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〔『五重塔』:『興福寺』(こうふくじ)(奈良県奈良市登大路町48番地)にて〕 『興福寺』(こうふくじ):晩秋の奈良公園の紅葉・黄葉、ちょっぴり寄り道 古都の秋探し・・・^〜^v:(奈良県奈良市登大路町48番地)〔2013.11.20〕 所用で訪れた秋の大和路、 用事も終わり、帰りに奈良公園の秋探し...♪ 平日は静かな公園も『興福寺』の境内には、 修学旅行の観光バスや生徒や学生の姿も多く、 ちょっぴり寄り道。 明治の初めの廃仏毀釈のおりには、 境内の塀が取り払われ、樹木が植えられて、 奈良公園の一部となってしまった『興福寺』。 当時の一乗院跡は、現在の奈良地方裁判所、 大乗院跡は、奈良ホテルとなり、 一時は廃寺同然となって、 五重塔や三重塔さえ売りに出る始末だったらしい(涙)。 そんな悲しい歴史の『興福寺』の境内を、 鶴瓶落としの晩秋の黄昏時に、 ちょっぴり古都の秋散策しましょう・・・^〜^v 〔訪問時期:2013.11.20〕 【興福寺】(こうふくじ)は、 奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。 南都七大寺の一つに数えられる。 藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、 古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。 南円堂は西国三十三所第9番札所である。 「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。 |
神 社・仏 閣
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〔国宝『仁王門』:君尾山『光明寺』(京都府綾部市睦寄町君尾1-1)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 君尾山『光明寺』:聖徳太子による開創、最盛期には山上山下に72坊を有したと伝わる古刹で、諸行無常を味わう・・・^〜^v:(京都府綾部市睦寄町君尾1-1)〔2013.06.10〕 京都府の北東部、福井県との県境近くに山頂に位置する『光明寺』、 その昔、推古天皇7年(599年)、聖徳太子による開創と伝えられ、 その後白鳳元年(673年)、役小角が修験道の道場とし、 延喜年間(10世紀初)には、醍醐寺開祖の聖宝(理源大師)により 真言密教の道場として中興されたという名刹。 最盛期には山上山下に72坊を有したと伝えるが、 今は、わずか国宝『仁王門』と本堂他を残すのみの寺院。 新緑が眩しい山中にひっそりたたずむ古寺で、 諸行無常との味わいを・・・^〜^! 素敵な週末を、お楽しみください♪ 〔訪問時期:2013.06.10〕 |
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〔『那智大滝』:『一の滝』『『飛瀧神社(ひろうじんじゃ)』『熊野那智大社』(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)にて〕 『那智大滝』:落差日本1位の一段の滝は、台風12号の災害復旧工事中・・・^〜^v:『一の滝』『飛瀧神社(ひろうじんじゃ)』『熊野那智大社』(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)〔2013.01.24〕 日本列島・本州の南端、和歌山県那智勝浦町の『那智大滝』は、 一段の滝としては落差日本1位を誇る男前の滝。 那智山中の渓流の多くの滝の中で、もっとも大きく 『一の滝』とも呼ばれ、 『熊野那智大社』の別宮、『飛瀧神社』のご神体として 古くから人々の畏敬を集めてきた那智の滝。 その河原は、平成23年9月の台風12号の被害を受け、 災害復旧工事中です・・・^〜^! 【訪問時期:2013.01.24】 【那智滝(なちのたき)】は、 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。 一の滝における落差は133mであり、総合落差では日本12位だが、 一段の滝としては落差日本1位を誇る。 華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。 国の名勝に指定されている(1972年7月11日指定、指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉」)。 2004年7月7日、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。 |
