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〔『瀬戸大橋』(せとおおはし):『鷲羽山』(わしゅうざん)(岡山県倉敷市下津井田ノ浦)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2-1.『吉備津神社』(きびつじんじゃ):古来から神体山とされる「吉備の中山」の北西麓に北面して鎮座するは、「吉備の国」の総鎮守であり、備中国の一宮・・・^〜^v :(岡山県岡山市北区吉備津931)〔2013.06.29〕 もう四か月も前の初夏の岡山県の旅日記。 瀬戸大橋を目の前にする『鷲羽山下電ホテル』での二日目の目覚め。 まずは、北東側から遠望すると、 鷲が翼を広げた姿に見える『鷲羽山』(わしゅうざん)は、 瀬戸内海に面し、 瀬戸大橋全景や備讃瀬戸に浮かぶ塩飽諸島の島々を望める展望台へ... 次に向かったのは、岡山市の北西部、 備前国と備中国の境の「吉備の中山」(標高175m)の北西麓に 北面して鎮座する『吉備津神社』(きびつじんじゃ)。 本来は、「吉備国」の総鎮守であったが、 吉備国の三国への分割により 「備中国」の一宮とされた。 その比翼入母屋造の本殿は、『足利義満』造営とされ、 独特の「吉備津造」で、 拝殿とともに国宝指定に、 それでは、ご一緒に境内散策へと・・・^〜^V . .【つづく】 〔訪問時期:2013.06.29〕 【下電ホテル】 【鷲羽山・展望台】 【吉備津神社】 |
【中国の四季さんぽ】
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〔『石塔』:『備前国分寺跡』(びぜんこくぶんじあと)(岡山県赤磐市馬屋7)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1-2.『酒蔵めぐり』:酒米『雄町』(おまち)の故郷の酒蔵訪ねて、竜宮城の宴は海の幸をお供に地酒で乾杯・・・^〜^v :『鷲羽山下電ホテル』(わしゅうざんしもでんホテル)(岡山県倉敷市大畠)〔2013.06.28〕 記事は中断していた、もう四か月も前の初夏の候に! 週末に出かけた先は、酒米『雄町』(おまち)の故郷。 その故郷の酒蔵を二軒訪れました。 まずは、『室町酒造』、創業元禄元年(1688)320年の歴史ある酒蔵。 つぎに、『赤磐酒造』、大正12年創業の夏は米作り、冬は酒造りの芳醇な蔵元。 今回は、僕は残念ながら試飲できずのレンタカーでの酒蔵めぐり(涙) そして、この町最後の訪問場所は、『備前国分寺跡』(びぜんこくぶんじあと) 天平13年(741年)聖武天皇による国分寺・国分尼寺建立の詔勅により、 8世紀後半に建造され、規模を縮小し戦国時代に焼失するまで存在していたらしい。 歴史の生き証人は、 鎌倉時代に建造されたらしい石塔が一つだけ...! 今宵の宿は、こどもの頃夏休みの家族旅行で、 亡父と家族で訪れた創業80年の『鷲羽山下電ホテル』。 夜ご飯は、お部屋で竜宮城の宴、 地酒で乾杯・・・^〜^V . .【つづく】 〔訪問時期:2013.06.28〕 【室町酒造】 【赤磐酒造】 【備前国分寺跡】 【鷲羽山下電ホテル】 |
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〔『壺』:『山陽郷土資料館』(岡山県赤磐市下市337)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1-1.『山陽郷土資料館』:古墳や国分寺跡などの多くの遺跡が残されている古代吉備文化の栄えた地を訪ねて・・・^〜^v :(岡山県赤磐市下市337)〔2013.06.28〕 もう三か月も前の初夏の候、 週末に出かけた先は岡山県東部、兵庫県に近い『赤磐市』。 そこは、僕の大好きなお酒の山田錦や五百万石などの優良品種の親でもある 酒米『雄町』(おまち)の故郷。 そして、古墳や国分寺跡などの多くの遺跡が残されている 古代吉備文化の栄えた地。 まずは、新大阪駅から岡山駅へ、 かるく『ままかり』寿司で腹ごしらえして、 レンタカーで訪れたのは『山陽郷土資料館』 縄文時代のドングリや、弥生時代の土器や石器。 環頭大刀や短甲をはじめとする古墳の副葬品や陶棺を 見ることができるすてきな場所に、 どこでも、ドア〜〜〜^〜^V . 【つづく】 〔訪問時期:2013.06.28〕 【山陽郷土資料館】は、 赤磐市の考古資料を収蔵・展示し、郷土の学術と文化の振興に寄与することを目的に、 昭和53年1月、財団法人山陽町文化財保護協会が建設しました。 平成12年度から、山陽町教育委員会、平成17年からは赤磐市教育委員会が管理運営しています。 古代吉備文化の栄えたこの地域には、国指定史跡である両宮山古墳・備前国分寺跡をはじめ、 南方前池遺跡・用木古墳群など多くの遺跡が残されています。 当館では、縄文時代のドングリや、弥生時代の土器や石器。山陽の岩田14号墳から出土した環頭大刀や 正崎2号墳から出土した短甲をはじめとする古墳の副葬品や陶棺を見ることができます。 最近の発掘調査からは、備前国分寺跡出土の文字瓦や銅印などを展示しています。 |
