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〔『国指定史跡・近松門左衛門墓』:(大阪市中央区)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『日本のシェイクスピア:近松門左衛門』のお墓のなぞ・・・?:お墓のひとつに出逢う・・・^〜^v (大阪市中央区) 〔2010.06.11〕 お気に入りの「フランス・パン」のお店『ブーランジェリ・イエナ(Boulangerie IENA)』の帰り道、 ふと目に入った『国指定史跡・近松門左衛門墓』の案内板、 浪速のシェイクスピアとも呼ばれる?『近松門左衛門』のお墓、 さっそく、取材のためカメラ片手に..。 そして、今、記事をUPするために少し調べてみると、 なんと、彼のお墓は同じような形状で「ふたつ」あったのです! そのひとつ、『大阪谷町の旧法妙寺跡地』のお墓を御紹介いたします・・・★ 〔撮影時期: 2010.06.08〕 【広済寺と法妙寺の二つの墓碑について】 近松門左衛門の墓碑は、広済寺と大阪谷町の旧法妙寺跡地(以下たんに法妙寺と記載する)にある。 双方とも国定史跡に指定されていて、双方とも似せて作られている。 ・似た二つの墓 広済寺と法妙寺の墓は大きさや形が違うものの、 似せて作られたということは写真を観ればすぐわかる。 そのことをまずおさえておかなくてはならない。 ・緑色系の自然石を使っている ・夫婦の戒名が並べて彫ってある ・命日は近松門左衛門のみ裏面に彫ってある ・妻の命日は彫られていない ・命日の日も、戒名の日号も、日が月に見える書体 広済寺と法妙寺の墓碑との相違点 ・近松の命日(広済寺は11月22日、法妙寺11月21日) ・法妙寺墓碑の台座は最近の花崗岩である ・法妙寺墓碑は広済寺のものよりひとまわり大きい ・法妙寺墓碑は本体にヒビか筋模様がはいっている ・角のない丸みを帯びた薄い広済寺墓碑に対して、法妙寺墓碑は角張った厚みのある自然石 ・深緑色の広済寺墓碑に対して、法妙寺墓碑は灰色に近い(束子で磨けばあるいは・・・) 【近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、近松門左衞門、承応2年(1653年) - 享保9年11月22日(1725年1月6日))】は 江戸時代前期の元禄期に活躍した人形浄瑠璃と歌舞伎の作者である。 本名は杉森 信盛。 生まれは越前国といわれる。 竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向したが、再度浄瑠璃に戻った。 出世景清は近世浄瑠璃の始まりといわれる。 100作以上の浄瑠璃を書いたが、そのうち約20曲が世話物、残りが時代物であった。 世話物とは、町人社会の義理や人情をテーマとした作品であるが、 当時人気があったのは時代物、特に『国性爺合戦』であり、 『曽根崎心中』などは昭和になるまで再演されなかった。 忌日の11月22日(明治以降は新暦で行われる)は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、 冬の季語である。 箕面市の瀧安寺において同寺に寄進した大般若経が発見された。 享保9年(1725年)11月、門左衛門は72歳で没する。 辞世の歌「残れとは 思ふも愚か 埋み火の 消ぬ間徒なる 朽木書きして」。 |
神 社・仏 閣
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〔お寺に『石鳥居』?:『四天王寺』にて 〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『四天王寺』:日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺「日本仏教の最初のお寺」の春を楽しむ・・・^〜^v (大阪府大阪市天王寺区) 〔2010.04.18〕 商人の町・大阪にも、歴史的なお寺があります。 名前は、『四天王寺(してんのうじ)』、「日本仏教の最初のお寺」です。 創建は、有名な『法隆寺(ほうりゅうじ)』と同じ『聖徳太子』とされる古寺ですが、 あいにく、台風や落雷、大阪大空襲などのため、 現在の建物は、ほとんどが『昭和時代』に再建されたようです。 お彼岸の時期には、多くの参拝者に賑いますが、 桜の時期も一段落した今日この頃、 なぜか、お寺の『鳥居』を潜り抜け、境内へと、 新緑の芽生える境内の散策を静かに楽しみました・・・^〜^v 〔訪問時期: 2010.04.18〕 【四天王寺(してんのうじ)】は、 大阪市天王寺区にある寺院。 聖徳太子建立七大寺の一つとされている。 山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。 「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されており、 日本最古の官寺である。 当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。 元は天台宗に属したが、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺であり、 「日本仏教の最初の寺」として、 既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、 1946年に和宗総本山として独立宣言を出している。 |
