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〔『荒神谷遺蹟』(こうじんだにいせき):『荒神谷史跡公園』(島根県出雲市斐川町神庭873−8)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 3-2[完].『荒神谷遺蹟』(こうじんだにいせき):神話の国という古代出雲のイメージが払拭された、一か所から銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した遺蹟さんぽ・・・^〜^v :『荒神谷史跡公園』(島根県出雲市斐川町神庭873−8)〔2019.04.23〕 平成最後の一か月前(4/21-4/23)の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第三日目(4/23)は、午後の高速バスで帰宅の移動日☆彡 約半日の限られた時間でしたが、 『出雲大社』の北側、『島根半島』の西端近くの里山 『弥山』(506m)を初登頂したあと、 向かった先は『荒神谷史跡公園』^^v ここには、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本もが、 一か所から一度に出土した『荒神谷遺蹟』があります! 高速バスまでの短い時間でしたが、 級友の案内でしっかり見届けてきました☆彡 それでは、今回の旅日記の最終編を 史跡としての指定名称は「荒神谷遺跡」であるが、地名を冠して「神庭荒神谷遺跡」とも呼ばれる。 1983年(昭和58年)広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われた。この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘調査が開始された。1984年 - 1985年(昭和59-昭和60年)の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。銅剣は1985年に国の重要文化財に指定され、銅鐸・銅矛は1987年(昭和62年)に追加指定されていたが、1998年(平成10年)に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている[1]。遺跡自体は1987年に国の史跡に指定された。斐川町(現:出雲市)が中心となり1995年(平成7年)に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備され、2005年(平成17年)には公園内に「荒神谷博物館」が開館した。出土品は国(文化庁)が所有し、2007年(平成19年)3月に出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。なお、上述の荒神谷博物館においても、特別展などで出土品の展示が行われることがある[2]。 銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった。出土した青銅器の製作年代等については下記の通りであるが、これらが埋納された年代は現在のところ特定できていない。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%A5%9E%E8%B0%B7%E9%81%BA%E8%B7%A1 |
【中国の四季さんぽ】
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〔『弥山』(みせん:506m):(島根県出雲市大社町菱根河原谷)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 3-1.『弥山』(みせん:506m):『出雲大社』の裏山のような里山を、春の花さがし・・・^〜^v :(島根県出雲市大社町菱根河原谷)〔2019.04.23〕 平成最後の一か月前(4/21-4/23)の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第三日目(4/23)は、午後の高速バスで帰宅の移動日☆彡 約半日の限られた時間でしたが、 『出雲大社』の北側、『島根半島』の西端近くの里山 『弥山』(506m)を初登頂^^v 滑り易い取っ掛かりの無い山道を、 整備された案内板に沿って片道約2時間の山歩き☆彡 路傍に咲く春の花、標高に沿って視界が広がる 楽しい春の花探し(^^♪ 特に、珍しくもありませんが 旅の思い出の一コマとして |
2-4.『美保神社』:『出雲大社』とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される、事代主神系えびす社3千余社の総本社の境内さんぽ・・・^〜^v :(島根県松江市美保関町美保関608)〔2019.04.
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〔『美保神社』:(島根県松江市美保関町美保関608)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2-4.『美保神社』:『出雲大社』とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される、事代主神系えびす社3千余社の総本社の境内さんぽ・・・^〜^v :(島根県松江市美保関町美保関608)〔2019.04.22〕 平成最後の一か月前(4/21-4/23)の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第二日目(4/22)は、級友の運転で 『島根半島』(しまねはんとう)巡り☆彡 北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海、宍道湖に囲まれた 自然も歴史も豊かな半島めぐり、 あっちこっちと、寄り道しながらやっとたどり着いた この日の最後は、半島の最東端『地蔵崎』近くにある 『美保神社』☆彡 『出雲大社』とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称され、 事代主神系えびす社3千余社の総本社である『美保神社』! 夕刻の境内は、参拝者は一組だけでほぼ貸し切り状態、 ゆっくり境内を徹底探検して、 天然石を敷き詰めた『青石畳通り』(あおいしだたみどおり)へと☆彡 それでは、『美保神社』から『青石畳通り』への 第二日目の最終さんぽを、 事代主神系えびす社3千余社の総本社である(蛭子神系のえびす社の総本社は西宮神社)。えびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集める。また、「鳴り物」の神様として楽器の奉納も多い。 右殿に大国主神の子の事代主神、左殿に大国主神の后の三穂津姫命を祀る。三穂津姫命は大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である「大物主神」の后神。