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〔『ビエホ・サンフアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン=『オールド・サンファン』) 』・・・^〜^v:『プエルト・リコ(Puerto Rico)』にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-2.『ビエホ・サンフアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン=『オールド・サンファン』) 』散策、まずは、『サン・ファン大聖堂(Catedral de San Juan)』に・・・^〜^v :『東カリブ海クルーズ』ゆっくり旅行 ^〜^v (航海:第五日目) 〔2009.09〕 『東カリブ海クルーズ』の第五日目、 あたらしい寄港地は、 『プエルト・リコ(Puerto Rico)の首都:サン・ファン(San Juan)』 この街は、スペインの街に迷い込んだような歴史の街 そして、スペイン時代に出来た要塞の街。 『ビエホ・サンフアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン=『オールド・サンファン』)』散策は、 まずこの街ができた直後の1521年に造られた 『サン・ファン大聖堂(Catedral de San Juan)』に 最初の建物は、ハリケーンで破壊され 現在の建物は、1540年に立て直されたらしい・・・^〜^v 〔訪問時期:2009.09.11-21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【サンフアン(スペイン語: San Juan)】は、 アメリカ合衆国プエルトリコ島の北東部に位置する市。 プエルトリコ自治連邦区の政庁所在地であり、最大の港湾都市。 人口は433,733人(2004年推計)で全米42位である。 貿易・観光両面において重要な港湾を持つサンフアンは 島の産業・経済の中心である。 また、長い歴史とビーチを持ち、 文化の中心・観光の拠点として担う役割も大きい。 サンフアンはスペイン語で「聖ヨハネ」を意味する。 プエルトリコに最初のスペイン人、フアン・ポンセ・デ・レオンが入植したのは1508年である。 サンフアンは1521年に建設された。 スペイン植民地時代は、 都市の住民の多くはビエホ・サンフアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン=『オールド・サンファン』) と呼ばれる地域に住みついた。 ビエホ・サンフアンの建造物の多くは16世紀から17世紀にかけて建てられたものである。 地区内の随所には、市壁や砦をはじめとする歴史的な建造物が現在も残っている。 代表的な建造物には次のようなものがある。 サンフアン国定史跡(San Juan National Historic Site) - スペインの手によって建設された要塞。 完成は1589年。400の大砲を備え、外壁の暑さは、5メートルにもなる。 サン・クリストバール砦(Fuerte San Cristóbal、17世紀) - 新世界でスペインが建設した城塞では最大規模。 完成は1783年、面積は27エーカー。 サン・ホセ教会(Iglesia San José、1523年) テアトロ・タピア(Teatro Tapia) ラ・プリンセサ牢獄(La Princesa) - 市営牢獄を博物館に改装 サンタ・マリア・マドガレーナ・デ・パジス(Santa María Madgalena de Pazzis) - 市営墓地。市壁の外に位置する。 サンフアン大聖堂(Catedral de San Juan Bautista、1521年) - フアン・ポンセ・デ・レオンの墓がある。1521年に建設が開始されたサンフアンで最古の大聖堂。 世界遺産(文化遺産)にも登録されている。 注意: ↑のURL最後の『 )』は、手打ちで入力してください! |
東カリブ海:2009.09