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〔『金剛山転法輪寺』(てんぽうりんじ):(奈良県御所市高天)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『金剛山転法輪寺』(てんぽうりんじ): 廃仏毀釈によって廃寺されたが、神仏混淆の旧態に復して再興された『役行者』(えんのぎょうじゃ)開創伝承の古寺に出逢う・・・^〜^♪:(奈良県御所市高天)〔2012.12.15〕 ちょうど二週間ほど前の週末(12/15)は、 職場の友達と大阪府下で一番高い山『金剛山』(標高1,125m)登山。 この山頂付近は、『一言主』を鎮守とする『葛木神社』と、 法起大菩薩を祀る『金剛山寺(転法輪寺)』の神仏習合の霊山。 この『金剛山転法輪寺』(てんぽうりんじ)は、 今から約1350年前の天智天皇4年(665年)に、 修験道の開祖とされる『役行者』(えんのぎょうじゃ)と呼ばれる 『役小角』(えん の おづの)が、開創と伝承される 金剛山古来の伝統、神仏混淆の旧態の古寺。 残念ながら、明治元年の神仏判然令(神仏分離)による 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となったが、 しかし、昭和25年(1950年)役行者1250年御遠忌を契機として再興。 その昭和36年(1961年)に落慶再建された本堂が、 僕達を初雪残る霧の中で大歓迎してくれました・・・^〜^v . .【つづく】. 〔訪問時期:2012.12.21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【転法輪寺(てんぽうりんじ)】は、 奈良県御所市高天にある真言宗醍醐派の大本山の寺院。 葛城修験道の根本道場でもある。 修験道の開祖とされる役小角が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、 天智天皇4年(665年)祖神一言主大神を鎮守とし、 法起大菩薩を祀る金剛山寺(転法輪寺)を建立して神仏習合の霊山としたのが開創と伝承される。 奈良時代より明治維新に至るまで修験道七高山の1つに数えられ、 歴代天皇の勅願所として五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇った。 行基、鑑真、最澄も来山し、聖宝も修行したと記録される。 鎌倉時代の末、楠木正成がわずか5百の兵で金剛山中腹に築いた山城(やまじろ)の千早城に戦陣を張って、 鎌倉幕府が派遣した総勢5万といわれた関東の軍勢を寄せ付けなかったのは、 金剛山寺(転法輪寺)の修験勢力の支援が大きかったと伝わる。 |
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〔『金剛山葛木神社』(標高1,125m):(奈良県御所市高天)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『金剛山葛木神社』: 標高1,125mの金剛山頂付近は、神仏習合の霊山。古事記、日本書記に出てくる『一言主』(ひとことぬし)を祭る神社が、鎮座・・・^〜^♪:(奈良県御所市高天)〔2012.12.15〕 ちょうど二週間ほど前の週末(12/15)は、 職場の友達と大阪府下で一番高い山『金剛山』(標高1,125m)登山。 この山頂付近は、『一言主』を鎮守とする『葛木神社』と、 法起大菩薩を祀る『金剛山寺(転法輪寺』の神仏習合の霊山。 まずは、この山『金剛山』の山頂の『葛木岳』(標高1,125m)が境内にある、 関西では、珍しい大社造りの『金剛山葛木神社』を御紹介・・・^〜^v . .【つづく】. 〔訪問時期:2012.12.21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【一言主(ひとことぬし)】は、 日本の神である。 『古事記』(712年)の下つ巻に登場するのが初出である。 460年(雄略天皇4年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、 紅紐の付いた青摺の衣を着た、 天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。 雄略天皇が名を問うと 「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。 天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。 一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。 少し後の720年に書かれた『日本書紀』では、 雄略天皇が一言主神に出会う所までは同じだが、 その後共に狩りをして楽しんだと書かれていて、 天皇と対等の立場になっている。 時代が下がって797年に書かれた『続日本紀』の巻25では、 高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争ったため、 天皇の怒りに触れて土佐国に流された、と書かれている。 これは、一言主を祀っていた賀茂氏の地位がこの間に低下したためではないかと言われている。 さらに、822年の『日本霊異記』では、 一言主は役行者(これも賀茂氏の一族である)に使役される神にまで地位が低下しており、 役行者が伊豆国に流されたのは、不満を持った一言主が朝廷に讒言したためである、と書かれている。 役行者は一言主を呪法で縛り、『日本霊異記』執筆の時点でもまだそれが解けないとある。 また、能の演目『葛城』では、女神とされている。 |


