来する。和泉木綿の集散地となった江戸時代に真田紐をはじめとした繊維産業が興ると、これを地盤に明治以降毛布の製造が始まり、毛布のまちとして発展した。現在も国内産毛布においては9割超のシェアを占める。 奈良時代には大津の地名が見られ、日本書紀にも登場する。 紀貫之の土佐日記では、小津(をづ)と詠まれている。土佐守の任期を終えて船で京都へ帰る途中、当地を経由して住吉へ向かっている。 ・けふ、からくして、いづみのなだよりをづのとまりをおふ。承平5年2月5日条 ・「ゆけどなほ ゆきやられぬは いもがうむ をづのうらなる きしのまつばら」 菅原孝標女の更級日記では、和泉守であった兄の菅原定義を訪ね、当地から船で京都へ帰っている。 ・冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乗りたるに、その夜、雨風、岩も動くばかり降りふゞきて、雷さへなりてとどろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひたるさま、恐しげなること、命かぎりつと思ひまどはる。 鎌倉時代には大津城(眞鍋城)が築かれ、戦国時代にはその跡地に大津御堂(南溟寺)が建ち、周囲は寺内町の様相を呈した。安土桃山時代の本能寺の変ののち、明智光秀が市内の助松町に現存する蓮正寺に隠棲したと伝えられている。市内の豊中町では、徳政令を約束した光秀に謝恩を表す供養を長年行っていた。 江戸時代、泉州地域において綿花栽培の規模が拡大すると、港湾とその後背地としての在郷町を併せ持つ大津に綿花注文所が設けられ、綿花は船で大坂や堺の問屋に運ばれるようになった。また、原料の集散地に留まらず、真田紐などの加工品の製造も行われるようになった。また、真田紐については、「真田信繁(幸村)が考案し、後藤基次が当地に伝えた。」という伝承がある。 この地盤を活かして、明治時代には毛布の製造を開始。一大生産地に発展した。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%B8%82 |
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