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〔『友ヶ島(ともがしま)』:『沖ノ島』(和歌山県和歌山市加太)にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『友ヶ島(ともがしま)』:明治時代に造られた旧日本軍の軍事施設跡が残る不思議な無人島探検・・・^〜^V』:『沖ノ島』(和歌山県和歌山市加太)にて〔2011.07.06〕 先日は、大阪府との県境に近い『友ヶ島(ともがしま)』。 『友ヶ島』は、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の四島の総称で、 今回は、その一つ『沖ノ島』に徘徊。 この島は、第二次世界大戦が終わるまでは、 地図にも記載されていない大阪湾への艦船の侵入を防ぐ重要な軍事施設。 そして、今は、夏の時期以外には訪れる人も少ない無人島。 僕のこの地への訪問は、小学生の頃に亡父と海水浴に訪れて以来、 約半世紀ぶり、名前のみ記憶のあった島を御紹介いたします・・・^〜^v 【訪問時期:2011.07.06】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 . 【友ヶ島(ともがしま)】は、 和歌山県和歌山市加太に属し、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群。 瀬戸内海国立公園の一部。 本稿では「友ヶ島」を地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称として扱う。 大阪湾と紀伊水道を分ける紀淡海峡を塞ぐ形で立地し、東は紀伊半島、西は淡路島と対する。 |
♠ 徘徊日誌 ♠
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〔『くろがね号』:『明神電車(めいしんでんしゃ)』『明延鉱山』(兵庫県養父市大屋町)にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『明神電車(めいしんでんしゃ)』:『一円電車』とその仲間たちに出逢う・・・^〜^V』:『三菱金属株式会社(現三菱マテリアル株式会社):明延鉱山』(兵庫県養父市大屋町)にて〔2011.06.28〕 先日の徘徊先の一つは、『明延鉱山(あけのべこうざん)』 この鉱山には、かつて『一円電車』と呼ばれた鉄道が、 鉱山の関係者の便宜を図った電車は、 1952年から1985年10月の廃線まで『運賃一円』・・・^〜^v 【訪問時期:2011.06.28】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 . . 【明神電車(めいしんでんしゃ)】は、 かつて兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道。 明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついた。 鉱石の輸送を目的に敷設された。 鉱石列車のほかに、鉱山関係者の便宜を図って人車も1945年から運行された。 この時、当初は運賃無料であったのが、1949年から50銭、1952年から1円を徴収するようになった。 その運賃はその後、1985年10月の廃線まで変わらなかった。 「1円電車」と呼ばれる所以はここにある。 |
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〔『明延鉱山(あけのべこうざん)』:(兵庫県養父市大屋町)にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『明延鉱山(あけのべこうざん)』:奈良の大仏にもここの銅が使われたらしい鉱山も、今は閉山に・・・^〜^V』:『三菱金属株式会社(現三菱マテリアル株式会社):明延鉱山』(兵庫県養父市大屋町)にて〔2011.06.28〕 先日の徘徊先の一つは、『明延鉱山(あけのべこうざん)』 この鉱山は、スズは日本一の鉱量を持ち、 それ以外に、銅、亜鉛、タングステンなどの鉱脈をもつ鉱山。 奈良時代には、すでに開山していたらしく、 奈良の大仏にも大量の銅が使われたそうな...? しかし、急激な円高のため、、 昭和62年(1987年)1月31日午後11時20分の発破を最後に、 同年3月をもって閉山.... 長い間、日本の貴重な資源を産出してくれた大切な鉱山、 当時の面影の残す建物を御紹介いたしましょう・・・^〜^v 【訪問時期:2011.06.28】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 . . 【明延鉱山(あけのべこうざん)】は、 兵庫県養父市大屋町でかつて操業していた スズ、銅、亜鉛、タングステンなどの多品種の非鉄金属鉱脈をもつ鉱山。 特にスズは日本一の鉱量を誇っていた。 最盛期には、鉱山関係の人口が4,123人(963世帯)おり、 娯楽施設の協和会館では、最新の映画が上演され、 多くの芸能人(島倉千代子、村田英雄、フランク永井など)が歌った。 大正元年(1912年)に明延鉱山の鉱石を神子畑(みこばた)選鉱所に運ぶためにつくられた 5.75kmの鉱山列車「明神電車」は、 昭和27年(1952年)以来、乗車賃「一円」で乗客を運んだことから、 「一円電車」として有名になったこともある。 昭和62年(1987年)1月31日午後11時20分の発破を最後に、同年3月をもって閉山した。 平成19年(2007年)11月30日公表の近代化産業遺産認定遺産リスト(経済産業省)において、 「25.我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」 の中で、明延鉱山関係では、「明神電車と蓄電池機関車」、「明延鉱山探検坑道(旧世谷通洞坑)」、 「明盛共同浴場『第一浴場』建屋」の3点が選定された。 |
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〔『玄武洞(げんぶどう)』:『玄武洞公園:兵庫県豊岡市赤石』にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『玄武洞(げんぶどう)』:柱状節理の藝術、みごとな自然の作品との約半世紀ぶりの出逢・・・^〜^V』:『玄武洞公園:兵庫県豊岡市赤石』にて〔2011.06.27〕 僕が、小学生の頃、両親との夏休みの家族旅行で訪れたのは、 もうかれこれ、約半世紀も昔の思い出。 その場所は、『玄武洞』、その頃はたしか、蒸気機関車で.... みごとな『柱状節理』は、自然の芸術作品。 紫陽花咲く、雨上がりの玄武洞、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞と、 幼い頃の思い出にひたりながら巡りました・・・^〜^v 【訪問時期:2011.06.27】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【玄武洞(げんぶどう)】は、 兵庫県豊岡市赤石の円山川東岸にある洞窟・絶壁。 国の天然記念物に指定され、山陰海岸国立公園に含まれる。 青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の洞窟と玄武洞ミュージアムと合わせ、 玄武洞公園として整備されている。 約160万年前の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩塊が形成された。 約6,000年前に波の侵食により玄武岩塊がむき出しとなった。 これを人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残った。 つまり洞窟は天然のものではなく、坑道・採掘跡地である。 江戸時代後期の文化4年(1807年)幕府の儒学者・柴野栗山がここを訪れ 伝説上の動物玄武の姿に見えることから「玄武洞」と名付けた。 また、「玄武岩」の名称は、 明治17年(1884年)東京大学の地質学者・小藤文次郎が岩石の日本名を制定する際に、 玄武洞の名に因んで命名した。 玄武岩の柱状節理・板状節理によって、洞窟内では亀甲状の天井や5〜8角の石柱がみられる。 |
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〔『熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)』:『和歌山県田辺市本宮町本宮』にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)』:八咫烏(やたがらす)ゆかりの熊野詣の地を訪ねる・・・^〜^V』:『和歌山県田辺市本宮町本宮』にて〔2011.06.23〕 先日の徘徊先は、『奈良県・十津川』を抜けて、 紀伊半島の南の町『和歌山県・新宮市』へと、 その道中、八咫烏(やたがらす)ゆかりの『熊野本宮大社』は、 その昔の『熊野詣』の地でも・・・^〜^v 【訪問時期:2011.06.23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 . 【熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)】は、 和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。 熊野三山の一つ。 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、 熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。 上四社南にある拝殿1871年に熊野坐神社として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。 現在の社地は山の上にあるが、 1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあった。 明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、 大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。 現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、 日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。 なお、その時の大洪水で被災した上流の十津川村集落の住民の一部が移住した先で開墾したのが 北海道の新十津川村である。 「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。 熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。 太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、 中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。 |




