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〔『酒蔵通り』:『肥前浜宿』:(佐賀県鹿島市浜町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1-2.『肥前浜宿』(ひぜんはましゅく):江戸時代の宿場町そのままの土蔵造りの家並残る酒蔵通りチャリンコ散策・・・^〜^v:(佐賀駅〜肥前浜宿:鹿嶋市浜町〜佐賀ワシントンホテルプラザ)〔2016.08.30〕 こんにちは^〜^v 昨日は、青春18きっぷで城崎温泉外湯めぐり(五湯)して 投稿すっかり遅くなってしまいました・・・トホホ さて、先日のチャリンコ担いでの旅:二泊三日佐賀・福岡 初日(8/30)のお目当ては、 江戸時代の宿場町の雰囲気のなか、 白壁の酒蔵ならぶ酒蔵通りを堪能できる 宿場町肥前浜宿(ひぜんはましゅく)☆彡 佐賀駅から実走行往復80kmを 半日のチャリンコ散策です。 『佐賀平野』は、『有明海』に面した 九州でも有数の穀倉地帯の米どころ! 元気いっぱいに育った稲穂をたのしみながら チャリンコ・タイム^^v あいにく、往路は想定以上の有明海からの向かい風、 普通の半分程度のチャリンコ速度・・・トホホ 佐賀県鹿島市の目的地『肥前浜宿』には、 お気に入りのお酒『鍋島』の蔵元の 『富久千代酒造』も☆彡 お空は強風のおかげでお真っ青に そこに浮かぶ白壁続く『酒蔵通り』は、 僕ひとりの貸し切り状態^^v 江戸時代の宿場町の風情をゆっくり堪能し、 復路は追い風で予定の時刻に 佐賀駅前のビジネスホテルに 無事チェックイン☆彡、 夜は、地元に住む同期のお友達と再会し、 楽しい乾杯・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 肥前浜駅(ひぜんはまえき)は、佐賀県鹿島市浜町にある、九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅。 駅舎は木造。 鹿島市観光協会の観光案内所が入居しているが、切符の販売等は行われていない。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 愛される地酒造りを目指し、皆様からの熱い応援にも勇気をいただき、 自分の想いを「鍋島」として結実させることができました。 私が酒造りを続ける限り、この世から日本酒の伝統文化が消えない限り、 「鍋島」は永遠に未完成であり、次の担い手に繋いでいくものなのかもしれません。 浜川の河口につくられた在郷町で、古い街並みが残る地区です。 江戸時代には長崎街道の脇街道である多良海道(多良往還)の宿場町として栄えました。 また、多良岳山系の良質な水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸時代より酒造りが盛んな地区で今でも酒蔵が残るまちなみは通称「酒蔵通り」と呼ばれています。 江戸時代後期から昭和初期にかけての建物が多く、土蔵造りや茅葺町家、洋館風などが立ち並んでいます。 昔から地区を業種ごとに住み分けしていた名残で、商家町、漁師町、下町、田園風景など、通りの雰囲気が変化に富んでいます。 平成18年(2006年)「浜中町八本木宿」と「浜庄津町浜金屋町」が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 |
【チャリンコで四季さんぽ】
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〔『明石海峡大橋』:(明石海峡:兵庫県淡路市-神戸市)上空にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1-1.『チャリンコ飛行機に乗る』:久しぶりのチャリンコ担いでの旅、スタートは大阪・伊丹空港から福岡空港へ・・・^〜^v:ANA#421便・大阪・伊丹〜福岡〔2016.08.30〕 おはようございます☆彡 先日は、久しぶりにチャリンコ担いでの旅、 8/30-9/1の二泊三日で佐賀県・福岡県の一部を一人旅☆彡 前日までは台風の影響で土砂降りでしたが、 台風一過の快晴のスタートになりました^^v 愛車の『GIANT:MR-4F』折りたたんで、 専用のケース(バッグ)に収容し 余裕を持ってのチェックイン! 台風一過の機上からは眼下に広がる 大阪市街・大阪湾岸、 関西空港も神戸空港も、 そして、明石海大橋を眺めるころには 搭乗機は、大小多くの島々が浮かぶ瀬戸内海上空☆彡 わずか一時間ばかりフライトで、 無事、福岡空港着陸です・・・^〜^v . 【つづく】 |
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〔『進々堂・京大北門前』:(京都府京都市左京区北白川追分町88)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『北白川・東山路』:老舗の老舗で朝カレー、『哲学の道』を南下して、半日で見どころ巡り・・・^〜^v:進々堂・京大北門前〜哲学の道〜永観堂〜南禅寺〜知恩院〜八坂神社〜京都駅〔2015.10.01〕 こんばんは☆彡 昨日から、新しい月『10月』になりました☆彡 さて、東京のチャリンコ友達3人と 一年ぶりにチャリンコの旅。 第三日目(10/01)は、京都在住のお友達のお友達宅から 朝ごはんを食べに、京都大学・北門近くのカフェへ^^v 日本人としてはじめて パリへパン留学した 『続木斉』(つづきひとし)が 昭和5年(1930年)3月 に 『ノートルパンコティディアン』(日毎の糧の店)と命名創業した、 今年で85歳のカフェ『進々堂・京大北門前』。 僕は、名物のカレーと老舗のパンとのコラボ 『カレーパンセット』で朝カレー・・・^^v お友達は、昼過ぎの新幹線で東京へ帰る予定なので、 北白川・東山の見どころを半日で早回り。 