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〔『サン・ファン(San Juan)港』入港・・・^〜^v:『プエルト・リコ(Puerto Rico)』にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6-1.目が覚めると、新しい寄港地『プエルト・リコ(Puerto Rico)の首都:サン・ファン(San Juan)』に・・・^〜^v :『東カリブ海クルーズ』ゆっくり旅行 ^〜^v (航海:第五日目) 〔2009.09〕 『東カリブ海クルーズ』の第五日目、 昨夜の『アイス・ショー』に満足し、 ぐっすり睡眠、目が覚めると そこは、あたらしい寄港地 『プエルト・リコ(Puerto Rico)の首都:サン・ファン(San Juan)』の港 サン・ファン港に入港・接岸の様子を眼下に眺めながらの朝食を楽しみました^〜^v 〔訪問時期:2009.09.11-21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【サンフアン(スペイン語: San Juan)】は、 アメリカ合衆国プエルトリコ島の北東部に位置する市。 プエルトリコ自治連邦区の政庁所在地であり、最大の港湾都市。 人口は433,733人(2004年推計)で全米42位である。 郊外の諸都市を含めた都市圏では人口約130万人を数える。 これは島の人口の約1/3にあたる。 貿易・観光両面において重要な港湾を持つサンフアンは 島の産業・経済の中心である。 また、長い歴史とビーチを持ち、 文化の中心・観光の拠点として担う役割も大きい。 サンフアンはスペイン語で「聖ヨハネ」を意味する。 プエルトリコに最初のスペイン人、フアン・ポンセ・デ・レオンが入植したのは1508年である。 当時は、島ではなく入植地を「豊かな港」を意味する「プエルトリコ」と呼んでいた。 サンフアンは1521年に建設された。 当初はクリストファー・コロンブスが聖ヨハネにちなんだSan Juanという名と スペイン人入植者があとからつけたPuerto Ricoを合わせて、 サンフアン・バウティスタ・デ・プエルトリコ(San Juan Bautista de Puerto Rico プエルトリコの洗礼者聖ヨハネ) という正式名称で呼ばれていた。 1746年頃、Puerto Ricoは島(プエルトリコ島)を、 San Juan Bautistaは都市(サンフアン市)を それぞれ区別して指すようになった。 スペイン植民地時代は、 都市の住民の多くはビエホ・サンフアン(西:Viejo San Juan, 古いサンフアン=『オールド・サンファン』) と呼ばれる地域に住みついた。 ビエホ・サンフアンはサンフアン島(Isleta de San Juan)の西半分を占めている。 サンフアン島は122km²の小さな島で、本島とは橋で結ばれている。 労働者階級の住宅地が広がり、州庁舎をはじめとするプエルトリコの中央官庁が立ち並んでいる。 ビエホ・サンフアンの建造物の多くは16世紀から17世紀にかけて建てられたものである。 地区内の随所には、市壁や砦をはじめとする歴史的な建造物が現在も残っている。 代表的な建造物には次のようなものがある。 サンフアン国定史跡(San Juan National Historic Site) - スペインの手によって建設された要塞。 完成は1589年。400の大砲を備え、外壁の暑さは、5メートルにもなる。 サン・クリストバール砦(Fuerte San Cristóbal、17世紀) - 新世界でスペインが建設した城塞では最大規模。 完成は1783年、面積は27エーカー。 サンタ・カタリナ宮殿(El Palacio de Santa Catalina / La Fortaleza,1533年) - 現在は州知事官邸になっている アユンタミエント(Ayuntamiento / Alcaldía) - 市庁舎 サン・ホセ教会(Iglesia San José、1523年) テアトロ・タピア(Teatro Tapia) ラ・プリンセサ牢獄(La Princesa) - 市営牢獄を博物館に改装 サンタ・マリア・マドガレーナ・デ・パジス(Santa María Madgalena de Pazzis) - 市営墓地。市壁の外に位置する。 サンフアン大聖堂(Catedral de San Juan Bautista、1521年) - フアン・ポンセ・デ・レオンの墓がある。1521年に建設が開始されたサンフアンで最古の大聖堂。 今日では、ビエホ・サンフアンは市の歴史地区として、観光名所になっている。 また、世界遺産(文化遺産)にも登録されている。 登録名は、「ラ・フォルタレサとプエルトリコのサンフアン歴史地区」である。 注意: ↑のURL最後の『 )』は、手打ちで入力してください! |
