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〔『朝月』:【2019/05/23 6:48:43】〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『五月晴に浮かぶ朝の月』:令和元年五月二十三日のおはようごうざいます☼彡:〔2019.05.23〕 令和元年五月二十三日のおはようごうざいます☼彡 今日も雲一つない五月晴れで始まった 元号『令和』になって、二十三日目の朝空☼彡 今日も合言葉は、『いつも、げんきぃ〜!』 素敵な一日をお楽しみください(^^♪ |
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2019年05月23日
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〔『美保関灯台』:『地蔵崎』:(島根県松江市美保関町美保関字大平)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2-3.『美保関灯台』:『島根半島』最東端『地蔵崎』に建つ山陰最古の白亜の石造灯台さんぽ・・・^〜^v :〔2019.04.22〕 平成最後の一か月前(4/21-4/23)の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第二日目(4/22)は、級友の運転で 『島根半島』(しまねはんとう)巡り☆彡 北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海、宍道湖に囲まれた 自然も歴史も豊かな半島! あっちこっちと、寄り道しながらやっとたどり着いた 航海安全を念じ奉納された多くの地蔵から名付けられた 半島の最東端『地蔵崎』☆彡 また、神話の時代には『美保ヶ崎』と呼ばれ 国譲りの際、事代主命が漁をしていたとされる岬には、 1898年(明治31年)初点灯の山陰最古の可愛い白亜の石造灯台 『美保関灯台』が建っています☆彡 それでは、ご一緒に『美保関灯台』をぐるりとひと回り 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 美保関事件(みほのせきじけん)は、1927年(昭和2年)8月24日に大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦艇の多重衝突事故である。美保関沖事件、美保ヶ関事件ともいう。 日本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約(大正10年11月締結)の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された。連合艦隊司令長官加藤寛治大将は東郷平八郎元帥から激励された「訓練に制限無し」を掛け声として、1926年(大正15年)11月以来、猛訓練と個艦優秀主義によって戦力の劣勢を補おうとした。 翌1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖での徹夜の夜間無灯火演習中に川内型軽巡洋艦2番艦「神通」(第五戦隊3番艦。神通艦長水城圭次大佐)と駆逐艦「蕨」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。蕨駆逐艦長五十嵐恵少佐)が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失して大破、「蕨」は沈没した。 このとき「神通」を避けようとした後続の川内型3番艦「那珂」(第五戦隊4番艦。那珂艦長三戸基介大佐)も駆逐艦「葦」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。葦駆逐艦長須賀彦次郎少佐)に衝突、両艦も大破した。一連の経緯により、事故発生時の神通艦長水城圭次大佐は自決した。 「世界灯台100選」および「日本の灯台50選」に選ばれている日本を代表する灯台の一つで、その歴史的文化財的価値が高さから、Aランクの保存灯台に指定され、灯台として初の登録有形文化財に登録された。 灯台横の旧吏員退息所の建物は現在、美保関灯台ビュッフェという飲食店に改装され活用されている。 1930年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が地蔵埼を訪れており、夫妻が残した歌が灯台施設前の石碑に記されている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E9%96%A2%E7%81%AF%E5%8F%B0 |
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