まずは、『哲学の道』を南下して、 北白川・東山の見どころ巡って お土産の『阿闍梨餅』を買うための余裕もある時刻に 無事に『京都駅』到着☆彡 昨日は、午後から大荒れの天気予報、 僕も、阪急・河原町駅まで走って、 早目の帰宅となりました・・・^〜^v この日の走行距離は半日で約20km、今回の三日間で約150kmでした☆彡 . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 店名:進々堂 京大北門前 (シンシンドウ) TEL:075-701-4121 住所:京都府京都市左京区北白川追分町88 営業時間:8:00〜18:00(L.O.17:45) 朝食営業、ランチ営業、日曜営業 【哲学の道】(てつがくのみち)は、京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道である。 永観堂付近にある熊野若王子神社横から始まり、銀閣寺道バス停付近の白川通今出川交差点まで続く。 熊野若王子神社から大豊神社参道までは琵琶湖疏水分線が山裾に沿って流れており、 疎水の山側は自然の森となっており、対岸側に桜並木がある。 そのため春は桜、秋は紅葉が美しい区間である。 近年は廃業した喫茶店に住み着いた多くの猫が有名になりつつある区間でもある。 それより北側は両側が住宅地となり、疏水の両岸に桜並木が植えられている。 歩道も東側にもある場合があるが、よく整備されているのは西側だけである。 桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客でにぎわう。 明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。 その後、京都学派の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが散策したため「哲学の小径」と云われたり、 「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。 1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、 相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになった。 日本の道100選にも選ばれている散歩道である。 道の中ほどの法然院近くには、西田が詠んだ歌 「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑がある。 ・哲学の道になじむ情緒 銀閣寺から南にのびる哲学の道に面した、趣きある純和風のカフェ併設店舗。 自然に抱かれた美しい庭園とともに、お買い物やくつろぎの時間をお楽しみください。 京都市左京区鹿ヶ谷法然院町15 Phone.075-754-0010 営業時間/9:45〜18:00 無休 【禅林寺】(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。 一般には通称の【永観堂】(えいかんどう)の名で知られる。 山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。 本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。 当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。 また、京都に3箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。 【南禅寺】 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。 山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。 日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、 日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。 【琵琶湖疏水】は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。 両疏水を合わせ、23.65m3/s[1]を滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。 その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑、工業用水などに使われる。 また、疏水を利用した水運も行なわれた。 【水力発電】は、通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。 その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、 さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。 【水運】は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見・宇治川を結んだ。 落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、 船は線路上の台車に載せて移動された。 水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、 蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。 