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〔アイス・ショー:『"ENCORE" an Ice Spectacular』@^@!:『リバティ オブ ザ・シーズ(Liberty of The Seas)』にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5-8.今夜のショーは、氷の上の『"ENCORE" an Ice Spectacular』・・・^〜^v :『東カリブ海クルーズ』ゆっくり旅行 ^〜^v (航海:第四日目) 〔2009.09〕 『東カリブ海クルーズ』の第四日目、 夕食後には、お待ちかねの『アイス・ショー』 テーマは、フランス・スペイン・日本・米国などの 『世界各国の歴史的なシーンの再現?』と ロシアからの特別ゲスト:Olga & Dimitryの 大きなリングを使った豪快な演技の 信じられないようなショーを・・・@^@!!!!! 船は、静かに、明日の寄港地『プエルト・リコ(Puerto Rico)のサン・ファン(San Juan)』へ...^〜^v 〔訪問時期:2009.09.11-21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
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〔『ハインツ&ブリタ』の『結婚:45周年の記念日』!:『リバティ オブ ザ・シーズ(Liberty of The Seas)』にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5-7.今日は、同じテーブルの御夫婦の、『御結婚:45周年記念日』・・・^〜^v :『東カリブ海クルーズ』ゆっくり旅行 ^〜^v (航海:第四日目) 〔2009.09〕 『東カリブ海クルーズ』の第四日目は、 最初の寄港地『セント・マーティン島(St.Maarten)』の オランダ領側の首都:『フィリップスバーグ(Phillipsburg)』で 久々の『陸地』で『海遊び』、船は定刻に出航。 今日のドレスコードは、『Casual or Colorful Caribbean』、 楽しみの夕食時、デザートはサービスされたとき テーブルの向いの席の周りに、ウェーターが集合 なんと、今日は、同席の『ハインツ&ブリタ』の『御結婚:45周年の記念日』! 部屋に戻ると、今日の出迎えは・・・^〜^v 〔訪問時期:2009.09.11-21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
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〔『リバティ オブ ザ・シーズ(Liberty of The Seas)』:フィリップスバーグ(Phillipsburg)/セント・マーティン島(St.Maarten)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5-6.再度、一人で街散策=フィリップスバーグ(Phillipsburg)/セント・マーティン島(St.Maarten)・・・^〜^v :『東カリブ海クルーズ』ゆっくり旅行 ^〜^v (航海:第四日目) 〔2009.09〕 『東カリブ海クルーズ』の第四日目は、 最初の寄港地は、 『セント・マーティン島(St.Maarten)』の オランダ領側の首都:『フィリップスバーグ(Phillipsburg)』。 女房は、お部屋で一休み、 僕は、『スイーツ・アイランド』を脱出し、 単独、水上タクシーで再度 街中散策へ 小一時間、ひとりでゆっくり歩き回り帰船しました・・・^〜^v 再乗船最終時刻は、午後5:15です! 〔訪問時期:2009.09.11-21〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【セント・マーチン島(仏:サン・マルタン島(Saint Martin)、蘭:シント・マールテン島(Sint Maarten))】は、 カリブ海は小アンティル諸島のリーワード諸島にある島で、 フランス領の北部とオランダ領の南部に分割されており、 英名でフランス領側はフレンチ・サイド (French Side)、 オランダ領側はダッチ・サイド (Dutch Side) とも表して呼ばれているが、 現地では基本的に島名でも使っている、 サン・マルタンがフランス領側の北部で、 シント・マールテンがオランダ領側の南部と領域の呼び名で表現して表している。 なお、フランス語と同綴りの「セント・マーチン島」は英語名である。 海岸は出入りが多く、山地が島の中央から南に延びており最高峰はフランス領側にあるピク・パラディ(424m)。 フランス領側のサン・マルタンの周囲にはティンタマール島などの小島も含む。 フランスの領土とオランダの領土が地続きで接しているのは、世界でここだけである。 セント・マーチン島の面積は88Km²で、 フランス領側のサン・マルタン(フレンチ・サイド)は54km²、人口は31,397人、中心地はマリゴである。 オランダ領側のシント・マールテン(ダッチ・サイド)は34km²、人口は35,000人で中心地はフィリップスブルフである。 |


