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〔『薬師本堂』:『一畑薬師』/『一畑寺』:(島根県出雲市小境町803)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2-1.『一畑薬師』(いちばたやくし):八重桜と青楓につつまれた『目のお薬師様』を古刹さんぽ・・・^〜^v :『一畑寺』(島根県出雲市小境町803)〔2019.04.22〕 旅日記は一か月前(4/21-4/23)の平成最後の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 第二日目(4/22)は、級友の運転で 『島根半島』(しまねはんとう)巡り☆彡 北側を日本海、東側を美保湾、南側を中海、宍道湖に囲まれた 自然も歴史も豊かな半島をゆっくり堪能^^v まずは、目に御利益があるという『一畑薬師』へ、 縁起によれば、今から1125年前の寛平6年(894年)、 漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、 海中から引き上げた『薬師如来像』を本尊とし、 医王寺として創建したと伝わる古刹☆彡 一か月前は、八重桜が咲き誇り、風を受ける青楓が 目に優しく微笑むような侯! 境内は、10連休前の平日で静かな貸し切り状態^^v それでは、ご一緒に「目のお薬師様」として知られる 縁起によれば、寛平6年(894年)、漁師の与市(のち出家して補然と称する)が、海中から引き上げた薬師如来像を本尊とし、医王寺として創建したという。天台宗に属したが、正中2年(1325年)、石雲本竺が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を成徳寺と改めた。 承応2年(1653年)には一畑寺に改名。寛政2年(1790年)、妙心寺派に転属した。 昭和28年(1953年)、宗教法人一畑薬師教団が設立され、一畑寺が総本山となっている。 水木しげるの『のんのんばあとオレ』の「のんのんばあ」は作品中にも一畑寺に参詣するエピソードが登場するなど一畑寺を信仰しており、その縁で2012年4月8日には「のんのんばあまつり」が開かれ、境内に「のんのんばあとしげる少年」と『ゲゲゲの鬼太郎』の「目玉のおやじ」(一畑寺が目の薬師であることに因む)のブロンズ像が建立された。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%95%91%E5%AF%BA |
【中国の四季さんぽ】
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〔『神楽殿』:『出雲大社』:(島根県出雲市大社町杵築東195)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1-4.『出雲大社』(いづもおおやしろ):60年に一度の大事業『平成の大遷宮』が3月末に完遂した『大国主大神』を祭神とする境内を貸切さんぽ・・・^〜^v :(島根県出雲市大社町杵築東195)〔2019.04.21〕 旅日記は一か月ほど前(4/21-4/23)の平成最後の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 『日御碕』(ひのみさき)から再び出雲市の中心部へ、 夕刻の『出雲大社』は観光客もなく静かな境内☆彡 3月末には、平成20年4月から始まった 60年に一度の大事業『平成の大遷宮』も完遂し、 しずかな境内を貸切さんぽ! それでは、ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。 祭神は大国主大神。 式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。 現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。 古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。 一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっている。 二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。 明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。 創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。 宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく、黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。 現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE |
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〔『下の本社』(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや):『日御碕神社』:(島根県出雲市大社町日御碕455)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1-3.