無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、 また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。 一部の区間は国の史跡に指定されている。 また、疏水百選の一つである。 【青蓮院】(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。 山号はなし。 開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。 現在の門主(住職)は、旧東伏見宮家の東伏見慈晃。 青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。 「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、 青蓮院は多くの法親王(天皇の皇子や伏見宮家などの皇族の男子で出家後に親王宣下を受けた者)が 門主(住職)を務め、宮門跡寺院として高い格式を誇ってきた。 江戸時代に仮御所となったことがあるため「粟田御所」の称もある。 日本三不動[1]の1つ「青不動」のある寺としても知られる。 【知恩院】(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。 山号は華頂山(かちょうざん)。 詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。 本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。 浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、 現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。 徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、 今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。 【八坂神社】(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。 二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。 通称として祇園さんとも呼ばれる。7月の祇園祭(祇園会)で知られる。 【京都駅】(きょうとえき)は、京都府京都市下京区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)・京都市交通局(京都市営地下鉄)の駅である。 日本有数の観光都市である京都市の玄関となる駅であり、 東海道新幹線の全列車が停車するほか、JRには北陸・山陰・関西空港・南紀方面、 近鉄には奈良・橿原神宮・伊勢志摩など、各地を結ぶ特急列車が発着する。 JRについては在来線特急の発着種類が日本一多い駅である。 観光客はもちろん、京都市内あるいは各線乗換利用の通勤通学客も多く、 1日平均の乗降人員が各社合計で67万人を超える日本でも有数のターミナル駅である。 第1回近畿の駅百選に選定された。 【阿闍梨】(あじゃり、あざり、サンスクリット:ācārya アーチャーリヤ、阿舎梨・阿闍梨耶とも音写)は、 サンスクリットで「軌範」を意味し、漢語では師範・軌師範・正行とも表記するが、 その意味は本来、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のことである。 京都名産の菓子【阿闍梨餅】は、比叡山の千日回峰行の阿闍梨がかぶる網代笠を模したことからこの名がついたとされる。 http://www.ajyarimochi.com/img_aja/naka_hidari_aja.jpg 出典: http://www.ajyarimochi.com/a_ajarimochi.html |
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〔『竜宮城の大盛海鮮皿』:『伏見』(京都府京都市東山区三条大橋東入ル二町目76)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2.『宇治路』:浜大津から、醍醐寺経由で平等院、サウナで汗流して、大反省会・・・^〜^v:浜大津・琵琶湖ホテル〜醍醐寺〜平等院〜京都サウナ・スバ〔2015.09.30〕 おはようございます☆彡 昨日から、新しい月『10月』になりました☆彡 東京のチャリンコ友達3人と 一年ぶりにチャリンコの旅。 第二日目(9/30)は、 琵琶湖の畔のお宿『琵琶湖ホテル』から、 旧東海道を『逢坂山』越えて、 京都・山科から、 『醍醐寺』に寄り道して、 宇治の『平等院』へ☆彡 その後は、今宵の宿は京都在住の お友達のお友達のお宅で一休みして、 たっぷり汗を流しに、 京都のサウナの老舗『京都サウナ&スパ』、 この日の走行距離は、余裕の約50km...! そして、待望の大反省会は、 これまた京都では有名な味の店『伏見』で、 まるで竜宮城のような大宴会・・・^^v しっかり、反省いたしました(笑) それでは、秋晴れの宇治路の一日を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 僕の合言葉は、『いつも、げんきぃ〜♪』 . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【大津港】(おおつこう)は、滋賀県にある港で、国土交通省指定地方港湾である。 湖面標高84mの琵琶湖に面する。 所在地は滋賀県大津市の浜大津。 かつては琵琶湖湖上水運の拠点として栄えた。 