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〔『善福寺』:『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〕 2-4.『善福寺(ぜんぷくじ)』:行基を開基として創建の禅寺の紅葉は、心の中に染み入る美しさ・・^〜^v:『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〔2011.11.23〕 母との紅葉と温泉のたび、 最終編は、行基を開基として創建の禅寺『善福寺』。 春には、見事な枝垂桜の優美な姿が目を楽しまさせてくれる名所。 ここにも、素敵な紅葉が、 静かな境内に佇む秋色は、心の中に染み入る美しさ、 帰りの高速バスの発車までの少し間も、 たくさんの『有馬温泉』の秋色を楽しみました・・・^〜^♪ . 【完】 【訪問時期:2011.11.22-23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【善福寺(ぜんぷくじ)】は、 兵庫県神戸市北区にある曹洞宗に属する仏教寺院。 山号は光徳山(こうとくさん)。 本尊は阿弥陀如来。 有馬温泉郷の落葉山の麓に位置する。 『摂津名所図会』によれば奈良時代に行基を開基として創建し、 中興は仁西とされ、また曹洞宗としては1331年(元弘元年)の創立とするが詳細は不明。 古来外湯「一之湯」の灯明を掲げたと伝わる。 『臥雲日件録』の享徳元年4月24日(1452年5月22日)の記述には、 湯治に来た相国寺の瑞渓周鳳が善福寺を訪ね、 向かいの山に孝徳天皇行宮がかつて存在した事などを寺僧から聞いたとある。 織豊政権下で、善福寺は湯山の代官に任ぜられた。 また、安土桃山時代、豊臣秀吉により山内で大茶会が開かれたという縁から、 毎年の有馬大茶会の献茶会は当寺で行われる。 |
【兵庫の四季さんぽ】
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〔『鼓ヶ滝』 : 『鼓ヶ滝公園』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〕 『鼓ヶ滝(つづみがたき)』:太鼓の次は、鼓が響いた紅葉の名所で秋色満喫・・・^〜^v:『鼓ヶ滝公園』・『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〔2011.11.23〕 紅葉の名所『瑞宝寺公園』への散策は、 母の休憩の間に僕一人、 一時間ほどの散策後は、いったんお宿に戻り、 チェックアウトを済ませ、 母と有馬温泉のもう一つの紅葉の名所『鼓ヶ滝公園(つづみがたきこうえん)』へと 太鼓や鼓、先人たちの自然を楽しむ宴の音が聞こえそうなネーミング、 真っ赤な紅葉をはじめ、いろんな秋色を見つけながらの 母との散策を楽しみました・・・^〜^v . 【つづく】 【訪問時期:2011.11.22-23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【鼓ヶ滝公園(つづみがたきこうえん)】は、 兵庫県神戸市にある公園。 有馬温泉街の南、六甲山地北麓の鬱蒼とした森林の中に在る鼓ヶ滝と それを源とする滝川(有馬川上流)の岸辺にある滝道を整備して造られた細長い公園である。 公園と周囲にはヤマザクラやカエデなどの広葉樹が生い茂り、 近世以前より春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉の名所として知られ、 四季を通じて森林浴のスポットとして賑わっている。 下流の温泉街入り口の鼓橋あたりではゲンジボタルやカジカが生息するほど水の流れは清い。 【鼓ヶ滝】 公園の南端にある高さ8mの直瀑で、江戸時代の「有馬六景」の一つに数えられる。 その名は、滝音(滝壺に落ちる水音が岩に反響して出る音)が鼓のように響いていたことに由来する。 しかし、昭和13年(1938年)の阪神大水害のときに滝が崩壊し、 その後2段の段瀑であったものを現在の直瀑に変更して修復された。 そのとき以来、鼓のような滝音は消滅したとされる。 滝近くには茶店が設けられている。 |