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〔『新幹線500系電車』『こだ744号』:『岡山駅』・『岡山市北区駅元町1番1号』にて〕 『こだま744号』 : 岡山から新大阪へは、かつてはJR西日本の最新鋭の『500系』で各駅停車・・・^〜^v:『広島県福山市鞆町』にて〔2011.10.23〕 先日の岡山ポチ旅行(10/21-23)の復路、 岡山駅から新大阪駅までは、『こだま744号』で各駅停車。 車両は、いまでは『のぞみ』に使われなくなった『500系』、 JR西日本は、徹底して高速性能を追求して開発された 最高速度300km/h以上での営業運転は可能な車体。 ちょっぴり、居住性がよくありませんが、 記念になる旅の帰り道でした・・・^〜^v 岡山では、20年来のお友達との再会や、 ブログのお友達のご案内でわがままドライブも出来て 至福の時間を過せました♪ 岡山県のみなさん、ありがとうございました★感謝★ 【訪問時期:2011.10.23】 【新幹線500系電車(しんかんせん500けいでんしゃ)】は、 西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する新幹線用電車である。 最高速度300km/h以上での営業運転を前提として計画・設計され、 1996年から1998年にかけ、16両編成9本合計144両が製造され、 当初は山陽新幹線区間限定で「のぞみ」運用を中心として運転を開始し、 その後東海道新幹線での営業運転を開始、 後続系列である700系の最高速度が285km/hと低く抑えられたこともあり、 「のぞみ」の中でも特に速達性を重視した運用に長く充当された。 しかし、徹底して高速性能を追求したために、 製造コストや居住性の問題、 特に東海道新幹線内での他系列との定員の違い、 車両性能を持て余すなどの点が問題となった。 2007年以降直接的な後継車両であるN700系が登場すると、 これに置き換わる形で8両編成に短編成化のうえで山陽新幹線区間限定の「こだま」に格下げされ、 2010年2月限りで「のぞみ」(および東海道新幹線)からは撤退した。 |
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〔『鞆の浦(とものうら)』『広島県福山市鞆町』にて〕 『鞆の浦(とものうら)』【後編】 : 地元のお魚食べて、午後も歴史的な瀬戸内の港町を、わがまま散策楽しむ・・・^〜^♪:『広島県福山市鞆町』にて〔2011.10.23〕 先日のある日(10/23)、岡山方面に出かけた際、 地元のお友達『三原色さま御夫妻』のお車で、広島県福山市へと、 目的地は、日本の古代・万葉時代からの瀬戸内の重要な港町『鞆の浦(とものうら)』、 「鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも」(大伴旅人)」 なんと、万葉集にはこの『鞆の浦』を詠んだ歌が八首も! その後も、瀬戸内海の潮待ちの重要な港として、 多くの歴史との出会いがあった港町。 お昼ごはんも地元のお魚を、 午後もわがまま散策楽しみました・・・^〜^♪ 【完】 【訪問時期:2011.10.23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【近代】 明治時代になると交通手段の近代化に伴い拠点性を失うことになった。 これは海運が船舶の動力化により潮待ちを必要としなくなったうえに大型船舶が入港できないこと、 また立地が沼隈半島の先端にあり、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が通ることもないため、 陸海の交通路から外れることになった。 昭和初期には、尾道市や順調な発展を遂げる福山市から完全に取り残され、 1942年(昭和17年)には周囲の田尻村、走島村と合併し町域が拡大するが、 沼隈半島の中心地としての地位に留まるのみとなった。 現在では鞆港への商船の出入りは殆ど無く、 連絡船、観光船を除けば、ほぼ漁港として利用されるのみである。 しかし、こうしたことが開発の波に飲み込まれることなく、 古寺が数多く点在する古い街並みをとどめる要因にもなった。 |




