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〔『後楽園』・『岡山市北区後楽園1−5』にて〕 『後楽園』:雨上がりの日本三名園のひとつ、鏡のような秋の水面を味わう・・・^〜^!:『後楽園』・『岡山市北区後楽園1−5』にて〔2011.10.22〕 おはようございます^〜^v 今日は、『英国で最も美しい村』・『バイブリー』の記事は、一休み。 一週間前に出かけた『岡山プチ旅行』から 日本三名園のひとつ『後楽園』を、 前夜の小雨もあがり、水たまりの残る広大な大名庭園。 風もない、しずかな週末の朝、 鏡のような水面に映る秋の風景を ご一緒に味わってください・・・^〜^v 【訪問時期:2011.10.22】 . 【後楽園(こうらくえん)】は、 岡山県岡山市北区後楽園1-5にある日本庭園(大名庭園)で日本三名園のひとつである。 江戸戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された、 元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。 後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、 1687年(貞享4年)に着工し14年の歳月をかけ1700年(元禄13年)に完成した。 岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。 藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で 岡山城や周辺の山を借景としている。 |
【中国の四季さんぽ】
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〔『新大阪(市内)→岡山』:『こだま往復指定席切符』〕 『こだま767号』:山陽新幹線の各駅停車『レールスター』で、新大阪から岡山へ・・・^〜^!〔2011.10.21〕 昨夜は、仕事が終わってから、新幹線で岡山にやって来ました。 僕は、新幹線に乗ったのは、もう数年ぶり、 普段は、高速バスか乗車券だけで乗れる列車しか乗らないので...(笑) 『こだま往復指定席切符』は、新大阪〜岡山が6880円で、4840円もお安い。 新大阪駅から岡山駅まで、新神戸・西明石・姫路・相生に停車して、 約1時間半で、岡山駅に到着....! 今日は、ちょっぴり雨空の岡山、 夕方から、鴨方の酒蔵でのコンサートがお目当て・・・^〜^♪ 【訪問時期:2011.10.21】 |
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〔『膳家』にて:兵庫県姫路市〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2-3.姫路で途中下車『穴子の薄造り』・『剣先いか造り』と『明石蛸の釜飯』で軽く夕食・・・! : 名画を訪ねて、『広島県尾道市』へ・・・^〜^v〔2009.08.01-02〕 先週末(2009.08.01-02)は、女房のお気に入りの画家 『早川 義孝(はやかわ ぎこう)』さんの作品展を 広島県尾道市にある『尾道市立美術館』への旅 第二日目は、尾道港から連絡船で『生口島(いくちじま)』のある 『平山郁夫美術館』を訪問・・・ 瀬戸内の素敵な美術館で名画を堪能し、 『尾道穴子のひつまぶし』で昼食を、 尾道駅から、『青春18切符』で各駅停車『岡山行き』に その後、岡山駅からは各駅停車の『相生行き』 そして、相生駅から新快速『野洲行き』に・・・・ たっぷり、山陽路の車窓を楽しみましたので、 『姫路駅』で途中下車、 目的は、『穴子の薄造り』と『明石蛸の釜飯』 それに女房の大好物『剣先烏賊の造り』で軽く食事を デザートに、姫路の銘菓『玉椿』を買って、 ゆっくりと無事帰宅・・・ 食べ物ネタの記事が、続いてしまいました^〜^v 〔訪問時期:2009.08.01-02〕 【玉椿】 しっとりとした黄身餡を薄紅色の求肥で包んで 「椿の花」に見立てた姫路銘菓です。 姫路藩の家老の命を受け、 酒井家と11代将軍の娘喜代姫との婚礼の席に 【株式会社伊勢屋本店(いせやほんてん)】は、 兵庫県姫路市の西二階町商店街にある和菓子の老舗。 創業は元禄年間(1688年〜1703年)といわれる。 天保年間(1830年〜1843年)に姫路藩家老河合寸翁の推挙により江戸で菓子を学び、 帰姫後は藩の御用菓子商となった。 代表商品の「玉椿」は、 藩主酒井忠学と11代将軍徳川家斉の25女・喜代姫との婚礼に当たって考案され、 河合寸翁が命名したという。 |
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〔『たまがんぞう』にて:広島県尾道市〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2-2.『尾道穴子のひつまぶし』をお昼に、満腹・満腹・・・! : 名画を訪ねて、『広島県尾道市』へ・・・^〜^v〔2009.08.01-02〕 先週末(2009.08.01-02)は、女房のお気に入りの画家 『早川 義孝(はやかわ ぎこう)』さんの作品展を 広島県尾道市にある『尾道市立美術館』への旅 第二日目は、尾道港から連絡船で『生口島(いくちじま)』のある 『平山郁夫美術館』を訪問・・・ 瀬戸内の素敵な美術館で名画を堪能し、 瀬戸田港から尾道港へ、静かな瀬戸内海の船旅で一休み 尾道の街中を歩いていると『尾道穴子のひつまぶし』の看板を発見 ちょうど、お昼の時間帯、穴子を焼く香につられ早速店内へと・・・^〜^v 〔訪問時期:2009.08.01-02〕 【ひつまぶし(櫃塗し)】とは、 主に名古屋市近辺で食べられている、ウナギを用いた郷土料理である。 ・・・・〔『鰻→穴子』に、置き換えて^〜^v〕・・・ ご飯の上に刻んだ鰻『→穴子』が載ったまま出されるので、 これをしゃもじで"十"の形に切分ける。 その後、以下の3種類の食べ方を順番に行う。 最初はこれをそのまま茶碗に一杯取り、そのまま食べる。 次はおかわりの様に2杯目を取り、薬味(わさび・のり・みつば等)をのせて食べる。 薬味は葱・山葵(わさび)・海苔が基本で、ウナギ『→穴子』によく合う?3種である。 これらの味の変化を楽しみながら味わう。 3杯目は2杯目の様にしたものにお茶(煎茶)もしくはだし汁(店単位で異なる)をかけ、 さっぱりとお茶漬けのように食べる。 最後は1〜3のうち最も気に入った食べ方で食べる。 |