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〔『鼓ヶ滝』 : 『鼓ヶ滝公園』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〕 2-3.『鼓ヶ滝(つづみがたき)』:太鼓の次は、鼓が響いた紅葉の名所で秋色満喫・・・^〜^v:『鼓ヶ滝公園』・『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〔2011.11.23〕 紅葉の名所『瑞宝寺公園』への散策は、 母の休憩の間に僕一人、 一時間ほどの散策後は、いったんお宿に戻り、 チェックアウトを済ませ、 母と有馬温泉のもう一つの紅葉の名所『鼓ヶ滝公園(つづみがたきこうえん)』へと 太鼓や鼓、先人たちの自然を楽しむ宴の音が聞こえそうなネーミング、 真っ赤な紅葉をはじめ、いろんな秋色を見つけながらの 母との散策を楽しみました・・・^〜^v . 【つづく】 【訪問時期:2011.11.22-23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【鼓ヶ滝公園(つづみがたきこうえん)】は、 兵庫県神戸市にある公園。 有馬温泉街の南、六甲山地北麓の鬱蒼とした森林の中に在る鼓ヶ滝と それを源とする滝川(有馬川上流)の岸辺にある滝道を整備して造られた細長い公園である。 公園と周囲にはヤマザクラやカエデなどの広葉樹が生い茂り、 近世以前より春は桜、初夏は新緑、秋は紅葉の名所として知られ、 四季を通じて森林浴のスポットとして賑わっている。 下流の温泉街入り口の鼓橋あたりではゲンジボタルやカジカが生息するほど水の流れは清い。 【鼓ヶ滝】 公園の南端にある高さ8mの直瀑で、江戸時代の「有馬六景」の一つに数えられる。 その名は、滝音(滝壺に落ちる水音が岩に反響して出る音)が鼓のように響いていたことに由来する。 しかし、昭和13年(1938年)の阪神大水害のときに滝が崩壊し、 その後2段の段瀑であったものを現在の直瀑に変更して修復された。 そのとき以来、鼓のような滝音は消滅したとされる。 滝近くには茶店が設けられている。 |
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〔『太鼓滝』 : 『瑞宝寺公園』の奥(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〕 3.『瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)』:『錦繍(きんしゅう)の谷』の奥からは、太鼓の響きが・・・^〜^?:『太鼓滝(たいこたき)』・『『瑞宝寺公園』・『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〔2011.11.23〕 一夜明けた有馬温泉の朝、 僕は再び紅葉の名所『瑞宝寺公園』へ、 この公園の奥には、落差約10mの『太鼓滝(たいこたき)』が、 滝つぼが、おわんのように丸くなっているため、 太鼓をたたくような音がするらしいのですが・・・? 近くの高台は、展望台と呼ばれ 滝の全景を木々の隙間から見ることも出来ます。 僕の足は、『太鼓滝』で引き返し、 『瑞宝寺公園』の真っ赤な紅葉や道中の秋色を満喫し、 いったん、母の休むお宿へと・・・^〜^v . 【つづく】 【訪問時期:2011.11.22-23】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)】は、 兵庫県神戸市北区の有馬温泉郷にある都市公園。温泉街の最高部(標高500m)に位置する。 紅葉の名所として知られている。 明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地を、神戸市が1951年に公園として整備した。 歴史的には、豊臣秀吉も有馬をたびたび訪れていた。 秀吉が「いくら見ても飽きない」などと瑞宝寺の紅葉を気に入ったという故事から、 この地の紅葉には「日暮しの庭」、「錦繍谷」の別称がある。 また秀吉が囲碁を指したとされる石の碁盤も、公園内に残されている。 旧瑞宝寺の山門は、1868年に京都の伏見桃山城から移築されたもので、 1976年に神戸市によって保存修復されている。 公園内には、小倉百人一首にも詠まれている和歌 「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位)の歌碑がある。 また毎年11月2日・3日には「有馬大茶会」が公園内で開かれる。 |