鉄道網の整備に伴い斜陽となった後は、遊覧船の発着拠点となっているほか、 官公庁などが運航する各船の拠点にもなっている。 また、併設のマリーナや公園として整備された緑地など、多用途のレジャーに利用されている。 施設は滋賀県が管理しているが、 港湾施設などは琵琶湖汽船が、マリーナは関西メンテナンス滋賀が指定管理者となっている。 【醍醐寺】(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山の寺院。 山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。 本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。 古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。 伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。 【宇治橋】(うじばし)は、646年(大化2年)に初めて架けられたという伝承のある、 京都府宇治市の宇治川に架かる橋である。 「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる。 宇治橋のいわれは、東詰の橋寺放生院にある「宇治橋断碑」に刻まれている。 断碑の上半分は、奈良時代のものと言われ、江戸時代に境内から掘り出され、下部を補ったものである。 その断碑には、宇治橋を架けたのは僧道登とあるが、続日本紀は道昭だという。 『延喜式』には、「宇治橋ノ敷板、近江国十枚、丹波国八枚、長サ各三丈、弘サ一尺三寸、厚サ八寸」とある。 現在の橋は、1996年(平成8年)3月に架け替えられたもので、長さは155.4m、幅25mある。 桧造りの高欄は、橋の姿が宇治川の自然や橋周辺の歴史遺産と調和するように、 擬宝珠を冠した木製高覧という伝統的な形状を使用している。なかでも歴史を象徴する上で材質が重要である事から、強度の高い檜を使用してある。 この改築で、現存する最古の1636年(寛永13年)の刻印がある擬宝珠の、形状と大きさに合わせてある。 なお、宇治橋の擬宝珠を確認できる最古の作品は鎌倉時代後期に描かれた石山寺縁起である。 上流側には張り出した場所を設けてあり、これは橋の守り神である橋姫を祀る、「三の間」である。 豊臣秀吉が、ここから茶の湯を汲ませたという逸話がある。 現在でも「茶まつり」では、ここの水を汲んでいる。 【平等院】(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。 平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、 「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。 宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。 本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。 【万寿寺】(まんじゅじ)は、京都市東山区にある東福寺の塔頭である。 かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えた。 非公開のため拝観はできない。 【要法寺】(ようぼうじ)は、京都府京都市左京区新高倉通孫橋上ル法皇寺町にある日蓮本宗の本山。 山号は、多宝富士山。 日興の法脈を継承する富士門流に属し、静岡県駿東地方に分布する富士五山や、保田妙本寺、伊豆実成寺とともに、同門流の興門八本山を構成している。 開基は日尊。1308年(延慶元年)、日尊は、諸国を遍歴し、京都山城に法華堂を建立した。 1550年(天文19年)、日辰により上行院と住本寺を統合して要法寺が建立された。 日蓮本宗は、宗祖日蓮、二祖日興、三祖日目、日尊は日蓮本宗第4代である。 市街地の中に1万3500平方mの境内をもち、歴史ある建築が並ぶ。 【店名: 伏見 (ふしみ)】 |
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〔『琵琶湖・南湖』:『琵琶湖大橋』(滋賀県大津市〜守山市)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1.『琵琶湖半周』:秋晴れの琵琶湖の畔、湖東チャリンコ散歩・・・^〜^v:JR米原駅〜浜大津・琵琶湖ホテル〔2015.09.29〕 こんばんは^〜^v 今日から、新しい月『10月』になりました☆彡 さて、ここ三日間は、東京のチャリンコ友達3人と 一年ぶりにチャリンコの旅。 第一日目(9/29)は、お友達は新幹線、僕は新快速で 『JR米原駅』に集合。 早速、自転車組み立てて、まずは最初の目的地『国宝・彦根城』へ、 お城の周りのお掘端を一周。 その後は、素晴らしい秋晴れの琵琶湖の畔を ただひたすら南下。 今回は、『琵琶湖大橋』渡って、 滋賀県守山市から大津市へ。 少し遅めのお昼ご飯は、『道の駅びわ湖大橋米プラザ』。 しっかり、休養し、 その後は、『明智光秀』ゆかりの『坂本城址』、 そして、お宿の『琵琶湖ホテル』へと、 約80kmの行程完走☆彡 ひと汗流し、『浜大津駅』近くの居酒屋でしっかり、反省会して、 その後、再度 お部屋でもたっぷり反省会(笑) それでは、秋晴れの琵琶湖の一日 お楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【彦根城】(ひこねじょう)は、日本の滋賀県彦根市金亀町にある日本の城である。 江戸時代および1869年(明治2年)の版籍奉還後から1871年(明治4年)の廃藩置県まで 彦根藩の役所が置かれた。 