『日御碕神社』:2555年もの昔、安寧天皇13年(紀元前536年)に「日の本の夜を守れ」 との勅命により祀られ神社をブラタモリ・・・^〜^v :(島根県出雲市大社町日御碕455)〔2019.04.21〕 旅日記は一か月ほど前(4/21-4/23)の平成最後の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 『日御碕』(ひのみさき)ブラタモリ散歩は、 日本一の高さを誇る『出雲日御碕灯台』(いずもひのみさきとうだい)から 『出雲大社』の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める 『日御碕神社』へ^^v 創建の由緒が、『伊勢神宮』が「日の本の昼を守る」のに対し、 この『日御碕神社』は「日の本の夜を守れ」 との 天暦2年(948年)、村上天皇勅命を受け、 下の本社は、『日沈の宮・日沉の宮』(ひしずみのみや)と呼ばれ、 安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ 一段高い高台に建つ上の本社『神の宮』の二つの本社がある 歴史ある境内☆彡 そして、沖には 古くは日御碕神社の下の宮があり、 年一度の神事に携わる神職などのほかは上陸が禁じられている 『経島』(ふみしま)浮かぶ歴史豊かな『日御碕神社』。 それでは、『日御碕』ブラタモリ散歩の続きを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【日沈宮(下の宮)廻廊】 日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。式内社で旧社格は国幣小社である。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。 下の本社(日沈の宮・日沉の宮、ひしずみのみや)は天暦2年(948年)、村上天皇勅命により祀り、上の本社(神の宮)は安寧天皇13年(紀元前536年)、勅命により祀られ、総称して日御碕大神宮とされた。出雲國神仏霊場20番。 「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社、である事による。 現在の社殿は3代将軍・徳川家光の命により幕府直轄工事として日光東照宮完成直後の寛永十一年から二十一年までの期間を掛けて造営されたものであり、権現造様式が採用されている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%BE%A1%E7%A2%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE 【経島】(ふみしま) 経島(ふみしま)は、島根県出雲市に存在する島である。 面積約3000平方メートルの無人島で、日御碕の西方約100メートル沖の日本海上にある。古くは日御碕神社の下之宮があった。現在でも、年一度の神事に携わる神職などのほかは上陸が禁じられている。 ウミネコの繁殖地として、国の天然記念物「経島ウミネコ繁殖地」に指定されている。毎年11月下旬から冬にかけて約5000羽ものウミネコが飛来し、4月から5月にかけて産卵・孵化、7月頃に島を離れる。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%B3%B6 |
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〔『出雲日御碕灯台』(いずもひのみさきとうだい):(島根県出雲市大社町日御碕秋台原山1478)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1-2.『日御碕灯台』:日本一の高さを誇る石造灯塔、世界灯台100選や日本の灯台50選にも選ばれた日本を代表する白亜の灯台、岬めぐり・・・^〜^v :『出雲日御碕灯台』(いずもひのみさきとうだい)(島根県出雲市大社町日御碕秋台原山1478)〔2019.04.21〕 旅日記は一か月ほど前(4/21-4/23)の平成最後の旅日記、 【級友の里帰りに合わせた出雲路めぐり】・・・! 僕のご近所の駅近くから、 高速バスで約5時間で終着『出雲市駅』到着☆彡 さっそく、友人のお勧めの『出雲そば』で腹ごしらえして、 日本一の高さを誇る『出雲日御碕灯台』(いずもひのみさきとうだい)建つ 『日御碕』(ひのみさき)へ^^v 世界灯台100選や日本の灯台50選に選ばれた 1903年(明治36年)4月1日に初点灯、 柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建ち、 100余年の風雪に耐えてきた 石造灯台としては日本一の灯塔の高さを誇る 日御碕灯台と、 日本海を望む美しい柱状節理の上の遊歩道を ご一緒にブラタモリ・・・^〜^v 出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい)は、島根県出雲市にある日御碕の突端に立つ灯台である。 石造灯台としては日本一の灯塔の高さである。周辺は、大山隠岐国立公園の一部となっている景勝地。出雲日御碕サカグリ照射灯(航路標識番号 0822)が併設されている。 世界灯台100選や日本の灯台50選に選ばれた日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いため、Aランクの保存灯台となっている。また、全国に5箇所しかない最大の第1等レンズを使用した第1等灯台でもある。 1903年(明治36年)4月1日に初点灯した[2]が、建設当初から日本一の灯塔の高さを誇る大型の石造洋式灯台である。日本人の設計・施工によるもので、同県八束郡森山産の凝灰質砂岩を用い、柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建ち、100余年の風雪に耐えてきた。 1918年(大正7年)2月4日、1,500W白熱電灯が使用される。 1993年(平成5年)から翌年にかけて、耐震補強にあわせた保全が行われた。 1998年(平成10年)、世界灯台100選に選ばれる。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E6%97%A5%E5%BE%A1%E7%A2%95%E7%81%AF%E5%8F%B0 |