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〔『錦繍(きんしゅう)』 : 『瑞宝寺公園』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〕 2.『瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)』:朝の『錦繍(きんしゅう)の谷』、紅葉の絨毯の足音をひとり楽しむ・・・^〜^!:『有馬温泉』(兵庫県神戸市北区有馬町)にて〔2011.11.23〕 温泉の朝は早い、暗いうちに朝風呂で体を温め、 朝食後、母が部屋で休む間、 僕は再び紅葉の名所『瑞宝寺公園』へ、 この公園には、紫式部の娘『大弐三位(だいにのさんみ)/藤原賢子』の歌碑も、 . 有馬(ありま)山 猪名(ゐな)の笹原 風吹けば . いでそよ人を 忘れやはする . 百人一首・大弐三位(58番).『後拾遺集』恋二・709 また、秀吉が「いくら見ても飽きない」などと好んだ瑞宝寺の紅葉を 朝早く、まだ誰もいない紅葉の絨毯 『錦繍(きんしゅう)』の足音をひとり楽しむ・・・^〜^♪♪♪ . 【つづく】 【訪問時期:2011.11.22-23】 【錦繍】きん‐しゅう 〔‐シウ〕 【錦×繍/錦×綉】 2 美しい織物・衣服。「―を身にまとう」 3 美しい紅葉や花のたとえ。「―の山々」 4 美しい字句や文章のたとえ。「―を重ねた文章」 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)】は、 兵庫県神戸市北区の有馬温泉郷にある都市公園。温泉街の最高部(標高500m)に位置する。 紅葉の名所として知られている。 明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地を、神戸市が1951年に公園として整備した。 歴史的には、豊臣秀吉も有馬をたびたび訪れていた。 秀吉が「いくら見ても飽きない」などと瑞宝寺の紅葉を気に入ったという故事から、 この地の紅葉には「日暮しの庭」、「錦繍谷」の別称がある。 また秀吉が囲碁を指したとされる石の碁盤も、公園内に残されている。 旧瑞宝寺の山門は、1868年に京都の伏見桃山城から移築されたもので、 1976年に神戸市によって保存修復されている。 公園内には、小倉百人一首にも詠まれている和歌 「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位)の歌碑がある。 また毎年11月2日・3日には「有馬大茶会」が公園内で開かれる。 【大弐三位(だいにのさんみ、長保元年(999年)頃? -永保2年(1082年)頃?)】は、 平安中期の女流歌人。 藤原宣孝の女、母は紫式部。 本名は藤原賢子(ふじわら の かたいこ/けんし)。 藤三位(とうのさんみ)、越後弁(えちごのべん)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。 長保3年(1001年)3歳ごろ父と死別。 長和6年(1017年)18歳ごろ、母の後を継ぎ一条院の女院彰子(上東門院)に女房として出仕。 当時は祖父の任国の越後国と官名をとって越後弁と呼ばれた。 この間、藤原頼宗、藤原定頼、源朝任らと交際があったことが知られている。 その後、関白藤原道兼の次男兼隆と結婚、一女をもうけた。 万寿2年(1025年)、親仁親王(後冷泉天皇)の誕生に伴い、その乳母に任ぜられた。 長暦元年(1037年)までの間に東宮権大進高階成章と再婚、同2年(1038年)為家を生む。 天喜2年(1054年)後冷泉天皇の即位とともに従三位に昇叙、夫成章も大宰大弐に就任した。 大弐三位はこの官位と夫の官名に由来する女房名である。 この間、長元元年(1028年)「上東門院菊合」、永承4年(1049年)「内裏歌合」、 同5年(1050年)「祐子内親王家歌合」など多くの歌合で歌を詠んでいる。 承暦2年(1078年)には80歳近い高齢で「内裏後番歌合」に出席し、子為家の代詠を務めている。 家集『大弐三位集』(一名『藤三位集』)がある。 『後拾遺和歌集』に37首入集。 小倉百人一首 58番 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする |




