|
〔『甚兵衛(じんべえ)渡船場』(福崎側)(大阪市港区福崎一丁目3-50)にて〕 5.『千歳(ちとせ)渡船場』・『甚兵衛(じんべえ)渡船場』:なにわの渡し舟めぐり、IKEAで軽くホットドックセットでお昼して、大正区鶴町から乗り継いで港区福崎へと北上中・・・^〜^v:(大阪市大正区北恩加島二丁目〜鶴町四丁目)・(大阪市大正区泉尾七丁目〜港区福崎一丁目)〔2012.10.06〕 とある秋本番の週末の土曜日(10/06)は、 三年ぶりに職場の仲間と大阪市内渡し舟めぐり。 大阪市内には、現在も庶民の渡し舟が八箇所、 みんな無料で健在です。 今回のチャリンコの旅の渡船場めぐり、 お昼は、『IKEA』で 『ホットドックセット』飲み放題付の150円。 六番の渡し舟は、 千歳橋が撤去された代わりに、 運行が始まった『千歳(ちとせ)渡船場』。 そして、七番目の渡しは、 朝のラッシュ時は2隻の船が運航している 『甚兵衛(じんべえ)渡船場』。 残すは、あと一箇所に・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.10.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【千歳渡船場】は、 大阪港復興事業の一つとして大正区の内港化工事を行った際、 既設の千歳橋が撤去され、その代わりの施設として設けられた。 昭和30年7月にそれまでの民営から港湾局の所管とし(同32年6月直営化)、 同39年建設局に移管された。 大正区鶴町三丁目と同区北恩加島二丁目(岸壁間371メートル)間を運航している。 平成20年度現在1日平均約750人が利用している。 【甚兵衛渡船場】 昔、尻無川の堤は紅葉の名所であった。 「摂津名所図会大成」に『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、 寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、 甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、 蛤を賞味する人が絶えなかったという。 現在も甚兵衛渡船場は健在で、 大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、 朝のラッシュ時は2隻の船が運航している。 平成20年度現在1日平均約1570人が利用している。 |
【チャリンコで四季さんぽ】
[ リスト | 詳細 ]
4.『木津川渡船場』・『船町渡船場』: なにわの渡し舟めぐり、住之江区平林北から大正区船町、乗り継いで大正区鶴町へと北上中・・・^〜^v:(住之江区平林北〜大正区船町〜鶴町) 〔2012.10.06〕
|
〔『渡船・さざなみ』:『船町渡船場』(鶴町側)(大阪市大正区鶴町一丁目16−61)にて〕 4.『木津川(きづがわ)渡船場』・『船町(ふなまち)渡船場』:なにわの渡し舟めぐり、住之江区平林北から大正区船町、乗り継いで大正区鶴町へと北上中・・・^〜^v:(大阪市住之江区平林北一丁目〜大正区船町一丁目)・(大阪市正区船町一丁目〜大正区鶴町一丁目)〔2012.10.06〕 とある秋本番の週末の土曜日(10/06)は、 三年ぶりに職場の仲間と大阪市内渡し舟めぐり。 大阪市内には、現在も庶民の渡し舟が八箇所、 みんな無料で健在です。 今回のチャリンコの旅の渡船場めぐり、 四番の『木津川(きづがわ)渡船場』は、 近くの千本松大橋が出来た翌年までの、 昭和30年から昭和49年までは カーフェリー(「松丸」134トン)も活躍した渡し舟。 後半五番目の『船町(ふなまち)渡船場』は、 昭和20年代後半から30年代にかけては、 川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、 その上に板を敷いて人や自転車が通行していた歴史をもつ たのしい歴史めぐり『なにわの渡し舟めぐり』も、 残すこと後半の三箇所に・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.10.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【木津川渡船場】は、 大正区船町1丁目と住之江区平林北1丁目を結ぶ(岸壁間238メートル)唯一の港湾局管理の渡船である。 利用者は大正区の工場に通う人や住之江区の木材関係で働く人がほとんどである。 水がきれいになったためか、渡り鳥が飛来する姿が見られる。 平成20年度現在1日平均約180人が利用している。 【船町渡船場】は、 大正区鶴町1丁目と同区船町1丁目を結ぶ(岸壁間75メートル)。 平成20年度現在、1日平均約210人程度が利用している。 昭和20年代後半から30年代にかけて、 川幅が狭いことを利用して対岸まで船を連ね、 その上に板を敷いて人や自転車が通行していた。 |
|
