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〔『雷門』(かみなりもん):正式名称『風雷神門』(ふうらいじんもん):『浅草寺』(せんそうじ):(東京都台東区浅草2丁目3番1号)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『浅草寺』(せんそうじ):二十年ぶりの『浅草』は、小学生と異国の方々で大賑わい・・・^〜^v:(東京都台東区浅草2丁目3番1号)〔2017.02.09〕 もう10日以上も過ぎてしまいましたが 先日(2/8)は、元職場の先輩の受賞作を観に上京☆彡 さて、翌日(2/9)は、最後の東京在勤時代から二十年ぶりの浅草見物☆彡 東京の下町を楽しみたくて出かけた『浅草寺』(せんそうじ)、 『雷門』は世界各地からの異国の人たちの言葉が行き交う 未知の世界への入場門! そして、『宝蔵門』に至る表参道、 両側に土産物、菓子などを売る商店が立ち並ぶ『仲見世』は、 社会勉強のための白帽子の小学生たちが目立つ スイーツ万国博覧会場☆彡 それでは、大きな赤ちょうちんと真っ赤な山門とともに 世界的な名所となった『浅草寺』を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある、東京都内最古の寺である。 山号は金龍山。 本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。 元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。 観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。 東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。 江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 雷門(かみなりもん)は、浅草寺の山門。東京都台東区浅草一丁目2番 - 3番地に位置する。 正式名称は風雷神門(ふうらいじんもん)であり、「雷門」と書かれた提灯の逆側には「風雷神門」と書かれている。 門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配される、朱塗りの山門である。門の中央には、重さ約700Kgの提灯が吊りさげられており、浅草のランドマークとなっている。 日本を象徴する風景として、外国人向けに日本を紹介するパンフレット、お土産のレリーフなどに採用されることが多い。 仲見世(なかみせ)は、雷門から宝蔵門に至る表参道の両側には土産物、菓子などを売る商店が立ち並び、「仲見世」と呼ばれている。 商店は東側に54店、西側に35店を数える。 寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 宝蔵門(ほうぞうもん)は、雷門をくぐり、「仲見世」の商店街を抜けた先にある。 入母屋造の二重門(2階建てで、外観上も屋根が上下二重になっている門)である。 現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造で、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられたものである。 門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては「仁王門」と呼ばれていたが、昭和の再建後は宝蔵門と称している。 その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっている。 2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。 阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。 門の背面左右には、魔除けの意味をもつ巨大なわらじが吊り下げられている。 これは、前述の村岡久作が山形県村山市出身である縁から、同市の奉賛会により製作奉納されているもので、わら2,500kgを使用している。 耐震性の向上と参拝客に対する安全確保のため平成19年(2007年)に屋根改修工事を行い、軽量さと耐食性に優れたチタン成型瓦を全国ではじめて採用した。 使用したチタンは表面にアルミナブラスト加工を施したものでそれらをランダムに配置することで土瓦特有の「まだら感」を再現し、瓦と変わらない外観となっている。 また、主棟・隅棟・降棟・妻降棟すべての鬼飾もチタンで製作された。 本堂は、本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれる。 旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。 現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。 外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画がある。 |
【関東の四季さんぽ】
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〔自由学園『明日館』(みょうにちかん):(東京都豊島区西池袋2-31-3)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 自由学園『明日館』(みょうにちかん):『婦人之友社』を設立した『羽仁もと子』夫婦が、『フランク・ロイド・ライト』の設計で建てた『自由学園』創設の校舎に出逢う・・・^〜^v:『目白キャンパス』(東京都豊島区西池袋2-31-3)〔2017.02.08〕 もう10日以上も過ぎてしまいましたが 先日(2/8)は、元職場の先輩の受賞作を観にあさイチのフライトで上京☆彡 そして、午後出かけた先は、池袋駅近くの自由学園『明日館』(みょうにちかん)☆彡 『明日館』のHPによると 1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。 明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。 1997年(平成9)5月、国の重要文化財指定を受けた、 ライトが設計した数少ない現存する建物の一つです☆彡 . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。 アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。 ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる。 