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〔『東大寺二月堂』:(奈良県奈良市雑司町)にて〕 2.『奈良公園』:『奈良坂』下って、『東大寺』境内へ、そしてその先はいつもの・・・^〜^v:『長岡天神駅』〜『奈良駅』〔2012.09.22〕 週末の土曜日(9/22)は、 職場の仲間とチャリンコの旅、 コースは、『京都八幡木津自転車道』で『木津川』を上り、 JR木津駅前でお昼に。 食後は、ちょっぴり長い『奈良坂』を登り、 鹿がいっぱいの『奈良公園』へ、 『東大寺・大仏殿』・『正倉院』を横目に 『二月堂』で一休み、 ここで、これまた偶然に、 カメラ持って散策中の職場のお友達とご対面! なぜか、全員賛成で、チャリンコはここで中止(笑) 行き先はJR奈良駅近くの反省会会場へと、 多くの仲間と楽しい週末の一日に乾杯・・・^〜^v .【完】 【訪問時期:2012.09.22】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【東大寺二月堂(とうだいじにがつどう)】は、 奈良県奈良市の東大寺にある、奈良時代(8世紀)創建の仏堂。 現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。 奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。 「お水取り」は正式には修二会(しゅにえ)といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。 二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、 17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。 |
【チャリンコで四季さんぽ】
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〔『般若寺楼門』:『般若寺』(奈良県奈良市般若寺町221)にて〕 1.『京都八幡木津自転車道』:『木津川』上って、『奈良坂』登って・・・^〜^v:『長岡天神駅』〜『奈良駅』〔2012.09.22〕 昨日(9/22)は、 職場の仲間とチャリンコの旅、 集合場所は、『木津川』と『淀川』の合流点近く『御幸橋』(京都府八幡市)、 集まったのは、子供のママチャリ借りた参加者はじめ計6名と この春転勤で久々のご近所のお方が御挨拶に... ちょっぴり雲の多い秋空の下、 『木津川』沿いの『京都八幡木津自転車道』を 黄金色に実った稲穂を眺め、 あっち こっち 寄り道して、 JR木津駅前でお昼に。 次の目的地は、奈良公園、 ちょっぴり長い『奈良坂』を登りきると この季節、コスモスで有名な『般若寺』、 残念ながら、今年はコスモスも彼岸花も少し遅い様子・・・^〜^v .【つづく】 【訪問時期:2012.09.22】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【上津屋橋(こうづやばし)】は、 日本の京都府久世郡久御山町と八幡市を結ぶ、木津川に架けられた木橋である。 川が増水すると橋桁が流される独特の構造を持つ流れ橋の代表的なものであることから、 「流れ橋(ながればし)」の名で呼ばれることが多く、 また、「木津川流れ橋(きづがわ ながればし)」「八幡流れ橋(やわた ながればし)」 などといった異名で呼ばれることもある。 橋長(全長)356.5m、幅3.3mは、現存する木造橋、流れ橋として日本最長である。 【般若寺(はんにゃじ)】は、 奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。 山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。 般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登りきった地点に位置する。 般若寺門前を南北に通る道は「京街道」と呼ばれ、 大和(奈良県)と山城(京都府)を結ぶ、古代以来重要な道であった。 この道はまた、平城京の東端を南北に通っていた東七坊大路(東大寺と興福寺の境をなす)の延長でもある。 |
4.『東高野街道』:『お染久松』ゆかりの『野崎観音』でゲリラ豪雨、「でんぼ(腫れ物)の神様」の『石切神社』で切り上げて、馴染みのお店で反省会・・・^〜^v:『大東市・東大阪市』〔2012.08.18〕
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〔『お染久松の塚』:『野崎観音・福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)』(大阪府大東市野崎二丁目7-1)にて〕 4.『東高野街道』:『お染久松』ゆかりの『野崎観音』でゲリラ豪雨、「でんぼ(腫れ物)の神様」の『石切神社』で切り上げて、馴染みのお店で反省会(笑)・・・^〜^v:『大阪府大東市・東大阪市』〔2012.08.18〕 先週末(8/18)は、 大阪府内で最長の縦貫街道『東高野街道』をチャリンコ。 その昔、京(京都)や浪花(大阪)から、 高野山を結ぶ『高野参拝道』のひとつ。 『お染久松』の物語はじめ、 参考: http://www.city.daito.lg.jp/kakukakaranoosirase/shiminseikatsu/sangyoroudo/kankou/1252473752585.html 多くの人形浄瑠璃や落語の作品を通じて有名な『野崎観音』は、 野崎参りは 「屋形舟でまいろ・・・♪」と『野崎小唄』で歌われた 江戸時代・天和2年(1682年)から続く『野崎参り』のお寺。 