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〔『耐寒地蔵?』:『萬松寺』(ばんしょうじ:山形県山形市平清水247)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 3-2『千歳山』:山形県庁近くの市街地にそびえる里山は、山頂に立つ『阿古耶(あこや)の松』と『阿古耶姫』との悲恋伝説のイケメン山さんぽ・・・^〜^v:〔2019.03.04〕 一か月ほどの前(3/2-3/7)の五泊六日の『山形の旅日記』☆彡 テーマは、【晩冬の山形の山々を雪さんぽ】 第三日目(3/4)は、快晴の青空だった前日とはうって変わった、 朝から、しっかり雪の降る、雪国の一日☆彡 休憩と次回のお目当ての下見をかねての雪口ドライブ、 『山形駅』近くのお宿に帰るのも早すぎるので、 以前から気になっていた『山形県庁』近くの『千歳山』歩き☆彡 多くの市民にも愛される市街地にある里山は、 山頂に立つ『阿古耶の松』と『阿古耶姫』との悲恋伝説が伝わる 円錐形の優雅なイケメンの山容! 朝からの雪も少し残る一周約2時間半ほどの里山あるきを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【千歳山】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 出典: https://www.yamareco.com/modules/yamainfo/ptinfo.php?ptid=5502 萬松寺(万松寺) 山形市の東部にある千歳山は、標高471mで、全山が緑の待つにおおわれている円錐形の優雅な山容である。また、阿古耶の松と阿古耶姫の伝説で有名である。 阿古耶姫は、信夫群司の中納言藤原豊充の娘と伝え、千歳山の古松の精と契を結んだが、その古松は名取川の橋材として伐されてしまったので、姫は嘆き悲しみ、仏門に入り、山の頂上に松を植えて弔ったのが、後に阿古耶の松と称されたという。『夫木集』に、「陸奥のあこやの松に木がくれて、出ずべき月の出やらぬかな」と詠まれている。 阿古耶の松については、『平家物語』の一項にもあり、実方中将が阿古耶の松を尋ねんとする一文がある。 萬松寺には、白鳳時代に阿古耶姫によって開かれたと伝えられ、現在、阿古耶姫の木像が安置され、また墓地には、実方中将の墓碑(板碑)と阿古耶姫・中将姫の墓塔がある。 出典: http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/cgi-bin/search/search.cgi?d01=886&panel=detail 阿古耶の松 山形市千歳山 みちのく信夫(しのぶ)(福島県)の領主の藤原豊充に、阿古耶姫といふ娘があった。ある夜、姫が琴を奏でると、どこからか笛の音が聞こえてきた。笛の主は、名取(なとり)左衛門太郎と名告る若者で、その日から二人は、毎日の逢瀬を重ねるやうになった。ある日、太郎は「自分は出羽国の最上の浦の平清水の老松の精である」と言ひ残して去ってしまった。 そのころ、名取川(宮城県)の洪水で橋が流され、村人は架け替への材木に困ってゐた。占者の占ひによると、出羽の平清水の老松を用ゐれば二度と流されることはないといふ。そこで大勢で出かけて老松を切り倒しはしたが、老松はなかなか動かせなかった。村長が神のお告げを乞ふと、「みちのく信夫の阿古耶姫といふ者が来れば動くだらう」といふ。さっそく使を遣って姫を招くと、姫は変はり果てた老松の上で泣き伏したといふ。 やがて橋が完成すると、姫は老松を偲んで切株のそばに若松を植ゑ、庵をいとなんで老松の霊をとむらった。その松が育って、千歳山を覆ふ松となり、庵は今の万松寺(山形市滝沢)のもとになったといふ。
○消えし世の跡問ふ松の末かけて、名のみ千歳の秋の月影 阿古耶姫
長徳の頃、阿古耶の松を捜し尋ねた藤原実方(宮城県笠島の項参照)の娘、中将姫は、父の死を知り、父に代はって阿古耶の松を捜す旅に出た。やうやく千歳山の麓に至ったが、ふと小川の水に我が身を映して見ると、長旅にやつれた自分の姿に嘆くばかりだった。○みちのくの阿古耶の松に木隠こ がくれて、出でたる月の出でやらぬかな 夫木抄
○いかにせん。映る姿はつくも髪、わが面影は恥しの川 中将姫
万松寺には、姫の建てた実方の墓と、姫自身の墓もある。出典: http://nire.main.jp/rouman/fudoki/06yama04.htm |
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