事代主命は神屋楯比売神(かむやたてひめ)と大国主神との間の子供なので義理の母親にあたる。 近世頃から「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになった。出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と総称される。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE 青石畳通り(あおいしだたみどおり)は、松江市美保関町美保関にある天然石を敷き詰めた通りである。雨に濡れると石が青く光るため青石畳通りと呼ばれている。恵比寿様こと事代主命の総本社として知られる美保神社から、平安時代の仏像5体(重要文化財)を有する仏谷寺までを結ぶ500メートルほどの参道である。途中には国の登録有形文化財の旅館美保館や旧家、資料館などが並び、往時の面影が色濃く残っている。 美保関は古より日鮮貿易の拠点として栄え、江戸時代から大正時代にかけては、北前船航路の中継基地として重要な港湾であった。また、この北前船の時代には、西日本でも有数の歓楽街としても栄え、多くの遊郭が軒を連ね、人口の四分の一を遊女が占めた時代もあった。このような時代背景の中、狭い土地の中で行き交う人や大八車などのために、古くから天然石を敷き詰められていった。現在も観光名所として訪れる人は多い。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E7%9F%B3%E7%95%B3%E9%80%9A%E3%82%8A |
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〔『美保関灯台』:『地蔵崎』:(島根県松江市美保関町美保関字大平)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2-3.『美保関灯台』:『島根半島』最東端『地蔵崎』に建つ山陰最古の白亜の石造灯台さんぽ・・・^〜^v :〔2019.04.22〕 平成最後の一か月前(4/21-4/23)の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第二日目(4/22)は、級友の運転で 『島根半島』(しまねはんとう)巡り☆彡 北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海、宍道湖に囲まれた 自然も歴史も豊かな半島! あっちこっちと、寄り道しながらやっとたどり着いた 航海安全を念じ奉納された多くの地蔵から名付けられた 半島の最東端『地蔵崎』☆彡 また、神話の時代には『美保ヶ崎』と呼ばれ 国譲りの際、事代主命が漁をしていたとされる岬には、 1898年(明治31年)初点灯の山陰最古の可愛い白亜の石造灯台 『美保関灯台』が建っています☆彡 それでは、ご一緒に『美保関灯台』をぐるりとひと回り 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 美保関事件(みほのせきじけん)は、1927年(昭和2年)8月24日に大日本帝国海軍で夜間演習中に起こった艦艇の多重衝突事故である。美保関沖事件、美保ヶ関事件ともいう。 日本海軍は、ワシントン海軍軍縮条約(大正10年11月締結)の結果として保有主力艦艇の総排水量を制限された。連合艦隊司令長官加藤寛治大将は東郷平八郎元帥から激励された「訓練に制限無し」を掛け声として、1926年(大正15年)11月以来、猛訓練と個艦優秀主義によって戦力の劣勢を補おうとした。 翌1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖での徹夜の夜間無灯火演習中に川内型軽巡洋艦2番艦「神通」(第五戦隊3番艦。神通艦長水城圭次大佐)と駆逐艦「蕨」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。蕨駆逐艦長五十嵐恵少佐)が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失して大破、「蕨」は沈没した。 このとき「神通」を避けようとした後続の川内型3番艦「那珂」(第五戦隊4番艦。那珂艦長三戸基介大佐)も駆逐艦「葦」(第一水雷戦隊、第27駆逐隊。葦駆逐艦長須賀彦次郎少佐)に衝突、両艦も大破した。一連の経緯により、事故発生時の神通艦長水城圭次大佐は自決した。 「世界灯台100選」および「日本の灯台50選」に選ばれている日本を代表する灯台の一つで、その歴史的文化財的価値が高さから、Aランクの保存灯台に指定され、灯台として初の登録有形文化財に登録された。 灯台横の旧吏員退息所の建物は現在、美保関灯台ビュッフェという飲食店に改装され活用されている。 1930年に与謝野鉄幹・晶子夫妻が地蔵埼を訪れており、夫妻が残した歌が灯台施設前の石碑に記されている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BF%9D%E9%96%A2%E7%81%AF%E5%8F%B0 |
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〔『加賀湾』:『桂島キャンプ場』:(島根県松江市島根町加賀)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2-2.『島根半島 海岸めぐり』:透き通る日本海と複雑な海岸線を楽しみながら、ブラタモリ散歩・・・^〜^v :〔2019.04.22〕 旅日記は一か月前(4/21-4/23)の平成最後の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第二日目(4/22)は、級友の運転で 『島根半島』(しまねはんとう)巡り☆彡 北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海、宍道湖に囲まれた 自然も歴史も豊かな半島を その日本海に面した海岸線は、 太古の時代の火山活動や地殻変動を伝える 貴重なエリア^^v 天候にも恵まれ、素晴らしい透明度の日本海に面した海岸線 あっちこっちと寄り道さんぽ楽しみながら、 東端の『美保関』/『地蔵崎』へと☆彡 それでは、ご一緒に透き通る海と 複雑な海岸線を楽しむ 須々海海岸の洗濯岩 この海岸にみられる洗濯岩は、およそ1400万年前の海底で堆積した地層で、白い色の砂岩と黒灰色の泥岩が何度も繰り返す。泥岩が選択的に侵食を受けることで洗濯板のような形状となった。砂岩は混濁流と呼ばれる海底で発生した濁り水、または海底土石流から堆積した。『出雲国風土記』には「須々比埼 白朮あり」と記載されている。周辺には、絶滅危惧種であるモクゲンジの生育が知られている。 出典: https://kunibiki-geopark.jp/geosite/%E9%A0%88%E3%80%85%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E5%B2%B8%E3%81%AE%E6%B4%97%E6%BF%AF%E5%B2%A9/ |