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〔『いっぷく』:『慈光院』にて 〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『慈光院』:『茶の湯の寺』で、くつろぐ・・・^〜^v (奈良県大和郡山市小泉町) 〔2010.02.27〕 『斑鳩(いかるが)』の里の散策に歩き疲れた頃、 『富雄川』の近くにある『慈光院』で一休み、 『茶の湯の寺』で有名な臨済宗のお寺です。 奈良盆地を一望する、すばらしいお庭が、 そして、静かな時空が存在します。 『聖徳太子』をはじめ、 古の人々を思いつつ一服・・・^〜^v 〔訪問時期: 2010.02.27〕 【慈光院(じこういん)】は、 奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。 山号は円通山。 本尊は釈迦如来。 石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。 寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が 父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立。 慈光院の名は父・貞隆の法名「慈光院殿雪庭宗立居士」から採られた。 |
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〔『西院伽藍:世界最古の木造建築群』を望む:『法隆寺』にて 〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『法隆寺』:『聖徳太子』ゆかりの世界最古の木造建築群と寺宝に囲まれ、『斑鳩(いかるが)』の里の春を楽しむ・・・^〜^v (奈良県生駒郡斑鳩町) 〔2010.02.27〕 『斑鳩(いかるが)』の里には、『聖徳太子』ゆかりの『法隆寺』が、 2月最後の週末、春雨の間をぬって、 約40年ぶりに『斑鳩(いかるが)』の里へ、出掛けてきました。 ほとんど、具体的な記憶が僕の脳裏から消えてしまった『法隆寺』、 再会の日の天候は、少し肌寒い『曇天』、 広大な境内を行ったり来たりしながら、 世界最古の建物群の『西院伽藍』、『夢殿』などの伽藍や 『百済観音』をはじめとする多くの『寺宝』に囲まれ ゆっくり『斑鳩の里』の春の時間を楽しみました・・・^〜^v 〔訪問時期: 2010.02.27〕 【法隆寺(ほうりゅうじ)】 は、 奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山である。 別名を斑鳩寺(いかるがでら)という。 聖徳太子こと厩戸王ゆかりの寺院である。 創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の607年とされるが、確証はない。 金堂、五重塔などがある西院と、夢殿などのある東院に分かれる。 西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。 |
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〔『枯山水の一滴海庭』:『光明禅寺』にて 〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『光明禅寺』:『苔寺』として有名な『太宰府天満宮』の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺・・・^〜^v (福岡県太宰府市) 〔2010.02.20〕 『梅の花』ゆかりの『大宰府天満宮』近くに、 『太宰府天満宮』の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺が、 光の字に配石された『仏光石庭』の前庭と、 『苔寺』としても、親しまれている『枯山水』の後庭 今の季節、『梅の花』と『冬枯れの木々の陰』が落とす お庭・二つ、ゆっくり楽しみましょう・・・^〜^v 〔訪問時期: 2010.02.20〕 【光明禅寺(こうみょうぜんじ)】は、 福岡県太宰府市にある臨済宗東福寺派に属する禅宗寺院である。 山号は神護山(じんごさん)。 1273年(文永10年)、円爾(聖一国師)の門下にあった鉄牛円心によって建立され開山となった。 江戸時代には太宰府天満宮の緇素(しそ・天満宮に仕える人々とその家族)の菩提寺として、 1616年(元和2年)に再興されて、1856年(安政3年)7月再営された天満宮の結縁寺である。 太宰府天満宮の参道の一の鳥居を右に曲がるとつきあたりに山門、鐘楼が見える。 光明禅寺は別名「苔寺」とも呼ばれ、その名のとおり庭園は碧く苔むし、 前庭を七・五・三の十五石で光の字に配石された仏光石庭、 裏庭は、青苔は大陸と島、白砂は水と大海を現し、 長汀曲浦の見事な線で画出された枯山水の一滴海庭となっている。 また、秋には紅葉が映え、一段と風情が楽しめる。 |