羽仁 もと子(はに もとこ、1873年9月8日 - 1957年4月7日)は、日本で女性初のジャーナリスト。 また、自由学園の創立者。 また家計簿の考案者としても知られている。 羽仁吉一(はに よしかず、1880年5月1日 - 1955年10月26日)は、ジャーナリストであり、教育者。 妻の羽仁もと子とともに自由学園を創立した。 学校法人自由学園(がっこうほうじんじゆうがくえん)は、東京都東久留米市学園町にある学校法人。 クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日、キリスト教精神(プロテスタント)に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立された。1934年に校舎を東京府北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転し、現在にいたる。 学校名は、新約聖書『ヨハネによる福音書』8章32節「真理はあなたたちを自由にする」からとられている。 学生の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理はとくに危険な仕事を除きすべて生徒の手によって行われている。これは毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づく。文部科学省の学習指導要領にとらわれない独自の教育方法で知られ、たとえば学生による稲作(田植え・収穫)、女子部生徒が学園内農場で野菜を育てる農芸、男子部生徒による酪農(豚・牛を育てる)など、それによって得た給食調理も生徒自身が行っている。 |
『旧乃木邸』・『日比谷公園』:都心の歴史を伝える公園二か所にブラリ寄り道・まわり道・・・^〜^v:『乃木公園』(港区赤坂8-11-32)・『日比谷公園』(千代田区日比谷公園1)〔2017.02.08〕
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〔『旧乃木邸』:『乃木公園』(東京都港区赤坂8-11-32)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『旧乃木邸』・『日比谷公園』:都心の歴史を伝える公園二か所にブラリ寄り道・まわり道・・・^〜^v:『乃木公園』(港区赤坂8-11-32)・『日比谷公園』(千代田区日比谷公園1)〔2017.02.08〕 もう10日も過ぎてしまいましたが 先日(2/8)は、元職場の先輩の受賞作を観に上京☆彡 関連記事-『第61回 新槐樹社展』: http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/43163633.html 開場同時に入賞作を拝見☆彡、 今も現役の元同僚との昼食まで少し時間があったので 『乃木坂駅』近くの『乃木公園』に保存されている『旧乃木邸』へ☆彡 大日本帝国陸軍の重鎮で、学習院院長でもあった『乃木希典』大将の旧邸は、 ドイツ留学中に見たフランス軍の建物を基に建てたと伝わる 今も大切に『乃木公園』の一角に現存する 軍人の家らしく、飾り気のない簡素な建物。 元同僚と久しぶりに普通のサラリーマン?の昼食をいただき、 東京在職時代には、お昼休みを過ごすことが多かった 懐かしの『日比谷公園』に少しまわり道して、 次の目的地へと・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。 日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。 階級は陸軍大将。 栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。 第10代学習院院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。 「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。 日比谷公園(ひびやこうえん)は、東京都千代田区に所在する公園、および同公園を町域とする千代田区の町名である。 公園の土地の一部は国有地である。 東京都建設局が所管する都立公園であり、東京都公園協会に管理を委託している。 都市計画法第11条(都市施設)に基づく名称は、北の丸公園、皇居外苑の一部と合わせて「東京都市計画公園第5・8・23号中央公園」である。 |
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〔『富士山頂』:『ANA#33便』(東京/羽田〜大阪/伊丹)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『夕刻の東海道空中さんぽ』:夕陽とともに、東京/羽田から大阪/伊丹へ・・・^〜^v:『ANA#33便』(東京/羽田〜大阪/伊丹)〔2016.02.09〕 今年も出かけた元職場の先輩の作品求めての東京、 帰宅のフライトは夕刻の東京/羽田〜大阪/伊丹 『ANA#33便』☆彡 座席は、『富士山』側の前方・右側窓席^^v 余裕をもって、ANAラウンジでひと休み、 目の前を離着陸する機材を眺めながらの至福のひととき^^v お目当ての『富士山』、 頂上付近には雲がかかっていましたが 雄姿を観れて満足☆彡 天候にも、視界にも恵まれたフライトでした。 それでも、夕刻のフライト、 狭い機内ですが、機上からの風景を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v |
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〔『富士山』:『ANA#14便』(大阪/伊丹〜東京/羽田)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『朝の東海道空中さんぽ』:朝一番のフライトで、大阪から東京・六本木へ・・・^〜^v:『ANA#14便』(大阪/伊丹〜東京/羽田)〔2016.02.08〕 おはようございます^^v 今日は、『建国記念日』☆彡 初代天皇とされる『神武天皇』の即位日(紀元前660年1月1日 (旧暦))より、 その即位月日を明治期に新暦に換算した2月11日を「建国記念の日」としている。 さて、毎年の時期に、東京に出かけている僕ですが、 今年も、月曜日(2/8)の朝一番のフライトで、 お空から東海道を、六本木へ・・・☆彡 いつも、この時季の関東地方は大雪の予報なのですが、 何とか雪も降らず無事に実行できました。 それでも、冷え込んだ朝のフライト、 機上からは眺めは、寒さ感じる厳冬の風景! 楽しみの『富士山』は、雲の蓑笠(みのかさ)も被って 朝の御挨拶☆彡 それでは、『朝の東海道空中さんぽ』 狭い機内ですが、機上からの朝の風景 『大阪/伊丹〜東京/羽田』をお楽しみください・・・^〜^v |