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〔『平山郁夫美術館』喫茶室にて:広島県尾道市瀬戸田町〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2-1.『平山郁夫』の生まれた『瀬戸田町』に有る『平山郁夫美術館』で名画鑑賞・・・! : 名画を訪ねて、『広島県尾道市』へ・・・^〜^v〔2009.08.01-02〕 先週末(2009.08.01-02)は、女房のお気に入りの画家 『早川 義孝(はやかわ ぎこう)』さんの作品展を 広島県尾道市にある『尾道市立美術館』への旅 第二日目は、尾道港から連絡船で『生口島(いくちじま)』のある 『平山郁夫美術館』を訪問・・・ この地、『瀬戸田町(せとだちょう)』は、『平山郁夫』の生誕地。 尾道港から、瀬戸田港までの船旅は、『しまなみ海道』の連絡橋を眺めながらの こ一時間の瀬戸内海をのどかに航海、 瀬戸田港から、美術館までは 徒歩5分強の道のり、 残念ながら、館内は ロビーと喫茶室以外は撮影禁止でした(涙) 〔訪問時期:2009.08.01-02〕 【瀬戸田町(せとだちょう)】は、 かつて広島県豊田郡にあった町である。 生口島(いくちじま)と高根島からなり、 古くから塩田が開発されるなど、 瀬戸内海の交通の要衝として栄えてきた。 「西の日光」とも呼ばれる耕三寺があることでも知られる。 2006年1月10日、隣接する因島市とともに尾道市に編入されて 尾道市瀬戸田町となった。 【平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - )】は、 日本画家、教育者。 日本美術院理事長。一ツ橋綜合財団理事。元東京藝術大学学長。文化勲章受章者。 称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。 現代日本画壇の最高峰に位置する画家であり、 その作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高い。 カメの研究者で知られる平山廉は息子。 シルクロード旧制広島修道中学(現修道中学校・高等学校)3年在学中、 勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で広島市への原子爆弾投下により被災。 この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点になっている。 戦後は実家に近い旧制忠海中学(現忠海高校)に転校した。 ここでは高橋玄洋と同級生となっている。 卒業後、清水南山(祖母の兄)の強い勧めもあり、 東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。 前田青邨に師事する。 東京芸術大学で助手を務めていた1959年頃、原爆後遺症(白血球減少)で一時は死も覚悟したなか、 玄奘三蔵(三蔵法師)をテーマとする『仏教伝来』を描きあげ、院展に入選する。 以降、平山の作品には仏教をテーマとしたものが多い。 仏教のテーマはやがて、 古代インドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と、 文化の西と東を結んだシルクロードへの憧憬につながっていった。 平山は1960年代後半からたびたびシルクロードの遺跡や中国を訪ね、 極寒のヒマラヤ山脈から酷暑のタクラマカン砂漠に至るまで、 シルクロードをくまなく旅している。 その成果は奈良・薬師寺玄奘三蔵院の壁画に結実している。 アッシジのサン・フランチェスコ聖堂壁画の模写、 法隆寺金堂壁画の模写、高松塚古墳壁画の模写や、 ユネスコ親善大使として北朝鮮の高句麗古墳群の世界遺産登録推進に寄与した功績で 大韓民国政府より修交勲章興仁章受章、 「文化財赤十字活動」の名のもと、 カンボジアのアンコール遺跡救済活動、 敦煌の莫高窟の保存事業、 南京城壁の修復事業、 バーミヤンの大仏保護事業などの文化財保護や相互理解活動を評価されるなど、 その活動は幅広く社会への影響も大きい。 教育者の立場から長年に亘って後進の指導に当たった。 【耕三寺(こうさんじ)】は、 広島県尾道市瀬戸田(生口島)に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。 山号は潮声山(潮聲山)。 1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、 日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、 「西の日光」とも呼ばれる。 このうち、山門・本堂をはじめ15の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。 また、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、 寺全体が博物館法による博物館となっている。 |




