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〔『日吉大社参道』(滋賀県大津市坂本)にて 〕 『日吉大社(ひよしたいしゃ)参道』【後編】:比叡山の山麓の参道は、紅葉・黄葉の秋色深く錦繍(きんしゅう)の世界・・・^〜^V:(滋賀県大津市坂本)にて 〔2011.11.28〕 先日(11/28)の徘徊先は、 『延暦寺(えんりゃくじ)』のある『比叡山(ひえいざん)』。 その僧侶が住む里坊は、 山麓の『日吉大社(ひよしたいしゃ)』の参道に並ぶ。 また、この町『坂本』は、 安土桃山時代には、『明智光秀』が『坂本城』を築城した歴史ある町。 秋深まりいく琵琶湖湖岸の参道は、 木々は、錦色に色変わり、 錦繍(きんしゅう)の世界にお色直し・・・^〜^v . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【坂本(さかもと)】は、 滋賀県大津市の地区名。 延暦寺および日吉大社の門前町として古くから栄えた。 現在の地名は坂本1〜8丁目に分かれる。 広義の坂本には下阪本、坂本本町なども含まれる。 日吉大社参道の両側には比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並ぶ。 また、穴太衆積み(あのうしゅうづみ、穴太積みとも)と呼ばれる石垣が街路を形成している。 坂本の町並みは地域的特色を顕著に示しているものとして、 種別「里坊群」「門前町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 安土桃山時代には、明智光秀により坂本城が築城された。 しかし、本能寺の変や続く山崎の戦い後に明智秀満が城に火を放った 【日吉大社(ひよしたいしゃ、元は「ひえたいしゃ」)】は、 滋賀県大津市坂本にある神社。 俗に山王権現とも呼ばれている。 日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。 旧社格は官幣大社。 中世には二十二社の下八社のひとつとされた。 西本宮と東本宮を中心に、400,000m²の境内を持つ。 猿を神の使いとして崇拝することで知られている。 【延暦寺(えんりゃくじ)】は、 滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。 延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。 平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。 平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。 住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。 |
♠ 徘徊日誌 ♠
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〔『穴太衆積み(あのうしゅうづみ)』:『日吉大社参道』(滋賀県大津市坂本)にて 〕 『日吉大社(ひよしたいしゃ)参道』【前編】:比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並ぶ『穴太衆積み(あのうしゅうづみ)』の参道を、秋色探し・・・^〜^V:(滋賀県大津市坂本)にて 〔2011.11.28〕 先日(11/28)の徘徊先は、 『延暦寺(えんりゃくじ)』のある『比叡山(ひえいざん)』。 その僧侶が住む里坊は、 山麓の『日吉大社(ひよしたいしゃ)』の参道に並ぶ。 また、この町『坂本』は、 安土桃山時代には、『明智光秀』が『坂本城』を築城した歴史ある町。 秋深まりいく琵琶湖湖岸の『穴太衆積み(あのうしゅうづみ)』と呼ばれる 野面積の石垣を眺めながらの 秋色探しの散策をご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【坂本(さかもと)】は、 滋賀県大津市の地区名。 延暦寺および日吉大社の門前町として古くから栄えた。 現在の地名は坂本1〜8丁目に分かれる。 広義の坂本には下阪本、坂本本町なども含まれる。 日吉大社参道の両側には比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並ぶ。 また、穴太衆積み(あのうしゅうづみ、穴太積みとも)と呼ばれる石垣が街路を形成している。 坂本の町並みは地域的特色を顕著に示しているものとして、 種別「里坊群」「門前町」で重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 安土桃山時代には、明智光秀により坂本城が築城された。 しかし、本能寺の変や続く山崎の戦い後に明智秀満が城に火を放った 【日吉大社(ひよしたいしゃ、元は「ひえたいしゃ」)】は、 滋賀県大津市坂本にある神社。 俗に山王権現とも呼ばれている。 日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。 旧社格は官幣大社。 中世には二十二社の下八社のひとつとされた。 西本宮と東本宮を中心に、400,000m²の境内を持つ。 猿を神の使いとして崇拝することで知られている。 【延暦寺(えんりゃくじ)】は、 滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。 延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。 平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。 平安時代初期の僧侶最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。 住職(貫主)は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括する。 |