〔『平尾本通商店街(サンクス平尾)』:(大阪市大正区平尾三丁目)にて〕 3.『リトル沖縄』・『千本松渡船場』:大阪・大正区は沖縄出身者・ウチナーンチュが集まる町、店頭には、沖縄そばや島豆腐、サータアンダギー、そしてオリオンビールなどなども・・・^〜^v:(大阪市大正区平尾三丁目)・(大阪市大正区南恩加島一丁目〜西成区南津守二丁目)〔2012.10.06〕 とある秋本番の週末の土曜日(10/06)は、 職場の仲間との週末は、 お友達からのリクエスト、 『なにわの渡し舟めぐり』。 大阪市内には、現在も庶民の足として、 無料の渡船場が八箇所。 今回のチャリンコの旅は、その渡船場めぐり、 二番目の『落合下(おちあいしも)渡船場』で、 渡ったところは、『リトル沖縄』。 大阪の大正区は、沖縄県出身者の割合が高く、 とくに、ここ平尾界隈は沖縄の風情が、 そのメインストリート『平尾本通商店街(サンクス平尾)』の店頭には、 沖縄そばや島豆腐、サータアンダギー、そしてオリオンビールなどなどの、 沖縄の料理や食材が....! そのつぎに、訪れた先は、『大阪市環境局 木津川事務所』に、 目的は、職場のお友達の愛犬のお墓参り... そのあとは、三番目の渡し舟の『千本松(せんぼんまつ)渡船場』で 大正区から西成区へと・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.10.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【千本松(せんぼんまつ)渡船場】は、 大正区南恩加島1丁目と西成区南津守二丁目を結ぶ(岸壁間230メートル)。 このあたりは木津川の川尻に近く、江戸時代には諸国廻船の出入りの激しいところであった。 幕府は、舟運の安全のため水深を確保し、また防波堤のとしても役立つよう、 天保3年(1832)ここに大規模な石の堤を築いた。 千本松の名は、この堤防の上に植えられた松並木に由来する。 千本松の渡しが設けられた年代ははっきりしないが、 大正時代の中頃に初めて設けられたものと思われる。 昭和48年に千本松大橋が完成し、それとともに渡しは廃止されることになっていたが、 地元住民の強い要望によって存続することになり、 現在も通勤通学の貴重な足として利用されている。 平成20年度現在1日平均約1190人が利用している。 |
|
〔『大正区側から西成区側の船乗り場を望む』:『落合上渡船場』(大阪市大正区千島一丁目29−41)にて〕 2.『落合上(おちあいかみ)渡船場』・『落合下(おちあいしも)渡船場』:なにわの渡し舟めぐり、一番目は、大正区千島から西成区北津守へ・・・^〜^v:(大阪市大正区千島1丁目〜西成区北津守四丁目)・(大阪市西成区津守二丁目〜大正区平尾一丁目)〔2012.10.06〕 とある秋本番の週末の土曜日(10/06)は、 三年ぶりに職場の仲間と大阪市内渡し舟めぐり。 大阪市内には、現在も庶民の渡し舟が八箇所、 みんな無料で健在です。 今回のチャリンコの旅は、その渡船場めぐり、 一番は、『落合上(おちあいかみ)渡船場』で、 大正区千島1丁目から西成区北津守四丁目へ、 次に、『落合下(おちあいしも)渡船場』で、 西成区津守二丁目から、再び大正区側の平尾一丁目へと、 『なにわの渡し舟めぐり』のはじまり・はじまり・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.10.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【落合上渡船場】は、 大正区千島1丁目と西成区北津守四丁目を結ぶ(岸壁間100メートル)。 平成20年度現在、1日平均540人が利用している。 上流にある木津川水門(防潮)が毎月1回程度開閉試運転のため閉まっているのが見られる。 【落合下渡船場】は、 大正区平尾一丁目と西成区津守二丁目を結ぶ(岸壁間138メートル)。 平成20年度現在、1日平均390人程度が利用している。 毎年10月下旬から翌年4月下旬にかけて、数百羽のユリカモメが飛来する。 |
|
〔『昭和山(しょうわざん)』山頂(標高33m):(大阪市大正区千島二丁目)にて〕 1.『千島公園(ちしまこうえん)』: なにわの渡し舟めぐり、まずは、建設当時、大阪市内で最も標高が高い場所だった『昭和山』山頂へ・・・^〜^v:(大阪市大正区千島二丁目)〔2012.10.06〕 とある秋本番の週末の土曜日(10/06)は、 三年ぶりに職場の仲間と大阪市内渡し舟めぐり、 前回の記事(2009.07.25): http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/33650468.html 僕は、自宅から愛車のチャリンコで出発、 わが街『大阪』は、江戸時代には、 『八百八橋(はっぴゃくやばし)』と呼ばれたほど川の多い街。 最初に渡った川は、『神崎川』、 つぎに、『長柄橋』で『淀川』を、 そして、『天神橋』で『大川(旧淀川)』をわたり、 途中、お気に入りの大好きなフランスを一本買い求め、 いまだに乗ったことのない電車、 通称『汐見橋線(しおみばしせん)』の始発駅 南海『汐見橋駅』で一休みしながら、 集合場所のJR大正駅へ...♪ 今回のメンバー職場のお友達三名と合流して、 最初に向かった場所は、 『昭和山(しょうわざん)』 大阪万博を控えて路線整備が急速に進んでいた1960年代、 地下鉄建設工事で出た残土約170万立方メートルで建設された人工の山。 標高33メートルで、 建設当時は、大阪市では最も標高が高い場所。 「港の見える丘」としてこの山を中心として造成されたのが、 ここ『千島公園(ちしまこうえん)』です・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.10.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |




