|
〔王宮の丘・漁夫の砦から、ハンガリー・国会議事堂を望む〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-05.ハンガリーの首都:ブダペスト『王宮の丘:漁夫の砦(Halászbástya)にて・・・』〔2008.07〕 王宮の丘の一番の僕のお気に入りの場所は、 ドナウ川と対岸のペスト地区が一望できる 『漁夫の砦(Halászbástya)』・・・ 1896年の定住千年祭記念の一環として20世紀初頭に造られた回廊展望台で、 実際に砦として使われたことはありません。 かつて魚市があった場所に造られたため、 漁夫の砦と名付けられました。 印象的な7つの小振りな尖塔は、 ハンガリーを建国したマジャール人の7部族を表しています。 砦からは、眼下にドナウ川と対岸のペスト地区が一望でき、 その美しい景色に目を見張ることでしょう。 レストランやお土産品を売っているお店が、たくさん並んでいます。 出典: 在ハンガリー日本国大使館HP |
ブダペスト:2008.07
[ リスト | 詳細 ]
|
〔ハンガリーの郵便ポスト〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-04.ハンガリーの首都:ブダペスト『王宮の丘:ハンガリーのお土産品のご紹介〜〜〜』〔2008.07〕 ハンガリーの首都:ブダペストの『ブダ地区』は、ドナウ川の右岸 ブダ地区の中心地は、『王宮の丘』 王宮の丘は、『観光の中心地』・・・ レストランやお土産品を売っているお店が、たくさん並んでいます。 ハンガリーのお土産品をご紹介いたします〜〜〜 |
|
〔マーリア・マグドルナ塔の前庭にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-03.ハンガリーの首都:ブダペスト『王宮の丘:ベーチ門から、マーリア・マグドルナ塔へと、ゆっくり散策・・・』〔2008.07〕 ハンガリーの首都:ブダペストの『ブダ地区』は、ドナウ川の右岸 ブダペストの歴史の始まった場所 王宮の丘の北の入り口:ベーチ門(ウィーン門) 1936年にトルコ軍から開放250年を祝って作られた石門 そして、マーリア・マグドルナ塔:第二次世界大戦の傷跡を痛々しく残す塔 13世紀にハンガリー語を話すハンガリー人のために建てられた教会の一部 戦争の悲惨さを忘れないために、その傷跡のままに・・・ 小雨の『王宮の丘』の観光客のいない静かな雰囲気をお楽しみください。 |
|
〔ドナウ川、セーチェーニ鎖橋(Széchenyi Lánchíd)とペスト地区の街並み〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-02.ハンガリーの首都:ブダペスト『ケーブルカーで王宮の丘へと、ゆっくり散策・・・』〔2008.07〕 ハンガリーの首都:ブダペストの『ブダ地区』は、ドナウ川の右岸 ブダペストの歴史の始まった場所 ドナウ川の西側は、紀元前8年、ローマ帝国による ドナウ辺境城砦線でローマ帝国の属州に・・・・ ブダ城は、15世紀にはルネサンス様式の美しい城館だったらしい しかし、1686年ハプスブルクによって完全に破壊され、 現在、美術館として存在する『王宮』は、19世紀後半に オーストリア=ハンガリー二重帝国時代に増改築されたもの。 さっそく、くさり橋を渡った近くにある「シクロ」と呼ばれるケーブルカーで 60メートルの高さの丘の上から、ドナウ川越しのペスト側の素敵な街並みを・・・ その後は、ドナウ川の反対のブダ地区の街を眼下に眺めながら、ゆっくり散策、 まずは、『軍事歴史博物館』までの道のりをお楽しみください。 |
|
〔セーチェーニ鎖橋(Széchenyi Lánchíd)〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-01.ハンガリーの首都:ブダペスト 『王宮の丘とドナウ川, そしてセーチェーニ鎖橋・・・』 〔2008.07〕 ハンガリーの首都:ブダペストの一夜明けての日は、残念ながら小雨で始まりました ホテルの部屋からのドナウ川の向うにそびえ立つ王宮の丘が気になります。 さっそく、セーチェーニ鎖橋を渡りそのお膝元へ・・・ なんと、鎖橋には大きな穴がいたるところに、これでは『腐り橋』??? この街には、可愛く走り回っている『トラム(路面電車)』がとっても似合います。 セーチェーニ鎖橋(Széchenyi Lánchíd)は ハンガリーの首都・ブダペストを流れるドナウ川に架かる吊り橋である。 全長375メートル。ブダペストのドナウ川で最初に架かった橋であり、 西岸のブダ地区と東岸のペスト地区を結んでいる。 イギリス人の技師ウィリアム・ティアニー・クラークが設計し、 建設はスコットランド人アダム・クラークの監督と ハンガリー人セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵の支援のもとでなされた。 1849年に開通した当時は中央径間(202メートル)が世界最長だった。 夜間ライトアップされ、連なる電球が鎖のように見えることから鎖橋と呼ばれる。 橋の両側はルーズヴェルト広場とアダムクラーク広場になっている。 アダムクラーク広場はハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、 原標が設置されている。 橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は1852年に設置された。 このライオン像に関して、舌がないので人々が彫刻家をからかい、 彫刻家はドナウ川に投身自殺してしまったという逸話が有名だが 実際は舌はあり(ただし像を見上げると見えない)、 彫刻家は1890年代まで存命であった。 |