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〔『割子蕎麦』:『献上そば 羽根屋』(島根県出雲市今市町本町549)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1-1.『出雲そば』:平成最後の旅は、高速バスで級友の里帰りに合わせて島根県出雲市へ・・・^〜^v :『献上そば 羽根屋』(島根県出雲市今市町本町549)〔2019.04.21〕 昨夜、令和はじめての旅『アメリカの片田舎』から無事帰宅☆彡 さて、旅日記は一か月ほど前の平成最後の旅 級友の里帰りに合わせて島根県出雲市へ・・・! 僕のご近所の駅近くには、便利な高速バスのバス停があり、 旅のスタートは、高速バスの車窓から、 遠く『大山』(だいせん)の残雪を眺めながら 『宍道湖』(しんじこ)の畔『松江駅』経由で、 ビール会社から委託栽培の青麦の穂を見とれていると 終着『出雲市駅』到着☆彡 さっそく、友人のお勧めの『出雲そば』を食べて 出雲の国巡りのはじまり始まり・・・^〜^v 蒜山高原サービスエリア(ひるぜんこうげんサービスエリア)は、岡山県真庭市蒜山西茅部の米子自動車道上にあるサービスエリア。米子自動車道で唯一のサービスエリアでもある。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%9C%E5%B1%B1%E9%AB%98%E5%8E%9F%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2 大山(だいせん)は、日本の鳥取県にある標高1,729mの山。成層火山であるが、活火山としては扱われていない[1]。鳥取県および中国地方の最高峰でもある。角盤山(かくばんざん)とも呼ばれるほか、鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから伯耆大山(ほうきだいせん)、あるいはその山容から郷土富士として伯耆富士とも呼ばれる。日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされている。 宍道湖の東北部に位置する佐陀川は天明時代に掘削された排水用の人工運河であり、直接日本海(恵曇港)と接続している。これによって島根半島東部は本土と切り離されている。 底質は沿岸部の100〜200mが砂や砂質泥、それ以外は大部分が泥である。透明度は1.0mと悪く富栄養化が進んでいる。湖内に位置する島は、嫁ヶ島だけである。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1_(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C) 宍道湖(しんじこ)は、島根県松江市と出雲市にまたがる湖[1]。一級水系の斐伊川の一部である。 湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。日本百景。主に大橋川・中海・境水道を介して日本海と接続し、淡水湖ではなく汽水湖となっている(平均塩分濃度は海水の約1/10である)。 島根県東北部に位置する。面積は日本国内で7番目、島根県内では鳥取県境に位置する中海に次ぎ、2番目に大きな湖である。形状は東西に長い長方形。東西約17km、南北約6km、周囲長47km。湖の面積の約5割が水深5m以上であり、湖底はほぼ水平となっている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8D%E9%81%93%E6%B9%96 出雲そば(いずもそば)は、島根県の出雲地方で広く食べられる郷土料理の蕎麦。 出雲の地が蕎麦処となった理由としては、奥出雲地方(出雲国南部=現在の雲南市・奥出雲町など)において、寒さに強く収穫までが短い上、痩せ地でも栽培できる蕎麦の栽培が栄えたこと、あるいは松江藩初代藩主の松平直政が信濃国松本藩から国替えとなった際、信濃からそば職人を連れてきたことで蕎麦食が定着し、江戸時代後期になってこの地域の産業・文化を振興した名藩主として「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれ親しまれている7代松江藩主の松平治郷が、当時「高貴な人はそばを食べない」とされていたにも拘らず、不昧公はお忍びで夜に屋台の蕎麦(いわゆる夜鷹そば)を食べに行くほどの蕎麦好きでこだわりの食べ方を語っており、茶人としても茶懐石に蕎麦を取り入れその地位向上に一役買ったためと言われている。 割子蕎麦(わりごそば)は、重ねられる丸い漆器に茹でた蕎麦を盛って出したもの。三段重ねとなったものが一般的で、別途薬味と出し汁の容器がつく。これは江戸時代に松江の趣味人たちがそばを野外で食べるために弁当箱として用いられた形式が基となっている。出雲地方では昔から重箱のことを「割子」(「割盒」とも)と呼んでおり、当時の割子は正方形や長方形、ひし形などさまざまな形であったが、1907年頃に当時の松江警察署長の発議によりヒノキを用いた底の厚みのある丸形の漆器に変わった(警察署長の発議は、割子が四角形であると四隅が洗いにくく、衛生的見地から問題があると見たからと言われている。なお、当時の食品衛生は警察の管轄であった)。 食べ方にも特徴があり、他地方では蕎麦をだし汁の中に入れるのに対し、だし汁自体を器に入れて食べる(このため、だし汁を入れる容器の口が狭くなっている)。その上に大根おろしと削り節などの薬味を載せて頂く。三段重ねの場合、まず一番上の割子にだし汁を全部入れて蕎麦を食し、食べ終わったら残っただし汁を二段目にかけて食す、というふうに、だし汁を使い回しながら上から順に食べてゆく。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E3%81%9D%E3%81%B0 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 稲佐の浜(いなさのはま)は、島根県出雲市大社町にある砂浜。 国譲り神話の舞台でもあり、「伊那佐の小濱」(『古事記』)、「五十田狭の小汀」(『日本書紀』)などの名が見える。また稲佐の浜から南へ続く島根半島西部の海岸は「薗の長浜(園の長浜)」と呼ばれ、『出雲国風土記』に記載された「国引き神話」においては、島根半島と佐比売山(三瓶山)とをつなぐ綱であるとされている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%90%E3%81%AE%E6%B5%9C |


