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〔『野崎主計の碑』:『奈良県十津川村川津』にて〕
辞世『討つ人も討たるる人も心せよ 同じ御国の御民なりせば』
参考: http://www.vill.totsukawa.lg.jp/www/contents/1109214915734/index.html 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『十津川村』:紀伊半島のど真中にある「日本一広い村」を訪ねて・・・^〜^V:』:『奈良県十津川村』にて〔2011.06.24〕 先日の徘徊先は、『奈良県・十津川』を抜けて、 紀伊半島の南の町『和歌山県・新宮市』へと、 道中、日本で一番広い面積の村『十津川村』に、 この地は、紀伊半島の山中にあり、 田畑に適した土地は極めて限られ、 周囲とは隔絶し、 独特の文化、気風があり、 十津川郷士を輩出したところ・・・^〜^! 【訪問時期:2011.06.23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【天誅組(てんちゅうぐみ)】は、 幕末に公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団。 大和国で挙兵するが、幕府軍の追討を受けて壊滅した(天誅組の変)。 天忠組とも。 【十津川村(とつかわむら)】は、 奈良県の最南端に位置する村。 北方領土を除けば日本一広い面積を持つ村として知られている。 奈良県内において実質公債費比率が最も低い市町村である。 山間の農耕に適さぬ地形のため、古来、免租の集落として、 その時々の権力者の支配を受けず、半ば独立した村落共同体として存在し続けた。 免租の特権を保証してくれる実力者側に常に出兵し、 古くは壬申の乱以来、幕末までこの政策は変わらなかったが、 明治維新後、ついに免租特権が廃止された。 また、建武の新政の際には楠木正勝がここを拠点とした、 以来、尊王の姿勢を明治維新まで貫いた。 周囲とは隔絶した地域であったため、独特の文化、気風があり、十津川郷士を輩出した。 1863年、天誅組に十津川郷士が募兵により参加。 1889年、大水害により村落の大部分が壊滅状態になり、北海道へ移住。新十津川村を開拓。 1890年6月18日、東十津川村、西十津川村、南十津川村、北十津川村、中十津川村、十津川花園村が合 併して、十津川村が誕生。 2004年7月1日、『紀伊山地の霊場と参詣道』が、ユネスコの世界遺産委員会により「世界遺産一覧表」(文化遺産)に登録された。 十津川村には熊野古道小辺路と大峯奥駈道が通り玉置神社がある。 |
♠ 徘徊日誌 ♠
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〔『ぶつぶつ川』:『和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白(ひがしむろぐんなちかつうらちょうこのしろ)』にて〕 『ぶつぶつ川』:ぶつぶつと、日本で一番短い川は、僅か13.5mの清流・・・^〜^V:』:『和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白(ひがしむろぐんなちかつうらちょうこのしろ)』にて〔2011.06.24〕 今日の徘徊先は、紀伊半島の南の町『和歌山県・新宮市』から大阪へと帰社、 道中、日本で一番短い川『ぶつぶつ川』を発見、 川の長さは、僅か13.5mのれっきとした二級河川、 場所は、熊野灘を望む国道42号線の近く、 『和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白(ひがしむろぐんなちかつうらちょうこのしろ)』。 「山むらさきに水清き、このよき里に生い立ちて」 佐藤春夫 【訪問時期:2011.06.24】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【ぶつぶつ川(ぶつぶつがわ)】は、 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町粉白(ひがしむろぐんなちかつうらちょうこのしろ)を流れる 二級河川である。 全長は13.5mで、同じ二級河川の北海道島牧郡島牧村を流れるホンベツ川(全長30m)や、 準用河川の山形県最上郡真室川町を流れる東町塩野川(全長15m)を下回り、 法で指定された河川としては日本最短である。 ぶつぶつ川は、粉白川に流れ込む支流である。 水源は湧き水であり、地下水源から水が湧き出るときに、 空気の泡がぶつぶつと出てくる様子から名前が付いたとされる。 2008年(平成20年)10月21日に県によって二級河川に指定され、日本最短の法定河川となった。 【佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)】は、 日本の小説家、詩人。 和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に医師・佐藤豊太郎(号は鏡水)、政代の長男として生まれる。 母政代は旧紀州藩士でお庭奉行を務めた竹田氏の娘。 和歌山県立新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)卒業後、 上京して生田長江に師事、与謝野寛の新詩社に入る。 旧制第一高等学校の入試に臨んだが試験を中途で放棄し、慶應義塾大学文学部予科に進む(のち中退)。 慶應義塾大学では当時教授だった永井荷風に学ぶ。 兄弟子に当たる久保田万太郎とは犬猿の仲であったが、 荷風の死後明らかになった『断腸亭日乗』に、 弟子の久保田と春夫を中傷する内容が書かれていたため、和解した。 那智勝浦町立下里小学校 (作詞 佐藤 春夫 作曲 鈴木 富三) 1、 黒潮すさぶ 熊野灘 その荒波も しばらくは ここにしずまる 玉の浦 海幸山幸 ゆたかにも われら家居す この里に 2、 奥はけわしき 荒山も ここには姿 なごやかに 名も大丸の山と呼ぶ その山すその わが校舎 うべもとみけり とのつくり 3、 学ぶべきもの 書のみか まなこをあげて 山にとえ 耳かたむけて 波に聞け ますら男心 身にこめて みなむつむべき 世と知らん 4、 山むらさきに 水清き このよき里に 生い立ちて よき学び舎の われらみな 猛くやさしき こころもて 生きて甲斐ある 人たらん |