一休みしていると、ゲリラのように豪雨の夕立がいきなり大接近 チャリンコのたびは、ここで一時間半の足止め。 その後も、路面は雨でぬれていりこともあって、 大阪では、「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれる、 『石切神社:石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)』を最後の訪問地として、 近鉄・新石切駅で、自転車はバッグに折りたたんで切り上げ。 向かった先は、森之宮駅前の『岡室商店』、 以前の職場近くの馴染みのお店で、 しっかり「反省会」を・・・・^〜^v .【完】 【訪問時期:2012.08.18】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【野崎観音】 【石切神社】 『岡室商店:オカムロ リカーショップ』 店名 岡室商店 (おかむろしょうてん) TEL 06-6972-0123 住所 大阪府大阪市東成区中道1-1-1 岡室ビル 1F 交通手段 森ノ宮駅から83m |
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〔『こまいぬ』:『野崎観音・福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)』(大阪府大東市野崎二丁目7-1)にて〕 3.『東高野街道』:南朝の将士24人を配祀する『四條畷神社』、『野崎参り』の『野崎観音』で一休み・・・^〜^v:『大阪府四條畷市・大東市』〔2012.08.18〕 先週末(8/18)は、 大阪府内で最長の縦貫街道『東高野街道』。 その昔、京(京都)や浪花(大阪)から、 高野山を結ぶ『高野参拝道』のひとつ。 今から約700年前の西暦1300年代、 鎌倉時代から室町時代への南北朝時代、 このあたりは、 南朝方の楠木正行と足利尊氏の家臣高師直との戦い 『四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)』の場。 そして、南朝の将として戦い、四條畷の戦いで敗死した 『楠木 正行(くすのき まさつら)』を主祭神とし、 一族の将士24人を配祀しているのが、 『四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)』。 西の空を見上げると、夏の風物詩『真っ白の入道雲』が、大空高く巨人のように・・・@¥@ 再びチャリンコは、『東高野街道』をひたすら南へと、 次の一休みの場所は、『野崎観音』。 江戸時代・天和2年(1682年)から続く『野崎参り』は、 有縁無縁問わずすべてのものに感謝を捧げることで知られ、 『お染久松』の物語はじめ、 多くの人形浄瑠璃や落語の作品を通じて有名な野崎観音のお寺は、 『福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)』。 そして、あの真っ白な入道雲は、 西の空を真っ暗に大変身させ、 ゲリラのように豪雨の夕立が大接近・・・^〜^! . .【つづく】 【訪問時期:2012.08.18】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【四條畷神社】 【野崎観音】 |
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〔『新米の赤ちゃん』:(大阪府枚方市出屋敷)にて〕 2.『東高野街道』:昔の姿を残す家並みを抜けると、そこは『七夕伝説』・『弘法大師』・『南朝ゆかりの武者の墓』などなど日本史の教科書の街道筋・・・^〜^v:『大阪府枚方市・交野市・寝屋川市・四条畷市』〔2012.08.18〕 先週末(8/18)は、 大阪府内で最長の縦貫街道『東高野街道』。 その昔、京(京都)や浪花(大阪)から、 高野山を結ぶ『高野参拝道』のひとつ。 今も、『出屋敷』と呼ばれる集落は、 その昔の街道の雰囲気を残す家並みが、 まだまだ若々しい緑色の今年の新米の赤ちゃんや 遠くアフリカからやってきた野菜『オクラ(okra)』の莢や花が、 沿道でお出迎え... その後も、お盆明けの灼熱の街道筋には、 『七夕伝説』・『弘法大師』・『南朝ゆかりの武者』の 地名や箸、遺跡やお墓が、 まるで日本史の教科書のように・・・^〜^v . .【つづく】 【訪問時期:2012.08.18】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【和田 賢秀(わだ けんしゅう、不明 - 貞和4年/正平3年1月5日(1348年2月4日))】は、 南北朝時代の武将。 名は「かたひで」とも読まれる。 四條畷市の墓所石碑には、正面に『和田源秀戦死墓』と刻まれており、源秀とも言われた。 楠木正季の五男(末男)で、楠木正成の甥。湊川の戦いで伯父・父らが散華した後、 楠木一門の棟梁となったいとこの楠木正行に従い、共に勢力を回復していった。 楠木一族の中でも武勇の誉れ高く、正行に従い常に参戦している。 貞和3年(1347年)に紀伊国の隅田一族を、また河内国で細川顕氏や山名時氏を打ち破った。 貞和4年(1348年)正月、四條畷の戦いで敗れ、 正行らが自刃した後高師直の陣に潜入していたところをかつて味方であった 湯浅本宮太郎左衛門に討たれた。 討死の際に敵将の首に噛み付き睨んで放さず、 本宮太郎左衛門はそれが因で死んだとされており、 土地の人々は賢秀の霊のことを歯噛様(はがみさま)、 転じて歯神様として祭っている。 |