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〔『長瀬山琴引院長命寺』:『琴引峠(ことびきとうげ)』(奈良県宇陀市室生区三本松)にて 『長命寺(ちょうめいじ)』:『旧伊勢街道(青越道)』の大和から伊賀へ越える最初の峠の古寺を訪ねて・・・^〜^V:『長瀬山琴引院長命寺』:『琴引峠(ことびきとうげ)』(奈良県宇陀市室生区三本松)にて 〔2011.11.17〕 一ヶ月ほどまえ(11/17)の徘徊先は、 名刹『室生寺(むろうじ)』でも知られている奈良県宇陀市室生区。 その昔、奈良から伊賀をとおり伊勢への街道 『旧伊勢街道(青越道)』の最初の峠にある古寺は、 とっても素直な素敵なお名前のお寺、『長命寺(ちょうめいじ)』。 この峠『琴引峠(ことびきとうげ)』は、 義経と静の逃避行の中で琴を弾いたとか、 全国行脚をした北条時頼が琴を引いたとか、言い伝えられている伝説の峠。 秋深まり行く、奈良・室生路の里山風景の一日を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 注意:琴『引』は、琴『弾』だと思いますが、現地の表示に従い『琴引峠』・『琴引院』としました。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【琴弾峠(ことびきとうげ】 室生東小学校の東方、近鉄線に沿った小道を登った所に長命寺があり、 その境内に、『琴彈峠跡』の碑が建てられています。 琴引峠は、旧伊勢街道(青越道)の大和から伊賀へ越える最初の峠で、 茶屋があり、また、伊賀国境への標石、制札場、藤堂藩の倉屋敷もありました。 当時は、芭蕉や宣長などの文人や、多くの行人が行き交ったそうです。 現在は鉄道掘削により、往時の姿は全く消えてしまいましたが、 行人に親しまれた琴引峠の名を留め、歴史を偲ぶためにと、 この碑が残されています。 |
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〔『自然の恵み』:『醍醐山』・『醍醐寺(だいごじ)』(京都府京都市伏見区醍醐東大路町)にて 〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『醍醐山』:『理源大師聖宝(しょうぼう)』開基(創立者)の境内で、豊かな自然を愛でる・・・^〜^v:『醍醐寺(だいごじ)』(京都府京都市伏見区醍醐東大路町) にて 〔2011.10.06〕 昨日の徘徊先は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院 『醍醐寺』は、『理源大師聖宝』が開いた修験者の霊場、 200万坪以上の広大な境内には、今も豊かな自然が、 足元の可憐な緑の妖精たちとの出逢いを 楽しみ・愛でた秋晴れの一日をご一緒に・・・^〜^v 【訪問時期:2011.10.06】 【醍醐寺(だいごじ)】は、 京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。 山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。 本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。 古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。 伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。 豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。 醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、 空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんていかんのん)並びに 如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。 醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、 多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称する)、 醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、 その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。 |
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〔『琵琶湖大橋』:『琵琶湖展望台』・『奥比叡ドライブウェイ』(滋賀県大津市)』にて 〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『比叡山』:台風一過、秋晴れの縦走ドライブ、秋探し・・・^〜^v:『比叡山ドライブウェイ』(滋賀県大津市) にて 〔2011.09.07〕 先日の徘徊先は、延暦寺や日吉大社などがある古くより信仰対象の山とされた『比叡山』、 ノロノロ台風一過のすばらしい秋晴れの一日、 北側の『奥比叡ドライブウェイ』から、 南側の『比叡山ドライブウェイ』へと、縦走ドライブ。 琵琶湖を眺めながらの秋探しを楽しみながらの一日・・・^〜^V 【訪問時期:2011.09.07】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 . |