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〔『水田』:『兵庫県丹波市氷上町』にて〕 『丹波の晩春』:田植えが終わった水田には、稲苗と山の影がしずかに・・・^〜^V:『兵庫県丹波市氷上町』にて〔2011.05.13〕 昨日の徘徊先は、兵庫県丹波市、 旧氷上郡の6町(氷上町、柏原町、青垣町、春日町、山南町、市島町)が、 2004年11月1日に出来た新しい市、 田植えが終わった水田には、稲苗と山影がしずかに、 春 の妖精たちも、そろそろ 夏の季節の使者と交代・・・^〜^v 【訪問時期:2011.05.13】 【丹波市(たんばし)】は、 兵庫県にある市。 2004年11月1日に兵庫県旧氷上郡の6町(氷上町、柏原町、青垣町、春日町、山南町、市島町)が合併し、 新設された。 兵庫県の東部に位置し、瀬戸内海と日本海のほぼ中間部に位置する山間にある。 加古川水系の最上流、由良川水系の最上流に位置し、 北海道と末端部を除けば日本で一番低い中央分水界がある。 子午線(東経135度線)が通る町でもある。 文化・経済的には丹波市以北をもって北近畿圏となるが、 大阪圏としての文化・経済的な側面も見られる。 標高100m前後の盆地に、田畑が広がり、霧の出ることも多い。 |
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〔『かえでの花』:『神峯山寺(かぶさんじ)』:『大阪府高槻市原3301-1』にて〕 『神峯山寺(かぶさんじ)』:新緑が眩しい日本仏教の聖地に迷い込む・・・^〜^V:『大阪府高槻市原3301-1』にて〔2011.04.27〕 ここ数日は、天候の不安定が続き、朝は肌寒い僕の地方、 先日の徘徊先は、大阪府の北側、京都府との県境も近い高槻市の山間部、 日本仏教の聖地として比叡山などと並び七高山のひとつに数えられる『神峯山寺(かぶさんじ)』 境内は、見事な新緑の世界、 若々しい青葉が目にまぶしい霊場です・・・^〜^v 【訪問時期:2011.04.27】 . 【神峯山寺(かぶさんじ)】は、 大阪府高槻市原にある天台宗の仏教寺院。 山号は根本山。 本尊は毘沙門天。 新西国三十三箇所第十四番札所。 役行者霊蹟札所。 日本最初の毘沙門天安置の霊場と言われている。 秋には紅葉の名所として知られる。 寺伝によれば文武天皇元年(697年)に 役小角が葛城山で修行をしている時、 北の山から黄金の光が発せられたのを見て、霊感を感じ神峯山寺が位置する場所にやって来たという。 そこで一人の天童に会い天童の霊木で、四体の毘沙門天を刻みこまれ、 毘沙門天が現れそれを祀ったのが、寺の起源であると伝えられる。 宝亀5年(774年)に開成皇子が勝尾寺から入山し、光仁天皇の命により住職となり、 本堂などを建て創建し、本格的に仏教寺院となったという。 神峯山は仏教の聖地として比叡山などと並び七高山のひとつに数えられ、 開成皇子の父である光仁天皇以降、歴代天皇の勅願寺ともなっており、 皇室の崇敬が厚く、3代将軍足利義満や豊臣秀頼の生母淀殿らなど寄進も多かった。 盛時には七堂伽藍及び僧坊21、寺領は1,300石と大いに栄えた。 明和2年(1765年)に本堂を焼失したが、安永6年(1777年)に再建された。 現在は宝塔院(本坊)・寂定院・龍光院の3院となっている。 |
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〔『又兵衛桜(またべえざくら)』:『奈良県宇陀市大宇陀区(旧・大宇陀町)』にて〕 『又兵衛桜(またべえざくら)』:『かぎろひの丘』近く、戦国武将『後藤基次(又兵衛)』屋敷跡に咲く、樹齢300年の桜・・・^〜^V:『奈良県宇陀市大宇陀区(旧・大宇陀町)』にて〔2011.04.20〕 2000年のNHK大河ドラマ『葵徳川三代』のオープニング映像で使用された桜の古木、 その場所は、万葉の頃、宮廷の狩場『阿騎野』、 『柿本人麻呂』が 「東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」 と詠んだ場所『かぎろひの丘万葉公園』の近く、 満開を少し過ぎていましたが、 大和高原の南端部の春爛漫をお楽しみください・・・^〜^V 【おまけ】は、 野焼きで真っ黒な『曽爾高原(そにこうげん)』と 大和高原の春の妖精とその仲間達です! 【訪問時期:2011.04.20】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【又兵衛桜(またべえざくら)】は、 奈良県宇陀市大宇陀区本郷にある、樹齢300年とも言われる桜の古木。 瀧桜(たきざくら)とも呼ばれる。 県の保護樹。 2000年のNHK大河ドラマ『葵徳川三代』のオープニング映像で使用された事で有名になった。 大坂の役で活躍した、戦国武将後藤基次(又兵衛)にちなんだもの。 豊臣家崩壊後、後藤基次は大宇陀(現 奈良県宇陀市大宇陀区)の地で暮らし、 再興の時期を待ったと言われるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある。 【曽爾高原(そにこうげん)】は、 奈良県宇陀郡曽爾村大字太郎路にある高原。 当高原は室生赤目青山国定公園第一種特別地域内にある。 倶留尊山(標高1038メートル)と亀山(標高849メートル)の西斜面から麓に広がる高原で、 平坦地の標高は約700メートル、面積は約38ヘクタール。 春になると山焼きが行われ、秋には「お亀池」という湿地帯を除いて一面がすすきに覆われる。 近畿圏からトレッカーが多く訪れる。 |