天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は国の特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。 江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、 鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。 山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。 多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。 明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。 天守と附櫓(つけやぐら)及び多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、 安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。 中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。 一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年)に建物が保存されることとなったのだという。 天守が国宝指定された五城の一つに数えられる。 姫路城とともに遺構をよく遺している城郭で、 1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたが、 近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られている。 滋賀県下で唯一、城郭建築が保存された。 【満月寺浮御堂】(まんげつじうきみどう)は、滋賀県大津市堅田、 琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。 近江八景「堅田の落雁」で名高い。 堅田の浮御堂の通称でも知られている。 伝によれば、源信(恵心僧都)(942年 - 1017年)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、 毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、 1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。 よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、 1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。 荒廃したときもあったが、桜町天皇(1720年 - 1750年)(在位1735年 - 1747年)は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。松尾芭蕉(1644年 - 1694年)も訪れた。 先代の堂は昭和9年(1934年)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は昭和12年(1937年)に再建されたものである。 【坂本城】(さかもとじょう)は、近江国滋賀郡坂本(滋賀県大津市下阪本3丁目の坂本城址公園内)にあった日本の城。 明智光秀によって築かれた、琵琶湖に面する平城。 坂本城は、琵琶湖の南湖西側にあり、大津市の北郊に位置する。 西側には比叡山の山脈があり、東側は琵琶湖に面していることから、天然の要害を具えた地であった。 比叡山は近江国と山城国にまたがっており、白鳥道と山中道の2つの道は両国を結ぶ道路が通じており、 中世、近世において頻繁に利用され、比叡山の物資輸送のために港町として、 坂本は交通の要所として繁栄していた。 現在城郭の大半は宅地化され、推定地の中央には国道161号が貫通している。 1571年(元亀2年)、比叡山焼き討ちの後、明智光秀に近江国滋賀郡が与えられ、 織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城した。 宣教師のルイス・フロイスは著書『日本史』にて豪壮華麗で安土城に次ぐ名城と記している。 【琵琶湖ホテル】(びわこホテル)は、京阪グループに属するホテル。 京阪電気鉄道の連結子会社である。 1934年(昭和9年)、外国人観光客を誘致する国策(鉄道省国際観光局)のもと、国際観光ホテルとして創業した。ヘレン・ケラーやジョン・ウェインらが宿泊したことでも知られている。 第2次世界大戦後、駐留アメリカ軍専用ホテルとして接収され、 接収解除後も1957年10月まで駐留軍専用ホテルとして使用された。 自主営業再開にあたり民間資本導入が必要と考えた滋賀県が京阪電鉄に資本協力を求め、 京阪電鉄も株式を引き受け1972年8月には筆頭株となり、 翌1973年10月には滋賀県より32万株を譲り受け発行株式の51パーセントを占め子会社化された。 創業以来の建物は1998年8月24日付けで閉鎖され、 1998年(平成10年)10月1日に大津港と浜大津駅の間に造られた 『浜大津アーカス』の中の現在地に移転開業した。 現在の建物は建築家シーザー・ペリの設計(直接の設計ではなくデザイン)で地上13階建て。 移転に合わせて旧ホテル敷地に有ったヘレン・ケラーの植樹した桜の古木も移送された(桜の木が大きすぎて道路を運べず、ハシケに載せて湖上輸送された)。 後の検証でこの桜の木をヘレン・ケラーが植樹したという根拠はなかったといわれている。 移植されたその桜の木は後に枯れてしまった。 琵琶湖に面したオープンテラス・天然温泉「瑠璃の湯」がある。 |



